特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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 日本人に生まれてよかったと私が思う1番の理由は、労働に対する価値観にある。
 人は、もしも働かなくてもよくなって、食べていける時代がやってきたらと想像する。
人工知能が劇的に進歩した時代、人々はそれを使うことが生活のメインとなり、何かと無理しなくても十分に生きていける、そんな時代。
 無理に仕事などということをしなくても飢えることもなく、豊かに生きていける。
 人生から、”収入を得るための仕事”という価値観は消滅する。
そんな時代。
人々は何をして時間を過ごしているのだろうか? 少なくとも健康寿命が劇的に伸び、平均寿命も100歳を優に超えてしまったその時代に。
人々は長い長い時間を何をして生きているのだろう?
その時代人々はどうやって心を成長させるのだろうか?
恋愛やスポーツから得れる苦労や
その結果、手に入れることができる心の成長、満たされる心のある側面は、確かにあると思う。

 現在の人々の多くは出会いや別れ、葛藤や寛容という摩擦のなかで心を成長させていく。そしてそれを手に入れる場所や機会は、”仕事という場”を通してなされている。
 その”場”を失ってしまった時に人々はそれをどのように補填するのだろうか?

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 労働が罰や罪の感覚と結び付き、賃金を得て生きる為のものという価値観を持つ多くの国と違って、日本人にとって働くということは、傍の人々を楽にするという意味合い通りに、周りの人々の為でありまた、自身の心の成長を得る手段として位置づけてきた。この日本の伝統はとても尊いと最近強く感じている。
 掃除や料理が単に苦痛な労働としておとしめられていない意味合いをいまだに保持する人々がいるのはとても素晴らしいことだと思う。

 掃除をして綺麗になった空間を獲得したとき、なぜか心が気持ち良くなる感覚は誰でも経験する。これは物理的な空間を単に綺麗にしている作業だけに留まらず、心の中を整理整頓している作業でもあると理解するといい。
 目の前に展開する物事は脳の中に時系列に押し込まれていく。このばらばらに押し込まれた事象を整理し過去の情報と統合し意味付けするのは、睡眠や休養などの脱力作業中に起こるというのが私の経験からの答えだ。
 掃除を無心に行うという状態は、私の中ではいわゆる動的瞑想の状態であり、実はとても有効な脳の活性化の時間と考えている。

 別にお釈迦の言葉を借りるまでもなく、人々は苦行をしても悟りを得られることはないと思う。
 ただこの言葉を私なりに正確に表現すると、悟りを得るためには苦行だけでは不十分だということになる。
 苦行は悟りを得る為の必要条件でしかない。
 逆に言うと、苦行をしていない人間には悟りはおとずれない。

 先にも述べたように、人が成長するのは回復期なのだ。
 肉体もストレスをかけている間は筋肉は付かない。
 技術もそれをがむしゃらにやっている間は、技術力は付かない。
 失恋も苦しんでいる間は、心は成長しない。
 
 すべてそれを一旦終えて、休息状態に入ったときに能力、すなわち脳力は獲得されていく。

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 お釈迦は苦行の末、瞑想にはいる。
 そして悟る。

 このエピソードは緊張と弛緩、この両方が大切だと私たちに教えてる。
 しかも、まずは緊張が先なのだと教えてくれている。

 このエピソードの教えは子どもの教育にも使えるだろう。
 技術や学業の成長にも使えるだろう。
 そして心の教育にも使えるだろう。

 次回はさらにここから労働という意義について掘り下げていきたい。

  長くなるから、今日はここまで。

 
 
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# by japanheart | 2019-02-23 06:16 | 基本

フレームを外す

何の為に医者や看護師やってるの?


どんな看護師になりたいの?

で、ここに何を求めてやってきて働いてるの?



そして次はどこで何をするの?

それは何の為に?

それで、そこでそれをする意味は?

その結果、どうなりたいの?



と、矢継ぎ早に質問して攻め立ててみる。



まあー、そこまで皆深くは考えてないようだ。



一度しかない今の人生だからね、ちゃんと考えて生きたほうが質が高まると思うのよ。

人生はそのプロセス(過程)にこそ、真実があるのだから。



だから、

「何かを始める」「何かを求める」

そういう時でさえ、まず自分が知らない間に押し込まれている“フレーム”を疑うところから始めた方がいいと思ってる。



例えば、一昔前は(もしかして今でもかな?)、

医学生や若い医者達に将来を尋ねると皆、一様に先端的医療がしたいという。

海外ボランティアをするとか、休学をするとか、それは彼らにとって“先端的医療からの離脱”を意味していて、時代から取り残されるのだと認識していて、とてもストレスがかかるという。



でもね、考えてみてよ!


