特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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常識を疑え

常識を疑え

 国際貢献なんて、特別な人間じゃないとできないということが常識だった。
 特に医療は、経験年数があって、英語などの外国語もできないと、やる資格すらないのだというのが常識だった。
 国際医療貢献は、保健・啓蒙活動が中心で、治療を主とする臨床医療を行うなど、時代遅れだと当たり前に思われていた。

 私はこれの全ての常識を疑った。
 もちろん揶揄もされたし、非難もされた。
 しかし、自分のこころの声と内なる基準に素直に従ったのだ。
 もし言葉が大きな障害になって、医療ができないとすると、医療はサイエンスではなくなってしまう。
 途上国で臨床医療をすることが、時代遅れならば、目の前にある先進国で行われている臨床医療そのものも否定されるべきものだからだ。
 
 今から思えば、それらは常識などではなく、単なるトレンドであったのだ。

 果たして、途上国の数万人の人間がその恩恵を受け、たくさんの人生が救われた。
 英語などしゃべれなくても国際医療をしたものは数千人に達し、実際の途上国の患者たちに医療を届けた日本人は数千人に達した。
 
 つまらない世間の常識など、吹き飛ばしてしまえばいい。

 日本でも医療過疎地があるのに何で外国なんだ?
 日本で小児科医が足りないのに、なんで外国でやるのだ?
 自分ではそのために行動できない人たちの非難をたくさん受けた。
 そんな彼らの常識に目もくれずに、自分のこころの声に従った。

 その結果、海外に来た人たちの力を借りて海外だけでなく今では日本国内の僻地・離島に派遣した医療者も100人以上になった。
 日本の小児科がなかなかできないがんの子どもたちと家族のための事業も始めることができた。

 今回もラオスから1歳の小児腎臓がんの女の子をつれてきて日本で治療する。

 何でその子だけなんだ?
 ほかにも一杯、同じような子がいるじゃないか?
 と声が聞こえそうだ。
 
 一人も海外のそんな子どもを助けることができない人間たちがそんなことを言っても説得力があるか?

 一人でも助かりゃいいじゃないか!
 
 多くの人を助ける仕組みを作るのは大変なことなんだ。
 その大変さも知らないから、簡単に建前論を言う。
 
 そんなこと、簡単にできていれば日本で医者たちも今みたいに苦労はしていない。

 力ない人間はこうして、一人ひとり丁寧に助けていくしかないんだ。

 ラオスの腎臓がんの1歳の女の子は8月、日本に来て治療を行うことが決定した。

 

 

# by japanheart | 2014-07-19 10:27 | 活動記録 | Comments(1)
1歳の小児腎臓がんの子どもを救いたいと思う

 ミャンマー、、、カンボジア、、、ラオスと移動し治療をしながら生きている。
 今日まで、ミャンマーで中四国の合同小児外科のチームと合流し、小児の手術をおこなっていた。

 この6日前、ラオスで治療中に1歳の子どもがおなかの固まりを見せに来た。
 
 子どもは検査の結果から、小児の腎臓がんだと思う。
 現地での検査代ですでに母親は限界らしい。
 ラオスでもこのような病気は多くは治療できないのだろう。
 
 この病気は、本気で治療すれば治る可能性も十分ある。
 日本で手術する。
 やるかやらないか?
 いつもこの選択なのだ。

 おそらく、やってほしくない人は誰もいないだろう、、、。
 また、お金が必要だな、、、、、。また、みんなに渋い顔されるかな???
 
 この子、一人だけでも助かれば私が国際医療に人生賭けた元は取れるかもしれない。
 そう考えると、もう十分に人生の終始はプラスをいただいている。

 早めに動き出そう。
 時間はあまり与えられていない。
 
 では、ラオスおよび日本スタッフのみんなよろしくお願いします。
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                (この子を、よろしくお願いします。)
               
 

# by japanheart | 2014-07-07 10:08 | Comments(0)

こころの年齢

こころの年齢

こころの年齢というものがある。
最近、サプリや食事療法、肉体改造などによる今流行りの実際の年齢よりかなり若く見える体の話が巷を賑わしている。
しかし、私の経験から言うと、もちろん肉体が若いのはいいことだという前提だが、実際にある経験を人生の中で味わっていくときの幸せ度は、肉体の若さと相関せず、こころの年齢に相関してそれが決まる。

分かりやすくいうと、いくら50歳で20歳の肉体が持てても、所詮、50歳のこころので感じる幸せしか感じることができないということだ。
50歳で、20歳の女性と恋愛しても、20歳の頃のような気持ちや感動はなく、50歳、その年齢相応の恋愛しかできないということ。
一瞬、感情の高まりはあるかもしれないが、それは長続きはしない。

人には、こころの年齢に見合った生き方、感じ方というものがある。
そのことを知らねばならないだろう。

それぞれの年齢に見合った経験を積み重ねていく。
人間とはそういう風に、生きていくしかない。

今の私には、人生の大きな目標というのは存在しない。
ジャパンハートの代表としての目標はあるし、医師としても目標もある。
しかし、私のという人間の目標は存在しない。

私という人間は、ただただ、生きていることに幸せを感じることしか有り様を表せないのだ。
到達点もない。
今、このときを、いかに密度高く充実した時間にするか、それしかない。
”永遠なる現在”を意識した生き方。

そういえば、こころの年齢を重ねると感じることがある。
私だけにある感覚かもしれないが、時代とのマッチングを色で見分けるという感覚だ。
今までの時代は、原色の時代だった。
濃い赤や茶色、青もそう。
しかし、これからは薄い色の時代になる。
薄いピンク、薄い青、薄い緑。
そういうイメージを持っていない組織は時代に取り残されていく。

たとえば古いデパートは何色をイメージする?
医師会などの制度は、どんな色?
日本政府は何色だろうか?

ジャパンハートはもちろん薄い色に導いていく。

まあ、そんなこともこころの年齢を積み重ねると何となく感じるようになる。
肉体は、衰えを隠せないが、歳を少しずつとっていくのも悪くないかな?と自分を慰めている。



# by japanheart | 2014-06-29 19:45 | 随想 | Comments(0)
これからのアジアで何をするのか?

 先日のインドネシアの調印は無事終了した。
 インドネシアは東西に広がる島々からなり、その広さはアメリカ合衆国と同じ位になる。
 ここで災害が起こればどうすれば医療団をアプローチさせることができるのか?
 インドネシア政府主導の青年団2万8000人所属の全国組織TAGANAという団体をカウンターパートにこれから災害訓練を行っていくことになった。
 フィリピンもそうだが、一部の医者やクリニックの人たちと懇意にしてその人たちに支部をつくらせいざという時に動くのは限界がある。
 そして、アジアの国々の人々は今までのような格下の相手ではなく、対等のパートナーとして上手くやっていってくれると思う。
 だからそれぞれの国でジャパンハートがカウンターパートにするのは全国的な組織ということになる。
 インドネシア、フィリピン、ミャンマー、徐々にその範囲を拡大していく。

 さて今日の話はそれよりも、アジアの今後を俯瞰して私たちがやっていかなくてはいけない役割とは何かについて再確認しよう。
 1)これからのアジアは、貧富の差はどんどん広がる。
 2)意外かもしれないが、東南アジアの国々はかなりのスピードで高齢化社会に突入していく。
 3)国民皆保険を十分に発達できないような経済格差が都市部と地方に存在する。
   (都市部と地方の経済格差は30から40倍になるといわれている)

 ここから導かれる解は、貧困層は相変わらず医療にアクセスしにくい状況が続くということになる。

 これらに人々に医療を届けていくのがこれからも私たちの使命のようだ。

 さらに私がもう一つやってみたいことがある。
 今まではあえてそうしなかった方法だ。
 その地域の人々に見合ったレベルの医療を提供していくということだったが。
 簡単に言うとミャンマーの貧困層の人々に、日本の人々が受けているような最新の医療行為はしないということだ。
 それなりの理由があったからだが、、。

 これを大きく変えていこうかとも思っている。
 せめて、手術は最先端の手術器具を使い、先端の治療を行ってあげたいなと。
 そうすれば、富裕層の人たちほどではないにしても、それなりの満足と安心は得ることができる。

 これが正しいことかそうでないかは分からないが、誰も損しないならやってみよう。

 最近すごく感じていることがある。

 それは、ジャパンハートの医療のあり方自体がもうすぐ大きく変化するだろうということだ。
 それは私たちの要求というよりは、時代の流れということだと思う。
 それに、適応するように変化すればそうならざるを得ないということだろう。

  最後に、、、。 
 
人間、時間があれば余計なことを考えてしまう。
 目の前のことに、一生懸命に生きて死んでいくのが幸せなのだろうか?
 ふと振り返れば、あっという間の数十年。
 大きな目標を掲げ、あるいは何かの目標や目的を達成するために、今日や明日はやりたいことや時間を犠牲にして生きてみる。
 そんな生き方は今の私にはもうありえないと思う。
 その生き方をできる人間は、無邪気にも明日や数年後の自分の生を信じている人間だけだ。
 私には、その確信が持てないのだ。
 だから、せめて今の時間に生の確信を求める。

 大きな栄達は結果であって、目標にしてしまっては人生台無しになる。
 その過程の時間を常に、意識して生きてみたい。

 私はあとどのくらいのことを成すことができるのだろうか?
 たとえ、どんなことが成せたとしても今日という一日一日に満足しなければ、死んで生きているようなものだ。
 人は生きて、そして死んでいかねばならない。

 この部屋の窓の外から入る夜風が心地よい。
 私はこの風の心地よさを感じるために生まれてきたのだ。
 

# by japanheart | 2014-06-22 02:40 | 活動記録 | Comments(3)

日本政府を嘆く

日本政府を嘆く

 政府は国民以上にはならない。それは、国民から選挙で国会議員が選ばれているいる以上は当たり前すぎ話し。

 どうして、人間は上に立ったと思った瞬間から、このようになってしまうのだろう?
 あるいは相手が、政府の役人だと思った時から、日本人たちはそんなにへりくだるのだろう??

