特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

カテゴリ:医者の本音( 108 )

運命を整える

最近、医学部を目指す学生が多いらしく、時々そういう学生を対象に話をする機会が増えている。
どうしたら医学部に受かるのかはイロイロな理屈はあるのだけれども、私は二つのことを同時にしなくてはならないと思っている。
一つはもちろん勉強。
勉強については専門家の人達に任せて今回はもう一つのことに焦点を当ててみたい。

もう一つというのは、運命を整える習慣のこと。

 この中にはたくさんの事柄があって一概にこの事だとは言いにくいのだが、簡単に言ってしまえば勉強以外の全部の事かもしれない。
 体力を整えたり、食事をコントロールしたり、試験当日に風邪を引いていない様に調整したり、家庭内の環境を上手く調節したりという、実に様々な事柄が含まれるのだが、これらは理性的には当たり前の事であって誰でもできる事だと思う。
 私が重要視しているのはそのうちの理性以外のもの。あえて言えば理性ではなくて感性的なもの。
運気を上げると言えばご都合主義なのだが、正確にはやっぱり”運命を整える”という言い方が適当だと思う。
 自分固有のリズムの狂いを調整し、知らぬ間に狂ってしまったリズムの乱れから起こる様々なトラブルを未然に防ぎ、人間関係や体調を調整し、身に付けた成果を滞りなく発現させる。

運命を整える_e0046467_14413189.jpg


 昔から剣の達人達が瞑想を取り入れていたのもおそらくこれが理由だと思う。身体を使う剣術の稽古とはおおよそ真逆の、静的な所作を何故あれぼど重要視していたのか? 何故、心という捉えようがないものに向かい合ったのか?
 受験で合格しようが落ちようが、その人の人生にとって、終わってみればその後の人生に最高の結果をもたらすであろう、その結果へと運命を導いてくれるであろうその中継点に着地できるように。

 人は知らぬ間に社会や親から洗脳を受けているものだから、それが本人の才能とズレがあることに気付かないまま、まるで自分の意思かのように勘違いして見当違いの方向へ人生をスライドさせていく。
 医師に向いていない人間が医師にならないように。
 医師になるよりもさらにその人の人生にとって、望むらくは人類にとって大切な別の才能が埋もれてしまわぬ様に。
 運命を整えるということは、自分の個性や能力を自然に発揮させる方向へ向かうという言い方もできるかもしれない。

運命を整える_e0046467_14103360.jpg

 ところで、たとえどんな結果になろうとも、それぞれの人生に持ち越せるものがあることも合わせて知っておかないといけない。
 それは本気で苦しんだ体験の事を指す。
この体験は応用が利き、死ぬまで何度でも使い倒せる。
だから中途半端や諦めは禁物だ。
空振りしてもいいから本気で球を撃ちにいくということ。
適当にバットを振って結果がホームランになってもその体験は人生にとっては単にムラを生み出す原因にしかならず、おそらく将来、知らぬ間にその人の人生の成果を目減りさせていくと思う。

 さて、運命を整えるということにおいては、例えば、健全な野菜を中心とした食事を摂るという実際の行為よりも、健全な野菜を摂ろうという意思を常に意識していることが影響する。
 運動が苦手な人間が3km走れる様になるよりは、毎日1kmでも必ず走る習慣を付けようと努力する意思が大切なのだ。
 30分瞑想できるようになるよりは、毎日必ず5分続けて瞑想を繰り返す習慣を確立する思いが大切になる。

 毎日、外界を遮断した中での掃除や決まった心地好いスピードのウオーキングをすることで、無意識にリズムを整え、そのリズムからズレた時の違和感を感得する。違和感というとても不安定なものの感得なので微細さが求められるため、常にリズムを整えるその人なりの技法を持っておいて、常に時間がある時には繰り返す癖をつけておいた方がいい。

 目を閉じて深呼吸を10回するでもいいのかも知れない。
 お経を何回も心の中で唱えてもいいのかも知れない。
 単に右指先を同じ方向に5分回し続けるだけでもいいのかも知れない。
とにかく、リズムを正常に戻すためのトリガーが必要なのだ。
これを癖にしてしまうことで運命は整えられていく。
 
  しかしながら、もちろん勉強は効率よく全力でやらなければならない事は当たり前。

 レストランでいうと、勉強することはおいしい料理を作る作業と同じ。
 運命を整える作業は強いて言えば、その料理を上手く人に宣伝する事。正当に料理のおいしいさを世の中に知ってもらうこと。ただし、おいしい料理でないと2度と店には来てもらえず、悪い噂も立ち、やがてそのレストランは潰れることになる。

