数年前の記憶
数年前、チン州というインドとの境にある州のミンダという高原の町に、巡回診療へいったことがある。6年前の話だ。
最近、国連の人からある写真が突然私の元に届いた。
昔私に診てもらった少年が、治っていて、感謝しているという内容だった。
写真には幼かった少年の面影は無く、すでに青年に成長しつつある彼の姿があった。
懐かしく子供の顔を思い出していた。
ベッドの上で泣き続けていた子供を思い出す。
時間はこうして過ぎてゆく。
いいことも悪いことも呑み込むようだ。
最近ジャパンハートで働き始めた23歳の女性スタッフは、子供の頃、私を見たそうだ。
多分小学生の頃。
その間に私が成しえた事は一体、なんだろうか?
頭を抱えざるを得ない。

ここは、毎日停電。
手術室の中は、おそらく40度を超えている。
そういえば、日本で働いていた頃、新生児の手術は、こんな環境の中でやっていたことを思い出す。
換気できない部屋、その中で炊かれる蒸気、なかなか来ない電気、そして40度の部屋。
毎日、最近はこの環境との戦いになっている。
それでも日本人たちはがんばっている。
今は十数人の日本人スタッフとともに、サガインで、汗の中にいる。
現地で治療していて、本当に心から患者たちを治したいと思っていても、どうしてもうまくいかないときがある。かえって悪くしてしまう時もある。
麻酔や手術後の感染や合併症などで、時に患者が本当に悪くなるときがある。
何をしているのだろうか?
1000人助かっても、1人死んでいたならば、何のための治療かと思う。
現地の医者たちがやればもっと成績が悪いのかもしれない。
しかしそれはわれわれには関係ない。
われわれがどうあるべきかだけが問題になる。
そういえば、あるNGOの代表が、実際の医療をすると、患者が死ぬリスクがある、それを現地の人たちは迷惑に感じるのではないか?だから保健活動のほうが、リスクがないのではないか、言っていた。
私に言わせれば、保健活動は、自分との因果関係がはっきりせず、直接、人の生き死にもわからない、からあいまいになってしまうだけで、本当は人命に対して大きなリスクがあると私は思っているが、その人にはそのリスクが見えないだけなのだろう。
本当に忙しく、睡眠時間も削ってはたいているので、仕事中に眠ってしまうスタッフもいる。
それも本当に仕方ないことなのかどうか?
求められるままに治療を行い、求められるままに患者たちのために働く。
しかし、わずかにミスを犯す。
あらゆるスタッフの緩みが、細い流れのように集まって、集まって、大きな流れになるように、やがて結果となって現れ、人が傷ついてゆく。
私は、割り切れない思いで一杯なのだ。
人を傷つけようと思って、傷つけた場合は、心はそんなに痛まない。
しかし、本気で人を癒そうと思って、その結果、傷つけた、そのとき、本当に心の芯から自分も傷ついているのがわかる。
前回、家族の苦しみはわからないと書いた。
わからないが、わかろうとする必要は医療者にはある。
それは伝わるものかもしれないが、責任からの重圧としてだけではなく、本当に人として必要なんだと思う。
必死になって、必死になってやるより他はない。
悲しむ顔は、見たくはない。
治療が上手くいかないときは、心の中では、素人のように、右往左往する。
なんとかならないか?
なんとかならないか?と必死で考える。
質問は夢の中まで持ってゆく。
24時間心は休まない。
そしたら、助かるかもしれない。
それしか医者のやることはない。
だから本当に医者というのは、大変な仕事で、まともにやっていたら命が磨り減ってゆく。
本当はよく休み、よく働くほうがいい。
若い頃は、患者を多く診て、経験を多くして、と普通の医者のように考えてきた。
適当に診ていたのかもしれない。だから、元気で医者をやっていたんだと思う。
しかし、最近は患者は多く診る必要も感じていない。
とにかく、上手くいきますようにと、祈りながら治療をしている。
だんだん自分の能力を知ると、祈らずにはいられなくなる。
自分はたいしたことないのだと最近、よくわかるようになったからだ。
家族の苦しみを共有できるのか?
死の淵をさまよう子どもの家族の苦しみは想像できない。自分も子どもを持ってさらにそれがわかった気がする。
最近、小さな子どもを手術する時、いつも自分の次男のイメージと重なる。
少し大きな子どもは長男と重なる。
最近は少なくともそのつもりでやっている。
自分の子どもが怪我や病気で大事に至ることなどは想像もしたくないといつも思う。
だから最近は必死になって、治療をしている。
若干、逃げ腰で、今いる神白先生におんぶに抱っこになっている。
先日も、子どもの心電図をとって、研修医のように急いで共に働いている神白先生に聞きに行った。
何せ、自分より優秀な人に聞くに限るからだ。
彼女は謙遜するだろうが、事実は変わらない。
最近は、医者としての驕りもなくなった。
いつでも辞めれるし、いつでもやれる。
若い医者に追い越されても平気。
そしたらその医者たちに聞けばよい。相談すればよい。という程度にしか感じない。
自分の使命への自覚からだと思う。
先日心停止を起こし、何とか一命を取り留めた子供が、再び痰をつめ、呼吸停止になった。
それまでは自分で何とか呼吸できていたのだが。
相変わらず意識が戻らない。
待つしかない、、。
そんな状態だった。
緊急避難的に、気管内にチューブをいれ、大きなバッグで空気と酸素を送り込んだ。
ここは、電気事情も悪く、人工呼吸器は置いていない。あっても電圧の関係ですぐに壊れるだろう。酸素もいつも十分にない。そんな施設だ。
子供が、自分で呼吸を再開しない。弱すぎて自力で呼吸できない。
どうする?
チューブを抜けば子供が死ぬ。
どうする?
24時間、休むことなく、日本人が交代しながら、大きなバッグで空気を送り続けることになった。
1分に10回は空気を送る。休むことなく手でバッグを押し続けなければならない。
私は日本での所用を済ませるため、途中、帰国の途に着いた。
残され24時間働き続ける日本人のスタッフたちのために、せめて祈ろう。
一人の子供の命を救う作業は、そんなに簡単ではない。
救えるか救えないか、それは神のみぞ知る。
しかし、弱き我々は、結果も知らず、ひたすら生への可能性に向かって進むしかない。
どうかこの子が救われるようにと、今も祈っている。