 今、国際協力の分野での日本政府のやり方はパターン化されていて、まず比較的簡単な草の根の支援を政府の予算の一部を使って行う。
 次に、JICAなる組織を使ってどんどん援助を落としこめて行く。
 それで結構いい線いけていると考えているのが彼らである。

 しかし考えてほしい。
 世界は広い。
 そんなものでカバーできるわけがない。
 
 見る人が見たら、穴ぼこだらけで、笑っちゃう!

 この大きな穴を誰が埋めるのかといえば、民間に頼るしかない。
 民間の人々が動き、政府のやっている間隙を埋めていくしかない。
 問題は、その民間も政府も、もうその内容や価値を判断できる人間がその場にいないことが問題なのだ。
 しかも、この上から目線とお金ほしさの下からのへりくだり。
 政府の援助をもらうと、よく言われることがある。
 きめ台詞はこれだ!「国民の税金なんで。」
 僕はその国民の一人なんだけどと思ってしまう。
 自分のお金を自分で大切に使えない人間はバカである。

 たとえば、私の専門分野。
 アジアの人命にとって最も重要なポイントは何か?
 そりゃ、子どもの命でしょ、となるが、カンボジア、ラオスの子ども病院は韓国が全部先に手を入れてすでに日本は蚊帳の外。
 ミャンマーの心臓病の子どもは100人に1人いて、手術をしなければ大方近い将来に死ぬ。
 しかし、子どもの心臓外科医は一人もいない。
 これってどう???
 100人に一人の子どもの命ってすごくない?
 これって日本がすればすごくない?価値があることない?
 未来永劫、100人分の1人が助かっていくってすごくない?
 
 でもそのことを発見できた人間は僕だけなんだ、、、、。
 
 でもそこはぐっと我慢して、外務省に行ったのだ。
 そこで外務省の人間から言われた台詞を国民のみんなが聞くとびっくりするぜ。国民の代表としていったのにね。
 アジアの富裕層相手の病院経営のためにしこたま企業を支援して支援金のお金を出すのはいいけど、せめてその一部でもアジアの貧困層の子どものために使う。本当に、本当にだよ、効果があるこんなことに国民の税金の一部をつかってもいいじゃない?

 どっちに税金を使ってほしいのか?
 聞いてみるといい。ドナーの国民にだよ。
 僕はきっと国民の常識を信じるね。

 アジアの子ども病院だって、日本がやればいいだよ。
 民間を信用しないから、そこにきづかなかったんだよな。
 わずか600万人の人口のラオスにJICAが派遣している人間の数と予算を聞いたら国民はほんとにそれがバランスがとれたことだと思うかな??

 僕に任せてくれたら、アジアでほんとに必要な医療支援は軒並み日本が主要な役割を果たせるようにする自信があるけどね。
 僕は民間の人間だからな、、。政府はまた適当にやるだろうね。


 今からインドネシアに行ってきます。
 インドネシア政府と正式に調印するんだ。
 災害の国際緊急救援の枠組みをアジア全域に張るその始まりよ。
 インドネシア政府はそれの価値を分かってるんだね。
 日本政府はね、だめ!!JICA,JICA,JICA.......
 やがていいポジションを子ども病院のようにほかの国に持っていかれる。
 
 でも安心してくれ!日本国民の若者たちよ。
 僕が君たちがそれを実現できる枠組みを身を挺して残しておくから。
 
 日本人はすごい!本当の友達だ!!
 日本人はありがたい!って
 必ず、君たちに言ってもらえるようなそんな仕事ができる枠組みを残すから。

 日本政府はぼくらのことをなめてるのかね??

 
 


# by japanheart | 2014-06-08 14:50 | 活動記録 | Comments(3)
再現性という魔術ーその2


 再現性の効力についてまだ、認識不足のようだから今日も再度、それについて話したい。
 究極の再現性はどういうときに発揮されるか?ぴんと来ないからその有効性を認識できない。

 究極の再現性は実は、生死を分ける戦争のようなときにこそ発揮される。
 山本七平さんが生前、第二次世界大戦の日本兵の優秀さについて書いた場面がある。
 一読されたし。
 その優秀で強靭な兵士たちは、武器ももたしてもらえず到底、日本兵ほどの訓練も受けていないアメリカの若い兵隊たちに火炎放射器で黒焦げにされたり、爆弾で吹っ飛ばされたりしてしまった。

 それ以外にも、もちろん戦闘機のパイロットたちの優秀さは戦争が始まったときには世界でも群を抜いていたと思う。

 しかし、その優秀なパイロットたちは結局、初期のうちにほとんどが死んでしまった。
 名人ばかりをそろえても、それに続く平均的な人々も育っていなかったからだ。

 どのようにしてアメリカがその人的なギャップを埋めたか。
 その人的ギャップを上回る圧倒的な兵器を作り出したのだ。
 戦闘機もしかり。

 この再現性は、別の言葉でいうと、科学性と言い換えてもいいのかもしれない。
 科学性を、もって事に当るようになれば、個人の頭の中から思考が飛び出し、構造的に、そして具体的になっていく。
 構造的、具体的なものは誰にも再現が可能になる比率は圧倒的に高まる。
 東洋医学と西洋医学の差は実はそこにある。
 東洋医学の名医たちの医術は、再現性に乏しいゆえに、持続性が薄い。
 彼らはまさに芸術家のようなものだ。

 だからこそ私は、ジャパンハートという組織を再現性のある組織にする。
 そうすることで組織にも、活動にも永続性が生まれる。
 それができれば、社会が受けるメリットは圧倒的に大きくなる。

 日本人はマネージメントができないとよく言われる。
 それは科学的な思考が、できないことに起因する。
 科学的な思考が自分に落としこめるようになると、自然とマネージメントができるようになると思う。


 さて、最後にこれはいっておかねばならない。
 では最高の形はどういう形なのか?

 それは、上に立つものが卓越した芸術性を持ち、下のものが再現性を強く実現できているような組織である。

 日本の医者に多くいるゴットハンドたちは、どうも下の人間を大切にしていない人が多い。
 あるいは、一匹狼な人が多いのは困ったものだ。
 それはすなわち再現性の弱い組織を生み出してしまう。
 頭だけでっかくて、体が小さいとバランスが悪くなる。
 肉体も組織も同じである。 
 


# by japanheart | 2014-06-03 02:40 | 活動記録 | Comments(0)

再現性という魔術

再現性という魔術


 私は”ゴッドハンド(神の手)”ともてはやされている人間は、好きになれない。
 別に、嫉妬からそう言っているのではない。

 組織を、あるいは医学と置き換えてもいい、それを発展させていくためにもっとも大切なことは何か?
 上にいる者たちの芸術性と下にいる者たちの再現性だと思う。
 
 マニュアルというものがある。
 これの正体は、下にいる者たちの平均への引き上げの目的にある。
 能力高きものは、マニュアルに従えば当然、パーフォーマンスは低下する。
 なぜならば、人を相手とする場合、この世に同じ人間は存在しないからだ。
 医療で考えると分かりやすい。

 ある患者が、重症の治療の状態にあるとき、この患者に薬を与えるタイミング、その量、あるいは人工呼吸器の設定を変更する条件などは、すべて最適化されるべきタイミングというのがある。
 ところが、マニュアルというのは、何時にどのくらい薬を使い、何時に血圧をはかりとすべて決まっている。
 それは、能力が低いものが患者を看る場合にはかなりメリットが多い、しかし、医療のレベルが高いものがそれに従うとき、患者にとっての最適化のタイミングをみすみす逃すことになる。
 よって結果は、実力以下になる可能性が高い。

 では社会にとってマニュアルを作ることは是か非かといわれれば、それを作るほうが圧倒的に利益が大きい。
 STAP細胞を引き合いに出すまでもなく、再現性をなすことが科学であり、それが人類の進歩を約束してきたといえる。

 ゴットハンドな人間は、再現性がない。
 よって、社会にとってはメリットよりもデメリットのほうが大きい。
 私たちが考えなくてはならないのは、そのゴットハンドを誰もができるものにどう仕上げていくかということである。

 彼しかできない手術を、ある機器を発明することによって誰もが再現可能な技術にすることが科学であり、社会利益が最も達成されることなのだ。

 ゴットハンドを会いも変わらず重宝する日本は、医学が科学ではなくて、芸術であると勘違いしているらしい。
 それはよくないことだ。

 それは突き詰めれば、宮本武蔵が、銃弾を切り落とすという幻想まで抱かしてしまう。
 達人 宮本武蔵はほとんど未訓練の兵隊が撃った銃弾に当り死んでしまう。
 その兵器を発明するのが科学ということだ。

 だから私はスタッフを再現性をもって引っ張り上げていこうと誓っている。




# by japanheart | 2014-05-24 10:38 | 活動記録 | Comments(0)

男と女の関係で考察する

男と女の関係で考察する


 ジャパンハートは若い男女が多く参加するせいか、おめでたい話も多く影ではジャパンハートのことを、
 ”出会い系NPO”とありがたくない名称で呼ぶ人たちもいる。

 今日はそんなダイレクトな男女関係のハナシではなく、仕事あるいは就職と自分との関係を男女関係にたとえると分かりやすいので考えてみたい。
 
 最近、ジャパンハートが事務局スタッフを募集するに当たりたくさんの人たちの応募をいただいて面接を繰り返しているのだが、正式採用する前に3ヶ月アルバイト期間というか試験期間をおいている。

 ジャパンハートという男性に、あなたという女性がアプローチしていると想像すると分かりやすい。

 その時、面接のときに、たとえばある人がこう言ったとする。
 「保険等の補償をしっかりしてもらえないならば御社に勤めるのはちょっと、、、。」
 当然、就職を希望するというのは相手(この場合、ジャパンハート)に惚れていることが前提になっていると考えたい。
 あるいはお見合いでもいいのだが。
 この場合、男女関係に喩えると、こういう台詞に変わる。
  「ご飯をおごってくれるならば、一緒に時間を過ごしますけど、、、、。」
 
 もしあなたが本気で相手に惚れていたら、あなたはご飯をおごってくれないといって、デートに行かないだろうか?
 本当にその男性をものにするためには、自らおごってでもデートに持ち込みたいと思わないだろうか?
 それほどの仕事でなければ、あるいは職場でなければ、今時のNGOなどの職場(一般の会社に比べて待遇が悪いことが多い)に転職してくる魅力などあるのだろうか?

