特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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いい出会いを求めて

いい出会いを求めて

 いい出会いを幾つになって求めたい。
 年老いて、周りに同じ年齢以上の者たちしかいない人生はどうなんだろう?
 
 若い人々に囲まれ、求められ、指導する。
 長生きするのもいいが、ただ生きればいいというものでもない。
 どこかである医療団体のトップが、東南アジアに来て日本の医療を見習えと言わんばかりに、
 世界最長寿の日本を支える医療のような題名で講演をしていたが、それってどうなのかと思う。

 日本は年寄りの生きやすい社会かな?
 肉体だけ生きながらえても仕方ないと多くの人は思っているはずで、生きがいとか、幸せであるとか、そういう感情とともに存在していたいと思う。
 
 かつて書いた例で、スウエーデンの年寄りは、衣食住を社会のシステムとしてやってもらって後年を施設で生きることができる。まあ、生命を維持するにはいい境遇を手に入れれる。
 一方、バングラディシュの年寄りは、衣食住の保障は社会はしてはくれない。しかし、忙しい。何せ、冠婚葬祭、もめごとの類まで、若い人たちが相談に来るからだ。

 ミャンマーの年よりも、ある意味、そういう世界観の中にいる。
 年取って農業や孫の世話に忙しい。
 そしてぽっくり死ぬことが多い。

 日本人は核家族ゆえに、身内の若い世代は年をとっても周りにいないことが多い。
 だとすれば他人の若者たちに身近にいてもらうしか、方法がない。

 どうすればいいのか?
 結論から言うと、若い人が求めるものがなければならない。
 バングラディシュの年寄りのように。
 でなければ、あなたの晩年はあなたより皺がよった人々の中で過ごすことになる。

 若い人が求めるもの。
 それがお金などの物質であっては、無いよりはましだが、あなたの心の充足は低くなる。
 そこで、ものではなく、それをあなたの中に造っていかねばならない。
 それこそ地道に時間をかけてつくる必要がある。
 形無きものは、造るのに時間がかかるのだ。
 だから、若い時代にそれを造り始めないといけない。
 あなたが将来、あなたがあなたの周りにいて欲しいと求めているような若者たちと同じ位の年から、それを造り始めなければ間に合わないという、人生の皮肉がある。

 それぞれの特性、個性に見合った魅力あるものをつくらねば。
 
 若いときしかできないこととは何なのだろう?
 年取ってからでも、できることは何だろう?
 今一度、詮索したし。
 

# by japanheart | 2014-03-27 02:43 | 基本

不完全さを刻む

不完全さを刻む

 残念ながら、私の人生の記憶は失敗ばかりに彩られている。
 幼い時に食べたものの記憶ですら、ジンマシンを起こしたものや無理やり食べさせられたものの記憶が一番強烈にある。
 
 本気で望んで、失敗したときの記憶ほど消しがたいものはない。
 多分、死ぬまで思い出すことだろう。

 私の前で死んでいった多くの子どもたちを思い出すたびに、いつも、”私もいつか死ぬから”と言い訳のようにつぶやいてしまう。
 全ての子どもを助けれるなんて思うのは傲慢すぎると分かってはいるが、神の力を持ちたいと思ってしまう。
 全ての子どもが死なない世界がその後どうなるか?
 知らぬ身のわがままかも知れない。

 どんなに富を蓄えても、どんなに権力を欲しいままにしても、どうせ死は訪れる。
 世界で一番の権力者になったものは、どのような心境で死を迎えるであろうか?
 それを想像したとき、お前も私も何も変わらないじゃないかと、少しいい気分になる。

 脳のしわと頭の良さは全く関係ないと思うが、人生のしわと人生の豊かさは確実に関係する。
 しわは深いほど、豊かさは増す。
 
 豊かさというのは、いい実感というのとは異なる。
 豊かさは、強いて言えば、密度のことだ。
 死ぬときの木の走馬灯が、あっという間に終わっては、モッタイナイ。
 密度を増すには、失敗の体験が成功の体験よりも重要な役割を果たす。
 とにかく、失敗の体験が、記憶に深く留まる。

 成功したいと、一生懸命がんばるとき、人は力が入ってしまう。

 必死の失敗経験を、このあたりでしてみようと、ことに望むとき、どのくらい力が入るだろうか?

