特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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日本の知恵

神社にいくと子どものころは「何を拝んでいるのだろか?」と思っていた。
仏教のイメージも相まって仏像の様なものが置いてあるのだろうと何となく想像していた。

神社は不思議なもので、石を奉っているところもあるし、刀を奉っているところもある。
しかし一番多いのは鏡なのだろう。
何故、鏡を奉っているのか?
しばらく意味が分からなかった。
昔は鏡というものが高価なもので、なかなか手に入れることが困難な宝物だったからかもしれないな、などと考えていた。

でも最近は人生少しばかり長く過ごしてきたこともあってか、なるほどそういうことね!と分かるようになってきた。
最近不思議と人生の様々な事柄の意味を言語化できるようになり、言語化できるようになると更に深くその意味を理解できるようになってきているような気がする。

人間は元々、宇宙に存在している意識体みたいなものだ。宇宙は本当は真っ暗闇だから私には私のことが全く分からない。
ただ、「我思う、ゆえに我あり」で、考えている自分がいるのだから、自分は存在していることだけは理解している。
しかし、どんな手足を持ち、どんな容姿で、綺麗なのか醜いのか、そもそも肉体を持っているのかすら分からない。
本来は。

しかし、宇宙には星がある。星の光が存在する。
その光が私を照らす。真っ暗闇の中に映し出された私の手足。私の皮膚。
私は自分が肉体を持っている存在であることを知る。


私たち人間には光が必要なのだ。光がなければ私たちは自分のことが何もわからない。

私たちにとっての光は、自分を取り巻く世の中のことだ。
自分の周りにいる人々のことであり、この世界全てのことだ。

私たちは人と交わり様々な感情を抱く。交わった時に初めて自分がそういう感情を持っていると知ることになる。
どんな感情が私の中にあるのか自分では全く分からない。
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人を好きになって初めて自分にそういう感情が内在されていたことを知る。
世の中は私の全てを映し出す鏡なのだ。
鏡がなければ自分の顔を見ることができないように、世の中に映し出さなければ私たちは自分の何も知ることはできない。

神社にある鏡はそのことを私たちに教えている。

そして、もう一つ大切な意味がある。

私たちが世の中に当てて自覚したその全てのものは元々、私たちの中に内在されていたものなのだ。
人を愛おしむ感情も醜い感情も、全て。

多分、私たちは私たちに必要なものは全てはじめから持っている。
更に言えば、自分に元々内在されていないものはどんなに望んでも手に入らない。

人は何かを外から付けると思っているが、それは誤解だと思う。
外から能力は付かない。
自分に元々内在されていた能力が開花しただけなのだ。

何か努力する。
勉強でも、スポーツでも、何でもいい。
それは刺激であって、その結果として自分の中にあるものが目覚めているに過ぎない。

数学が解けるのも、100mを9秒台で走れるのも、全部その人の中に生まれた時から内在されていたものなのだ。
内在されていないものはどんなに努力しても、望んでも達成されない。
人間が空を自分で飛べないように。

何かを欲して私たちの多くは神社に行きそこで手を合わせる。
そこにあるのは、鏡。
そこに映し出されているのは、おそらく手を合わせる自分自身。
多くの神社は自分で自分を拝む場所なのだ。
だから、願いごとをしているのは、実は自分自身にお願いをしていることになる。
日本人は遠い昔からそのことを理解していたのだろう。
自分を拝み、自分にお願いすることが最も効果のある力を生み出すこと。

そこに鎮座するその神様たちはそれを多分、静かに見て笑っている。

そういう場所が神社なのだと思う。


人や組織に頼ってはいけない。頼るのは自分自身なのだ!といにしえの昔から教えてくれている日本の知恵なのだ。

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# by japanheart | 2019-09-29 05:17 | 基本
 生き方の重心を意識する


