40歳代後半のいわゆる私と同世代の人たちを見ていると、やはり覇気がない人が多い。
私も結構、ため息はよくつくが、これは若いときからのくせ。
20歳代、30歳代の生き方が、40台以降の人生を左右することはいうまでもないが、その期間どんなにがんばって40歳代になってもそこで失速していては意味がない。
海外で医療ボランティアを志していた若かりしころ上の医師たちから、最も多く聞いた台詞は、
「私も若いころしたかったんだが、できないままにこの年になってしまった」
と、今の私の年より若い医師たちが言っていた。
学生時代に海外で恵まれない人を救いたいと思って医師や看護師になった人は結構、いる。
ジャパンハートができて約10年、多くの学生が来て、そんな台詞を彼らから聞いてきた。
社会人入学で医学部に入った人たちも多くいたが、彼らはお金持ちになりたいからって社会人入学したわけでもなかろうにと思う。
一生懸命、医療に専念することは悪いことではない。もちろん。
しかし、そうすることが自分の人生を潤し、一度しかない人生を、なるべく豊かにする過程でなければならない。
齢50を前にして、すっかり意気消沈し、元気をなくし、医療への探究心をなくしている人が多き現状は、
若かりしころの夢を、お金や安定と引き換えにし、気がつけばすっかり元気をなくし動けなくなってしまっているのではないか!?
本当にこんな医療者としての生涯でいいのか?
こんな人生を想像していたのか?
人は、自分を守る防御反応か、必ず自己正当化をする。
私が、なぜしなかったのかと聞くと、いろいろともっともらしい理由をつけて、自己肯定することだろう。
だから、ばかばかしくて質問などしないが。
一度の人生、それでいいなら、別に私は困らない。
芭蕉は確か齢46になって、奥の細道の旅に出た。
そろそろ、あなた方も、自分の奥の細道の旅に出ないと、間に合わないかもしれない。
芭蕉は、その後、長崎へ向かう旅の途中、胆石に斃れる。
”旅に病んで、夢は枯野を駆け巡る”
あなた方の夢は、元気なうちに駆け巡らせたほうがいい。
人生はいつまで続くかわからない。
どんなもっともらしい理由をつけても、死はお構いなしに、時が来ればお迎えに来る。
医療活動が忙しくなって数年。
すっかり、現地で働く日本人スタッフたちとゆっくり話す機会を失っていた。
前はもう少し積極的に時間を持ってはいたが、正確にはバカバカしくなってやめた。
なぜ、バカバカしくなったかというと、多くの日本人たちが支離滅裂だったから。
「何がしたい??」
「どのように、これからやっていくつもり?」
「あなたの一番ほしいものは何?やりがい?お金?経験?」
「今のあなたの問題点は何だと思う?」
、、、、、
、、、、、
、、、、、。
どれもこれもかつて私が現地で働く日本人たちに投げかけた言葉だ。
結構、心をこめてやっていたんだけど。
でも、ほとんど、彼らの言うこととやることが、まったく違っていたりして、いつもガッカリさせられたもんだから、バカバカしくなってやめた。
意味ないじゃない、時間の無駄だなって思って。
しかしまあ、やっていたときとやっていない今との違いは何かというと、本当に数は少ないけど前は、ずっと私やジャパンハートのためにやってくれる人がいたんだ。
最近は、そんな人間はいない。
自分の計画を、自分のために実行する人ばかり。
それはそれでいいのかもしれないけど。
まあしかし、また始めることにした。
なぜかわからないけど。
甘やかすのは好きでない私だけど。
強いて理由をいえば、優しくしてあげたくなったのかもしれない。
今でも本当にできの悪い日本人医療スタッフを抱えているが、仕事のできないやつに限って人間的にはいいやつばかりだから、難しい。
だから、きっといい医療者にするために彼らに接するのではなくて、いい人間的な付き合いをしていきたくなったのだと思う。
仕事ができないという理由だけで、仲良くなれなかったら、もったいないから。
医療者という服を脱ぎ捨てた中身の、その人自身を知りたいと思っている。
長く同じ仕事をしていると、人は必ず労力が上がる。
1時間かかった仕事が45分でできるようになる。
難しく感じた仕事が、比較的容易にリズムよくできるようになる。
これがまた厄介なことに、精神的にはパラレルに仕事に対する満足度を減らすことになる。
これが人間の性質ということかもしれない。
例えば、こんな経験が誰にでもあるはず。
とてもいいある曲に出会う。
感動し何度も何度も聞き返しているうちに、あまり感動をしなくなるし、最初に何が良かったのかわからなくなってしまう。
こんな曲との出会いは、恋に似ている。
もし、途中である変化を起こせなければ、やがて恋と同様に消え去っていく。
ある変化とは、悩ましい問題だが、自分にしか起こせない。
恋の相手が起こしてくれることを期待してはいけない。
ましてやいい曲は、全く変化はしてくれない。
例えば、いい曲と出会ったならば、その曲を今度はある楽器で弾いてみる。
特に、やったこともない楽器で弾いてみると、さらに魅力は増す。
恋の話でいうと、何か特別な演出や機会をもうけるということかもしれない。
とにかく、自分の側に変化を起こすということが、ポイントになる。
しかし、多くの人は自分以外(対象)に変化を求める態度が、くせになっている。
そして、この手の人間は、いつも不満を抱えている。
飛行機で、ビジネスクラスに乗っても、ファーストクラスに乗っても、文句を言っている人をよく見かける。
エコノミーの人たちは、その席の横を通りすぎるだけで、うらやましがっている。
そんな感じ。
この手の問題が、私たちの現場でも起こる。
最初は、結構、満足するが、途中から刺激に欠けるようになってくる。
これを解決する方法は、やはりひとつしかない。
自分で、何かを導入すること。
環境のせいにしていても仕方ない。
自分がその場の主導権を持っていなくても仕方ない。
とにかく、その場面で自分が出来うる限り、変化を起こす。自分を中心とした、その物事の関係性や形態を変える。
「やりがい」というものは、変化なしには持続しない。
この変化は、ずっと興し続けなければならない。
まさに呼吸のように、心臓の鼓動のように、止まってはいけない。
静止は許されるが、停止は許されない。
停止してしまうと、その物事との関係そのものが、この世から消えてなくなってしまう。
そして恋は、寂しく終わってしまう。
それを、失恋という。