 必死の失敗体験。
 これを行うためには、自分の実力以上のことに望むほうがいい。
 とにかく、ちょっと背伸びした挑戦を3回に1度くらいはしたほうがいい。
 
 失敗しても、死ぬときの走馬灯の映像スクラップへのアップロードだと割り切って。

 今日も、そんな感じでいってみようと思う。
 

# by japanheart | 2014-03-19 10:36 | 活動記録

医療者って、悪くない

医療者って、悪くない

あなたがもし人助けをしたいと思っているのなら、医者や看護師などの医療者はお勧めの職業だ。
私が10歳代は、インターネットもなく、情報もほとんどなく、海外の人々のいのちを助けると意気込んでみても、どこで、何をすればいいのか皆目、見当がつかなかった。

そして何よりも世界が狭くなった。
これだけ航空機が格安で世界を飛ぶ日がやってくるとは。
まことにめでたいことだ。
人がお金を儲けるために混ざれば混ざるほど、戦争も遠くなる。

会社には社訓というものがある。
そこにはどこの会社もたいていは「社会に奉仕する、或いは役に立つ」という趣旨のことが書いてあるが、普通は自分のやっていることが社会にどのように役に立っているのかを自覚するのは難しい。
さまざまな経験を経てきて今は私の立場からは、医者も公務員も工事現場で働く人もさして変わりはしないと自覚できるが、若い世代の人たちにそれを自覚せよといっても無理な話。
 自分が作るたった一つの工業製品が、いかに社会の役に立っているといわれても、心の底ではそんな自覚はない。
ゆえに、毎日が怠惰になってしまう人が出てしまうのも分かる気がする。
 しかし、人間は社会とのつながりを忘れてしまうとどこにいても、生きがいをなくす。

 日本の病院でいのちに向き合う現場でも、「それは私の仕事ではありません」という人が多い。
ジャパンハートの医療現場ではそれは言わないことになっている。
 それもこれもすべて自分の仕事なのだと、自覚するようにと教えている。
 
私の最近の考えでは、自己評価の低い人間は仕事を拒否する傾向が強い。
社会とのつながりの自覚も薄い。
 
いい医療者になりたければ、誰でもなれる。
志、次第だと思う。
 自己評価を高く持ち、社会とのつながりをしっかりと自覚する。
自己評価というのは他人が与えてくれる評価の総和の自覚に他ならないから、しっかり他人のために奉仕する。
 そうすれば、たいした技術などなくても自己評価を上げることができるようになる。

 
 医療者は、もっとも簡単に自己評価を与えてくれる職業だ。
 人が相手の職業のいいところは、そこにある。
 
 若い頃、幼い頃、どうしても自分の自信が持てない人や、親に否定的に育てられてしまった人、教師にバカにされてすっかり自分が信じれない人、そんな過去のある人は、医療者がお勧めである。
まじめに、一生懸命やれば必ず、自分のことを評価できるようになる。


 
 

# by japanheart | 2014-03-11 03:01 | 病と人間

気がつけば

気がつけば

 気がつけば、今年49歳になる。
 時間に責め立てられているような、そんな感覚の中にいる。
 
 長い歴史の中でつい最近まで、ほとんどの日本人たちはとにかく食を確保するために、その時間のほとんどを費やしてきた。
 というか、古代から人間ずっとそうだった。

 美輪明宏の「ヨイトマケの歌」は日本の名曲の一つだが、その中で登場する母親のように、日本人たちはみな、その日の生活を何とかするために、嫌な仕事でも、惨めなおもいを味わっても、我慢して、我慢して、わが為、わが子の為、わが親のためとがんばってきたのだ。
 戦争中の、慰安婦たちも、誰が好き好んであんなことを年端も行かないうちからするものか。
 贅沢がせめてもの慰めだったのだと思う。
 炭鉱で働いていた多くの労働者たちもまた、頭の良し悪しに関わらず基礎教育すら受ける機会をなくし、危険な仕事についていたのだと思う。
 それもこれも、生きていくためだ。

 翻って、今の日本。
 時間をもてあまし、一体、何にそれを使っている?
 ある若者は、生きていてもあんまり意味なさそうだから、別に死んでもいいと思っているという。
 そういう風に感じているということ自体が、贅沢な状況なのだ。
 死んでもいいと思えるのは、贅沢なことだと認識しなくてはいけない。
 
 食の心配からほとんど開放された今の日本で、このあまりにあまった時間を何に使うのか?
 これが命題だ。

 先人たちができなかったような本当の贅沢をしなくてはモッタイナイ。
 本当の贅沢とはなんだろうか?
 おいしいものを食べて涙が止まらなかったことがあるか?
 無ければ、それは本当の贅沢ではない。
 戦争中や戦後に、まずい水団を食べて涙が止まらなかったという話はよく聞いたが、それは本当の贅沢だ。
 
 有り余った時間をたっぷり使い、何をする?
 