人間には、我々が感知・感得できるおおよそ全てのものが内在されている。

 瞑想はその内在されているのもを感知・感得する作業かもしれない。
人は感知・感得できないものをそもそも認知できないし、脳はそれをスルーしてあたかもその人の人生にはその事柄は存在しなかったかのごとく振る舞うだろう。
その人の能力を開発するとは、外界の刺激や触媒を利用して、その人に内在している可能性を発現させていくことに他ならない。

特に私が最近、危惧していることがある。

自分自身にとっても社会にとっても、良い能力ならばどんどん開花させればいいようなものだが、世の中はどうもそんなに簡単ではないらしい。

世の中に大いなる恵みをもたらすものは、同時に大きな災いをもたらす可能性がある。
そして厄介なことにそれは宿命的なものなのだ。
何かを成すことができるというのは、ある性質のエネルギーを手に入れた(開花させた)ということだが、そのエネルギーの発現の方向性の違いによって、私の場合でいうと命の尊厳を守れたり、命を傷つけたりという結果をもたらしているだけなのだ。

もっとかみ砕いた例を挙げると、人の命を救うことができる医療技術は人を殺すことも、助けることもどちらもできるということで、単にその目的によって結果が変わるが、その本質は同じで、それを操る者はそのレベル(エネルギー)の可能性を開発させているということなのだと思う。

 だからこそ1番大切なことは、どこに重心を置いた生き方をしているか? ということなのだと思う。

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私は時にとても他人に寛容になれるが、時に同程度に酷く他人に怒りを覚えて責める事がある。
私は人の命を大切にしてとても敏感に対応するが、自分に危害を加えようとする人間や動物や昆虫には全く無慈悲に対応し、血を吸いに来る蚊は叩き潰し、その命を平気で奪っても何ら良心の呵責には苛まれない。

私は自分の好む臭いにはとても心地よさを感じるが、苦手な臭いの場所には全く近づきたくない。
これが私なのだ。

そしてこれは私だけではない。
人間はこんなものだ。

日米戦争で日本への原爆投下を計画して、毎日の様に多くの都市を爆撃し一般人の婦女子を殺しまくる指示を出していたアメリカ大統領のルーズベルトは、飼っている犬をとても可愛がって大切にしていた。彼にとっては人間の命よりも近くにいるその犬の方が、何倍も大切で尊いものだった。彼にとって日本人の命など、虫けら以下にしか感じなかったのだ。
ルーズベルトだけでない。

人間はこんなものだ。

自分の成果は誇り褒められたいくせに、他人の成果は否定し、足を引っ張る。
自分と同じ意見は過剰に評価するくせに、違う意見は叩き潰そうとする。

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人間、自己の可能性を開発するということは、実は大きなリスクを伴っているゆえに、自己のコントロールを上手く効かせなければならない。
その可能性を大きく手に入れれば入れる程に、逆の形で世の中に発現させてしまうと大変なことになる。

だからこそ先ほど述べた生き方の重心が大切なのだ。

 能力を開発した者は、してしまった者は、必ず意識して重心を世の中の為になる方向にもっていかねばならない。
なぜなら、自分が出したそのエネルギーの反作用を自分が受けることになるだろうから。
 そのエネルギーを外部に放出したくない場合、残念ながら方法は一つしかない。自分のエネルギーレベルを全体的に下げること。その代わり、全体的にエネルギーレベルを落とすと生きる力が弱まる
結果、気力が萎え、精気を失っていく。
水はやり過ぎても、やらなさ過ぎても植物は枯れてしまう。
人間も同じ。
自分の中にエネルギーを溜めすぎれば、人も腐ってしまう。

だから、外にエネルギーを循環させねばならない。
世の中の為に何かを成すのは自分の為でもある。
開花させた能力を世の中の為に使うのは、自分の為でもあるのだ。
そういう重心に日常を置いておく意識を常にもっておかなけばいけないのだと考えている。
とにかく、常に。
緩めば重心は知らぬ間に移動しているから。

