私は「はい。ほとんど役に立ちません。ですが、皆さんが習っているそれらの学問で皆さんは評価されます。ですから、皆さんが役に立たないと思うのであれば尚更、早く切り上げる為に集中してそれをやりきることをすすめます。」と答えた。
かつて、このやり取りを含めこのブログに載せたことがある。それがどこかに転載され、あっという間に凄い数の批判コメントで埋め尽くされた。
「こんな奴は医者にしておいては駄目だ!」
「教育は絶対に必要!」
「お前は役に立たなかっただけだろう!」
等々。
しかし、化学記号や摩擦係数の測定、素数なんかを本当に社会に出て使うのだろうか?
正直、先の高校生たちの体感覚はやはり間違えていないと思う。
大人が論を労してもやはり多くの高校生たちは、「何でこんなことを勉強しないといけないのだ!」と思っているに違いない。もし学力の優劣で評価されず、将来に影響を受けないのであれば、多くの高校生が勉強など放り出してしまうと思う。
それより、彼らが無理矢理に机の前に座り、興味も理解する気もない科目を一日中ぼーと聞き、無為に時間をやり過ごしている有り様を何とかしなければ、ひいてはこの国全体の機会損失へと繋がりかねない。
それは大人たちが、自己否定を恐れ、時代が凄いスピードで進んでいるにも関わらず、過去の方法論に固執し、凝り固まった教育の概念に囚われているからではないのだろうか?
と、いうところまでが前回のブログに書いたところであった。
さて、今日の本題はここからになる。
というのも、私のなかで教育の目的がある程度、明確になったからだ。
結論からいうと、
教育の目的とは人類を進歩、発展、進化させること。
それが主目的になる。
そして教育を受ける人間が増えるほどに人類の進化は加速する。理由はこの後の流れから理解してもらえると思う。
最近その重要性が強調されている“リベラルアーツ”。それは個人を主にイメージして語られることが多い。
個人の人間性への還元が本来の目的ならば、国家を挙げて、同じ科目、内容をやらせている意味が分からなくなる。それは画一的な教育内容ではなく、個個人の特性や個性、才能に合わせて最適化されていかなければ不十分に終わるからだ。
ではなぜ、全国民に対して等しく同じ教育内容を押し付けているのか?
なぜ、社会に出て到底役に立たないような知識を堂々と押し付けているのか?
さて、ここで人類の進歩とはどのようにして成し遂げられてきたのだろう?ということを考えてみたい。
歴史を辿れば、人類を進歩させるような発明や発見は、わずかな数の人を中心に成し遂げられて来たものだ。産業革命の原動力となった蒸気機関の発明や、電球や電気の発明は、同時代の人びとが大勢で協力して作り上げたわけではない。ある人間を中心とした数少ない人びとが成し遂げたのだ。
大多数の人びとは、そのユーザーであっても、発明する人ではないということだ。
ある人の発想、発明を周りの人がサポートし、あるインノベーションが成し遂げられて人類は進歩していく。
言い換えれば、その人たち以外の人は、その発明や発見に対しては不要な人たちだったということになる。結果的にその無数の不要な人たちが投入した、その分野への莫大な時間と労力は全て無駄だったということだ。せいぜい、何らかの形で飯の種になっている人間が少数いるだけだろう。
しかし、本当にそうだろうか?
全ては無駄な労力と時間であったのだろうか?
