特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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カテゴリ:医者の本音( 105 )

日本人の残念なメンタリティー

 第二次世界大戦で負けた日本人たちにはどうしても超えないといけない壁がある。
 それはたとえば、合理性がないというメンタリティー。

 その考えの基では、精神主義がはびこり、刀や竹槍で飛行機を落とすのだという考えになってしまう。
 自らに足りない能力をどうしても精神力で乗り越えるということは、気持ち的にはよくわかるが、最後まで合理性を失わないことは大切なことだと思う。

 恐ろしいことに、気がつくと日本の組織というのは例に漏れず、この蟻地獄に落ち込んでゆく。

私の主催するジャパンハートも精神的にも肉体的にもタフな若者たちがやってくる故に、知らず知らず、そこにはまり込んでいたことに最近気づいたのだ。

 勇気を持って改めてゆく。

 たとえば日本人は精兵主義だといわれる。
 達人や名人に過度に評価を与える。
 だから何かをするときに、精兵主義に陥る。
 精兵主義に陥るとは、名人レベルの人たちでないとできないような作戦を立てたり、プログラムを組んだりしてしまいがちだ。
 しかし、本来は普通の一般人が達成できるレベルの作戦やプログラムを堅固に作り上げ、それを積み上げてゆくのが長い経過の中では最後には、有効であると歴史が証明している。

 私たちがやっているような活動もまた、私のような経験が長い医者ががんばるものではなくて、ごく普通の経験のものたちが集まっても成果を得ることができ、それを積み重ねていくことによって私が成した成果を大きく上回ってゆくそうなる方が、理にかなっていると思う。

 組織から精兵主義を極力排除し、今後取り組んでみたい。
 今までは、余りに精兵主義故に、後継者すら育たなかった気がする。

 もちろん、精兵主義が不必要なものではなく、もちろん大切なポイントでは登場させることに疑問はない。

 これからジャパンハートはしっかりと必要なものはお金でも資材でも使いながら、ある程度の経験があれば誰でもできるようなスキームを多く生み出し、世に役に立っていきたいと思っている。



 
by japanheart | 2012-04-23 00:51 | 医者の本音 | Comments(0)

感性一本で通す!

感性一本で通す!

 私が大好きな言葉は
          「感性一本で通す!」

 麻雀の天才、桜井章一のことば。
 正確には
      彼は、「男なら感性一本で通す」だが。

 私は、男も女も、感性一本で通せ!と思う。

この前の講演会でも言ったが、
 感性は、そのひとがそれまでの人生をかけて手に入れたすべてを一瞬で発露させたものだ。

 感性を大切にするというのは、すなわち自分の人生を大切にしている、ということ。
 自分の人生を信じているということ。

 信じるものは救われる。
 自分の人生を信じるものは救われていく。

 もしかしたらと、ふと思う。

 人生報われていない人たちは、感性を大切にしていない人たちじゃないか?
 理性が働く前の一瞬にしか、感性の言葉は聞こえない。
 一瞬を捕らえよ。

 一瞬の心の声を聞き、素直に従い、行動に移せ!

 それは、魔法の杖になる。

 「感性一本で通す!」
by japanheart | 2012-03-25 22:43 | 医者の本音 | Comments(2)
こうやって歴史は刻まれる

 震災から1年が経った。多くに人が、現場から去り、被災地も徐々に回復し始める。
 建設業界は、活気づき震災バブルが続く。
 漁業が破壊され、未だに復帰できない人も多い。
 仮設住宅の中で、寂しく生きている人たちも、そのままになっている。
 家族を失った人たちの悲しみは多分、私たちの考えているよりずっと生き残った人たちを、釘づけていくことだろう。

 そんなことは”いのちの現場”で何度も目撃してきた人間ならばよく理解できる。
 しかし、こんなに一度に、その光景を見せつけられると、なんと声かけをして良いのかもわからない。
 
 60数年前、東京大空襲ではアメリカの無差別爆撃で10万人が一夜にして亡くなった。
 あの時の人たちは、どうやってそれを耐えたのだろうか?
 広島の、長崎の原爆も同じだった。
 あのあと人々は、どうやって悲しみを癒し、自分たちを元気づけ、生きてこれたのだろう?