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# by japanheart | 2019-08-12 04:51 | 医者の本音

赤い風船

赤い風船


そう遠くない昔、日本の子どもたちは本当にたくさん亡くなっていた。
昭和の戦前は日本人の平均寿命は45歳程度。
これは5歳以下の子ども達がかなり死んでいたということを意味する。

日本で1番大きな医療グループ徳洲会の創設者である徳田虎雄は奄美群島の徳之島で育った。
三番目の幼い弟がひどい下痢と嘔吐を起こしたため、虎雄は医者を呼びに行き懇願したが、一人目の医者は貧乏な農家には来てくれず、二人目の医者はようやく翌日昼過ぎにやってきた。その頃、弟は既に亡くなっていた。
この弟の死が、彼に狂気を与えたのだ。
そして、それが原体験となり日本中に病院を作っていく。

童謡に『シャボン玉』という歌がある。

 シャボン玉飛んだ  屋根まで飛んだ
 屋根まで飛んで  こわれて消えた
 風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ

 シャボン玉消えた 飛ばずに消えた
 生まれてすぐに こわれて消えた
 風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ

これを作詞した野口雨情は長女みどりを生まれてすぐに亡くしている。この歌には、はかなく散った娘への切ない想いが込められているといわれている。

日本では多くの親や家族が本当に耐えがたい悲しみを背負ってきたのだ。

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最近、YouTubeを見てたら、偶然にも私が子どもの頃に流行った懐かしい歌を発見して聴いてみた。聴いてみたら、なぜだかその歌に引き込まれ、ここ数日何度も何度もその歌を聴き、口ずさむようになった。
そして、これは偶然ではない! ということにようやく気づいた。
過去から未来へ時間が振れる。

その歌のタイトルは
  『赤い風船』

歌詞は

 あの娘はどこの娘 こんな夕暮れ
 しっかりにぎりしめた赤い風船よ
 なぜだかこの手をするりと抜けた
 小さな夢がしぼむ どこか遠い空
 そんなとき 誰かがほら
 もうじきあの あの人が来てくれる
 きっとまた 小さな夢もって


これは本当に、途上国の子ども達の事を歌っている歌だと思った。
”赤い風船”は子どもの命
”あの人”とはあなたのことだ!
あなたのことなんだ!

この歌を最近、毎日口ずさむ。
一人、一人と、私のもとに”あの人”が集い、そしてあの娘たちの赤い風船をつかみ取ってくれる人が現れることを願って。

私一人では、するりと抜けた赤い風船はどこかの遠い空に消えてしまう。
だから、あなたが医療者ならばあなたの技術や知識を貸してほしい。
あなたが学生や社会人ならば、あなたの時間や労力やネットワークを貸してほしい。
あなたが起業家ならば、あなたの持っている社会変革力の一部を分けてほしい。
あなたが普通の主婦ならば、あなたの周りの人に私たちのことを伝えてほしい。
あなたがまだ若い中学生や高校生ならば、必ず将来、私と共に働くのだと誓ってほしい。


私は必ず待っているから。

 あの娘はどこの娘 こんな夕暮れ
 しっかりにぎりしめた赤い風船よ
 なぜだかこの手をするりと抜けた
 小さな夢がしぼむ どこか遠い空
 そんなとき 誰かがほら
 もうじきあの あの人が来てくれる
 きっとまた 小さな夢もって

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# by japanheart | 2019-07-18 02:10 | 子どものこと

境界線を壊す

私のミッションは
 既存の境界線を消すことがその役割
国境! 人種! 宗教! 人が作った様々な制約! 貧富の格差による運命!