私の結論は、例えば、「一人の物理の天才を排出するためには、物理に関する無数の凡人の存在が必要になる」というものだ。
一人の天性の才能を開花させるには、無数のライバル、無数の競争、無数の他人との比較という事象を抜きにしては語れない。
子どもの頃から他人との様々な学問分野の競争の中で、挫折や称賛を経て、やがてその人が才能ある分野へと辿り着く。
その他の人間は皆、その人の才能を開花させるための肥やしになる。極論すれば、たった一人のその分野の天才の為に、その分野を経験した人類の残りの人間は、全て当て馬のような存在だということだ。
その人間の才能を刺激するために多くの人間は存在することになる。
逆に考えてみると、その人間にいくら才能があっても、その人だけでは偉大な発明や発見などできない。その人間の才能は、それ以外の人間によって刺激され磨かれていく。その分野や他分野での競争や批判、優越感や劣等感がその人間の才能を開花させていく。
こうして才能を開花させた人間たちが、様々な分野で発明や発見を成し遂げながら時代を一気に進めていく、人類に発展をもたらしていく。
その人は一粒の水の分子かもしれないが、その無数の分子が集まり、流れを作り、川となり、その流れの中で、ある人が才能を開花させ、人類に恩恵をもたらしていく。
見方を変えれば、教育を受けた全ての人間が、皆で人類の発展を創り上げているということだ。
だから、別に社会に出て知識を使えなくても問題はない。
教育というシステムは、もっともっと大きな枠組みの中で動いているのだ。
そう。だからこそ、全ての国民に全く同じ内容の義務教育を9年間も押し付けている意味があるのだ。
問題は、義務教育である小学校・中学校過程を終えてもなお、既に自分に才能や興味がないと判明している学問をやらされている高校生や大学生たちだ。自分に才能がある分野を探求するというプロセスに進めず、時間を無為に浪費している高校生や大学生たちは、数多く存在するのだ。
とは言え、これほど個人が大切にされる時代の中、なぜ多くの人たちは、自分にとって生涯ほとんど役に立たないような、無駄な、しかし人類にとっては多分、極めて有益なその教育という機会を、義務という形で押し付けられなければならないのか?
人類の発展など興味もなく、自分の人生が豊かになればいいだけなのに、という人も多いだろう。
つまり人間は利益を先取りしてしまっているわけだ。
先人達の利益を受けるだけ受けておいて、自分は誰の利益にもなりませんは通用しない。
人は生まれた時より受けているこの前借りの利益を、未来の人類に返す義務を負っている。
それは本当に、自分の人生が豊かになったと理解して言っているのだろうか?
あたりまえに教育を受けた人間は、教育を受けていない自分の人生を経験していない。ではなぜ、教育を受けた方が幸せだと自信を持って言えるのだろうか?
そんなにも教育が大切ならば、どうして若い人たちがあれほどに反発したり、それを手に入れることに必死になれないのだろうか?彼らは利口ではないからか?教育が大切と言うときの教育とは、学校で教わることなのか?あるいはそれ以外のどのようなものを指しているのか?
途上国でも、教育が大切だからと先進国の人たちが画一的に学校を建てまくる。ということは、彼らの考える教育とは学校で学んでいる学科というものを指すのだろう。
もしも人間にとって、私にとって教育が大切なのだと言うならば、果たしてその教育は他の人間が言うところの教育と同じものを指しているのか?
個人単位で見たときに、読み・書き・そろばん(計算)という基礎中の基礎だけでは、何が足りないのか?
ここで私が伝えたかったのは、国が行う教育と個人が求める教育は、同じゴールを目指してはいないということ。
国はあくまでも国家にとって有益な人間を生み出す為に、明治時代から教育を始めた。それは平成の今も変わっていないと思う。しかし個人が教育を受ける目的は、人間性を豊かにし才能を開花させることにあり、いい学校へ行ったり、いい就職を得るためだけではないということ。
国家にとって役に立つ人間をつくろうとしている教育は、その子どもにとっていいものとは限らない。だから日本の高校生たちも、あれほどに不信感を持っているのだろう。