 こんなことを考えるたびに、たった”ひとつのいのち”の大切さを噛みしめる。
 2万人、10万人、その数はもはや私の中では数値ではない。

 何人の人間を助けてきましたかと、聞かれることがよくある。
 「何万人救いました!」というと聞こえは良いかもしれないが、それでは私のやってきた医療は、ぼやけてしまう。
 何人の人を助けましたか?
 何人の子どもたちを助けましたか?

 そう聞かれれば、私の本音は多分、以下のようになると思う。

 「いつもがんばって、目の前いる”たったひとりのこども”を助けようとしてきました。そして、ひとり、またひとりと助けてきました。」

 

 今回亡くなったひとたちも2万分の1人りではなく、誰かにとってのかけがえのない”たったひとり”だから尊いのだ。
 言葉はいらない。
 変な慰めは、かえってこころをかき乱す。
 
 多くの人は大切な人を亡くした家族のそばに寄りそう医師や看護師のように、静かに寄り添おうではないか。
 多分それだけで良いような気がする。
by japanheart | 2012-03-12 01:22 | 医者の本音 | Comments(2)
最後の時かも知れない

 1995年からミャンマーで医療を始めた。
 貧しいあの時代、私のような未熟な医師の前にも、ミャンマー人たちは遠く何日もかけ医療を求めてきてくれた。
 いつも罪の意識と感謝の意識が混ざった複雑な心境ではあったが、私はそれなりにガンバッタとは思う。

 毎日、朝の5時から夜の12時まで働いた。

 2004年、関わっていたNGOのあり方やその提供している医療レベルに大きな不満を抱き、自分でジャパンハートを立ち上げた。

 それから今年で9年目、まあ何とか続いてきたものだ。


 ミャンマーの医療事情もその間、少しずつ良くなっていろ。さらに今後は経済発展に伴って、今年から10年くらいの間にかなり改善されるのではないだろうかと思っている。

 アジアの経済発展から取り残され、経済封鎖によって医療に十分お金をまわすことができなかった国の姿は10年後は、もうなくなっているかも知れない。
 それはそれですばらしいことで、今までミャンマー人たちの病気の状況を目の当たりにしてきた私は、隔世の思いで、そのことを感じている。


 ある意味、私は幸せだった。
 国際分野では私自身は指導者にはついに出会えなかったが、それでも多くの人たちに医療を提供できた。
 手術は2万件以上を、行っただろうか?
 外国人の私にそんなことが許されたのは、時代のなせることで、多分将来、実力のない医師が、ミャンマーの人々に手術をするなどということはできなくなると思う。

 私は国際協力がしたいという、若い医師たちは多い。
 でもあなたたちにそれを実現するフィールドはアジアにはなくなっているかも知れない。10年後には。

 私は自分の半生を振り返っても、ラッキーな人間だった。
 すでに十分、海外で医療を実現できた。
 医師になった目的は、これをするためだったから、満足できているのかも知れない。

 これからは、短い時間で専門的な医療行為をチームでする海外医療協力が、ほとんどになっていくだろう。
 現地に住み、文化を理解し、現地の人たちと人間関係や信頼を築きながらというのは、もう夢物語かも知れない。私は、本当に信頼できる現地人と出会えた。そんなことは時間がかかるし、何度もともに困難を乗り越えなければあり得ないことだ。
 簡単にすれば、簡単な人間関係しか残らない。人生とはかように上手くできている。


 医学生や医師たちに、言いたいのは日本でゆっくり技術を磨くなどと悠長なことを言っていたら、その頃にはもう働く場所がないよ、ということだ。
 少なくともアジアにはほとんど。
 法整備が整い、様々な発展がみられれば、勝手に他人の国の中で、良いことだから、必要だからと言って、医療行為をすることは許されなくなる。