同じ事が人生にも起こるので、くれぐれも勉強は手を抜かないように。心して。


運命を整える_e0046467_13454417.jpg

by japanheart | 2019-11-28 02:08 | 医者の本音 | Comments(0)
 生き方の重心を意識する


人間には、我々が感知・感得できるおおよそ全てのものが内在されている。

 瞑想はその内在されているのもを感知・感得する作業かもしれない。
人は感知・感得できないものをそもそも認知できないし、脳はそれをスルーしてあたかもその人の人生にはその事柄は存在しなかったかのごとく振る舞うだろう。
その人の能力を開発するとは、外界の刺激や触媒を利用して、その人に内在している可能性を発現させていくことに他ならない。

特に私が最近、危惧していることがある。

自分自身にとっても社会にとっても、良い能力ならばどんどん開花させればいいようなものだが、世の中はどうもそんなに簡単ではないらしい。

世の中に大いなる恵みをもたらすものは、同時に大きな災いをもたらす可能性がある。
そして厄介なことにそれは宿命的なものなのだ。
何かを成すことができるというのは、ある性質のエネルギーを手に入れた(開花させた)ということだが、そのエネルギーの発現の方向性の違いによって、私の場合でいうと命の尊厳を守れたり、命を傷つけたりという結果をもたらしているだけなのだ。

もっとかみ砕いた例を挙げると、人の命を救うことができる医療技術は人を殺すことも、助けることもどちらもできるということで、単にその目的によって結果が変わるが、その本質は同じで、それを操る者はそのレベル(エネルギー)の可能性を開発させているということなのだと思う。

 だからこそ1番大切なことは、どこに重心を置いた生き方をしているか? ということなのだと思う。

 生き方の重心を意識する_e0046467_17522379.jpg

私は時にとても他人に寛容になれるが、時に同程度に酷く他人に怒りを覚えて責める事がある。
私は人の命を大切にしてとても敏感に対応するが、自分に危害を加えようとする人間や動物や昆虫には全く無慈悲に対応し、血を吸いに来る蚊は叩き潰し、その命を平気で奪っても何ら良心の呵責には苛まれない。

私は自分の好む臭いにはとても心地よさを感じるが、苦手な臭いの場所には全く近づきたくない。
これが私なのだ。

そしてこれは私だけではない。
人間はこんなものだ。

日米戦争で日本への原爆投下を計画して、毎日の様に多くの都市を爆撃し一般人の婦女子を殺しまくる指示を出していたアメリカ大統領のルーズベルトは、飼っている犬をとても可愛がって大切にしていた。彼にとっては人間の命よりも近くにいるその犬の方が、何倍も大切で尊いものだった。彼にとって日本人の命など、虫けら以下にしか感じなかったのだ。
ルーズベルトだけでない。

人間はこんなものだ。

自分の成果は誇り褒められたいくせに、他人の成果は否定し、足を引っ張る。
自分と同じ意見は過剰に評価するくせに、違う意見は叩き潰そうとする。

 生き方の重心を意識する_e0046467_17575430.jpg

人間、自己の可能性を開発するということは、実は大きなリスクを伴っているゆえに、自己のコントロールを上手く効かせなければならない。
その可能性を大きく手に入れれば入れる程に、逆の形で世の中に発現させてしまうと大変なことになる。

だからこそ先ほど述べた生き方の重心が大切なのだ。

 能力を開発した者は、してしまった者は、必ず意識して重心を世の中の為になる方向にもっていかねばならない。
なぜなら、自分が出したそのエネルギーの反作用を自分が受けることになるだろうから。
 そのエネルギーを外部に放出したくない場合、残念ながら方法は一つしかない。自分のエネルギーレベルを全体的に下げること。その代わり、全体的にエネルギーレベルを落とすと生きる力が弱まる
結果、気力が萎え、精気を失っていく。
水はやり過ぎても、やらなさ過ぎても植物は枯れてしまう。
人間も同じ。
自分の中にエネルギーを溜めすぎれば、人も腐ってしまう。

だから、外にエネルギーを循環させねばならない。
世の中の為に何かを成すのは自分の為でもある。
開花させた能力を世の中の為に使うのは、自分の為でもあるのだ。
そういう重心に日常を置いておく意識を常にもっておかなけばいけないのだと考えている。
とにかく、常に。
緩めば重心は知らぬ間に移動しているから。