先端的医療を必要とする患者って一体、患者の何パーセントよ?

100パーセント近い人間がそれを目指してどうするのよ? と、私はいつも思ってる。

なぜか、医者たるもの皆、先端的医療をしなければ国民を苦しめるという、得体の知れない誰かが植え付けたと思われる罪悪感を、知らぬ間に背負わされている。



そういうフレームね。植え付けられた。

まずはそれを外さないと。


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こういう根拠のないフレームが巷にはあふれていて、個人をうまくコントロールしたい権力や権威を持つ者に、皆、利用されている。



海外、特に途上国で医療をやる。そうすると、日本人は必ず医療の自立というのは「現地人だけでやるのが素晴らしいのだ」という考えをまあ、ほぼ全員が信じている。

私はそうは思っておらず、そのことにより「現地人だけでやる」ことが目的化され、肝心の医療の充実がおろそかになる可能性があることに危機感を抱いている。だから、私は今も自ら医療活動を続けている。

現実的な国籍や免許の問題を除けば、その国の人だけで完結する科学分野の構築は時代の流れに逆行している。恐ろしく独断的に進められている軍事や個人情報の収集など、おおよそ人類全体の利益を損なう分野だけがそのような時代遅れの考え方で運営されているとすら感じている。


その「途上国の人間だけで運営できることが素晴らしいことだ」というフレームは、「医療は患者のためにある」という大原則を考えれば、患者にとって最良の医療を提供してくれる医療こそが最善であり、提供する側の国籍などどうでもいいことだと思う。


私がその国の人間だけで運営できるのがいいと考える理由は、経済効率と現状の免許や国籍などのシステムによるところであり、他の日本人たちが信じているような“それが素晴らしい!”という理由からではない。




さて、先端医療をしなければ罪なことだと若い医療者たちに刷り込んだのは果たして誰なのか?

大方、先端的医療しなければならないと刷り込んだのは大学や大型病院で、大学の医局に医者を集めるため、あるいは権威を保つためにそのような考えや雰囲気を作り出していると思う。

日本の医療界は多分に漏れず“数は力”の論理が強いなと感じる。



大学にいかなければならないとか、英語ができなければならないとか、男はこうあるべきだとか、日本は素晴らしい国だとか…。



なんか全ての人に普遍的にさも正しいかのように刷り込んでくるから。



看護師は患者の言うことに理解を示さなければならないとかね。



お客様はどの人も大切にしなければならないとか。



本来、こんなのはケースバイケースなのに、なぜか普遍的に、そうしなければおかしいようなフレームを植え付けられている。

結果、誰もがストレスを抱えて青息吐息になって疲れているように見えてる。




話を戻すと、あるべきだと刷り込まれたフレームをいったん外してみて、自分に向き合ってみることをオススメする。


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そうすると、当たり前に大方、何の為に看護師や医者をやってるかも分かってくる。

お金を稼ぐ手段。

自己実現の手段。



でも、結局、今それをやってる究極の目的は、豊かな人生を生きるためでしょ? 違うかな?

お金を稼ぐのも、自己実現も、それは豊かな人生を生きるために必要なものだからじゃないかな?

ほとんどの職業は服みたいなもので、いつでも脱ぎ捨てられるし、新しいものに代えることができる。

その服を着るために人生をすり減らし、自己嫌悪に陥り、挙句、大きな病気になったり、鬱になって自殺したりする。それでは本末転倒だろう



お金などにあまり縁のない私でさえ、お金は大切でそれがないと生きていけないことは知っている。

では、一体いくらあれば、節約したら生きていけるんだろう? と考えてみる。

こんな時代だから安定を求めるという人もいるけど、20世紀後半の一時期を除き、個人が今よりも安定していた時代などこの国には一度もないと思う。平均寿命が延びているということはすなわち、安定しているということだと思うけど。


多くの人は、お金はこれくらいあればいいのだ、という基準を設けたほうがいい。

今を犠牲にして、未来の安定を買うために、時間を投下する。

そしてその未来になれば、再び同じことを繰り返し、気が付けば生きる時間が終わろうとしている、あるいは無為な日々を送る老人になってしまっている。若い輝ける時間を犠牲にして、無為な老齢の時間を手に入れたなどという笑えない冗談を、一度しかない人生でやらかす気には、私は到底なれない。



私の中で楽天家というのは、“まあっ、いいか”と思える人間のことだ。

自分を追い詰めすぎない。

「こうすべきだ」

「こうあらねばならない」

を、自分の人生を犠牲にしてまで求めすぎない。



自分の人生を犠牲にしているかどうかは、他人には分からない。

だから自分に聞くしかない。



自分は今幸せだと感じているか?