 アジアでは私が人生のすべてをかけて医療行為を行った最後の医師になるかも知れない。
 ホントは、後進にたくさん出てきてもらいたかったが、誰も出てこないから仕方ない。
 道先案内人になる気持ちはあるのだが、残念なことだ。
 
 あなたたちが、本当に海外協力を医療でしたいなら、余り時間は残されていない。
 あとは、私の思い出話を、おとぎ話のように聞くだけだ。
 きっと桃源郷の話のように感じることだろう。

 看護師たちは、安心しても良い。
 まだ数十年は大丈夫だし、あなたたちのやることはまだまだあると思う。
 でも、確実に競争が激しくなるので、いけるチャンスは年々、減るかも知れない。
 現に、ジャパンハートの長期の海外医療参加の倍率は上がり続けている。
 だから、早めがお勧めなのは、変わりない。

 迷うなよ!
 迷えば道はなし。
 その一歩が道となり、その一歩が道となる。
 アントニオ猪木に皆、びんたをしてもらったら目が覚めるのだろうか?

 前に出でよ!
 
 他人のためではない。自分自身のためにやることだ。
 貧しき人々はそのチャンスをあなた方にくれているのだ。
 あなた方が生まれてきた意味と医療者としても、人としてももっとも高く自分に自己価値と人生のすばらしさを認識させてくれる機会をだ。

 未来はくるかどうかは、神のみぞ知る。
 明日のいのちの保証など、誰も与えてはくれない。
 そこに今を全力で生きる理由も生まれてくる。
 だから、お金や将来のことを気にせずやらねばならない。
 少なくともそれをコントロールして、今を生きるすべを身につけよ。
 
 私が今どんな精神的世界に住んでいるか、見せてあげたい。
 結構、美しい世界だよ。
 
 生まれてきたからには、あなたたちも覗いてみるべきだ。
 
 
by japanheart | 2012-02-25 02:07 | 医者の本音 | Comments(1)

我が美しき景色

我が美しき景色

 私にはどうしても死ぬときに見ていたい光景がある。
 かつて何度か同じ景色を見て、「ああ、人生あってよかった!」と思ったことがある。

 いくつもすばらしい光景や美しい光景を見てきたが、私にはそれを越える光景はなかった。

 私の第二の故郷、大分で学生時代を過ごしていた頃、いつも授業をサボって夕方近くになると
 近くの温泉に出かけた。
 
 当時、多分今も、大分は温泉の宝庫。
 ただの温泉もまだまだたくさんあると思う。
 私はいつも、大分市の外れ、狭間町にあった、ある温泉に出かけていた。
 1回100円、薄い黄色のとても良い香りのする温泉だった。
 
 秋の夕暮れ、いつも温泉から山道を、ドライブして帰った。
 秋の風は気持ちよく、村々の夕暮れも心地よかった。

 その帰り、いつも多くの田んぼがあった。
 秋の夕方、たわわに実った稲たちが、夕暮れの太陽を浴びて、金色に輝き、風を受け少し揺れていた。
 私は何度かその光景に出会った。
 いつもこころ奪われ、しばし車を止め、日が暮れるまでそこにいた。

 日本にはこんなに美しい景色があるのだと思った。
 お米は不思議な食物だ。
 

 是非この光景を見ながら死にたいといつも思っている。
 だから、多分私が死ぬ季節は、秋かな。
 美しさの中で死ねるなどということは、何と日本人の心を揺さぶるのだろうか?

 そんな光景や場所をみんな持っているのだろうか?
 
 人間、明日死ぬのだと思えば、殆どの欲がはげ落ちてゆくが、その後、何が残るのだろう?