個人の幸せを追及できるようになった今の日本にあるのは、国家の求める教育と個人が求める教育の目的にズレが生じているにも関わらず、それを同じ教育だと信じ扱っている現実なのだ思う。
「人間の命というのはお金で左右される」
これは当たり前のことだ。しかし何となく理解はできても、到底納得できるものではないという日本人は多い。
医療というのが、損得なしの福祉の一部だという建前は別として、完全
そして恐ろしいのは、誰もがそれに気づかず、
アジアの途上国には、いまだに税金を上手く取る仕組みもない。最近までの傾向では、取れるほどの人々が少なかったと言うべきだろうか。そのような中で、入っていくる以上の還元ができるわけがない。
25年前、ミャンマーの人口は日本の約半分弱、GDPは日本の
患者たちは針一本、綿1つから自己負担を強いられる。
そこへ放り込まれた私は、日本人が掲げる理想とは明らかに異なる現実と向き合わなければならなかった。
あれから25年、現実はそれほどには改善していない。
昨日はカンボジアでも2件乳がんの手術を行った。
乳房を全摘出し、リンパ節を郭清する。
本来はこれに、化学療法やホルモン療法を加えながら治療することに
しかし、治療はこれで終了する。
ここでは手術は無料で提供できるが、薬は提供できていない。
彼女らは高価な薬を、自力でどこかで購入しなければならない。
もちろん、多くの人々にはその力はない。
だから近い将来、そのほとんどは死んでいくこととなる。
乳がんは放置しておくと皮膚を突き破る。がん細胞は乳管や小葉の中で”ザクロの実”のように増殖し、やがて外へ向かって噴火する。
昔は日本でもよく見かけたはずだ。
大体このくらいに、
予後は悪い。
ここに来た時には、既に何も出来ないような人もいる。
乳がんが見つかった場合、その事実を家族へ伝える。
そのような時、患者の中には、病院から梃子でも動かない人がいる。

彼女らは最後の望みを託してここにきているのだ。
ここから何もせずに帰ることは、
スタッフが時間を割き、ゆっくり患者の訴えを聞きながら、

そんな患者たちを何人も何人も手術してきた。
せめて手術だけでもしてほしいと懇願される。
だから、手術をする。
もう長くはないかもしれない彼女らの人生に、
それがたとえ小さな灯火でも、人生、ないよりはあったほうがいい。
死のその瞬間まで、少しだけ、
だから手術をするのだ。
日本でも毎年多くの女性が亡くなるこの乳がんという病は、
ひとつだけ慰められることがあるとすれば、彼女らは最期、きれいに死んでいくのだ。
抗がん剤を打てない彼女らは、
髪の毛も抜けず、下痢もせず、感染もほとんど起こさない。
弱った体に高カロリー栄養の点滴もされることはない。
ただ病気が進行し、弱り、
家族も長い闘病に付き合わされることもなく、
家族も必要以上に苦しまず、本人の苦しみの期間は明らかに短い。
その死に様はきれいなものだ。
この姿を見ると、最期まで鞭を打たれて死んでいかなければならな
神様は、せめて彼女らの最期が、安らかで美しいものであるという尊厳
明日はミャンマーに移動する。
やはり乳がんの患者は待っている。
命を救えない手術をすることもある。
救えないと分かりながらする手術もある。

それでも彼女らは私の到着を待ってくれている。
明日も彼女らの心に少しでも明かりを灯せるだろうか?
たとえ体は救えなくても、少しくらい心は救えるだろうか?
若かりし私は、日本の病院で働き、途上国へたった1人で赴いた。
当時、病院というにはあまりにお粗末な施設しかもたなかったその国で、小さな診療所を何ヵ所も巡回していた。
自らの居住スペースも診療所に改造し、何もかも自前でひとつひとつ揃えていった。
煮沸すると熱で割れてしまうハサミやセッシなどの手術用の道具。水を吸収しそうにないガーゼ。それでも、ないよりはましだった。
全く効かない部屋のクーラー、暗いライト。水道の蛇口をひねれば、濁った水が吹き出し続けた。
そんな中、自分と数人の現地人で治療に関する全てをやりとげなければならなかった。
手術の道具は粉の石鹸を付けて歯ブラシで洗い、そのまま煮えたぎるお湯の中へ放り込む。30分もすればその中から取り出し、道具箱の中へ戻していく。
毛羽立ちがひどいガタガタのガーゼをロールで買い込み、切れないハサミで何とか適当な長さに切り、折り曲げ、湿らないようにカネの箱に入れて、滅菌の機器に放り込む。