今、希望を持てているのか?

時間の密度はかつてないほど濃密なものか?

もしも1年後に死ぬ病になっていても時間をもったいないと感じないのか?



人生はそぎ落とし。

いらないものをそぎ落としていく。

そうすれば自分に本当に必要なものだけが見えてくる。

お金も、時間も、友達も、仕事も、所有物も。



自分の人生に本当に必要なものは何か?

それはどんな人生を歩みたいから必要なのか?

本当の自分にとっての幸せとは何なのか?



私が世界から強制されるべきフレームなど本来はないのだけど、自分自身が知らぬ間にはめ込まれているフレームを外すことから自由は始まる。

そのために人生に揺らぎを与えねばならない。

揺らぎを与えるというのは、毎日の思考や常識、習慣を疑い、もう一度自分の人生にとって必要かどうか、それが本当の幸せをもたらすのかを、自分の心に聞き返し、そぎ落とす。



でないと、これから人生100年だから。

無為な老後が長くなる。



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# by japanheart | 2019-01-14 03:49 | 随想
 先日、長期医師ボランティアの森先生と話しているときに「何故日本の男はアメリカでモテないのか?」という記事のことが話題になった。

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その中にはいくつもの理由が挙げてあったが、まあ、英語ができないから(これは未来にはAIによって克服される)とか、体格的な線が細いとか、DIYがろくにできないとか、ユーモアのツボが違うからとか、そういう理由があった。
日本人女性が世界中でモテまくっているのとは大違いに、かなりイタい指摘をされているのだった。

 もし自分が若い頃に、アメリカに単身乗り込み生活してたら、確実に暗くなっていた気がする。少なくともしばらくは。

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なにせ言葉が通じないから、真面目に頑張らざるを得ない。となると私の場合、真面目さと暗さは同時進行に起こる(これは大学受験の二浪目の時に実証済み)ので、イケてない男になり、結果、モテないという結論が確実に待っていたと思う。元々、社交的でもないしね。

そう考えると、日本にいてよかったとも言える。少なくとも暗くない普通の青春を送ることができたから。
 
 その記事の中で、一つだけ特に気にかかった指摘があった。
それは何かというと、アメリカ人は褒めて育てられる。「お前はすごい!お前ならできる!」と。
そして多くのアメリカ人は、大した根拠や実力がなくても表面上は自信たっぷりで、時には外国人たちのちょっとしたひんしゅくを買うこともある。
ところが日本人は全く逆に、否定的に親や社会に育てられる人が多く、実力に比して自信がない、根拠もなく自信がない。そしていつも、いるのかいないのかわからないくらい、後ろの方から見ている感じになる、らしい。

 今までたくさんの外国人と接してみて、『日本人!これを直せば上手くいくんじぁない?』と思ったんだけど。
それは、『遠慮しないで素直に自分を表現する』ということ。これをするともしかしてモテるかも?少なくとも今よりは遥かに。

実力がないならないなりに、今の実力を素直に表現し、行動し、知らせる。
それで世の中は結構、理解してくれて認めてくれるから。

 私も若い頃を振り返って後悔していることがある。恥ずかしさからか社会への遠慮からかわからないけれど、自分の思っていることや考えていることを表現してこなかったことなんだ。

若い頃から私には夢があって、それは今やってる将来、すなわち、医者になって途上国の医療を受けれない人たちに医療を届けることだった。
それを誰にも言わず、語らず、生きていた。できるかできないかわからないような大それたことを言うのが恥ずかしかったし、みっともない気がしていたから。
 
 で、この年になって、たくさんの10代や20代の若い女の子たちに今さら聞いてみた。

「将来の大きな大それた夢を語る10代や20代の若造の男をどう思うのか?」と。
「例えば、僕の若い頃のこんな夢を?」と。

なんと!何と?えっ!

若造の男たちよ、よく耳をダンボのようにして聞けよ!