 あるときジャパンハート側からこう切り出す。
  「では、アルバイトで3ヶ月様子を見ましょう。お互いに、相性が合うか確かめれるので」
 と言ったとしよう。
  これに対して、あまりいい顔をしない人もいる。

 これは男女関係で言うと。
  「では、まずは友達からスタートでお願いします。」ということだ。
 これに対して、いい顔をしないのは、個人的には、えー!友達からじゃダメなの!!と驚いている。
 いきなり、初対面で恋人になろうとするのは、少しきついと思うのだが。

  先日は、かなりの待遇の現在の職場を辞職する覚悟で面接を受けにきたある人が、帰り際に一言こういったのだ。
 「返事をずっと待っています。」

 これを男女関係に喩えると、
  「あなたがその気になってくれるまで、いつまでも待っているから!」になる。

 人も組織も構成する人間が日々を織り成すゆえ、そのあり方はそう変わるものではない。
 今の日本や先進国が行っている保証は、個人の権利の名の下に、ある場面ではあまりに手厚すぎ、ある場面ではあまりに手薄すぎるようになっている。

 企業は、本当に企業のためにやってくれている人間はもっと大切にしなければならないし、そうでない人間はそうする必要はないと思う。
 しかしながら、法律はそのように運営されていない。
 本当に成果を出しがんばっている人間も、サボりまくって遊んで給与だけもらうために働いている人間も、一個人として同等に扱う。これでいいのかな??
 
 能力の低い人を切り捨てる社会は間違っていると思うが、能力が高い人を、そうでない人と同等にしか扱えない社会も違っている。
 何も保証のない中でこの活動を始めた、というかそういうことすら考えたこともなかった。今までずっと給料もなしでやってきて、それが当たり前で、また生きがいでもありの日々だから。
 現地に来る医療者の多くも、無償どころか、自分で費用一切合財負担してきている人たちに囲まれて朝から晩まで働いていると、まず、給料はどのくらいもらえるのか?保障はどうなっているのか?と当たり前のことだけど、いきなり言われると、何となく腑に落ちない感じがするのだ。
 
 人間生きていかなくてはならないし、家族もいるから仕方ない。
 仕方ないけど、、、、なんだ。

 いい待遇を期待する人は、日本のNGOでは就職はまだ少し時期が早いかもしれない。
 今は精神的な生きがいとか、人の役にたちたいとか、将来の経験をためたいとか、そういう金銭的な欲求と少し違うものを求めに来る場所かもしれない。

 あと10年もしたら、そういう人たちの金銭的・安定保障な欲求にも応えられるようになっているかもしれない。

 
 

# by japanheart | 2014-05-18 02:26 | スタッフと想い | Comments(0)

未来のイメージを絞る

未来のイメージを絞る


 日々、同じ時間を過ごしていると段々退屈になる。
 人間というのは、一旦、征服してしまうと山でも、男女関係でも、手技でも、国家でも、、、。
 興味が半減してくる。

 そこで生まれる余力というか、未消化感というかそういうものが先へ進むエネルギーになっていくのだろうが。

 先日、約2週間の間に、200件ほどの手術をチームで行った。
 もちろん若いスタッフは、医師も看護師もがんばっていて大変充実した時間を過ごしていたに違いない。
 ところが私はというと、確かに体は年々きついが、この未消化感が強く、満足などしない。
 あるおいしい食べ物を食べ続けると、何度目にかは、
 「うん、おいしい。この味、この味。こんな感じ。」という程度の事態になるが、私のとっての200件の不朽の2週間はそれとさして換わらない。

 そこで生まれてきたこの余力を集めて、ある形にしていく。
 それが未来の目標ということになる。
 だから、日常をサボっていたり、目の前の事態に振り回され続けている人間には、未来の目標は生まれにくい。
 
 最近気付いたのだが、そのときにはじめの未来の目標というかそれと、ある未来の時点にたったときのその現実との乖離があまりに大きくなっているのはなぜか?
 どうして想像した、あるいは希望した未来と現実がこうもずれまくってしまうのか?

 この原因は一体?

 その答えが少し分かり始めた。

 それは今の自分という存在や思考の認識のイメージが現実とずれているからなのだ。
 それを修正しなければ未来は、時間と共にどんどんずれはじめて、ある一定時間がたてばすっかり現実が希望や想像とずれていることになる。
 それはそれでいいと言う人もいるかもしれないが。
 
 これを修正する方法を私なりにすでに考案をしているが、今日は書かない。
 灯台下暗しだが、誰もしていない方法で、少々、アイドリングに手間取るが誰にでもできるといえば誰でもできる方法だと思う。

 ヒントをひとつ。

 聖書の言葉。
 はじめに言葉ありき!
 をかみ締めよ。


# by japanheart | 2014-05-09 10:28 | 活動記録 | Comments(1)

10年後

10年後

10年後は一体どうなっているのだろう?
考えても仕方ないが、時代に振りまわらされたくはない。
最近のキナ臭い世界情勢の中で、あなたの家族や日本が今のまま安全であることなど誰が保障してくれるというのか?

人間は目の前の日常にしっかりコミットしなければならないが、いつ何時何が起こるかわからないと心の準備をしておいたほうがいいというのが私の見解だ。
 武士道が日本国民にそういう形で残っていけば、大いに意味がある。

 たとえ日本という国家がなくなっても、私も私の子どもや子孫もどういう風に生き残らせようかと考える。
 手に職を持つという方法は今も昔も有効な方法だと思う。
 さまざまな角度から、そういう視点を持ってみるのもいい。
 迫害の歴史が長かったユダヤ人たちに、医師や弁護士が多いのは偶然ではない。
 人の秘密を知ることができるポジションにいることは、彼らの安全弁だった。
 世界に最も移民が多いのはイタリア人・アイルランド人・中国人。
 過去の歴史に中で迫害の憂き目にあってきた歴史がそうさせたのだろうが、今やそれが彼らのさまざまな安全弁になっている。

 医療者の世界はどうなるのだろうか?
 医は仁術というのは、もう昔話になるかもしれない。
 社会も医療者に、人格を求めるのはいいが、それ以上の自己犠牲を求めてはいけない。
 これからは、医療を行うものは外国人になるかもしれない。
 期待が大きければ、また落胆も大きい。

 10年前、今の世の中を予想できて人はどれくらいいただろうか?
 20年前、この世からソビエトが消え、社会主義が消えていった。
 25年前、韓国は軍事政権だった。
 40年前、中国は文革をしていて、国民はみんな飢えて青い顔をしていた。
 50年前、日本は高度経済成長を駆け上がり、オリンピックをすでに終えていた。
 70年前、日本は戦争で焼け野原。壊滅状態だった。

 時間はあっという間にすぎていく。しかし、それ以上に時代が早く流れて私たちを翻弄するかもしれない。
 だからこそ、準備が要る。


 昔、乳がんの患者は早期に病院に行かなかった。
 私は若い頃はそんな患者たちを時々診たし、アジアでは今でも当たり前に見る。
 乳がんは、成長し、やがて皮膚を突き破って破裂する。
 そして噴火した火山のような形状になる。
 そこに感染を起こし、膿をマグマのように垂れ流す。

 しかし、患者たちはなぜそれほどまでにひどい状態何に病院に行かなかったのか。
 現実を受け入れられないこころ。
 それ以外に何があったのか?
 それは、今日の乳がんの様相と、昨日の乳がんの様相、そして明後日のその様相が、見た目にあまり変わらないからだ。
 一日一日は、それはほとんど変わらないのだ。
 しかし、その一日が積み重なって6ヶ月になったとき、大きく変わっている。
 1年たったとき、どうなっているのか?
 やがてその変わらない塊が破裂し、感染を起こし、異臭を発するのだ。

 変わらない一日を、見過ごしてはいけない。

 

# by japanheart | 2014-04-21 13:27 | 随想 | Comments(1)
信用というモティベーション


 国際協力ということではなく、信頼してもらえるというのは私が医療者として生きてきてもっとも私を前に事を進める動機づけになった原動力だった。

 まだ若く経験年数の少ない医師のときに、上司や患者たちに信頼してもらえるというのは、どんなに体が疲れていても私を踏み度とませる力となった。

 ミャンマーで医療を始めた1995年。
 ミャンマー中から集まり、未熟な私を無条件で信頼し、訪れてくれた人々の有難さは今でも忘れない。

 大げさでも何でもなく、この信頼に応えるためにお金も時間も労働も、私の持っているものは何でも投入することに躊躇も疑問もなかった。

 よくお金を出してまでボランティアをする気持ちが分からないという人がいるが、私はそういう活動を通じて人間が欲しいているものは、お金でなく、そういう信頼への喜びだと思う。

 お金を出してそんな活動をというときの人間の頭の中は、明らかに信頼という概念は吹き飛んで、お金が信頼の上位に位置づけられている気がする。
 人それぞれの価値とは言うが、少なくとも私にとってはお金よりも十分価値あるものだった。

 子どものときに、もっとも幸福を感じたのはお小遣いをもらう経験だったか、親にほめられたり、認められたりした経験なったか?

 それよりもさらに幼い日。
 まだ、お金などというものを知らない頃、子どもたちの喜びは、親に喜んでもらったり、まなざしを向けてもらえるということだったのではないか?

 今では、そのまなざしは、親から社会に広がったが、私たちの根本的な幸せは変わっていないと思うが、どうだろう?

 人間は死ぬときに、お金を求めるだろうか?
 それとも、信頼を求めるだろうか?