 生き方の重心を意識する_e0046467_17522452.jpg




by japanheart | 2019-08-12 04:51 | 医者の本音 | Comments(0)
 先日、長期医師ボランティアの森先生と話しているときに「何故日本の男はアメリカでモテないのか?」という記事のことが話題になった。

日本の若者たちよ、遠慮しないで!_e0046467_17145742.jpeg

その中にはいくつもの理由が挙げてあったが、まあ、英語ができないから(これは未来にはAIによって克服される)とか、体格的な線が細いとか、DIYがろくにできないとか、ユーモアのツボが違うからとか、そういう理由があった。
日本人女性が世界中でモテまくっているのとは大違いに、かなりイタい指摘をされているのだった。

 もし自分が若い頃に、アメリカに単身乗り込み生活してたら、確実に暗くなっていた気がする。少なくともしばらくは。

日本の若者たちよ、遠慮しないで!_e0046467_09113889.jpg

なにせ言葉が通じないから、真面目に頑張らざるを得ない。となると私の場合、真面目さと暗さは同時進行に起こる(これは大学受験の二浪目の時に実証済み)ので、イケてない男になり、結果、モテないという結論が確実に待っていたと思う。元々、社交的でもないしね。

そう考えると、日本にいてよかったとも言える。少なくとも暗くない普通の青春を送ることができたから。
 
 その記事の中で、一つだけ特に気にかかった指摘があった。
それは何かというと、アメリカ人は褒めて育てられる。「お前はすごい!お前ならできる!」と。
そして多くのアメリカ人は、大した根拠や実力がなくても表面上は自信たっぷりで、時には外国人たちのちょっとしたひんしゅくを買うこともある。
ところが日本人は全く逆に、否定的に親や社会に育てられる人が多く、実力に比して自信がない、根拠もなく自信がない。そしていつも、いるのかいないのかわからないくらい、後ろの方から見ている感じになる、らしい。

 今までたくさんの外国人と接してみて、『日本人!これを直せば上手くいくんじぁない?』と思ったんだけど。
それは、『遠慮しないで素直に自分を表現する』ということ。これをするともしかしてモテるかも?少なくとも今よりは遥かに。

実力がないならないなりに、今の実力を素直に表現し、行動し、知らせる。
それで世の中は結構、理解してくれて認めてくれるから。

 私も若い頃を振り返って後悔していることがある。恥ずかしさからか社会への遠慮からかわからないけれど、自分の思っていることや考えていることを表現してこなかったことなんだ。

若い頃から私には夢があって、それは今やってる将来、すなわち、医者になって途上国の医療を受けれない人たちに医療を届けることだった。
それを誰にも言わず、語らず、生きていた。できるかできないかわからないような大それたことを言うのが恥ずかしかったし、みっともない気がしていたから。
 
 で、この年になって、たくさんの10代や20代の若い女の子たちに今さら聞いてみた。

「将来の大きな大それた夢を語る10代や20代の若造の男をどう思うのか?」と。
「例えば、僕の若い頃のこんな夢を?」と。

なんと!何と?えっ!

若造の男たちよ、よく耳をダンボのようにして聞けよ!

 「す・て・き!」
 「ス・テ・キ!」

だってよ。

 「そんな事、言う人いませんでした。」
 「夢を語る男の人、ほとんどいませんから。」
 
だってよ。 

しまった!
言っておけば、もしかしてモテモテだった?
「もし僕がそれを言ってたら確実にモテたか?」と年甲斐もなく聞いてみたら、「もちろんです!」って皆言うんだよ。リップサービスかも知れないけど。

で、日本の男たち。
だから君たち、モテないのよ。
だから君たち、体の表面に近い場所ばかり、いじったりメンテナンスしたりしないといけないのよ。
夢を語るのは、ただ。無料だよ。
語れよ!
とりあえず、語れ!

日本の女の子たちも大きな夢を、おとぎ話を聞かせてくれる男を求めてるの。
日本の女の子たちは母性が強いから、そのつまらない夢を応援してくれる人が一杯いるから。
男が夢を語れないから、女性は自分で夢をしっかり見つけて行動する人が増えてるよ。

 話を戻すと、これをすればアメリカでもモテるでしょ。普通くらいは。
英語が十分話せないなら、素直にそのレベルで自己表現する。社会や慣習に遠慮してはダメ。何も話さない奴は夢を持ってるなんて思ってくれないから。
DIYができなければ、できないなりに、不器用さを素直に表現すればいいんじゃない?
遠くから見ていないで。ノコギリやトンカチをアメリカ人の男が危険を感じるほど振り回してやれ!
周囲に、たどたどしい英語で将来のでっかい夢を聞かせてやれよ!
思いつかなきゃ「君を月に連れていきたい」とか何とか、適当に言っておけ!