 「す・て・き!」
 「ス・テ・キ!」

だってよ。

 「そんな事、言う人いませんでした。」
 「夢を語る男の人、ほとんどいませんから。」
 
だってよ。 

しまった!
言っておけば、もしかしてモテモテだった?
「もし僕がそれを言ってたら確実にモテたか?」と年甲斐もなく聞いてみたら、「もちろんです!」って皆言うんだよ。リップサービスかも知れないけど。

で、日本の男たち。
だから君たち、モテないのよ。
だから君たち、体の表面に近い場所ばかり、いじったりメンテナンスしたりしないといけないのよ。
夢を語るのは、ただ。無料だよ。
語れよ!
とりあえず、語れ!

日本の女の子たちも大きな夢を、おとぎ話を聞かせてくれる男を求めてるの。
日本の女の子たちは母性が強いから、そのつまらない夢を応援してくれる人が一杯いるから。
男が夢を語れないから、女性は自分で夢をしっかり見つけて行動する人が増えてるよ。

 話を戻すと、これをすればアメリカでもモテるでしょ。普通くらいは。
英語が十分話せないなら、素直にそのレベルで自己表現する。社会や慣習に遠慮してはダメ。何も話さない奴は夢を持ってるなんて思ってくれないから。
DIYができなければ、できないなりに、不器用さを素直に表現すればいいんじゃない?
遠くから見ていないで。ノコギリやトンカチをアメリカ人の男が危険を感じるほど振り回してやれ!
周囲に、たどたどしい英語で将来のでっかい夢を聞かせてやれよ!
思いつかなきゃ「君を月に連れていきたい」とか何とか、適当に言っておけ!

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 最近よく思うことがあるんだよ。
もし人間がだよ、30年後の他人の人生を見れたら、もう高校生や中学生の時から、好きになる人や付き合う人が変わっちゃうんじゃないかって。

美人だけど30歳で死んでしまう人。
悪さばかりしてるけど、将来、大金持ちになる人。
イケメンだけど、将来、内臓の病気で苦しむ人。
将来、社会的成功をおさめる人、将来、貧相になる人…。

こういう未来を見れたら、見せることができたらよかったなとふと思うんだよ、自分の場合は。  
でもそれくらい人間の好き嫌いは、未来への評価で変化するんだよ。
明るい未来を感じさせることができれば、相手の気持ちにも変化を起こす事が可能になるかも知れない。

 話が逸れたけど、こういう考えの総体がその国の現状を作ってるって思わないか?

根拠なく自信たっぷりに行動を起こすアメリカ人。
とりあえずやってみて、上手く行ったらもうけもの、上手く行けばどんどん攻める中国人。
根拠なく自信がなく、実力以下の行動しか起こすことができず、失敗ばかり想像して怖じけづく日本人。
 
 最近、若い人たちが大人しいという。それは全く当たっていると思う。
私の考察ではこうなる。
『年寄りが増えると若者は大人しくなる』という面白い相関があると思う。
若い人たちが大人しくない時代は今まで何度もあった。
明治維新の頃と戦後復興後しばらく。この時に日本は急速に成長した。この時に同時に起こっていたのは、人口爆発。
すなわち、若い人たちがどんどん増えていた時代。
戦後の最も若者たちの犯罪が多かったのは1970年代。戦後生まれた世代の若者たちの人口が膨れ上がった時代。
それから若者たちの人口減少が加速し、犯罪はどんどん減っていく。
そして大人しくなったと言われだしたのは、若者の数が減ってきた頃からだ。と、同時に年寄りが増えはじめた頃から。

私の仮説では、これから高齢者の比率がまだまだ増えるということは、若者たちがまだまだ大人しくなっていくということだ。
そして、それだからこそ、日本はどんどん衰退していくと思う。
犯罪率を上げる必要などないけれど、若者たちが元気になるためには、相対的にその数を増やすしかないというのが、別に人類学者でもない私の仮説。

 全体としては衰退しても、個人単位でいい人生を生きてほしいと願っている。
そのためには自分の人生を、他人の目線や日本の慣習にも遠慮などしてないでほしい。アメリカ人のように能力以上に大きく見せる必要はないので、等身大の自分を素直に表現してほしいと切に願う。

できないことをできないと宣言し、諦めるのではなく、「これくらいしか出来ません」と行動でそれを示さないと。
あなたの不器用さを、能力の足りなさを示すしかない。示さなければ、能力ゼロと見なされる。示せば、少なくともプラスにはなるから。
90点や100点を取ろうとしてはいけない。
世界は60点か70点で十分合格だからね。