 死がいつ訪れるか分からないから、人は本質を見失う。
 明日の保証など何もないなら、今、生きている間にもっとも大切なものは何かを考え、感じ、そしてそれを求めるように生きていければと思う。

 人生に必要な主軸を放棄し、それをアコモデートする副軸のお金を主軸と思い込めば、そりゃ、こころは満足しない。
 満足しない心を満たそうと、さらにお金を求めても、満足などするわけはない。

 


# by japanheart | 2014-04-09 08:17 | 基本 | Comments(0)

いい出会いを求めて

いい出会いを求めて

 いい出会いを幾つになって求めたい。
 年老いて、周りに同じ年齢以上の者たちしかいない人生はどうなんだろう?
 
 若い人々に囲まれ、求められ、指導する。
 長生きするのもいいが、ただ生きればいいというものでもない。
 どこかである医療団体のトップが、東南アジアに来て日本の医療を見習えと言わんばかりに、
 世界最長寿の日本を支える医療のような題名で講演をしていたが、それってどうなのかと思う。

 日本は年寄りの生きやすい社会かな?
 肉体だけ生きながらえても仕方ないと多くの人は思っているはずで、生きがいとか、幸せであるとか、そういう感情とともに存在していたいと思う。
 
 かつて書いた例で、スウエーデンの年寄りは、衣食住を社会のシステムとしてやってもらって後年を施設で生きることができる。まあ、生命を維持するにはいい境遇を手に入れれる。
 一方、バングラディシュの年寄りは、衣食住の保障は社会はしてはくれない。しかし、忙しい。何せ、冠婚葬祭、もめごとの類まで、若い人たちが相談に来るからだ。

 ミャンマーの年よりも、ある意味、そういう世界観の中にいる。
 年取って農業や孫の世話に忙しい。
 そしてぽっくり死ぬことが多い。

 日本人は核家族ゆえに、身内の若い世代は年をとっても周りにいないことが多い。
 だとすれば他人の若者たちに身近にいてもらうしか、方法がない。

 どうすればいいのか?
 結論から言うと、若い人が求めるものがなければならない。
 バングラディシュの年寄りのように。
 でなければ、あなたの晩年はあなたより皺がよった人々の中で過ごすことになる。

 若い人が求めるもの。
 それがお金などの物質であっては、無いよりはましだが、あなたの心の充足は低くなる。
 そこで、ものではなく、それをあなたの中に造っていかねばならない。
 それこそ地道に時間をかけてつくる必要がある。
 形無きものは、造るのに時間がかかるのだ。
 だから、若い時代にそれを造り始めないといけない。
 あなたが将来、あなたがあなたの周りにいて欲しいと求めているような若者たちと同じ位の年から、それを造り始めなければ間に合わないという、人生の皮肉がある。

 それぞれの特性、個性に見合った魅力あるものをつくらねば。
 
 若いときしかできないこととは何なのだろう?
 年取ってからでも、できることは何だろう?
 今一度、詮索したし。
 

# by japanheart | 2014-03-27 02:43 | 基本 | Comments(0)

不完全さを刻む

不完全さを刻む

 残念ながら、私の人生の記憶は失敗ばかりに彩られている。
 幼い時に食べたものの記憶ですら、ジンマシンを起こしたものや無理やり食べさせられたものの記憶が一番強烈にある。
 
 本気で望んで、失敗したときの記憶ほど消しがたいものはない。
 多分、死ぬまで思い出すことだろう。

 私の前で死んでいった多くの子どもたちを思い出すたびに、いつも、”私もいつか死ぬから”と言い訳のようにつぶやいてしまう。
 全ての子どもを助けれるなんて思うのは傲慢すぎると分かってはいるが、神の力を持ちたいと思ってしまう。
 全ての子どもが死なない世界がその後どうなるか?
 知らぬ身のわがままかも知れない。

 どんなに富を蓄えても、どんなに権力を欲しいままにしても、どうせ死は訪れる。
 世界で一番の権力者になったものは、どのような心境で死を迎えるであろうか?
 それを想像したとき、お前も私も何も変わらないじゃないかと、少しいい気分になる。

 脳のしわと頭の良さは全く関係ないと思うが、人生のしわと人生の豊かさは確実に関係する。
 しわは深いほど、豊かさは増す。
 
 豊かさというのは、いい実感というのとは異なる。
 豊かさは、強いて言えば、密度のことだ。
 死ぬときの木の走馬灯が、あっという間に終わっては、モッタイナイ。
 密度を増すには、失敗の体験が成功の体験よりも重要な役割を果たす。
 とにかく、失敗の体験が、記憶に深く留まる。

 成功したいと、一生懸命がんばるとき、人は力が入ってしまう。

 必死の失敗経験を、このあたりでしてみようと、ことに望むとき、どのくらい力が入るだろうか?

 必死の失敗体験。
 これを行うためには、自分の実力以上のことに望むほうがいい。
 とにかく、ちょっと背伸びした挑戦を3回に1度くらいはしたほうがいい。
 
 失敗しても、死ぬときの走馬灯の映像スクラップへのアップロードだと割り切って。

 今日も、そんな感じでいってみようと思う。
 

# by japanheart | 2014-03-19 10:36 | 活動記録 | Comments(2)

医療者って、悪くない

医療者って、悪くない

あなたがもし人助けをしたいと思っているのなら、医者や看護師などの医療者はお勧めの職業だ。
私が10歳代は、インターネットもなく、情報もほとんどなく、海外の人々のいのちを助けると意気込んでみても、どこで、何をすればいいのか皆目、見当がつかなかった。

そして何よりも世界が狭くなった。
これだけ航空機が格安で世界を飛ぶ日がやってくるとは。
まことにめでたいことだ。
人がお金を儲けるために混ざれば混ざるほど、戦争も遠くなる。

会社には社訓というものがある。
そこにはどこの会社もたいていは「社会に奉仕する、或いは役に立つ」という趣旨のことが書いてあるが、普通は自分のやっていることが社会にどのように役に立っているのかを自覚するのは難しい。
さまざまな経験を経てきて今は私の立場からは、医者も公務員も工事現場で働く人もさして変わりはしないと自覚できるが、若い世代の人たちにそれを自覚せよといっても無理な話。
 自分が作るたった一つの工業製品が、いかに社会の役に立っているといわれても、心の底ではそんな自覚はない。
ゆえに、毎日が怠惰になってしまう人が出てしまうのも分かる気がする。
 しかし、人間は社会とのつながりを忘れてしまうとどこにいても、生きがいをなくす。

 日本の病院でいのちに向き合う現場でも、「それは私の仕事ではありません」という人が多い。
ジャパンハートの医療現場ではそれは言わないことになっている。
 それもこれもすべて自分の仕事なのだと、自覚するようにと教えている。
 
私の最近の考えでは、自己評価の低い人間は仕事を拒否する傾向が強い。
社会とのつながりの自覚も薄い。
 
いい医療者になりたければ、誰でもなれる。
志、次第だと思う。
 自己評価を高く持ち、社会とのつながりをしっかりと自覚する。
自己評価というのは他人が与えてくれる評価の総和の自覚に他ならないから、しっかり他人のために奉仕する。
 そうすれば、たいした技術などなくても自己評価を上げることができるようになる。

 
 医療者は、もっとも簡単に自己評価を与えてくれる職業だ。
 人が相手の職業のいいところは、そこにある。
 
 若い頃、幼い頃、どうしても自分の自信が持てない人や、親に否定的に育てられてしまった人、教師にバカにされてすっかり自分が信じれない人、そんな過去のある人は、医療者がお勧めである。
まじめに、一生懸命やれば必ず、自分のことを評価できるようになる。


 
 

# by japanheart | 2014-03-11 03:01 | 病と人間 | Comments(0)

気がつけば

気がつけば

 気がつけば、今年49歳になる。
 時間に責め立てられているような、そんな感覚の中にいる。
 
 長い歴史の中でつい最近まで、ほとんどの日本人たちはとにかく食を確保するために、その時間のほとんどを費やしてきた。
 というか、古代から人間ずっとそうだった。

 美輪明宏の「ヨイトマケの歌」は日本の名曲の一つだが、その中で登場する母親のように、日本人たちはみな、その日の生活を何とかするために、嫌な仕事でも、惨めなおもいを味わっても、我慢して、我慢して、わが為、わが子の為、わが親のためとがんばってきたのだ。
 戦争中の、慰安婦たちも、誰が好き好んであんなことを年端も行かないうちからするものか。
 贅沢がせめてもの慰めだったのだと思う。
 炭鉱で働いていた多くの労働者たちもまた、頭の良し悪しに関わらず基礎教育すら受ける機会をなくし、危険な仕事についていたのだと思う。
 それもこれも、生きていくためだ。

 翻って、今の日本。
 時間をもてあまし、一体、何にそれを使っている?
 ある若者は、生きていてもあんまり意味なさそうだから、別に死んでもいいと思っているという。
 そういう風に感じているということ自体が、贅沢な状況なのだ。
 死んでもいいと思えるのは、贅沢なことだと認識しなくてはいけない。
 
 食の心配からほとんど開放された今の日本で、このあまりにあまった時間を何に使うのか?
 これが命題だ。

 先人たちができなかったような本当の贅沢をしなくてはモッタイナイ。
 本当の贅沢とはなんだろうか?
 おいしいものを食べて涙が止まらなかったことがあるか?
 無ければ、それは本当の贅沢ではない。
 戦争中や戦後に、まずい水団を食べて涙が止まらなかったという話はよく聞いたが、それは本当の贅沢だ。
 
 有り余った時間をたっぷり使い、何をする?
 
 私の残りの人生はきっちりその贅沢の時間を作るために努力したい。
 そこで、私にとって本当の贅沢の時間とはどんなものかを考え続けて生きたい。
 
 厄介なことに、本当の贅沢な時間や機会を持つためには、その必要条件がある。

 貧素な水団を最高の料理にせしめたのは、戦争と飢餓だった。
 エジソンに発明の喜びを授けたのは、数え切れないくらいの失敗の体験だった。
 お釈迦様に悟りならしめたのは、その前の難行苦行だった。
 
 最高の贅沢には、その前段階としてどうしてもその逆向きのベクトルの時間が必要になる。
 それを持つ覚悟がどうしても必要になる。

 神はよく知っていて、苦労をいとわないものには、果実を与えるのかもしれない。


























 


# by japanheart | 2014-02-26 18:38 | 医者の本音 | Comments(0)

人生、暇つぶし

人生、暇つぶし

 最近、よく考えるっていうか、子どもの頃からすっと思っている。

 人生って何?