日本の若者たちよ、遠慮しないで!_e0046467_17220799.jpeg

 最近よく思うことがあるんだよ。
もし人間がだよ、30年後の他人の人生を見れたら、もう高校生や中学生の時から、好きになる人や付き合う人が変わっちゃうんじゃないかって。

美人だけど30歳で死んでしまう人。
悪さばかりしてるけど、将来、大金持ちになる人。
イケメンだけど、将来、内臓の病気で苦しむ人。
将来、社会的成功をおさめる人、将来、貧相になる人…。

こういう未来を見れたら、見せることができたらよかったなとふと思うんだよ、自分の場合は。  
でもそれくらい人間の好き嫌いは、未来への評価で変化するんだよ。
明るい未来を感じさせることができれば、相手の気持ちにも変化を起こす事が可能になるかも知れない。

 話が逸れたけど、こういう考えの総体がその国の現状を作ってるって思わないか?

根拠なく自信たっぷりに行動を起こすアメリカ人。
とりあえずやってみて、上手く行ったらもうけもの、上手く行けばどんどん攻める中国人。
根拠なく自信がなく、実力以下の行動しか起こすことができず、失敗ばかり想像して怖じけづく日本人。
 
 最近、若い人たちが大人しいという。それは全く当たっていると思う。
私の考察ではこうなる。
『年寄りが増えると若者は大人しくなる』という面白い相関があると思う。
若い人たちが大人しくない時代は今まで何度もあった。
明治維新の頃と戦後復興後しばらく。この時に日本は急速に成長した。この時に同時に起こっていたのは、人口爆発。
すなわち、若い人たちがどんどん増えていた時代。
戦後の最も若者たちの犯罪が多かったのは1970年代。戦後生まれた世代の若者たちの人口が膨れ上がった時代。
それから若者たちの人口減少が加速し、犯罪はどんどん減っていく。
そして大人しくなったと言われだしたのは、若者の数が減ってきた頃からだ。と、同時に年寄りが増えはじめた頃から。

私の仮説では、これから高齢者の比率がまだまだ増えるということは、若者たちがまだまだ大人しくなっていくということだ。
そして、それだからこそ、日本はどんどん衰退していくと思う。
犯罪率を上げる必要などないけれど、若者たちが元気になるためには、相対的にその数を増やすしかないというのが、別に人類学者でもない私の仮説。

 全体としては衰退しても、個人単位でいい人生を生きてほしいと願っている。
そのためには自分の人生を、他人の目線や日本の慣習にも遠慮などしてないでほしい。アメリカ人のように能力以上に大きく見せる必要はないので、等身大の自分を素直に表現してほしいと切に願う。

できないことをできないと宣言し、諦めるのではなく、「これくらいしか出来ません」と行動でそれを示さないと。
あなたの不器用さを、能力の足りなさを示すしかない。示さなければ、能力ゼロと見なされる。示せば、少なくともプラスにはなるから。
90点や100点を取ろうとしてはいけない。
世界は60点か70点で十分合格だからね。

素直に遠慮しないで、自分を世の中に示してみてほしい。
まあ、ダマされたと思って3年続けてみて。
人生変わるから。








by japanheart | 2018-11-16 17:39 | 医者の本音 | Comments(3)

その先への感謝

 若かりし私は、日本の病院で働き、途上国へたった1人で赴いた。

当時、病院というにはあまりにお粗末な施設しかもたなかったその国で、小さな診療所を何ヵ所も巡回していた。

自らの居住スペースも診療所に改造し、何もかも自前でひとつひとつ揃えていった。

煮沸すると熱で割れてしまうハサミやセッシなどの手術用の道具。水を吸収しそうにないガーゼ。それでも、ないよりはましだった。

全く効かない部屋のクーラー、暗いライト。水道の蛇口をひねれば、濁った水が吹き出し続けた。


その先への感謝_e0046467_17355679.jpg

 

 そんな中、自分と数人の現地人で治療に関する全てをやりとげなければならなかった。


 手術の道具は粉の石鹸を付けて歯ブラシで洗い、そのまま煮えたぎるお湯の中へ放り込む。30分もすればその中から取り出し、道具箱の中へ戻していく。

毛羽立ちがひどいガタガタのガーゼをロールで買い込み、切れないハサミで何とか適当な長さに切り、折り曲げ、湿らないようにカネの箱に入れて、滅菌の機器に放り込む。

なけなしのお金をはたいて買った小さな滅菌器は、いつ来るかも分からない僅かな通電時間を逃さずに動かさなければならなかった。1日にたった2時間しか来ない通電。度重なる停電の合間を縫って、早朝、深夜を問わず、その貴重な時間を決して無駄にするわけにはいかなかった。