なけなしのお金をはたいて買った小さな滅菌器は、いつ来るかも分からない僅かな通電時間を逃さずに動かさなければならなかった。1日にたった2時間しか来ない通電。度重なる停電の合間を縫って、早朝、深夜を問わず、その貴重な時間を決して無駄にするわけにはいかなかった。
薬も自分でマーケットへ買い出しに行き、ハサミで必要分だけ切り取り、患者たちへ渡していた。
食事の世話まではとてもできるはずもなく、患者とその家族は庭先でご飯を煮炊きし、自分たちで何とかしてもらっていた。
施設のあらゆること、医療のあらゆること、患者の周りのあらゆること、全てを整えることが私の役割となっていた。
日本ではこんなことしなくてよかった。
医者だけしておけばよかった。
楽だった。
と、そう思った。
そのときはじめて、自分がいかに多くの人間に支えられて医者をできていたのかと、後れ馳せながら悟ったのだ。
いかに自分が、医者として、医療人として傲慢で何も見えていなかったのかを思い知らされた。
医者や看護師は医療をすれば患者に感謝もされ、ほめられもする。それをモチベーションに医療を続けていくこともできる。しかし病院には、患者に感謝もされず、ほめられもせず、直接関わることもなく働いている人たちが、たくさんたくさんいることを知らねばならない。
彼らは毎日、汚れたトイレを掃除し、暑い厨房で患者や働く医療者のために食事を作ってくれている。
看護師でも機器を滅菌する中材(中央材料室)の人たちは、患者に接することはない。しかしその看護師がそこにいなければ、病院は回らない。病棟や外来で直接患者と接している誰かが、代わりにその役割を務めなければならない。絶対になくてはならない役割なのだ。
ところが、トイレを掃除している人が患者に感謝の言葉をもらうことはほとんどない。
暑い厨房の奥で食事を作ってくれている人が患者にお礼を言われることもほとんどない。
病院の事務所で働く人たちが患者からほめられることもほとんどない。
でもね、こういう人たちがいてくれないと病院は機能しない。機能しなければ、いくら優秀な医者がいても何の役にも立たない。
わかってくれるかな?
だからせめて、患者やその家族から感謝や評価をもらえる人たちや病院の管理職の人たちは、こういう人たちを大切にして、こういう人たちにいつも感謝の気持ちを持つべきだと思う!
トイレ掃除をしてくれているスタッフがいたら、お疲れ様と、ありがとうと声を掛けようか?
患者が今日はこの料理が美味しかったと言っていたら、直ぐに厨房に電話して知らせてあげようか?
すれ違う病院の縁の下の力持ちたちに深々と頭を下げ、お疲れ様と感謝を込めて言ってみようか?
そうすれば病院が生き返る。
誰もが働くことが楽しく誇りに思える場所になる。
感謝が円を描いてスタッフの間を繋げていく。
こんな話を聞いたことがある。
アメリカのNASA航空宇宙局がまだ前身の組織であったある日、所長が赴任した。
廊下を歩いているとき、そこを掃除する老人に何をしているのか?と聞いたそうだ。
その清掃夫の老人はこう答えたそうだ。
「宇宙にロケットを飛ばす仕事をしています。」
病院で働く全てのスタッフがあなたの仕事は?と聞かれたとき
「患者を助ける仕事のお手伝いをしています!」

と答えられるような、そんな病院にできたらどんなに素晴らしいことだろうか。
その子はもう長い間、神経芽細胞腫という小児がんと共にあった。
5歳で発症し、現在17歳。何度も再発を繰り返し今も病床にあった。
なんと人生の3分の2がこの病気との闘いだった。
学校にもなかなか行けない彼は、病床で図鑑を見ていることが多かった。
中でもサボテンに興味を持ち、それは彼の友達の代わりだったのかもしれない。
やがて彼は、サボテン博士になってしまった。
彼には特にお気に入りのサボテンがあった。名はキンシャチというサボテンだった。
そのキンシャチの日本で最も大きなものが、伊豆シャボテン動物公園にあった。
それにずっと会いたかった、、、。
しかし、病気の調子も悪く、その夢はなかなか叶わずにいた。
多くの人は十代の頃、好きな人ができたり、友達といろいろ出かけたりを当たり前にする。
彼はその当たり前のようなことを、少しだけでもできたのだろうか?
