特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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口唇裂という病気

口唇裂という病気―その3
     口唇裂という病気ーその2の女の子の術後7日目
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(写真は口唇裂の手術抜糸直後の子供たちです)
今日は口唇裂の3回目ですが、この手術を含め、私がなぜこの国で手術を行うようになったかをお話します。今から10年前、初めてこの国に来た頃、私は手術は行っていませんでした。それはとても手術を行えるような環境が少なくとも私には与えられていなかったからです。私に与えられていたものは現地の家屋と数人のスタッフのみでした。私以外に医療の専門家もいませんでした。西洋医学を学んできた私には少なくとも薄汚れた家屋の一角で手術をすることなど到底、思うべくもないことでした。しかし、次から次へと見るからに悲しみを誘わずには居れないような人々が手術という治療を求めて、私の前に毎日のように現れました。しかし、私にはその現実を受け入れる覚悟もなく、日本の医学の常識に固執していました。日々患者は治療を求めて押し寄せます。ある時私はスタッフ達にこう聞きました。「ここに手術を求めやって来る患者達を今のように私が手術をしないで帰していても、彼らは10年後、いや20、30年後でもいい、手術を何処かで受けることが出来るだろうか?」と。スタッフ達の答えは決まっていました。「多分生涯、治療を受けれる可能性が低いと思います。ここで受けるチャンスを逃せば。」というものでした。私は現実から逃げていただけなんだということは、自分がよく知っていました。この場に及んで私は遂に日本の常識、日本の医療の範疇を捨て去る決心をし、止むに止まれず手術を始め今日に至ります。この気持ちは現在も変わりません。私の変わりに誰かもっと良い医師や看護師がここに来て彼らを見てやってくれよと思っているのです。今もそしてこれからも私は、止むに止まれずここでこうしています。
# by japanheart | 2005-08-21 17:45 | 病と人間 | Comments(2)

口唇裂という病気

口唇裂という病気ー2
昨日に続いて口唇裂につぃてです。私の専門は小児外科です。日本では通常、口唇裂の手術は小児外科ではなく、形成外科、ときに口腔外科の専門医達が行っています。そのため、その専門医師でない私がやるよりは、もっとそれの経験を積んだ専門医がやるべきだという意見が時にあります。私は今まで同年代の医師よりも多くの手術をおそらくやってきたのだと思います。ですから普通の医師たちのように1例でも多くの手術をこなしたいという欲求も今はありません。この手術は私のためでは微塵もなく、もやむにやまれずやっているのです。また、私はどうすればより多くの医師たちがこのような子供たちを助けるために動いてくれるのだろうか。どうすれば次の世代の医師たちが少しでもレベルアップし日本にも良い影響を及ぼしてくれるのかと考えています。
 いつも私は思うのです。多少横柄に聞こえても、私の本音は、次のようなものです。私のやり方が気に入らない人は、私の代わりにここへ来て、ここに日々住み、彼らのためにやってくれればいいのだと。私は喜んで、手術を彼らに任し、そして別の子供たちの為に、そのエネルギーを費やせるのだから。
 医療は決してその社会を離れて存在しえません。日本には日本に見合った医療があり、ミャンマーにはミャンマーにあった医療がある。その求められるレベルは自ずとちがうのだということです。
日本の発想、日本の考えのみを持ち込んでやるのには私は反対なのです。e0046467_4151396.jpg
# by japanheart | 2005-08-20 18:55 | 医者の本音 | Comments(0)

口唇裂とういう病気

口唇裂という病気ーその1
 
口唇裂という病気は、どこの国にもあります。例えば、日本では生後1月暗いから手術を行っています。日本ではこの病気の人を一般には今では見かける事がなくなったのは、既に人の目に触れる頃には手術を完了しているからです。日本の子供たちは日本という国の保健制度に守られているといつも思います。しかし、途上国ではそうではないことが多いのです。手術を受けるためのお金がないために。或いは手術を行える人が少ないためにそのまま一生を終えることもあります。私の前に現れる子供たちの多くがこのような子供です。彼らはその顔の奇形から隠れるように村に住んでいます。そして成人した後、結婚できる事もまれです。
このような子が手術に現れたその日、下を向き、何も話さず、暗かったその子が、手術を終え、退院する時にはとても明るく笑顔を絶やさない、はきはきした子になっています。このギャップこそ、実は健気にも幼きこの子が受けてきた苦しみだったのだと悟るのです。
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# by japanheart | 2005-08-19 03:27 | 病と人間 | Comments(0)

過去は変えられる!