 欲は人のエネルギーだと最近、つくずく良く分かる。
 私は、それほど欲深くないので、何事も、まあこれくらいだってすぐ思ってしまう。
 自分が結構、淡泊なのだと、最近よく分かる。

 若い人たちを見ていると、全く美しくはないけれど、様々な欲望のために邁進しているのを見ると、
 少しうらやましくなる。

 美を備えた人間になるには今何をすればいいのだろうか?
 
 
by japanheart | 2011-10-09 11:31 | 医者の本音 | Comments(2)
俺って、”しつこい”っていったよね

 このブログでも、様々なところでも、何度も宣言している通り、
俺って、”しつこい”!!!


 子どもの頃から、よく母親には、巳年の8月12日生まれのお前は、真夏のヘビだから、どうしようもなく、しつこいと言われた。何の根拠があってと、今でも思うが、それでも多分、何かにつけ、執念深かったのかもしれない。

 その私は、やっぱり、しつこいことを今回もやってみた。

 今年の4月29日ブログでも書いた通り、石巻の渡波地区に開設したジャパンハートの小児診療所が取り壊しにあった。
 びっくりするけど取り壊し
 仕方なく、近くの避難所の渡波小学校に場所を移し、診療を続けた経緯がある。

 今回、石巻で小児を中心とした診療施設を開設する全回のブログで書いたが、何とこの渡波地区に開設することにしている。
 渡波地区は、小児の診療施設が今までも全くなく、石巻でも医療が手薄な地区だ。

 でもこれだったら、ちょっと”しつこい”程度でしょ?
 まあ、「こだわるねっー」てところだ。

 ここから真夏の巳年の私、その取り壊された診療施設のまさにその場所そのものを今回手に入れようとしている。あの奪われた土地を、取り返したってこと。あそこの場所は、アクセスが良かったんで、来る人たちもきっと助かると思うからだけど。

 東北支援のために集めたお金は、こうやって使うことにした。
 そしたらお金もそれを出してくれた人たちも喜ぶってもんだ。
 この冬に、衛生状態も悪くなっている、しかも小児の施設がない、この地区で、何とか小児の健康を確保する。ここを拠点に、南三陸、気仙沼までをにらんで、小児そして仮設住宅で孤独になってしまったお年寄りや住民たちの健康確保に回ることにした。

 あとは医師会や地元との調整がいる。
 この辺が、少し厄介かも。

 しかしきっと困っている住民は支持してくれると思う。
 またそうでなければならない。

 今年の冬が本格化し、インフルエンザやひどい下痢症が流行る、その前までになんとか、開設を間に合わせるから。

  
by japanheart | 2011-09-25 10:30 | 医者の本音 | Comments(5)
ジャパンハート 東北への支援 2011年 秋

東北震災復興支援活動、、、。
多くの団体や個人。
東北を襲ったあまりのスケールの違いに上は国から下は子どもまで、
誰もがこの支援に、復興に長く関わらないといけないと誓った。

中には一生、東北に関わるのだと誓った人や団体もある。

6ヶ月経って、現実はどうなったであろうか?

医療だけでも、多くの団体は立ち去ってしまった。

現地の医療に関わる人々もまた、現実はともかく、
いつまでいるか頼りにならないような人々に依存するのは危険だという考えを持つ人々もいる。
または、元々足らない状態が恒常化していたのだからそれで良しとする考えもある。
または、外部の人間に必要以上にかき回されたくはないのだという思いの人もいる。

県や市、市井レベル、それぞれで考えに少しづつずれがあるのは確か。

私たちはどうか?
気合いや精神的な側面で支援に関わるのだというのは、あるかもしれないが、私たちは医療の組織なので
、実際に医療で、現実的に関わる。

私は、実利主義、実効主義な人間なので、精神論は必要以上には持ち込まないし、それを賛美する傾向がある日本人たちとも、
一線を画したいと思っている。

私たちは長期的視点で関わると誓った。
だから本当にそうする。
ただそれだけだ。

医療の側面から見て、それが現実に必要だと分析している。
だからそれを解決するように、現実に動く。
実際に効果があるように行動する。

私が、県や市の長ならば、今回の災害を逆手に取るだろう。
三陸地方は、元々、ひどい医療過疎の状態にある。

それを解決するためにに、今回の災害を逆手に取り、長く外の医療者を呼び込み、チャンスがあれば、
医療者の定住や長期就職を、画策すると思う。
そのための仕組みを用意し、実際にアプローチすると思う。