と、ふと、言葉が脳裏に浮かんできた。

多くの日本人の親は子どもを否定的に育てるのが当たり前だった。貧しい時代や生活するのが大変な国々ではそういう考えが一般的になってしまう。そうしなければ生きていけない、社会全体で協力し合わなければ生活基盤が維持できないそういう国々では、子どもたちは否定的に育てられる。
それは現実を知る大人たちの人生そのものの投影だったのだろう。
大志を抱けと子どもに教えたところで、大人達はろくな助けなどできはしなかったのだから。
誰もが肩を寄せ合い協力しながらやってきた。人類のそういう時間が如何に長かったことか。
かつての日本のように、あるいは中国やロシアのような食糧すら十分供給できなかった国々は大人達の可能性も子どもたちの可能性も多くは否定されながら育てられたのだ。

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アメリカで自己啓発や肯定的な指導が盛んになったのは当たり前なのだと思う。アメリカは、この70年位の長い間、どこの国々よりも豊かで食べる事には不自由しなかった。そういう人々だから子ども達の可能性も否定せずにやれたのだと思う。もちろん、大人達も自らの可能性も肯定的に捉えられたのだと。


でも、
しかし、
時代は変わったのだ。

もう日本人達は十分豊かになって40年位は経っているんだろう?
変わったのに、相変わらず昔の貧しかった時代の子育てや他人への評価をしているのではないのか?
限られた環境や条件のなかで最高の成果を目指し人間の能力を作り上げていくという、日本の得意とするあり方は、既にこの時代にはミスマッチしている。

理由は二つ。
一つはイノベーションのスピードが人の能力アップのスピードを超えている。そして、もう一つは世界は狭い日本だけで動いてるわけではなくなり、何十億もの人々が連動して動く時代となり、限られた環境や条件の範囲が既に何十倍にも広がっているから。

 なのに、日本人は相変わらず昔のままの、貧しかった長い歴史の考え方や文化が人々のあり方に幅を効かせている。
 学校教育や職場環境、女性の地位や労働、あるいは少子化の問題でさえ同じように古い考えが人々の意識のベースにあり、それが人々の人生を、そしてこの日本という国を弱めていってると思う。

 子どもが電車やバスの中で泣いているだけで腹を立てている大人達がいる国に未来などあるわけがない。
 未婚の子どもを持つことが罪の意識を呼び起こす国に少子化など止めれるわけはない。
 どこの利権か不明だが、高齢者に大量の医療費を注ぎ込み、若い人々の教育を無償化できない国に未来はあるのだろうか?

 自分の人生を振り返り、そして自分の成してきた事を振り返ったとき、私は何をしてきたのか?何をしていきたいのか、本当は?
自問自答してみた。

そしたら、

私のミッションは
      既存の境界線を消すことがその役割

と脳が答えてきた。
 
医療の世界はまだまだ、貧しい国では酷いものだ。
 子どもが簡単に死んでしまう。
 そんなに簡単に殺すならば、国家や免許の壁を取っ払ってくれればもっと人々は助かるのに、と思う。
 なんで医療技術の低い医療者に、その国の人間だからいう理由だけで診てもらわなければならないのか?
 世の中にはもっと良い医療者が、たとえ国籍が違っても、安い値段で医療を提供してくれるかも知れないのに。
 国家という仕組みが人々を不幸にしている。
情報や食糧や物品は簡単に国境を跨ぐのに、なぜ、医療はこんなにも制約が多いのだろう?

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 日本政府もどこの国々も似たり寄ったりだが、その国の製品を売るために予算を付け、補助金を付け、企業を後押しして海外に出ていく。
 物が溢れる時代に、メイド イン ジャパンだと誇らしげにそのようなことをしても、もう尊敬や信頼はかつてのようには獲得できないと何故、分からないのだろう?
 これから未来のホントの国益はどのようなものになるのだろうか?
物を売ったり、ODAで中国の数分の1程度の予算を付けることがホントに国益になるのだろうか?
 