もしかすると、普通の十代がするそれらを全てひとつにまとめたものが、彼にとってはそのサボテンだったのではないかと思うのは、少し違うかな?
彼のお父さんはお医者さんだ。小児科ではないけれど。
私は今まで何度も、医者の子どもが病で亡くなるのをみてきた。
きっと、自分には手が出せない無念さを今も抱えているのだろう。
ジャパンハートには”すまいるスマイル・プロジェクト”という企画がある。その企画は、今や多くの人たちに利用され、日本中の小児がん専門機関や医師たちの協力を仰げるようになった。
「好きなときに好きな場所へ」をコンセプトに、小児がんの子どもとその家族に生涯に残る思い出をつくってもらおうと始めた企画だ。ディズニーランド、キッザニアをはじめ、様々な場所に子どもたちを連れ出している。看護師や医師の付き添いはもちろんのこと、毎回多くのボランティアスタッフの献身的協力によってサポートされ、また、拠点病院とも必ず連携している。
このサボテン博士も、その企画に応募してきてくれたのだ。
病状がどんどん進んでいく中、遂に、伊豆のシャボテン動物公園でキンシャチとの出会いを果たせたのだ。
そのときの様子をボランティアスタッフから聞き、本当によかったと、幸せな気持ちになった。
お父さんは黙って子どもの車椅子を、ずっと押していたそうだ。
ただそれを聞いただけで、その父親の心が伝わってくるようだった。

帰る前、サボテン博士はお土産を買いに行った。
お母さんがある写真をみて、サボテン博士に「この花、素敵ねぇ!」と言ったサボテンの花があったらしい。
サボテン博士は今まで貯めてきたお小遣いを使って、そのサボテンをお母さんへのプレゼントとして買ったそうだ。
しかしサボテン博士の買ったサボテンには、お母さんが「素敵!」と言った花は咲いていなかった。
なぜか花の咲いていないサボテンを買ったそうだ。
それには彼の命をかけた願いがあったのだ。
”お母さん!このサボテンの花が咲く頃までは僕は生きているから!”
幸せな一日を過ごしたサボテン博士とその家族は、やがてもとの病院に帰っていった。
数日前、ミャンマーで手術していた時のことだった。
私はいつになく手術に難儀していた。診断名と違い、複雑でなかなか上手く前に進まなかった。うんざりした気持ちで、血だらけになった手術着を一旦着替えに戻ったとき、その知らせが届いた。
彼が亡くなったという、日本からの知らせだった。
私はその瞬間、自分が生きて今、こうして難儀できる幸せを感じ、思い知らされた。
私はなんと幸せなのだと、生きているだけでも十分幸せなのだと。
失いかけた自分のエネルギーが再び充電されていくのを感じた。
最近よく思うことがある。
こころや肉体はこの時空に閉じ込められているけれど、人の魂は時空を越えて存在するのではないかと。
彼の魂は、自分が亡くなる時期を知っていたのではないかと思う。
だからあのぎりぎりの時期に、あの場所を尋ねることができたのではないかと。
ある人が死んだ後も、あるいは生きている今も、どうしてあのタイミングであのことが起こったのだろうかと、不思議に思うことがある。偶然にしては出来すぎているし、偶然で起こる確率などありえないと。
だからきっと、それは偶然じゃないのだと。
私たちの魂は時空を越えてちゃんと知っているのだ。最近、そう信じるようになった。
きっと彼の魂も、お父さん、お母さん、そして二人の弟たちと最期にあそこを訪れるタイミングを決めていたんだと思う。
サボテン博士は二人のボランティアスタッフに、お土産にはこのサボテンがいい、と小さな鉢に入ったサボテンをすすめてくれた。
彼が亡くなったその日は天気がよく、すごく気持ちがいい日で、地方のボランティアスタッフは別々の場所で、同じ日に、偶然にもそのサボテンを初めて外に出し、太陽に当てたそうだ。
きっと彼が、今日は天気が良いからサボテンを太陽に当てたほうが良い、と伝えたのだろう。

そのサボテンは、花を咲かせ、今も彼の思い出と共に生きている。