 これは、永遠の命題かな。
 ホント、人間に国家なんていらない。何か左翼みたいなことを言っているが、僕は左翼や共産系の人々の言っていることは理解できるが、現実と摺り合わないので、信用しない。
 国家なんてものは、何のために出現したのだろうか?
 多くの戦争を経験した今、これが出現したことで救われた人の数と、この国家なるもののために死んだ人の数は一体どっちが多いのだろうかとふと思ってしまう。

 最近、韓国の何とかという大統領が、あちこちで日本の悪口言いまくっているけど、日本と韓国の戦前・戦後の汚れた関係を知っていれば、あの言動はお粗末なものと言わざるを得ない。
 大体、どの国でも自国民を裏切って苦しめているのは、その国の人間であるという大人の洞察が最近できるようになったのだ。
 ミャンマーの国境の方の子どもたちをタイや中国に売っているのはミャンマー人。
 買いに来るのは、タイ人と中国人。
 戦国時代の日本で、若い女を武器と交換したのは戦国大名。
 買ったのは外国の商人。仲介したのは宣教師。
 イギリスと清のアヘン戦争。国家で議決まで、アヘンを売りつけることを決定したのはイギリスという国家、それを受け入れ売りさばき、清人をアヘンでぼろぼろにしたのは清人。
 戦前戦後を通じて、何も知らない一般の日本人を食い物にしたのはアメリカという占領国の手下になったこの国の権力者たち。

 しかし、いつもこういう事実を知るために思うことがあるんだ。
 人間、たった80年程度の人生。
 たとえば、男の人生。
 上手いもの食って、気ままな異性関係をすきな時に持つ。
 それ以外に、一体、本質的に、何を求めてそれ以上の欲を持ってしまうのだろうか?
 中毒じゃないのか?
 
 ある程度の食や異性関係を構築できたら、本質的な生きる目的は達成できているはずだが。
 有り余るお金をつかって、ちょっと贅沢をしても、本質的には何も変わらないだろう。
 それは、エコノミークラスで海外へ行くのと、ファーストクラスで海外へ行くのでは、中では多少待遇は変わっても、飛行時間が短くならないのと同じで、本質的には変わらない。

 有り余ったお金やエネルギーを彼らは、やり場なく、暇つぶしのために投入しているとしか思えない。
 それでも何か、意義を見つけようとして、国家のためとか、人々のためとか、社会のためとか言っているんじゃ、ない?

 まあ、人間だれでもそう。
 僕もそうだと思う。
 
 もし、あなたが人のために生きたいとか、世の中のために生きたいと思ったならば、あなたはすでに、基本的な幸せを持っていると考えたほうがいい。
 
 そうでないのにもしそう思っているとしたら、誰かに洗脳されているか、自分が何かの病気か何かで存在が脅かされているかどっちかだ。

 ボランティアをするのは信じられないとか、お金を払ってまでとやるのはちょっととおもっているのは、多分、まだ基本的な幸せを実現していない人だと思う。

 ボランティアをする人はまあ、基本的には幸せであると思う。

いくらリッチになって多少、威張って生きてみても、たかだか、数十年。

 あっという間の、風の如し。
 
 

 

 

# by japanheart | 2014-02-19 11:30 | 医者の本音 | Comments(4)

国際看護師になるとは

国際看護師になるとは

本来は、国際看護っていう怪しげな概念はない。
何が国際的か?といわれれば、英語が話せるとか、世界標準の人権意識を持っているとか、何かよく分からない。

国際的を、海外でも大まかに「大抵、どこの国でも通用する」という風に捕らえると、また難しい。
ムスリムの国では、仏教の慣習ではやっていけないし、ムスリムの国で通用するからといって、アフリカで通用するとも限らないし。

いちいちWHOの出している情報をキャッチアップしている人間も少ないだろうし、まあ、情報だけとっても国際的というわけではない。

別に英語が話せなくても、現地語が話せて、十分そこで通用しているならば、それは国際的といっていいと思う。
とすると英語は国際的に必須条件ではない。


私は、国際的という概念を2国間で捉えることが多い。
ミャンマーと日本、カンボジアと日本。
要するに、多国籍ではない。
数多くの国が混ざってやるよりは2国間のほうがコントロールしやすい。
2国間の文化の妥協で済むから。

インターナショナルは国と国の間という概念だから、まあ、自国ともう一カ国で十分通用したら、国際的ということで良いんじゃないかな。

もし、国際的にどこでも通用するというものは、使い方を間違わなければ日本にいても十分獲得できるものばかりじゃないか。

 人に親切であるとか
 愛情深いとか、
 清潔であるとか、
 丁寧であるとか、
 誠実であるとか、

 こういうものはどこへ行っても評価されることだから。
 基本、人間的にちゃんとした素養を持っているとそれで十分、国際的になれる能力を持っていると思う。
 あとは、自分の国のことをよく知っていること、
 なんせ相手は、あなたにもあなたが生まれた国にも興味を持つだろうから。あなたが相手の国に興味を持つように。
 
 そう考えると、まあ、国際的になるということは、自分の国のことを深く知り、そして人間的に基礎がちゃんとしていることでいいということかもしれない。

 ところで、あなたたちは自分の国ことを十分知っているか?
 まず、それを知りたいとか、知らねばならないとか、そういう風に思わないといけない。
 そこからすべてが始まるから。
 そのためには、その必要性を感じないといけないということ。
 何事もモチベーションは必要だから。

 ということは、やっぱり海外に出て日本の良さや悪さを知って感じて、自分がそれを知らなきゃという風に思わないと。

 逆説的だけど、あなたが本当に日本の国のことを知りたいと思ったそのとき、あなたの国際化が始まる。



# by japanheart | 2014-02-14 03:09 | Comments(0)
今年も国際貢献を学ぶ学生フェリーツアー

 今年も神戸発-大分 2泊3日 国際貢献を学ぶ学生フェリーツアーを3月29~31日に開催する。
 費用はホテル、フェリー、食事も全てついて19900円で何とか!
 ホテルは昨年同様に温泉つきで、きれいな個室のビジネスホテル。
 
 現地、大分では地元をはじめ九州の学生も2日目に参加してもらい大いに盛り上がろうと思う。

 私は全行程参加する予定。
 夜は、私と恒例のタイマン質問コーナーをぶち込んでいる。

 詳しくは、以下を参照。
  



 いつも言うことをここでも繰り返そう!
 若ければ若いほど参加したほうがいい。
 アルバイトをするなんてもってのほか。
 若いうちは親に借金に決まっている。
 少しでも若いうちのほうが、はるかに多くものを吸収できることは私が保証する。
 年取ってから働く賃金は、若い頃の3倍になる。借金は年取ってから返せ!親は利息は足らないものだ。
 何なら踏み倒せ!それを喜んでくれるバカ親も多いはず。

 年をとると賃金は学生時代の3倍になり、人生の感度は3分の1になる。

 若いうちに、ちまちまとはした金を稼ぐやつは、時間の価値を知らないやつだ。
 若いときは、体力と無謀さに任せて冒険するのが良いに決まっている。

 若者たちよ!どんどん前に前に!
 どんどん外へ外へ!

 

# by japanheart | 2014-02-09 07:16 | 活動記録 | Comments(0)

人生のベースライン

人生のベースライン

 若いときにがんばっておいてよかった!
 人生は自分を裏切らない。

 私たちは何気に生きているが、自分のベースラインを知っているだろうか?
 たとえば、自分がうれしいと感じるのはどのようなレベルからなのか?
 自分がおいしいと感じるのはどのようなレベルの味からなのか?
 自分が本当に苦しいと感じるのはどのようなレベルからなのか?

 知っているようで知らない。
 だから、何でも不幸に感じてしまう。
 何をやっても、何か腑に落ちないような人生になってしまう。

 自分で本当にがんばったときを持ったものは、幸せだ。
 人生を思い出してもらいたい。
 一番がんばったときはいつで、どのくらいがんばったのか?
 それが、あなたのがんばるという基準だ。
 この基準を知らないと、一体がんばっているのか、そうでないのか?
 それすらも分からない。
 そしてたいていは、その期間にもムラが大きく、何かがんばったようなそうでなかったような、そういう印象になってしまう。

 若い頃に、十分に苦しんだほうがいい。
 失恋もしたほうが良いだろう。
 貧乏生活も大変重要である。
 金欠は大切な道しるべになる。

 そこが、底だとして、それからどのくらい上の時間や生活を過ごしたいのかを考える。
 ただ単に、楽をしたいとか、お金持ちになりたいでは、何も基準などない。
 ないから、目標もない。
 形だけの目標を作っても、実感としての体感がない。

 今一度、若くても良いから自己の人生を整理してみる価値はある。

 ジャパンハートは厳しいといううわさがあるが、今は、そんなこともない。
 でも、本当は自分の知らない極限を経験してほしいのだ。
 そうすれば、将来、自分の本気の努力とは、そういうレベルだと分かる。
 分かれば、今のレベルがどのくらいで、あとどのくらいがんばればいいのかも分かる。
 それを経験しないからどこへ行っても、何をやっても何となく、宙ぶらりんな感じがするのだ。

 最後に、大切だからもう一点。

 なぜ、お金をそのくらい持ちたいのか?
 なぜ、楽をしたいのか?
 なぜ、結婚をしたいのか?
 なぜ、子どもがほしいのか?
 なぜ、その教育を受けたいの?

 そして、それらは本当にあなたの人生で必要なものなのか?
 本当にあなたはそれを望んでいるのか?
 
 それをしっかり考え続けないといけない。
 目的のない努力はすべきでないし、人生時間を失うばかりだ。



# by japanheart | 2014-01-31 06:49 | 基本 | Comments(0)

若者をどうするのか?

