特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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「なぜ、苦労して医師や看護師になったのに、自分のお金を使ってまで途上国で働くのか?」

昔、よくこう言われたものだ。
もう20年以上前の話だよ。

でももし今こう言う人間がそばにいるとしたら、それは甚だ時代錯誤だとしかいえない。
その人たちの意識や認識はまだ20年前の状態にある。
年配の人は致し方ないかもしれない。その人の考えというのはその人が生まれ、人間としての成長期の0歳から20歳頃までの時代の影響を最も受けるのだから。
しかしながらこの考えが、現在の30歳代までの人たちにすんなり受け入れられているとしたら、それはかなりやばい。
現在に存在しながら、20年ほど過去の価値観の中に生きているということになる。
今の時代の考えや生き方はすでにそんなところにないからね。

もうちょっと詳しく話をすれば、

僕らの世代より上は、豊かになりたいと一心不乱に見栄を張ってがんばってきた。
豊かになるとは、すなわち物質的に豊かになることを指していた。
今の若い人たちには信じてもらえないのだけれど、例えば当時は、若者であろうと車を持っていない男を女の人たちはランクが低い男だと認識していた。だから男たちは借金してでも車を買った。信じられないでしょ?
クリスマスや誕生日には、女の人に有名ブランドの貴金属やアイテムをプレゼントできないと何となく惨めに思った。
家を持つために一生懸命に働いた。
とにかく物質的な豊かさが、精神的な豊かさとかなり、リンクしていた時代だった。

だから収入を放棄し、ましてや自分の金を使ってまで途上国に行って働くことは、たとえ立派なことだと思っていても本当に理解できる人間は少数だった。
体感覚として存在しないことであったのだから。

ところが今、時代はすっかり変っているのだ。

若い世代は、すでに物質的に豊かになる必要はない。
なぜなら、彼らはすでに豊かだからだ。
私たちの世代が時間をかけてようやく理解した、物質的な豊かさは精神的な豊かさとはそこまで相関しないということを、生まれたときから体感している。
せいぜい豊かになっていく加速度に、少しだけ満足を得る程度だろう。だから、あくせくしないし、物を必要以上に求めたりしない。
 
しかし逆に、難しい問題に直面している。
今の若者たちは、こころの満足や充足、精神の安定、自己承認欲求の認知などを求めて苦しんでいる。
精神的な豊かさの補償はお金や物では埋めることができないからだ。


今はいい時代になったと思う。
少し働けば衣食住に大して困らず、社会保障もある程度あり、貧困貧困というけれど、私が途上国で見てきた貧困とはそのレベルが違うのだ。
日本では、少なくともお金がないからといって、瀕死の状態にある子どもの治療を親が自ら諦めざるをえない現状など知らない。毒へびにかまれても、10時間以上いつ来るか分からない満員のバスを待ち続けている人間など見たこともない。

そしてこれから、もっともっとこの流れは加速する。
精神的な豊かさを、そこから得られる内面の満足を、いかに獲得するのかがこれからの世代のテーマになる。
私たち以上の世代には理解されないが(だから親の言うことを聞いてはいけない!)、真の豊かさを得るためにはお金も時間も投資する。
それこそがこれからの生き方であり、21世紀の生き様である。

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photo by Junji Naito


今の小学生の子どもたちの世代の平均寿命は100歳を超える。そして、AIによって多くの単純労働から人類は解放される。さらに、新しいマネーの創造によって人々は経済的にも安定していく。

そんな時代に
「なぜ、苦労して医師や看護師になったのに、自分のお金を使ってまで途上国で働くのか?」
の次世代の若者の答えは明白だ。

ぜひ40歳代以上の人たちには聞いてほしい。

その答えは、
「せっかく苦労して医師や看護師になったからこそ自分のお金を使ってまで途上国で働くのだ!」

若い世代は気づいてしまった。あるいは知っているのだ。
世の中の役に立つことによって、自分の存在価値を知り、生きている意味、内的な満足や充足を得ることができる。
何より、それらを手に入れることができる生き方のひとつが、それなのだと。