本当にあれほど多くの医療者が、訪れたのだから、一時的な支援に終わらせてはいけない。
どうすれば、長期的な支援に切り替えさせることができるのか、知恵の絞りどころだ。

そのひとつのアプローチを、今年、秋からジャパンハートが始めて見たい。
小児を中心とした診療所を宮城県に開く準備にかかっている。
実際に効果ある医療というのは、診療活動をしないと生まれないと考えている。


ここに全国の医療者を呼び込むためのアイデアを練っている。
今時の若い世代は、結構、やってくると思う。

あとは、お楽しみ。
上手くいくかもしれない、いかないかもしれない。

でも、許可を出してくれたら、宮城県には後悔はさせないつもりだ。

自分のことだけを考えているような人以外、誰も損はしないから、国にも協力をしてもらいたいと思っている。
by japanheart | 2011-09-24 10:29 | 医者の本音 | Comments(2)

嫉妬

嫉妬

以前、書いたブログにミャンマー人をもっともよく理解するキーワードは
 嫉妬、すなわち ”ジェラシー”だと書いたことがある。

 人間、一体どういうものが嫉妬という感情なのかを理解するには、難しいかもしれないが、
これはもしかしたら人が上昇してゆくためのモティベーションになるかもしれない。ただし、マイナスのエネルギーが張り付いてはいる感情だ。
 人は、時にマイナスの感情を上手く利用して、上昇しなければならない。
 プラスの感情利用だけでは、不十分だ。
 
 あの人の人気に嫉妬する。
 あの人の技術に嫉妬する。

 だからがんばって自分もそんな風になろうと努力する。
 それが人の、自然な在り方かもしれない。
 
 ミャンマー人だけでなく、人は皆同じか、、、。

 ところが最近、ここに嫉妬の感情を喪失してしまった人間がいる。
 そう、何を隠そう、この私。

 最近、もう人がどうでも良くなってしまった感じがする。
 前から、後進の医師たちには、私をどうぞ抜いていってくださいという風に思っているが、
 これが良いか悪いか、いろんなところに広がってきてしまった。
 まあいいや、まあいいや、で私のこころはとんでもない状態になっている。

 先日書いたブログ、「人生50年論」のように、本当に後4年をどう生ききるかを自問自答している。
 もう、他人になんか嫉妬していられない。
 嫉妬は、比較から生まれる。
 他人と比較する段階から、自分しかできないことを生み出さねばならない段階にさしかかっているからだ。
 比較するものがあるとすれば、それは他人ではなくて、昨日の自分だろ。
 
 私は、今や嫉妬という感情をかなり弱めながら、何を求めていくべきなのか、悶々としている。
 先日、今年までジャパンハートで働いていた石田先生とやりとりしていたら、いつも前向きで良いですねといわれた。
 自分では、最近、意気消沈している感じがあるが、他人から見たらギラギラ感、丸出しらしい。
 46で、ギラギラしていて何が悪い?と独り言。

 最終的に、何を求めますか?という問。
 さあ、何だろう?