若者をどうするのか?

 若者をどのように扱っていくのか?
あるいは、
 若者がどのように生きているのか?

という命題は国にとっても個人の人生にとっても非常に重要な事柄だ。

戦争中、日本人が若者たちをどのように扱ったかを考えれば察しもつくが、年寄りばかりが残ってしまうような状況では国の未来は決して明るくはならない。
 戦争は多くの若者が戦いそして死ぬものだ、だから未来を明るくしないことは自明ということになる。
しかも、年寄りたちがその指示を出しているから始末に終えない。

 今の日本の将来が暗く見えるのは、経済の問題よりむしろ若者たちの相対的な減少によるものだ。
 日本の経済で暗かったら、アジアの国々の未来はもっと暗いことになる。
 貧しい国の生活や戦争を経験したものなら、人間は生きていくだけなら食物の確保だけで十分だと感じるはずだ。
 
 実は、若者をどのように扱っていくのか?ということよりも、若者たちがどのように生きているのかの方が、さらに重要なのだ。
 今の日本が暗いのは、そこのところが一番問題だと思う。

 若者たちが、飛躍できる仕組みをしかなくてはならない。
 それが、年長者たちの重要な役目になる。

 医者の世界を見てみよう。
 私の意見は、日本の医者の世界は最悪の状況だと思う。
 一般に、多くの医師たちは30代ではまだまだ未熟だと認識しているし、社会もそのように扱う。
 医者は40代や50代が中心なのだ。
 問題はそのことではなく、若い世代の知力体力ある医師たちが、自分が若いうちは未熟だと考えてしまうその慣習にある。
 だから外科医でも、手術を十分にさせてもらえなくても、なんだかんだと理由をつけてその組織に長いできる。
 人生はそんなに長くはないのに。
 一般の社会を見てみるといい。
 20代の若い世代の成功者や元気な経営者がどんどん出てきてみんな焦っている。
 それなのに医者たちはのんびりしている。
 定年の年齢は同じなんだけどね。
 それがなぜかというと、医者の世界は50代や60代の年長者たちが支配しているからだ。
 彼らが、自分たちを基準に成功者の社会のイメージをつくっている。
 その価値観を若い世代の医者たちも受け入れている。
 愚かなことに。

 かくて時間と才能が失われていく。

 別に20代で凄腕の外科医が出現しても良いし、30歳そこそこで偉大な内科医が出現しても良いのに。
 そりゃ、無理でしょ、とあなたは考えるかもしれない。
 私は断言する。
 あなたの頭も、彼らにいかれている。

 若者たちが、自らの可能性を制限しているのは見ていて割り切れない。
 古い制度にしがみつかされ、知らぬ間に年老いてゆく。
 それは社会的損失ではないのか?

 謙虚さのない若者は見苦しいが、才能を封印しようとしている若者は惨めなものだ。
 ちりゆく桜の”いとをかし”の物悲しささえ宿らない。

 今一度、おのおの、自己のあり方を見つめなおすべし!
 

 


# by japanheart | 2014-01-25 09:08 | 活動記録 | Comments(1)
ジャパンハート 10年ーその2

昔、昔といっても20年ほど前のことだよ。
私が、海外で医療を始めた頃のこと。

国連やJICAなど、とにかくいろいろな人たちからコンタクトがあったんだ。
理由は、日本のNGOで医療系のものが私以外になかったこと。
そして、私が医者だったこと。

ひとことで言うとこう言われた。
「ちまちま一人ひとり患者を助けてもきりがないだろ!」
ということだ。
もっと、多くの人に影響を与えるような仕事をしてみないか?
ってな感じだった。
確かに、まあ、朝から深夜まで患者たちを診察治療してみて、キリがないという心境であったし、彼らの言わんとすることも一理あった。
しかし、私は結局、ありがたい彼らのお誘いを断りその後も、ちまちまと患者を治療し続けた。
なぜかというと、頭では彼らの言わんとすることが理解できても、心が納得しなかったからだと思う。

医療というのは、患者をちまちま診ることにこそ極意がある。
丁寧に、一人ひとり診る。それが医療にとって大切なことだからだ。
大体、ちまちま患者を診ることを否定的にとらえてはいけない。
世界中、医療というのは患者をちまちま診て成り立っている。
日本でもそうして医者をやってきたのだ。

患者を知る。
患者の家族のことを知る。
彼らの生活を知る。
家族の病歴を知る。
どれも大切なことだ。

私はちまちま診ることを否定することは間違っていると思う。
彼らは医者ではないからそう行動するのかもしれないが、一人ひとりの人生から視点を失うと、どんな良い事業でもやがて結果は思うところから狂ってくると思う。

例を挙げようか。
政治家が、庶民の生活や苦しみも知らず、適当に周りの人にだけ意見を聞いて政策を作っていけばそれは人々を幸せにするだろうか?
第二次大戦の戦争中、ミャンマーでは20万人近い日本人たちがなくなったが、彼らには、一人ひとりに父母がいて、兄弟もいて、こんな子ども時代を過ごし、こんな妻子がいて、どんな風な人間だったとしっていれば、玉砕しろという命令などそう簡単に出せるはずがないと思うがどうだろうか?

人間は、大きなお金や力を持つと、勘違いする。
あたかも自分はすごい力を持ったかのようにだ。

私はだから現場に足を運ぶ。
自らの非力を思い知るためにだ。

別に1万人いっぺんに救わなくても、一人でも二人でも救えたらそれはそれですごいことだと思わないか?

そうやって一人ひとりと積み重ねて結局、数万人になっちゃった。

数万人をいっぺんに助けるべきだと考えていた彼らは今どうしていると思う?

# by japanheart | 2014-01-18 10:25 | 基本 | Comments(1)
ジャパンハート 10年 その1

ジャパンハートを設立してもうすぐ10年になる。
企業は10年で、90%は倒産か廃業するという。
ありがたいことに、何とか10年はやってこれた。

私は大分の田舎の国立大学の医学部を出た。
浪人してから、医学部を目指し、文系から理系に転向した。
頭がもっとよかったらもっと都会の医学部に入っていただろうが、なんせ医者になることが目標で、どこの医学部でもよいという目標を立てたために、大分に落ち着いた。
もし、私が東大の医学部だったらと思うこともよくある。
驚くことに、古い帝大を出た人間ほど、ボランティアの世界でもその後の政財界をはじめとするサポートが多いのだ。
大分は最高に素敵でいい場所だったが、大分の医学部を出てもサポートはほとんどない。
だから大学のつてなど当てにせず、自分でがんばるしかない。
こんなことも結果的によかったのだと後できっと思いたい。

2013年度は海外医療に参加した医師・看護師の数が年間のべ400名を突破する。
これは奇跡としか言いようがない。
わずか3億円程度の規模の組織で、年間400名に及ぶ医療者を海外に派遣している組織などないと思う。
国内の僻地・離島や東北への医療者を合わせると500名近くになると思う。
そして、この数はさらに増え続けると確信している。
英語が話せないと、国際医療ができないと勘違いしている人がいるが、それは誤りだと指摘しておきたい。
どこで誰にどう織り込まれたか知らないが、勘違いしている。
欧米人は、自国の言語で医療活動している。
日本人だってそれでいい場合もある。
そういう場を作れなかったことが、問題だったのだ。

世の中の流れを読む。
そんなことなどできないという人間がいるが、それはあなたができないだけで、私はできると信じている。

これからのキーワードは”点と線”

ジャパンハートも”点と線”で展開する。

では、今までのあり方は何だったのか?
私の意見では、それは”面”戦略だったと思う。

ミャンマーのジャパンハート活動拠点を、アジアに散らばるジャパンハートの活動拠点を、点としそこを線でつなぎ、人がその上を移動し医療を展開する。
 決してその地域に特化し深く広く医療も保健も教育も開発もという”面”での戦略は行わない。
 専門特化された分野のみに集中し、そこを特殊部隊のような専門家が移動する。
 
 皆さんも分かると思う。
 時代がすでに、”点と線”の時代の流れの中にあるからだ。




# by japanheart | 2014-01-12 12:24 | 基本 | Comments(0)
子育てから見る、スタッフ育成

 子育てをしてみて思うことがある。
 子どもを厳しく叱ること、けなす事は果たして教育上、効果があるのかどうか?

 最近では子どもを厳しく叱ったり、時には手を出すこともあるが、そのときも極めて、本当に極めて冷静に状況を見つめながら、子どもを叱っている。
 子どもの表情やそのときの気持ちもひしひしと感じることができる。

 そういうことを感じながら日本の教育界を見たときに、いじめが起こる原因の99%は担任の教師のせいだと分かる。
特に小学校の場合はそれが当てはまると思う。

 その担任教師が、そのクラスという場を支配できていないからだ。
 いくらその性質がある子がいても、その場を教師が支配できていたらいじめが許容される環境は生まれてこない。
 そう考えると教師の質の劣化がいじめを生んだことになるが。質の劣化といっても昔の教師が全部すばらしかったわけでもなく、おそらくいじめは常習的にどこにでもあったに違いない。
 今のように表には出てこなかっただけなのだと思う。

 とはいうものの、教師のレベルの低さと場の支配力の無さがそういう状況を生み出しているの違いない。

 教師の人間力を上げる。それは簡単でないことは誰でも分かる。

 体罰は最高の教育の技術だという人もいるが、それを使いこなすのは真剣を扱うようなもので、未熟な使い方しかできないと、自分も子どもも傷つける。
 私もことの年になって、これだけの紆余曲折を経てようやくわが子への教育的制裁を客観的に眺めることができるようになったのだ。20台や30台の若い教師たちにはそれができるはずもないと感じるが。
 どうだろうか??

 もう一つ。私の考えでは子どもの教育は、引き出すことよりも前に強制的に教え込むことが必要だと思うがどうだろう?