あとは、彼らを導くいいコーチが必要になる。
日本にはそのコーチが少ない。なぜならば、コーチであるべき世代がまだ古い考えに固執している人ばかりだからね。
若い世代はいいコーチを探して、どんどん自己実現していけばいい。

時間とお金を投資して、あなた自身の未来のためにミャンマーやカンボジアに来てほしい。
医療にたとえ無関係な人間であっても、私はあなた方に一人の人間として何かを伝えることができるかもしれない。

私もまた、あなたと同じく、この世界を少しでも良くしたいと思っている1人の日本人なのだから。

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photo by Junji Naito


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# by japanheart | 2018-01-22 12:09 | 医者の本音

 うちの長男が中学受験をするらしい。そのためさまざまな事柄を、親が書かなければならない“申請書”の提出を求められているらしい。

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図々しくも長男が、日ごろの在り方の反省もせずに、それを書いてほしいとお願いしてきたので

「書くのは嫌だ!」

と言ったら

「それでも親か?」

みたいなことを言うので、1時間ほど説教をしておいた。

「お前は落ちたほうがいいと思っている」

と言うと、さらに

「それでも親か?」を通り越して「それでも人間か!」

のような表情をするので、大きく頷いておいた。



 そんな目先の利益しか考えていない人たちに、今日は是非に伝えておきたいことがある。

それは物事は必ず長期的視点で利益を目指せということだ。


目先の小さな利益や欲望は、長期的には損失を生じることのほうが多い。一時の大きな利益は、その後の人生や会社の運命を、全く不幸にしてしまうことなどざらにある。

人生ここが勝負というときに、100万円を惜しむ人は100万円に泣き、さらに大切な機会を失う。

目先の損得に飛びつかず、100万円を投資し新たな未来や機会を生み出す。すなわち可能性を生み出す。

自分のね。


極端な話、人生は小さなベストの合計が全体のベストと一致しない。かなり目減りすると思っておいたほうがいい。どこかの球団のようにスターばかり集めたからといって、必ずしも勝つわけではないということだ。


最善x最善x最善、、、、、、=最善

ではない、ということ。


パズルのように、雄ネジと雌ネジのように、上手く役割をかみ合わせた補強や協力、共生関係がはたらくと、より強固なチェーンを生みだす。

子どもにだってできる!“長期的な視点”で自分の心に問う_e0046467_17090254.jpg

もっと言うと、ある最善は別の最善を消費する、減力する。

例えば、年間100試合に出場することによって最高の成績を残せる人が、他のベスト選手に押し出されて30試合しか出場するチャンスをもらえなければ、その活躍はかなり目減りするということだ。


 私の考えとして、何事も全力で取り組める人間はその時点で救われているといえる。

試験に落ちようが、就職できなかろうが、それはその人にとってまずベストの結果を受け取っていると思っていい。もちろん、長期的な。

本気でやったけど医者になれなかったというのは、私から見ると“医者になる必要がなかった”と考えられる。

ちょっとした努力で結果を手に入れるよりは、一生懸命努力して失敗するほうが、得るものははるかに多いし、失うものははるかに少ない。

適当にやって結果を手に入れたということは、もともと低い跳び箱を飛んでいたに過ぎない。時間の無駄使いだ。


長期的な視点でー、

といっても未来のことは見えないし分からない。もちろん保証などどこにもない。

もしも疑うのなら、目先の利益に飛びついていればいい。

信じられないのは私の意見ではなく、自分の未来だと自覚をするのだ。


うちの子も本気で毎日それに向き合っていたら、黙って申請書くらい書いたんだけど。


とにかく、一旦立ち止まって、

本当にそれが必要なのか?

それを本当に求めているのか?

長い目で見たとき、自分はこのことによってどうなるのか?