 冒険家の植村直己は、いつまでも冒険をやめず、そして斃れた。
 革命家のチェ・ゲバラは政治家にはならず、最期まで革命家としてゲリラを指揮して、処刑された。

 彼らはなぜ、どこかで線引きをできなかったのだろうか?
 最近、彼らのこころがよく分かるようになった。

 彼らは死に場所を探していたのかもしれない。
 
 今、ちょうど「13人の刺客」という時代劇映画がやっている。
 この映画の中で、とても無理そうなミッションを上から仰せつかった、役所広司が次のような台詞を言う。
 「この平和な時代、武士としての”死に場所”を探しておりました。」
 そしてそのミッションを、死を賭け、喜んで引き受けた。

 私も、もしかしたら斃れる場所を、探しはじめたのかもしれない。
 どこまでも続くであろうこの道の先、最期は、ただただ、前のめり倒れよう。
by japanheart | 2011-08-03 02:46 | 医者の本音 | Comments(3)

人生50年という在り方

人生50年という在り方

 第二次世界大戦末期、神風特攻隊が飛び立った鹿児島県知覧にある記念館には、若き特攻隊員たちの遺書が残されている。
 その多くは、戦時下、人の命は人生20年と認識されている。
 25才の若者は、人生20年の時代に5年も多く、時を重ねてしまったと書き遺す。

 信長は人生50年といい、今では平均寿命80年程度、人は知らぬ間にどこまでも人生続くのだと錯覚して生きている節がある。

 寿命が延びれは、幸せなわけではない。
 人生がいつまでもづづくのだと、錯覚していると濃度は、必ず落ちる。 
 齢50を越え、情けない姿をした人や、醜態をさらして生きている人たちを見るのは別に特別なことではない。

 やはり寿命が長すぎるのだ。
 人生50年、このくらいがいいのかもしれない。
 昭和の初め頃の、日本人の平均寿命は男44才、女47才程度、子供がたくさん死んでいた。

 私は46才だから、あと4年で寿命ということになる。 
 もし、本当に50才で死ななければならないとしたら、もうこのくらいで富を蓄えたり、名声を欲したりするのはやめにするだろう。
 ここから数年しかない人生、出し惜しみ無く、蓄えたものを出し切って死のうとする。
 汲々として、名声や地位を求めて、残り少ない人生の時間を無駄にもすることはない。

 人生50年、若き特攻隊員たちが言い遺したように、50を過ぎれば、それは余分な人生と考える。
 すなわち”余”生なのだ、と認識して生きる。
 これがいい。

 50までは、地位を求めようが、お金を求めようが、それはいい。損得で生きてもいいかもしれない。
 本人がそれで良ければ。
 そして、人は50で、一度死んだと考える。

 そこからは生まれ変わった気になって、損得ではなく、善悪を生きる基準に置く。
 どうせいつ死んでも、どんなに損をしても、既に死んでいる人生、大きな障害はないのだと考える。
 もし多くの壮年・老齢の人たちが、善悪を基準に生きてくれたら、どんなにか社会が豊かになるだろう。
 若者たちが、どんなにか救われるだろう。
 何を信じていいのか分からない若者たちが、50を過ぎればあんな風に生きれるのだと知ることは、どんなにか価値があるだろう。

 私の1度目の寿命があと数年で尽きようとしている。
 
 
by japanheart | 2011-07-18 07:19 | 医者の本音 | Comments(0)

人生、防御力の磨き方

人生、防御力の磨き方

 お知らせがまず2点。
 
 (1)先日、お知らせした学生対象のセミナー8月8日(月) OR 9日(火)のどちらかになりそう。
 場所は今回は東京都内。参加費は1000円(昼食代込み)。朝10時くらいから夕方5時前までを予定。
 募集人数は15名程度。今回は、学生ならば誰でもOKということで。中高生でもOKです。
 追って、JHのホームページとこのブログでお知らせします。

 (2)ブログの書籍紹介の下に、ミャンマーの子どもたちが作った手作り石けんの紹介をしました。自然派石けんなので興味ある方はぜひ。収益は子どもたちの自立支援に使われるようです。


 さて、今日の本題。
 防御力の磨き方について。

 とにかく人生、攻め続けようと決心した私だが、防御は今更ながらしないと決めた。
 「攻撃は最大の防御」とはいうものの、最近この考えの違った側面を感じている。

 柔道で最初に学ぶのは、”受け身”といういわば、保険のような考えに元ずく体裁き。
 自分より強い相手と対戦したときに、その衝撃を最小限にくい止める方法。
 これは日本人にはよく分かるし、防御大好きの日本人にはしっくりくる。
 私も祖父に、そのように教えられた。
 受け身こそ、最も大切な柔道の考え方なのだと。