素直に遠慮しないで、自分を世の中に示してみてほしい。
まあ、ダマされたと思って3年続けてみて。
人生変わるから。








# by japanheart | 2018-11-16 17:39 | 医者の本音
 ジャパンハートの事業のひとつに「smile smile project」というものがある。
このプロジェクトは、小児ガンの子どもたちを、好きなときに好きな場所へ連れていく!というのがコンセプトの中心となっている。
あるときはディズニーランド、あるときはキッザニア、そしてあるときはピクニック。
そこに医師や看護師が同行し、安心・安全を担保していくのが特徴だ。

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やるべきか?やらざるべきか?_e0046467_10360616.jpg



毎年毎年、たくさんの子どもたちへたくさんの旅行をプレゼントしてきた。
中には、もう限界ギリギリの子どもたちもいた。残念ながらその日を待たずして亡くなってしまった子どもたちも少なくはない。

 親は我が子の事を愛おしく思い、できる限り何でも、あらん限りの事をしてあげたいと思う。
そしてまた他人であっても、子どもたちのその姿を実際に一目見れば、何かしら力になってあげたいと思う。


 ある女子高生は有名なB’zの大ファン。
ファンクラブにも入り、コンサートのチケットも手に入れる。
しかし、、、。
状態が思わしくなく、もう起き上がることもできない。
そんな自分、そんな状況、そして手元に虚しく残るコンサートチケット。
やけになる。
大切な人生の時間なのに、やけになり過ごさなければならない。

でも、彼女の主治医はあきらめなかった。
ジャパンハートに連絡をしたのだ。
そして主治医自らもこの子に付き添い、半ば強引に手押しベッドのままコンサート会場へ入った。
とうとう、B’zのコンサートに参加するというこの子の夢の時間を実現したのだ。
その子は、考えられないくらいにコンサート中を元気に過ごせた。

命をかけてでも行きたかったそのコンサート。

 もしかしたら、、、。
それを実現した誰もが、その思いを抱えていたことだろう。

それをするべきだったか?やらざるべきだったか?
もしもの事態が発生していたらどうだったのか?

正解は誰にもわからない。
ただ、神様はそれを許してくれたようだった。


 もう一人、この子も高校生の男の子。
新垣結衣さんの大ファン。
しかし、頭にできた小児ガンが再発。治療はかなり厳しいらしい。
せめて、この子の憧れの人であり、そして会うことが夢の新垣結衣さんに会えないのか?会わせてあげられないのか?
と、親がジャパンハートへ連絡をしてきた。

 もしも私が医師ではない一人の若者だったとしたら、その子に会う勇気があるかな?
あなたに会うのが夢でしたと言われたら、どんな表情をしたらいいのだろう?

ましてや、小児ガンの治療をしている人は日本に15000人以上いて、そのうち何人もの人に会いたいと言われたらどうするのだろう?
一人目の子には会うだろうか?
でも、二人目、三人目の子には同じチャンスはあるのだろうか?

再現できないような事をしてもいいのだろうか?

それをすべきか、やらざるべきか?

どちらも正解ではなく、誤りでもないだろう。


 今、この件は上手く進んでいない。
でも、スタッフ達は必死にこの子の夢を叶えようと動いている。
それを止めるような野暮な事は誰もしない。
どうすべきか?

理屈は確かにある。
人は頭で考え判断する。

しかし私たちは感情で動く。
これこそが、本来の人の姿なのだろう。


だから、できてもできなくてもただこの子の為に動きたいならば動く。
この子のために、せめて小さな奇跡が起こることを願う。

「この世は捨てたものじゃない」と、この子にも思ってもらいたい。
そして私たちも、そう思って生きていきたいから。







# by japanheart | 2018-10-02 04:34 | 子どものこと

 カンボジアに小児医療センターを開設し、入院患者を受け入れはじめて1ヶ月が過ぎようとしている。

 

この病院をつくった大切な目的のひとつは、小児がんを治療することだ。


日本では既に8割程度も救命することが出来る小児がんの種類でも、カンボジアで治療を受けることが出来ている子どもたちは、おそらく10%もいないだろう。また金銭的な理由や医療設備の面から見ても、たとえ治療にこぎつけたとしても、最後まで治療を完遂できる子どもたちはほとんどいない。つまりそのほとんどは亡くなっているものと思われる。

 

 現在、私たちが特に力を入れているのは固形腫瘍というタイプの悪性腫瘍だ。

このターゲットとする固形の悪性腫瘍は、腎臓や肝臓、神経や筋肉などから発生する悪性腫瘍もので、通常は血液から発生する白血病よりも弱めの化学療法を行うことが多い。だから、感染症に対する過度な設備投資も一般的には不要になる。