本当はどうなりたいのか?

しっかりと自分に聞いてみたほうがいい。

胸に手を当てて自分に聞くんだ。

私の人生は本当にそれを求めているのか?と。


 60分間の我が子への話の中で私が伝えたことは、“親は本質的に子どもに伝えることは一つしかない”ということ。

それは、この世の真理の姿をわが身を通して子に見せること。


情けは人の為ならず。

自分と同じように人を大切にする人は人から大切にされる。

世の中を幸せにした人が幸せになれる。

奪う者は結局、損をする。

などなど、、。


これらのことを話し続けた。


生きてる時代も違えば、影響を受けたものも違い、未来も全く違う。

それを親たちは自分が未来でも見通しているかのごとく、子どもを自分の価値観に縛り付けようとする。

10年後のことも全く分からないくせに、こうすれば将来安全だし安心だと宣言する。

そして子も、それに従うことで安心する。

そのときは。


子どもの生きていく時代のことは親には分からないのだから、子どもの感性に任せる。

それが正解ではないのか?

そう子どもに伝えた。

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「お前の人生は今から自分で決めろ。親に従うことは正解ではないと思う。」

たった12歳の小学生の子どもに、そう伝えた。

親がそうしてほしいから受験をしたり、公務員になったり。

親想いのいい子だけど、本当にそれでいいのか?

親がいなくなった後も人生永い間続くぞ?!


本当に受験したいのか?

それはなぜ?

本当に公務員になりたいのか?

それはなぜ?


それを自分の心に手を当てて聞いてみて。

それで心がそういうならば、もちろん損得はなしで、そのまま進めばいいと思う。

しかし、少しでもわだかまりがあるのなら、一旦止まってみるべし。

期限までにそれが解決されないならば、それはやはり進むべき道ではないと思う。



 器の小さい人間は、その小さな器に人を無理やり押し込もうとする。

気をつけないと。

もちろん、自戒もこめてね。

大体、持ってる時間それ自体が、可能性の塊みたいなものでしょ。


私には残りせいぜい30年の時間しかないけれど、AI時代の長男には残り90年の時間がある。

時間は三倍だけど、それっていったい何倍の可能性の差なんだろう?





# by japanheart | 2017-12-26 19:27 | 子どものこと
『ものごとの達成には二つの能力の結合が必要だと思う。』


先日、ミャンマーで長い手術を終えた深夜1時頃、スタッフたちを集め、話した内容だった。



 こんな果てまで、お金と時間を使ってやってくる人たちがたくさんいる。

「人の役に立ちたい」「自分を変えたい」「もっと自分の能力を開花させたい」と願ってやってくるのだろう。

深夜まで働いて彼らはすっかり疲れ切り、私の話を子守唄に居眠りをはじめる者までいる…。


その様子を見てふと思うのだ。

この人たちは大して人の役に立つこともなく、自分をさほど変えることもできず、能力も大して開花などしないのだろう…と。


なぜかって?

それは、彼らが決定的に勘違いしていることがあるからだ。

スポーツの選手じゃないのだから、体力を鍛えても仕方がない。

もっというと、スポーツも究極は同じなのだが。


体を動かし働いたと勘違いしている。

満足している。

そりゃ、“感じ”としてはそうかもしれないが、歳をとれば体力なんてものは、当たり前のように落ちていく。

20年もすれば、若い人たちに比べて働けなくなった自分を見て、きっと落ち込むことだろう。


昔は私もすごい働いた。

しかし、私はもう若くないから、、、

と自分に言い聞かせながら。


それじゃ、何を鍛えればいいのか?

身体じゃなくて何を?



脳を鍛える!


これに尽きる。


【脳を鍛える】すべての成果はここからはじまる_e0046467_18280171.jpg


脳を如何に鍛えるのか?

すべての人生の成果はこの一点にかかっているのだ。



ミャンマーの医療現場は、脳を鍛える場所であって、身体を鍛える場所ではない!