ミャンマーでの8月15日の意味
私がミャンマーでの医療に関わりを持ってから既に10年が経ちました。
この国にいて今も私の胸にあるのは、この大地には20万人以上の日本人が眠っている、という想いです。草生す屍、という言葉があります。今はそこにもう屍は存在しませんが、多くの日本人の手によって建立された、慰霊碑がそこにはあります。しかし、、、、。その慰霊碑も今では訪れる人も減り、あるものは崩れ、その多くは草生す碑、としてそこに存在します。その姿は、まるで今の日本人のあの戦争や多くの犠牲者に対する記憶をはじめ、様々な心の形の表れのような気が致します。
あの戦争から60年目の今日、このビルマの大地に立った時、私の心には1つの思いの言葉が木霊します。
「過去は変えられるのだ。私達の手によって。」
 未来はまだ私たちの手にはない。しかし、今を変えることによって、過去に生きた人々の、その存在の意味を変えることはできる。それは、過去を変えることに他ならないのだ、ということです。
あの多くの人々の犠牲を単なる、死に終わらせることなく、意味あるものにしなければならないのは、子孫である私達の使命なのだと。私達には彼らの死を、負から正に昇華させることこができるのだと。そのためには、あの戦争から私達は、ごくごく当たり前の事実を学び取り、それを実践していけばいいのだと。
それは、「人の人生は、それぞれに尊い」のだ。
という事を知ること。そして、それを日々の人生の中で実践し、人を大切にし、人の存在の意味を認め、ともに理解しあいながら暮らしていく努力をする、という単純な事だと思います。
かつて、進め、進め、玉砕しろ。あるいは国の為に死ねと、言われた人々には皆、それぞれの人生があり、それは全て尊いもので、決して誰も他人にないがしろにされてはいけないものだったのだ、ということを学び、私達が他人の人生を自分の人生のごとく大切にしていく事が、多くの戦争でなくなられた人に対する最大の慰霊になるのではないかと思うのです。
 戦後60年目のこの日、8月15日に、多くの英霊が眠る、ビルマにいて、そのことを感じ、草生す碑の前で静かに頭を垂れるのです。
写真の塔の周りには亡くなられた無数の日本の人々の名前が刻まれています。

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# by japanheart | 2005-08-15 14:22 | なぜミャンマーか | Comments(0)
今、私がいる場所、ミャンマー中部サガイン。ここは60年前第二次世界大戦の時に、日本人達が住んだ町です。イギリスと戦い、多くの傷ついた日本人達がこの地のビルマ人達に助けられました。この町サガインはあれから60年、その姿を殆ど変えることなくそこにあります。
昔のままの町、川、人々、、、、。タイムスリップしたような場所です。
この地で私は、日々、医療をしています。
写真はこのサガインの高台から撮った町の風景です。
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# by japanheart | 2005-08-11 18:51 | 戦争
1995年以来、もうどれくらいの子供たちをはじめ多くのミャンマーに生きる人たちの治療に関わってきたでしょうか。これから今も続く日々、まさに私にとっては戦いのような日々を綴っていきたいと思います。
 多くの農業を生計とする人々のその日々の生活収入は20円から40円、盲腸の手術代が10000円以上という、保険という後ろ盾がない世界のなかで、日本人の医師や看護師たちに一体、何が出来るのか、或いはごく普通の日本人が出来る事はなんなのか?ということをともに考えて生きたいと思います。
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# by japanheart | 2005-08-10 17:42 | はじめに | Comments(1)