 いやなことは生涯、しなくて済むならばその必要も無いが、人生いやなことをすることが多いのも事実。
 そして、いやなことは若い時代にしか取り組む寛容性が無いのも人間の習性だ。
 だからこそ、若いうちに苦手なことや嫌なことに取り組まないと生涯、取り組む機会は極めて少ない。
 このときに自分の性格や生き方の癖を直すことができるのだ。
 いびつな形を円に近づけるイメージだ。
 
 子どもの教育は、嫌なこと苦手なことにも否応なく取り組ませる必要性は大いにある。 どうせ成人したら誰も嫌なことなどしなくなるし、避けて通ろうとするに決まっている。

 ほめる教育。
 けなす教育。
 フランスはけなしてばかりだという話を聞いたことがある。

 子どもだったら、けなす教育は大いに成果を発揮すると思う。
 ほめる教育は弊害が多いと感じるし、むずかしい。

 しかし、ジャパンハートのスタッフたちのような成人に関して言えば、けなす教育は、あまり効果がないかもしれない。
 もうすでに、時期が遅すぎるのだと思う。
 一応、けなして育ててきたが、育った人間はみな立派に活躍するが、離脱者が多すぎる。

 これから、さらに熟考しなければならない。

 甘やかされて育った人間は始末に終えない。

 



# by japanheart | 2013-12-23 10:52 | 基本 | Comments(1)
ジャパンハート総医療局 構想

派閥主義から個人単位へ、という流れと封建制度的な要素を持っている集団の弱体化は同じ流れの中にある。
白い巨塔のイメージに代表される従来の「医局」は、どんなに仕組みをいじり大学側が抵抗しようとしても、かつての栄光は戻ることはないと断言できる。
 なぜならば、それらは世の中すべての流れの中で起こっている出来事であり、医師を取り巻く環境だけが独立して存在しているわけではないからだ。
 あらゆる前近代的な思想や仕組みはそのスピードはともかく、崩壊していく途上にある。

 早く身をひるがえし、変革を行ったものは生き残る可能性が高い。
 無理やりにある種の強制力によって変革させられたものは、想像以上に悲惨な結果になる可能性もまた高い。

 約10年前に始まった研修制度の変革とともに、大学医局に入る人の数は減少の一途をたどっている。
 数こそ力でやってきた医局だから、数の減少はすなわち力の減少を意味する。

 新研修制度の始まる前、H15 大学に入局する医学部卒業生はや70%強だった。
 (ちなみに私が卒業した頃は95%といわれた。)
 今は反転し、4割くらいしか大学に入局しなくなっている。
 10年間入局医師数が減り続ければ、たとえはじめ100人医師がいても、半分くらいにはなってしまうだろう。
 すなわち、半分の力になってしまうということだ。

 なぜそうなるか?
 厚生省のせいではない。
 時代の要請だというのが私の見解だ。

 単純に、大学にそんなに医師を抱えないで、先端医療と研究機関・教育機関としての立場をしっかり確保すればいいのにと思うが。
 いい研究、いい教育をすれば、若い医者はいくらでも学びにくると思う。
 それをしないで医師ばかり集めていても仕方ない。

 時代は、派閥主義から個人単位に、時代がすごいスピードで動く。
 個人でいいと思った場所へ、人が移動していく。
 偉い教授の命令で動く時代はもう終わりかもしれない。

 そんな時代に、私は新しい仕組みを提唱する。

 それは個人がある方針のなかで、緩やかにつながった仕組みだ。
 そこに強制は無い。
 あるのは、参加する個人の自由意志だ。
 その大きな方針とは、”社会貢献”という意思の輪だ。
 この輪の中に入りたい人々が自由に出入りできるそんな仕組みだ。

 医師だけでなく、看護師も、その他の医療者も、医療にかかわるものであれば誰でもその輪に入ることができる。
 それぞれが、名前・職業・専門・卒業年月日とメールアドレスを登録する。
 それぞれの職種に合わせてジャパンハートが、情報を提供する。

 たとえば、海外の緊急救援の医師や看護師を募集するときは、このアドレスに直接、メールが飛び込んでくる。
 たとえば、離島で産休に入った看護師の代わりに1ヶ月間の離島病院からの要請があれば、看護師のみにメールで募集がくる。
 あるいは、短期ボランティアの海外医療情報やスタツアなどの情報も、その最適な職種ごとにメールで連絡が入る。
 医師に看護師に関係する、あるいはその逆の情報が来ることはしない。

 希望者は、それに応えればいい。
 こちらからの強制は一切ない。
 登録自体には、費用も一切発生しない。
 登録にはデメリットはないようにしてある。

 こうして、海外・国内で社会貢献をしたい医療者が精神的に所属する仕組み
             ジャパンハート総医療局
 と呼称する。

 近い将来、この登録をできるようにしていきたい。

 海外医療、国内地域・僻地医療、緊急救援活動は医療者ならばもう誰もが当たり前にしていい時代だ。
 
 新しい仕組みを日本の中でどんどんつくっていく。
 20代と30代の世代が活躍できないような仕組みやあり方には魅力を感じない。

 緊急救援だって、どこの組織も上のほうから、おじさんおばさんに占拠されている。
 これではいけない。
 世界で戦っていけない。

 この時代遅れの日本の医療界に、若い世代が活躍できる組織を、一気につくっていく。

 
 
 
  








# by japanheart | 2013-12-16 02:46 | 基本 | Comments(0)

25歳の女性の話

25歳の女性の話

 その人は、生まれつきの腸閉塞だった。
 肛門が無かった。
 だから便が出なかった。

 生まれてすぐに手術して人工肛門を造った。

 それから25年人工肛門はそのままだった。
 肛門の手術をした。

 彼女には恋人がいた。
 恋人は、彼女の病気のことは知らない。

 人工肛門を直す手術は2年前に行った。
 簡単に言うと、口側の腸と、お尻側の腸をつなぐ手術だ。
 もっと簡単に言うと、2本のパイプをつなぐ手術。
 
 ところが、問題があった。
 そのパイプ、すなわち腸の大きさが4倍も違うのだ。
 4倍の大きさの入り口がある腸を縫い合わせなければならなかった。

 手術は、当時ミャンマーに来ていた日本の外科医が担当した。
 そして1週間後、便が漏れた。縫ったところに大きな穴が開いたのだ。
 おそらく、上側の腸が大きすぎて便がたまり、下のほうに縫った腸の中へ上手く通過しなかったためだと想像できた。
 そして再び、人工肛門を再度、逆戻り。

 仕事の持っているため、長期になかなか休めない。
 この国では、長期休みはすなわち、退職を意味する。
 
 そして2年。ようやく時間を確保して、今回、再び人工肛門を造ることに。

 前回の、便の漏れのせいで大腸も幾分か切除され、短くなっている。

 お腹を開けてみると、今度は6倍くらいの大きさに上下の腸の大きさが違っている。
 
 そして決断。

 拡張したすべての腸を切除した。
 大腸は、半分の長さになった。

 あれから10日間。
 今は元気に、おかゆを食べている。

 これから、25年以上の彼女の人生とは違う人生が始まる。
 恋人とも結婚も視野に入れていくだろう。

 彼女のために手術をしてくれた医師たち、看護師たち。
 お金を出してくれた人たち。
 ずっと飽きずに連絡を取り続けてくれたスタッフたち。

 すべての人たち苦労が報われるのは、これからかもしれない。

 たった一人の人間の人生を変えるために、一体、どれほど多くの人たちがエネルギーを使ったことだろう。

 医療というのは、こういう地味な世界だと肝に銘じなければならない。
 
# by japanheart | 2013-12-13 08:51 | 活動記録 | Comments(0)
公休もらって国際医療へGO!

 先日、長崎県医療企業団とジャパンハートの間で正式にジャパンハートの海外医療サイトへの短期ボランティアが研修として認定された。

 長崎県医療企業団は、長崎県が主催する対馬や五島列島のなどの離島の病院および島原市や雲仙市などの公立病院を束ねる医療団のことだ。
 この地域の病院に半年以上、看護師や医師として勤務したものは、ジャパンハートの海外医療サイトでのボランティア活動が研修として認められ、正式に公休をとって活動に参加できることになった。有給や休みを取らなくてもいいわけだ。

 実は、対馬や五島はその病院が最終受け入れ先になることも多く、離島とはいえ比較的大きな病院が存在し、検査もほとんどそこで可能になっている。

 都会の看護師たちはぜひ、生涯一度は、1年、せめて半年は、僻地や離島での医療を体験してもらいたい。
 きっと、ジャパンハート看護師たちが声をそろえて言うように、本当に勉強になる素敵な時間になるはずだ。
 もちろん、給与もしっかり保障してくれる。しかも、海外医療にも参加できる。

 公立の機関が、勇気を持ってNGOと組み、人材確保に乗り出したことは特筆すべきことだ。
 そうしなければ、10年後は取り返しのつかないことになっているかもしれない。
 施設はあっても、結局は医療は人が行うものだから。人あってこその医療だ。

 企業団の理事長の先見の明と副企業長の努力はすばらしいと思う。
 裏で力を貸してくれた、佐世保区の政治家の人も知人で佐賀県のNGOーMIS代表の古賀氏にもこの場を借りて感謝したい。

 今後の僻地の医療の未来は、都市部の医療者をどう循環させるかにかかっている。
 おそらく、意気揚々と自ら都市部の医療者が僻地に乗り込んでいくことが当たり前になるにはあと20年くらいはかかるだろう。まだまだ、医療者は都市部に集中するだろう。
 まだ、時代はそこまでいっていない。
だから、何かしら魅力ある仕掛けを都市部の看護師たちに示しながら、僻地医療を支える流れを作らないといけない。

 田舎の医療は、信頼関係で成り立っている。
 都市部では、人間関係が機能的な関係になりがちだろう。

 都市部の医療に疲れたら、一度離島に行ってみるといい。
 きっともう一度、看護の魅力に気づくに違いない。

 そのときは、ジャパンハートにぜひ声をかけてもらいたい。
 信頼できる僻地離島の病院を紹介してあげることができる。

 来年あたり、ジャパンハート主催でツアーを組んで看護学生を大量に、離島医療体験でもさせるかな。

 海外医療パートナーシップ推進事業


# by japanheart | 2013-11-30 03:13 | 活動記録 | Comments(0)

憐れ、日本大企業

憐れ、日本大企業

今も、フィリピン台風の支援は続く。
昨日は200名の患者たちが押し寄せ、120名しかみれなかったそうだ。

東北の大震災のとき、ジャパンハートを支援してくれたのは誰だったか?