脳を鍛えるには?

脳を鍛えるには?

脳を鍛えるということは?

「この状況で、脳を鍛えるというのはどうすることなのか?」


といつも自問自答していなければならない。

身体をマニュアルや経験に沿って動かしているだけなんて、どうかしている。

そして疲れ切って居眠り…。脳を、ここぞ!というときに休眠させているなんて正気の沙汰ではない。



海を渡りここまできて、少なからずお金や時間を使って、この場所で自分の人生に向き合っていこうと本気で思っている人間に、私は、目先のテクニックや知識など、そんな安っぽいものを学んで帰ってほしいなんて、微塵も思っていない。

たとえそのとき、辛い思いをして、惨めになっても、あるいは挫折を味わったとしても、一生を通じて宝になるような経験や知恵を身につけてもらいたいと思っている。

そのためには、素直な心、謙虚な心、学ぶ姿勢を用意しなければならない。ねたみや比較など、つまらない過去の自分の殻に閉じこもって動かないような人間には、学ぶ資格すらない。

時間とお金がもったいない。


「ここを掃除しろ!」といわれれば、「なんで掃除しないといけないのですか?」と聞く前に掃除を始める。

掃除をしながら、なぜ私は「掃除をしろ!」といわれたのかを考える。そして、必死に考え、わからなければ聞く。

そういう姿勢が大切なのだ。


前置きが長くなったが、それを持っているという前提がなければ、以下、あえて読み進める必要はない。




 『ものごとの達成には二つの能力の結合が必要だと思う。』


【脳を鍛える】すべての成果はここからはじまる_e0046467_17532777.jpg


 一つ目は「気づきの力」。

これが低いとその時点で成果は望めない。

気づきの力とは、情報力であり、感度であり、予想力である。自分の内部世界の変化を興す力。

これが突き抜けると、後に出てくる2つ目の力が弱くても、まず成功すると思う。

しかしその場合の、突き抜けた気づきの力は、通常の力とは次元が違う。突き抜けたその力を例えるとすれば、いつもすごい占い師がついているような状態だといえるかもしれない。つまり、多くの人にはわからないし持つことはできないのだ。


 ある手術を、経験豊富な医者と若い医者が行っている。

このとき、二人はほぼ同じ空間でほぼ同じ画面(光景)を見ている。

ところがその同じ光景から得ている情報量には、想像をはるかに上回る差が存在する。

その情報の差を元に、次の手技が行われるとしたらー。

結果も全く違うものとなることが理解できると思う。


 一流の棋士とそうでない棋士との差も同じ。

何百手先まで読める人間と、そうでない人間が将棋を打てば、どうなるのか?


 ある患者のベッドサイドへ行き診察したとき、能力、すなわち脳力が高い看護師とそうでない看護師では、どのような違いを患者にもたらすのだろう?


この力は鍛えることができる。

そして効率よく鍛える方法もある。

今時の人たちは、皆、恵まれて育ってきたのでこの力が弱い気がする。

この力の成長を妨げる最大の障壁は、“過去の自分”であると心得ておいたほうがいい。

また、経験の浅い人間、自分に自信がない人間、成功体験の少ない人間のほうが大きくこの力を手に入れることになる。

 

なんだか、浄土真宗の開祖、親鸞上人の悪人正機のようではないか。



 そして二つ目の力、それは動く力。

これは、自分の外部世界を変える力。

この力の発動の大敵は、時間ということになる。

時間を空ければ迷いが生じ、力が弱まる。

思いや意志もエネルギーであるので、時間の経過とともに弱くなり、やがて崩壊する。

動き出すまでの時間、これは長くなってしまってはいけない。もちろん動き出してからも、そのスピードが遅いと、ゆっくり振り下ろした刀のように切れが悪いのだ。

心と身体がともに刀に乗り、一気に振り下ろす。そういうイメージのあり方がいい。

この二つ目の力も効率的に鍛える方法はある。


この一つ目と二つ目の力は別々に存在し、別々に鍛えることとなる。

この二つの力はまったく性質の違う別物なのだ。

だから、別々に鍛えなければならない。


だが、その合力で事を成す。


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ネクラだとか、内気だとか、はずかしがりやだとかいって、嘆く必要もない。