 私の残りの人生はきっちりその贅沢の時間を作るために努力したい。
 そこで、私にとって本当の贅沢の時間とはどんなものかを考え続けて生きたい。
 
 厄介なことに、本当の贅沢な時間や機会を持つためには、その必要条件がある。

 貧素な水団を最高の料理にせしめたのは、戦争と飢餓だった。
 エジソンに発明の喜びを授けたのは、数え切れないくらいの失敗の体験だった。
 お釈迦様に悟りならしめたのは、その前の難行苦行だった。
 
 最高の贅沢には、その前段階としてどうしてもその逆向きのベクトルの時間が必要になる。
 それを持つ覚悟がどうしても必要になる。

 神はよく知っていて、苦労をいとわないものには、果実を与えるのかもしれない。


























 


# by japanheart | 2014-02-26 18:38 | 医者の本音

人生、暇つぶし

人生、暇つぶし

 最近、よく考えるっていうか、子どもの頃からすっと思っている。

 人生って何?

 これは、永遠の命題かな。
 ホント、人間に国家なんていらない。何か左翼みたいなことを言っているが、僕は左翼や共産系の人々の言っていることは理解できるが、現実と摺り合わないので、信用しない。
 国家なんてものは、何のために出現したのだろうか?
 多くの戦争を経験した今、これが出現したことで救われた人の数と、この国家なるもののために死んだ人の数は一体どっちが多いのだろうかとふと思ってしまう。

 最近、韓国の何とかという大統領が、あちこちで日本の悪口言いまくっているけど、日本と韓国の戦前・戦後の汚れた関係を知っていれば、あの言動はお粗末なものと言わざるを得ない。
 大体、どの国でも自国民を裏切って苦しめているのは、その国の人間であるという大人の洞察が最近できるようになったのだ。
 ミャンマーの国境の方の子どもたちをタイや中国に売っているのはミャンマー人。
 買いに来るのは、タイ人と中国人。
 戦国時代の日本で、若い女を武器と交換したのは戦国大名。
 買ったのは外国の商人。仲介したのは宣教師。
 イギリスと清のアヘン戦争。国家で議決まで、アヘンを売りつけることを決定したのはイギリスという国家、それを受け入れ売りさばき、清人をアヘンでぼろぼろにしたのは清人。
 戦前戦後を通じて、何も知らない一般の日本人を食い物にしたのはアメリカという占領国の手下になったこの国の権力者たち。

 しかし、いつもこういう事実を知るために思うことがあるんだ。
 人間、たった80年程度の人生。
 たとえば、男の人生。
 上手いもの食って、気ままな異性関係をすきな時に持つ。
 それ以外に、一体、本質的に、何を求めてそれ以上の欲を持ってしまうのだろうか?
 中毒じゃないのか?
 
 ある程度の食や異性関係を構築できたら、本質的な生きる目的は達成できているはずだが。
 有り余るお金をつかって、ちょっと贅沢をしても、本質的には何も変わらないだろう。
 それは、エコノミークラスで海外へ行くのと、ファーストクラスで海外へ行くのでは、中では多少待遇は変わっても、飛行時間が短くならないのと同じで、本質的には変わらない。

 有り余ったお金やエネルギーを彼らは、やり場なく、暇つぶしのために投入しているとしか思えない。
 それでも何か、意義を見つけようとして、国家のためとか、人々のためとか、社会のためとか言っているんじゃ、ない?

 まあ、人間だれでもそう。
 僕もそうだと思う。
 
 もし、あなたが人のために生きたいとか、世の中のために生きたいと思ったならば、あなたはすでに、基本的な幸せを持っていると考えたほうがいい。
 
 そうでないのにもしそう思っているとしたら、誰かに洗脳されているか、自分が何かの病気か何かで存在が脅かされているかどっちかだ。

 ボランティアをするのは信じられないとか、お金を払ってまでとやるのはちょっととおもっているのは、多分、まだ基本的な幸せを実現していない人だと思う。

 ボランティアをする人はまあ、基本的には幸せであると思う。

いくらリッチになって多少、威張って生きてみても、たかだか、数十年。

 あっという間の、風の如し。
 
 

 

 

# by japanheart | 2014-02-19 11:30 | 医者の本音