 医療が必要な貧しい人々を無償で20年救い続ける事は、日本の為になっていないのか?
 ミャンマーで死んでいく子ども達のために、生体肝移植や心臓病の治療や技術移転をしていることは、日本の為になっていないのか?
 カンボジアで酷い生存率だった小児がんの治療を日本で最高の医療チームがいま、行っている事は日本の為になっていないのか?

 日本の役人達は、NGOを低く見ている人間が多い。

ホントに私たちが正しいと信じる事など認めもしないし、そのように柔軟性を持たせる事もしない。ただ、自分達のルールに合わせなければ何も認めない。
だから、政府からの予算など制約が多過ぎてもらってられない。
個性など潰されるか封印されてしまう。
何のためにそれぞれのNGOがあるのかも意味をなさなくなってしまう。
政府が”これからは多様性が必要なのだ”とうそぶいても、やってることは中央集権の画一的なやり方のままだ。
NGOなど対等だとは思ってないのだろう。
政府は国民から税金でお金を集め、それを再分配するのが役目だが、そこに制約が多く付けられバイアスが大きくかかるのは、ホントに国民の希望通りなのか?
私が考える”国民に対する正義”は、より素晴らしい活動に税金を投下することだと思うけど。

どんなに立派な活動をしていてもまあ、日本政府から声をかけてくることはない。
それは不公平になるという理屈なのだと思うけど。
だから、いつもこちらから申請することになる。そうなると評価するのは向こうで、評価されるのはこちらになる。で、結果的に上下関係ができ上がるという悪循環だ。NGO関係者がペコペコしてる姿を見るのは悲しい気持ちになる。

だから、苦しくて大変でも自分でお金を集めるしかないのだ。

けれど、私は諦めない。
なぜなら、
私のミッションは
      既存の境界線を消すこと
だから。
 
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たとえ苦しくても、政府が税金を再分配してくれなくても、この世界にある既存の境界線によって起こっている様々な障害や不公正をなくしてやろうと決意している。
貧しいから質の悪い医療しか受けられないという常識を壊してやろう。
メイド イン ジャパンは物の質だという常識を壊して、「メイド イン ジャパンとは無形の日本人達の高い精神性」を指す言葉に変えてやろう!


多くの人々がここに集ってくれることを願う。

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# by japanheart | 2019-07-08 00:28 | 活動記録

大阪 講演会のお知らせ

大阪 講演会のお知らせ

6月5日 大阪で講演会を行います。
普段は企業や学校法人など、とてもクローズな場で話すことがほとんどの為、一般の学生や社会人には話をする機会をなかなか持てないのが心残り。

何とひょんなことから知り合いになった占い師のTeraさん(この人凄いらしい)が講演会を企画してくれました。
 占いなどほとんど信じない私ですが何故かこの人の言うことは良く聞くようにしてます。多くの人にはそれが意外らしい。
 でも、少しイケてる人は占いを信じるらしい。
さらに凄い人間は占いを利用するらしい。
ということで、私は占いを利用してさらに凄い人間であろうと企んでいるということもある。

関西の人にはなかなか話をする機会がないので、少しお金はいるけど是非、お越し願えればと思います。
 いい映画一本観たくらいの価値ある話はするつもりですから。
では、是非、大阪で会いましょう!


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場所は大阪のBIGCAT


開催日2019年06月05日(水)
時間18:00開場 18:30開演
会場心斎橋 BIGCAT
アクセス〒542-0086 大阪市中央区西心斎橋1-6-14 BIG STEP 4階
参加費前売り券3,000円 当日券3,500円 (税込み/自由席/入場時ドリンク代別途600円)
プログラム18:30~20:30 吉岡秀人 講演会
20:30~21:30 インタビュアーとの対談(来場者からの質疑応答含む)
※時間、内容は予告なく変更となる場合がございます。ご了承ください。
チケット販売場所

チケットぴあ(Pコード:641-656)
ローソンチケット(Lコード:54563)
e+(https://eplus.jp/sf/detail/2844430001


# by japanheart | 2019-05-27 07:20 | 講演会