やれば、どちらの脳力も上げることができる。


たとえば、うちの次男は一つ目の力は優れているのに二つ目の力がかなり平均を下回る。

ところが長男はまったく逆。

それぞれの性質や性格の違いからであろう。

それが理解できていると、どちらに重点を置いて導いていけばいいのか、どんなアドバイスや励ましを与えればいいのかもわかってくる。




本当に自己変革する、自己の可能性開花したい、目先の薄い成功や知識や技術ではなくて本当に役に立つ実力を付けたいというのならば身体以上に脳を使う必要がある。
身体以上に使える脳を用意する必要がある。

だからこそ、脳を鍛える。


脳を鍛えにきたのだと理解していない人間は、ただ身体を動かしてここを去っていくことになる。




# by japanheart | 2017-12-13 18:23 | スタッフと想い

 最近のミャンマーへの海外からの投資には、凄まじさを感じる。

「まだまだこれからですよ」という人もいるが、寂れていた頃を知る私としては、これでもかなり凄いと思っている。

 面白いもので、このようなことが起こると、人の心もすっかりと変化する。

ミャンマー人達は、俄然態度がでかくなり、自信も持ち始めている。

「自分たちの国は遅れている」いくらプライドが高くても、貧しい途上国だという現実を認めざるを得なかった人々が、プライドの裏返しから、すっかりとイメージを変えてしまった。特に、都会では。

 

 私達は、貧しいミャンマーで特に貧困層の人たちへ医療を提供してきた。

幸か不幸か、第2の大都市マンダレーから車で1時間程のところに私達が医療活動を行う病院が位置している。

別に悪いことをしている訳ではなく、医療を受けることのできない人たちに医療を提供している。


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一般のミャンマー人や、かつての軍政の時代の政府の人間、権威の中心である仏教僧侶達からは非常に好意的に受け取られてきた。

 当たり前?

ところがどこの世界にも、当たり前が当たり前でない人たちが存在する。


実はこの私達にとって当たり前でない人たちとは、ミャンマーでは医者と呼ばれる人たちであった。


 かつては医者がヒエラルキーの頂上だった。

しかし今は、一般の貧しいミャンマー人でもミャンマーは遅れていることは知っている。ミャンマーがどれ程遅れているか知らない人でも、日本が進んだ先進国だと知っている。だから、日本の医者に診てもらえるならば診てもらいたいのが人情というものだろう。

特に貧しい時代のミャンマーの医者たちは、金儲け主義の人も多く、政府の病院の給料が1か月1000円程度であった(まじで!)ので、彼らは毎日、午前中で公務をさっさと終了し、午後からはアルバイトへと出かけていった。おかげで患者たちは、主治医を捕まえるのがホントに大変だった。

そんな具合だから、日本の医者が治療し、日本の看護師達が一生懸命看病してくれる病院を、彼らは喜んでくれた。

 

ところが患者たちが期待すればするほどに、面白くない人たちがいた。

その人たちこそが医者”であった


 私達は現地ではマイノリティだ。弱い立場で、国籍もミャンマーではない。弱い立場の人間がいくら悪いことをしていないといっても、強い立場の人間から、あたかも悪いことをしているようにされてしまうものだ。

 ミャンマー人の医者たちからの干渉は凄いものがあった。何度も、治療をできなくされそうになった。

言いたいことは山のようにあっても、「それを言ったらおしまいよ!」の世界でマイノリティは黙っておいた方が賢明な方が多いのだ。

 

 彼らを刺激しないように極力注意しながらやって来た。

アメリカ人ならば絶対にしていないだろう。

アメリカ人ならばきっとお金の力で最新の設備を整えてやっただろう?