一般の日本人。
外国の企業。

今もジャパンハートを支援してくれているのは、ドイツのルフトハンザ航空であり、BMW、アメリカのインテルだ。
もちろん、同支社の日本人たちの尽力は大切な要素だ。

日本大企業は、全く、その気は無い。

ユニセフや日赤には、中身も確認せずに意気揚々と寄付をする。
JAlの機体には堂々と、ユニセフのロゴが刻まれる。

馬鹿な人たちだと相変わらす思うのだ。

中身もしっかり、確認せず、詳しくも知らず、ただ、それを何十年も続けている。
外国企業では、申請し中身をしっかり評価して、そしてお金が下りてくる。

そうしてもらったお金だ。

日本の大企業のこの前近代的なメンタリティーとあり方は何とかならないものか??

だから庶民の寄付が、無駄になる。

大企業群のこの偉そうな上から目線の、新しい力を無視したような、あるいは否定したような態度は、絶対に修正を迫るつもりだ。

このような大企業のあり方は、少なくとも日本の恥だと思う。

時代はすでに、次の段階に進んでいるのに。




# by japanheart | 2013-11-24 13:26 | 活動記録 | Comments(2)

大切な時間

大切な時間

昨日23時、まだ働いている理髪店があった。
どのくらいの時間を一日に働いたのだろうか?

若い頃、40時間以上は連続で少なくとも働くことが当たり前だった。
当直も、週4回した頃もあった。
寝ているのが、なんと電車などの乗り物を乗っている間だけという時期もあった。

でも幸せだった。

家族を持ち、子どもと過ごす。
それはそれで幸せな時間だと思う。
でも、そればっかりではいつか、子どもたちがうんざりくる。

お金だけのためでなく、無我夢中で働くことは、そんなに損なことか??
私はそうは思わない。

趣味を持てばいいという人もいるだろう。
でも、趣味は所詮、趣味だ。
本道ではない。

人生で一番長く時間を過ごす仕事。
この中で、自分に一番の生きがいの時を設定するするのは、道理にかなっている。
しかも、人生の中で、若くすばらしい時間を犠牲にしているとしたら。

理髪店の中で、働くと人を遠くから眺めながら、うらやましいと心から思った。
あんな風に、一生懸命に働かなくては、人生、損だと思った。

やればやるほど深みのある何かを求め続ける、そんな人生を歩みたいものだ。
一生、前を向いて進める。

仕事を馬鹿にしてはいけない。
なめてはいけない。

それこそ自分の人生を輝かせてくれるものだ。

時間を大切にするには、目の前にある仕事を大切にするということときわめて近似的な関係にある。




# by japanheart | 2013-11-18 10:20 | 基本 | Comments(2)
フィリピン台風被害緊急支援

 今回、フィリピンのレイテ島を中心に襲った台風被害に対して緊急支援を開始することになった。

 医師2名、看護師2名、ロジ1名の5名を第一陣で送り込む。
 今年開設した、タイのバンコク事務所を拠点に支援を行う。
 もちろん日本からも、スタッフが各地に向かう。
 
 私は本来、その国に拠点が無い場合は支援はしない方針だった。ジャパンハートはそういうスタンスだった。
 ミャンマー・日本・カンボジア・ラオスなどは事務局もあり、ロジがしっかりしているので、活動はすぐに軌道に乗るだろうし、やるべきこと、サポートすべきこともしっかり把握できるので、効果が上がりやすい。

 しかし、フィリピンにはそれがない。
 行き当たりばったりでは、何もできない。

 しかし、またもや支援をしたいと、海外のスタッフから連絡が入った。

 それであまり乗り気でなかった。
 医療者は何とでもなる。
 しかし,兵站をどすうるのか?

 これがもっとも大切だ。
 これが確保できるのか??
 
 まあ、しかし、ロジは、外部から精鋭を招き入れた。
 すでに現地でのさまざまな状況やネットワークを確保したらしい。
 それでようやく、私も不安ながら、GOサインをだすということになった。
 果たして上手くいくかどうかは不明だが、本日、先遣隊が出発する。

 ミャンマーの津波のときもそうだったが、若い人間が前に出るときに、私はあまり止めない事にしている。
 行けば、医療専門職ゆえ、邪魔になることはあるまい。
 しかし行くからには、どこの組織よりも、確実に成果を上げてほしいと願う。

 そういえば、ミャンマーのサイクロンそしてそれに続く津波のとき、日本政府の医療団は、かなり遅れて入ってきた。
 まあ、いつものことながら、遅すぎるということかな。

 私たちは海外での医療活動のために生きているから、せめてアジアで災害があったときは、真っ先に飛んでいって、被害者を救うことができれば有難い。

 まだまだ課題が多いが、組織も人間と同じ。
 経験を一つずつ積み重ねるしかない。

 とりあえず、今日、ジャパンハートは飛び発つ。
 


# by japanheart | 2013-11-13 01:56 | 活動記録 | Comments(3)

日本は変われるのか?

日本は変われるのか?


 最近、”いのちの授業”を小学校ではじめた。
 私には、これをしなければならない理由があるからだ。
 単に、子どもたちに私の人生を伝えるためではない。

 運命か?
 この授業がスタートした場所は、佐世保の公立小学校で、10~20%の生徒がアメリカ人の子どもだった。

 日本は1941年、戦争に突入した。第二次世界大戦、すなわち大東亜戦争(この名称はGHQによって禁止され、太平洋戦争と変えられる)。
 ミャンマーでは30万人の日本人が戦争に参加し、20万人程が亡くなった。
 日本全国で約300万人が亡くなったのだ。

 国内外で、日本人たちに求められたのは、生きて捕虜にならないという考えだった。
 中国という国際法という認識すら無かった人々を相手に戦っていたせいかもしれない。
 つかまって、串刺しにされたり、足を裂かれたりして殺された話は、たくさんあるから、自分で死んだほうがいいと思ったのかもしれない。
 
 ミャンマーでも、無謀な玉砕が繰り返される。
 刀で、イギリスの戦車隊に切り込む話は何度か現地の年寄りから聞いた。
 最後は、死ぬ。
 机上や希望的観測で無謀な作戦が立案され、そして飢えと病気で多く死に、戦闘で玉砕する。

 何で死なないといけなかったのか?
 といつも、考える。
 生きようとしたらだめだったのか?
 生きて、再起をかけ、もう一度、敵に挑んではいけなかったのか?
 戦争は、戦闘だけではない。
 多くの若者が生きていれば、きっと戦後もっと日本は早く復興したに違いない。
 次世代があれほど、生きる道を迷わずにすんだかもしれない。
 
 しかし、命令は、生きて帰るな!だった。
 命令を下した人たちは、早めに逃げ、そして責任も取らなかった。
 今でも、日本でもよくある光景だ。
 あれだけ、たくさんの若者を殺しておいて、職を辞したり、階級を下げる程度で済ませていいのだろうか?
 日本政府も、官僚も、どこかの電力会社も、同じじゃないか? 今でもきっと。

 何が間違っているんだろう?
 いや、何を日本はあの戦争から学び、何を変える必要があるのだろうか?
 
 それを私たちがしなければ、戦争で無くなった300万人は浮かばれない。
 ミャンマーの大地に無くならなければならなかった20万人の慟哭が聞こえる。

 私はミャンマーで使命を背負った。
 いのちや一人ひとりの人生の大切さを、亡くなった20万人から受け取りそれを日本に伝え、そしてその文化を創っていくという。
 だから、はじめた”いのちの授業”なのだ。

 日本人には、あなたの人生やいのちは大切だから、いのちは粗末にするな、何が何でも生き延びよと、教えなければならない。

 
 私は、今、日本政府と交渉している。
 ミャンマーの心臓病の子どもを救うための交渉を。
 100人の1人の子どもが、心臓病で生まれ、そのほとんどが幼くして死んでいく。
 子どもの心臓外科医が一人もいないからだ。
 
 しかし、厳しそうだ。
 彼らは言う。
 命に直接かかわる場合、もし患者が死亡すれば、国と国との問題になると。
 
 しかし、私は言いたい。
 そんな問題にならない!と。
 なぜならば、この子達は、手術をしなければどうせ死んでしまうからだ。
 どうせならば、治療を受けれて死んだほうがまだましだ。

 海外の人々の命を助けることは、日本人の命を助けることにつながるのだ。
 なぜならば、こういう活動を通じて、私たちは命というものはかけがえなのないものだという文化や概念を、自らの国の中に創っていくことができるからだ。
 そしてそれはやがて、戦争や災害のような危急のときに大いに発揮され、それにしたがって人々は行動するようになる。
 だから、いのちを救う作業は、日本人のためにやっている作業でもあるのだ。
 その日本人とは、自分たちよりもむしろ私たちの子孫のことだ。

 また、上の人間がそれをできないと言ってのけるのならば、この国はやはり、あの戦争からもっとも大切なことを学んでいないということだ。
 悲しい国だ。
 まだ、学んでいない。

 でも、私は、せめて私だけでも、それをやりたいと思う。
 あの戦争でなくなった300万人の人に、申し訳ないから。
 あの世に行ったときに、顔向けができない。

 講演会のときに小学生たちにこう言ったんだ。
 首相に手紙を書いて!
 私の話は届かないかもしれないが、君たちの手紙ならば届くかもしれないからと。

 なぜならば、君たちは私たちの”未来そのもの”なんだ。
 だれでも”未来”からのメッセージには耳を傾ける。
 
 未来からのメッセージを政治家や役人が無視したら、もうこの国は終わりだと思う。

 

 

# by japanheart | 2013-11-09 01:36 | いのちの重み | Comments(1)