男と女の関係で考察する
ジャパンハートは若い男女が多く参加するせいか、おめでたい話も多く影ではジャパンハートのことを、
”出会い系NPO”とありがたくない名称で呼ぶ人たちもいる。
今日はそんなダイレクトな男女関係のハナシではなく、仕事あるいは就職と自分との関係を男女関係にたとえると分かりやすいので考えてみたい。
最近、ジャパンハートが事務局スタッフを募集するに当たりたくさんの人たちの応募をいただいて面接を繰り返しているのだが、正式採用する前に3ヶ月アルバイト期間というか試験期間をおいている。
ジャパンハートという男性に、あなたという女性がアプローチしていると想像すると分かりやすい。
その時、面接のときに、たとえばある人がこう言ったとする。
「保険等の補償をしっかりしてもらえないならば御社に勤めるのはちょっと、、、。」
当然、就職を希望するというのは相手(この場合、ジャパンハート)に惚れていることが前提になっていると考えたい。
あるいはお見合いでもいいのだが。
この場合、男女関係に喩えると、こういう台詞に変わる。
「ご飯をおごってくれるならば、一緒に時間を過ごしますけど、、、、。」
もしあなたが本気で相手に惚れていたら、あなたはご飯をおごってくれないといって、デートに行かないだろうか?
本当にその男性をものにするためには、自らおごってでもデートに持ち込みたいと思わないだろうか?
それほどの仕事でなければ、あるいは職場でなければ、今時のNGOなどの職場(一般の会社に比べて待遇が悪いことが多い)に転職してくる魅力などあるのだろうか?
あるときジャパンハート側からこう切り出す。
「では、アルバイトで3ヶ月様子を見ましょう。お互いに、相性が合うか確かめれるので」
と言ったとしよう。
これに対して、あまりいい顔をしない人もいる。
これは男女関係で言うと。
「では、まずは友達からスタートでお願いします。」ということだ。
これに対して、いい顔をしないのは、個人的には、えー!友達からじゃダメなの!!と驚いている。
いきなり、初対面で恋人になろうとするのは、少しきついと思うのだが。
先日は、かなりの待遇の現在の職場を辞職する覚悟で面接を受けにきたある人が、帰り際に一言こういったのだ。
「返事をずっと待っています。」
これを男女関係に喩えると、
「あなたがその気になってくれるまで、いつまでも待っているから!」になる。
人も組織も構成する人間が日々を織り成すゆえ、そのあり方はそう変わるものではない。
今の日本や先進国が行っている保証は、個人の権利の名の下に、ある場面ではあまりに手厚すぎ、ある場面ではあまりに手薄すぎるようになっている。
企業は、本当に企業のためにやってくれている人間はもっと大切にしなければならないし、そうでない人間はそうする必要はないと思う。
しかしながら、法律はそのように運営されていない。
本当に成果を出しがんばっている人間も、サボりまくって遊んで給与だけもらうために働いている人間も、一個人として同等に扱う。これでいいのかな??
能力の低い人を切り捨てる社会は間違っていると思うが、能力が高い人を、そうでない人と同等にしか扱えない社会も違っている。
何も保証のない中でこの活動を始めた、というかそういうことすら考えたこともなかった。今までずっと給料もなしでやってきて、それが当たり前で、また生きがいでもありの日々だから。
現地に来る医療者の多くも、無償どころか、自分で費用一切合財負担してきている人たちに囲まれて朝から晩まで働いていると、まず、給料はどのくらいもらえるのか?保障はどうなっているのか?と当たり前のことだけど、いきなり言われると、何となく腑に落ちない感じがするのだ。
人間生きていかなくてはならないし、家族もいるから仕方ない。
仕方ないけど、、、、なんだ。
いい待遇を期待する人は、日本のNGOでは就職はまだ少し時期が早いかもしれない。
今は精神的な生きがいとか、人の役にたちたいとか、将来の経験をためたいとか、そういう金銭的な欲求と少し違うものを求めに来る場所かもしれない。
あと10年もしたら、そういう人たちの金銭的・安定保障な欲求にも応えられるようになっているかもしれない。