私達は日本の文化がバックにあり、どうしてもそれができなかった。

それはお金の問題ではなく。

患者にとっては最新の設備を使うことの方がメリットがあると理解はできても、どうしても、ミャンマーの医者達のプライドも立てなければと思ってしまうのが日本の文化なのだ。

 だから、いつもマンダレーの病院にある設備よりもランクが低い医療機器を使い続けてきた。手術用ライトも中国製で薄暗い。目が悪くなる。それでも我慢して、ミャンマー人の医者たちのコンプレックスを刺激しなかった。

 

結果、致命的となるような大きな対立も起こさず、何とか20年やって来た。

その間に治療できた患者たちの数はかなりになると思う。

喧嘩して辞めていたら、これらの成果は全てこの世から消えていただろう。

我慢して良かった。


 政府が代わり、時代が変わり、少しずつミャンマー人が自信を持ち始めている。自信を持ち始めて来ると、医者達の干渉も弱くなってきた。

海外からの支援が彼らの元にどんどん入り、最新の医療機器が当たり前に自前で持てるようになったのだ。


ふと気がつくと、私達の設備はまだ昔のままではないか!

手術用ライトも暗く、こちらが時代に取り残されたようだ。



そろそろ新しい今の時代に見合ったライトに替えてもいいかな?



そうしないと、今度は古い医療機器で治療をしているとクレームをつけられそうで。




 ____ジャパンハートから ご協力のお願い_____


のこり7日!あと49万5千円が必要です!手術用ライトを寄付するため、クラウドファンディングに挑戦しています!

「子どもたちが手術を待つミャンマーの病院に 医療ライトを届けたい」

ジャパンハートの学生団体ハーツが開始したこの挑戦。皆様のご支援のおかげでこれまでに150万5千円が集まりました。


終了まで残された時間は、あと7日。目標の200万円に対してあと49万5千円足りていない状況です。

目標金額に1円でも足りなければ、支援金全額が返金されてしまう仕組みです。


皆様に寄せていただいたご支援とお気持ちを必ずミャンマーへつなげるために、皆様のご支援が、今、必要です

▶詳細・ご協力はこちら



# by japanheart | 2017-11-01 17:28 | 医者の本音

海外医療を志す人たちが医療支援に参加したいと思い立った時、よくする犯す過ち。


その1 「英語を学びに留学する」

その2 「十分な専門的技術・知識を身に付けてから参加すべき」


問題は、それがあたかも全てに当てはまる公式かのように信じ込み、誰かにあるいはどこかで汚染された思い込みだと気付きもしないで、人生の大切な時間を無駄にしていくということだ。



 一つ目の

 「英語を学びに留学する」


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ハッキリ言って、ミャンマー、カンボジア、ラオスなどは、現場の患者たちとの間には英語はほぼ不要。英語に費やす時間があれば、現地の言語を習得した方がはるかに有益だ。

なぜ日本人たちは、かくも英語を習得しないと海外に出れないと思うのだろうか?

しっかりとした日本の国際組織をつくることができれば、もちろんその中での公用語は、日本語、現地語、英語となる。


 ドイツ人たちで主に構成されるドイツの国際組織が、英語で会話するかな?

 スペインの国際組織は英語しか使わないかな?


 英語は組織の一部の人間がしっかりとできれば、組織的には全く問題ない。末端の医療専門家の人間には、日常的にあまり役立つものでもない。



長い時間と数百万円の語学留学費を費やし、その語彙力、語学力で、国際協力という目的を成し遂げた臨床家には、事実、ほとんどお目にかかることはない。このような段階を踏みたがる者がホントに国際協力をしたいと思っているのかさえ、私は疑わずにはいられない。



 二つ目の

 「十分な専門的技術・知識を身に付けてから参加すべき」


「英語が必須?専門的技術が必要?」国際医療協力のよくある間違え_e0046467_19401155.jpg


これは国際協力に従事したことがある、専門家になったベテラン医師たちのよく言うことだ。


がしかし、それって本当なのだろうか?