ただし固形腫瘍は、薬剤治療だけがメインの白血病と違い外科的手術も必要になる。

しばらくの間はカンボジア、ミャンマー、ラオスのこのような腫瘍の子どもたちをこの小児医療センターに受け入れて、力の及ぶ限り助けていきたいと思っている。


小児悪性腫瘍で一番頻度の高い白血病は、無菌室や骨髄移植、造血製剤など様々な設備面で現在のカンボジアの状況ではハードルが高く、次のステップにターゲットとするしかない。


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 長い間、たくさんの子どもたちの難病と関わってきて、なんともやりきれないような気持ちになることもある。

そんな中、この9月に手術予定である一人の少女の話をしようと思う。


 その少女は8歳。幼い頃に右上腕の筋肉から腫瘍が発生した。そしてそれは悪性だった。

少女は、不十分ながら小児のがんを治療してきた(しかしほとんどは成人のがん治療しかしていない)カンボジア最大の国立病院であるカルメット病院で治療し、元気に小学校にも通っていた。

ところが昨年の12月、再び悪夢が襲った。そして入院。再治療を開始したが、、、。


 お父さんはクーラーの修理屋、お母さんはホテルで働いていた。家族は少女を含め子ども4人の計6人家族。母は闘病に付き添うために仕事を辞め、父親もこの2ヶ月仕事をしていないという。

一体生活はどうなっているのだろうか?

まだ幼い弟は、この間、おばあちゃんに預けられている。

そして6ヶ月、治療を続けてきたが、金銭も尽きてしまう。

 

その国立病院の唯一のがん専門医から電話がかかり、家族がジャパンハートの病院に行きたいといっているという。既に治療もあまり効果が見込めなくなっていたのかもしれない。

しかしまだ設備的に準備ができない状況の中、再発のこのタイプの肉腫は難治性で移植を含む高度な治療となり、気の毒ではあるが難しい…と、ジャパンハートの小児医療センター小児がん専門医の嘉数医師と相談していた。 


ところが、患者が返事もまだしていないうちに勝手に押しかけてきてしまった。


それには理由があった。


少女は激しい痛みに苦しんでいたのだ。

その痛みのためにずっと泣き叫んでいる。

もうそれが長い間、続いていたようだ。

既に、この8歳の小さな身体に大人の使う数倍の量のモルヒネが投与されている。

しかし痛みはコントロールできていない。

泣き叫ぶ少女に寄り添いながら、両親は助けてほしいと拝んでいる。

わが子をこの痛みから救ってほしいと、拝んでいる。

痛みがなくなるならば、この腕を落としてほしいとせがまれる。


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私も嘉数医師もこの家族を帰すわけにはいかなかった。


もちろん完治が厳しいことはお互いに多分理解している。

でも、やらないわけにはいかないだろう。 

せめて、痛みを止めてあげられないか?

 

 命が助かる可能性が低いとき、何もしないという効率的なものが医療なら、私はとうに医者を辞めていただろう。

医療は、その人の人生を少しでもよくする為にあるのであって、決して数量で割り切れるものではない。

 

私はいつもそうやって、一つ一つの命、一人一人の人生と向かい合ってきた。

 

たとえ命が助けられなくとも、この子から痛みを取り除いてあげることができれば、それもまた、立派な医療のひとつのかたちなのだ。

 その日から、嘉数医師によって抗がん剤治療が再開される。

それが落ち着いた頃、たった8歳の、この子の大きく腫れ上がった右腕を切り落とす手術をする。


誰もしたくないそんな手術を、私はやらねばならない。


2週間後、私が再びカンボジアを訪れたとき、少女は部屋で両親と笑っていた。

抗がん剤が効き、痛みから解放されたのだ。 

 

家族で一緒にトランプをしていた。

その腫れ上がった腕の先、彼女の指にはトランプが何枚も握り締めてられていた。


 少女は先日外泊した際、お家でお誕生日会をしたそうだ。

本来彼女の誕生日は11月なのに「なんで?」と聞いたら、「腕が上がるうちに、両手でケーキを持ちたかった」と。

それは彼女自らの提案だったそうだ。


 もうすぐその日がやってくる。


この腕を落とすのが私の役目。

医者という職業は本当に幸せなのだろうか?



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カンボジアの小児医療センターに興味のある人はジャパンハートのホームページをのぞいてみてほしい。






# by japanheart | 2018-08-31 02:50 | 子どものこと