 まあ、しかし、自分の経験に照らしていくと、本物の防御力とは、攻撃の中から生まれてくる。
 はじめから負けることが前提の練習などは、いらない負け癖がつくとしか、今では考えられない。
 
 誰でもそうだが、攻撃力がつくと、遅れて防御の力がついてくる。
 不思議と防御の練習ばかりしていても、防御は上達しない。
 テニスや卓球、格闘技を、あるいは集団スポーツをした人間なら心当たりがあるはずだ。
 武術も人生も同じではないのか?
 防御は如何に完璧でも、いつかは破られる。人生は数十年の長期戦。
 あなたは防御だけで、持ちこたえる自信があるか?
 一度、防御がやられると、ダムが決壊するように、途中からは一気に崩れてゆく。

 ”攻撃の中に、防御を忍ばせる” あるいは ”防御力とは攻撃力の一部であると認識する”
 これが私が、人生から得た極意の一つだ。

 もしあなたが人生のはかなさを感じ、脱サラして何かをしようとする。
 その時、家族のこと、生活のこと、将来のこと等々、頭に浮かび、前に進めない。
 
 ある少年が、野球選手になりたくて、悩んでいる。
 親はしっかり勉強して、いい大学に進み、公務員にでもなった方が、いいのだと考えていることも知っている。

 もし、このような人たちが、自分の気持ちを裏切って、様々ないわゆる常識的な考え通りの行動をしたならば、それはまず防御をしたということだ。
 防御から始まる、体術には勝利はない。どんなに完璧に防御しても引き分け。でも多分いつかは、防御は決壊する。
 人生は自分自身との戦い。しかも、未来の自分、今よりちょっとレベルの高い自分との戦いになる。
 武道には、後の先を取るという考え方もあるが、多くの人にそのようなテクニックはできないし、必要もない。
 
 まず攻めろ!が合い言葉だ。
 攻撃、まず前に進み相手を打ちのめす。初手で難しければ、次手で捕らえる。
 続けざまに打ち出される攻撃の中に、防御を忍ばせよ。
 相手の攻撃がやってきたならば後ろに下がらず、前に出て攻撃を弱めよ。
 押し込まれた状態から返される攻撃の軌道は、読みやすい。
 
 もしも手痛く打ちのめされたら、次回はそれを防御の知恵とせよ。
 
 後ろへ下がるものに、はじめから受けの形を取るものに、勝利はない。
 自己の人生は、常に自分との勝負。
 さらにいえば、僅差の力関係にある未来の自分との勝負となる。
 僅差の力の差しか無きところに、余裕をかました受けの姿勢など、正気の沙汰ではない。

  少しでも長期戦になれば、すなわち一瞬で決まる勝負以外は、全て何らかの防御を必要とする。人生はこの型の勝負ばかりだ。

 「攻撃は最大の防御」は、攻撃していれば相手からたいした攻撃されることはい、という意味ではなく、攻撃と防御は一体化され、相手からの攻撃に対しては上手く防御がなされ、攻撃状態が続く、ということだと理解している。

 人生は逃げてはいけない。
 背中を向けては、また今日と同じ明日が続く。

 防御力の磨き方は、至ってシンプルだ。
 ただ、攻め続けることだけを考えて日々、行動する。
 
 息を吐くのと吸うことが一連の作業のように、自然と一本化が始まる。
 すなわち、攻撃力強化によって自然と防御力が磨かれてゆく。

 世界一防御力が強い国は、どこだ?
 アメリカだろ、多分。
 世界一野球が強いチームはどこだ?
 多分、いちばんいい投手陣を抱えているチームだろう。

 
 
by japanheart | 2011-07-13 16:33 | 医者の本音 | Comments(1)