現場で何が必要かも知らず、思い込みで専門的知識や技術を身につけて、後になってどうも活躍できる場所がない!ということもよくあることだ。


その国、その地域の発展度合いによっても、必要な医療支援の内容や分野は異なってくる。

自分に合わせて受け入れてくれる国などありえないのだ。


 ちなみに、私はおそらく臨床分野では日本で最も長く海外の現場で活動している人間の一人だと思うが、医師になって数年目、専門的技術は大したことはなく、ましてや専門医として医療支援をはじめたわけではなかった。しかし十分に現地の人の役に立ったと思うし、だからこそ今まで続けて来れたのだと思う。


決して専門的技術や知識が不要といっている訳ではない。大切なのは現場のニーズに合わせた支援な訳だから、まずは現場を知らねば何も始まらないでしょ、ということだ。


先進国にいて頭で考えたり、マスコミが作り上げたイメージそのままに勝手に妄想して自分を作っていくと、やがて現実に適応不良を起こしますよ、ということだ。


 さらに言うと、あまり偉い先生達の言う事を真に受けない方がいいとも思う。

人間には見栄というものがあり、自分が偉くなるとどうも他人を見下す傾向がある。自分のプライドを満たしたり、自分を大きく見せたいために、敢えて他人にハードルを課すような発言をしたりもする。


時代のトレンドはその先生達がのし上がった時とは比べものにならないほど速くなっているし、広がりも大きく、細分化も起こっているのだから

 

ご注意あれ。


   

 皆さんがよくご存知の、(しかし私は全くその製品を使っていない)アップルの創設者スティーブ・ジョブズのプレゼンテーションを聞いたときに、私が最もショックを受けたことについて話をしたいと思う。


「英語が必須?専門的技術が必要?」国際医療協力のよくある間違え_e0046467_17425499.jpg


それは彼がその中で次の一言を吐いた時だった。


「直感的に、、、、!」 


やられた!!

と思った。

思わない?

日本人なら

思うでしょ?

だってこんな東洋的な言葉、もっと言うと、最も日本的な言葉をアメリカ人が発したわけですよ。


直感的に操作できるアイテム、だからマニュアルはいらないと。

それ以来、そう、この世からどんどんマニュアルの類いが消滅していくこととなる。


これはホントに、これからの時代を象徴していく出来事だった。


直感的にいいと思ったことを、誰もが直ぐに行動して確かめていく時代になったのだ。

だから、しっかりとした計画書、マニュアルを作ってから行動に移していく日本企業はスピードを失ったのだ。

その製品が完成した頃、既に時代は次のコンセプトに移っているほど、世の中の流れは加速している。

  

 子どものような素直なこころで取り組む、そんなことができる時代になった。

新しいプラモデルを買った子どもは、マニュアルなんて見ないでいきなり作り始めるものだ。行き詰まった時に、改めてマニュアルを見る。そんな感じ。



 この時代の中で、何かをしっかり身に付けてから何か成そうとしては、もう時代は次に移ってしまっている。

だからやりながら考え学び、走りながら身に付ける。そういう姿勢でなくては時間ばかりが通りすぎる。



 英語を身に付けてから国際協力をする?


ダメです。今すぐ国際協力の現場を目指してください。

その過程で英語も必要な分、身に付けてください。


 

 専門的技術や知識を身に付けてから国際協力をする?


ダメです。今すぐ国際協力の現場を経験してください。

その過程で何が本当に途上国の医療現場で必要とされているか学んでください。



もうそういうホントにエキサイティングな時代になったんですよね。

行動力ひとつで、自分を新しいステージに連れていってくれる。


こういう時代を体感し、それに乗らないなんてもったいなすぎると思わない?




# by japanheart | 2017-09-29 17:10 | 医者の本音