薬も自分でマーケットへ買い出しに行き、ハサミで必要分だけ切り取り、患者たちへ渡していた。

食事の世話まではとてもできるはずもなく、患者とその家族は庭先でご飯を煮炊きし、自分たちで何とかしてもらっていた。


 施設のあらゆること、医療のあらゆること、患者の周りのあらゆること、全てを整えることが私の役割となっていた。


日本ではこんなことしなくてよかった。

医者だけしておけばよかった。

楽だった。

と、そう思った。


 そのときはじめて、自分がいかに多くの人間に支えられて医者をできていたのかと、後れ馳せながら悟ったのだ。

いかに自分が、医者として、医療人として傲慢で何も見えていなかったのかを思い知らされた。




 医者や看護師は医療をすれば患者に感謝もされ、ほめられもする。それをモチベーションに医療を続けていくこともできる。しかし病院には、患者に感謝もされず、ほめられもせず、直接関わることもなく働いている人たちが、たくさんたくさんいることを知らねばならない。

 

 彼らは毎日、汚れたトイレを掃除し、暑い厨房で患者や働く医療者のために食事を作ってくれている。

 看護師でも機器を滅菌する中材(中央材料室)の人たちは、患者に接することはない。しかしその看護師がそこにいなければ、病院は回らない。病棟や外来で直接患者と接している誰かが、代わりにその役割を務めなければならない。絶対になくてはならない役割なのだ。


その先への感謝_e0046467_17472384.jpg

 

 ところが、トイレを掃除している人が患者に感謝の言葉をもらうことはほとんどない。

暑い厨房の奥で食事を作ってくれている人が患者にお礼を言われることもほとんどない。

病院の事務所で働く人たちが患者からほめられることもほとんどない。


 でもね、こういう人たちがいてくれないと病院は機能しない。機能しなければ、いくら優秀な医者がいても何の役にも立たない。


わかってくれるかな?


 だからせめて、患者やその家族から感謝や評価をもらえる人たちや病院の管理職の人たちは、こういう人たちを大切にして、こういう人たちにいつも感謝の気持ちを持つべきだと思う!

 

トイレ掃除をしてくれているスタッフがいたら、お疲れ様と、ありがとうと声を掛けようか?

患者が今日はこの料理が美味しかったと言っていたら、直ぐに厨房に電話して知らせてあげようか?

すれ違う病院の縁の下の力持ちたちに深々と頭を下げ、お疲れ様と感謝を込めて言ってみようか?


 そうすれば病院が生き返る。

 誰もが働くことが楽しく誇りに思える場所になる。

 感謝が円を描いてスタッフの間を繋げていく。


 


 こんな話を聞いたことがある。

 アメリカのNASA航空宇宙局がまだ前身の組織であったある日、所長が赴任した。

廊下を歩いているとき、そこを掃除する老人に何をしているのか?と聞いたそうだ。

その清掃夫の老人はこう答えたそうだ。


「宇宙にロケットを飛ばす仕事をしています。」




 病院で働く全てのスタッフがあなたの仕事は?と聞かれたとき


「患者を助ける仕事のお手伝いをしています!」


その先への感謝_e0046467_09064005.jpg


と答えられるような、そんな病院にできたらどんなに素晴らしいことだろうか。











 


by japanheart | 2018-03-31 00:15 | 医者の本音 | Comments(0)
「なぜ、苦労して医師や看護師になったのに、自分のお金を使ってまで途上国で働くのか?」

昔、よくこう言われたものだ。
もう20年以上前の話だよ。

でももし今こう言う人間がそばにいるとしたら、それは甚だ時代錯誤だとしかいえない。
その人たちの意識や認識はまだ20年前の状態にある。
年配の人は致し方ないかもしれない。その人の考えというのはその人が生まれ、人間としての成長期の0歳から20歳頃までの時代の影響を最も受けるのだから。
しかしながらこの考えが、現在の30歳代までの人たちにすんなり受け入れられているとしたら、それはかなりやばい。
現在に存在しながら、20年ほど過去の価値観の中に生きているということになる。
今の時代の考えや生き方はすでにそんなところにないからね。

もうちょっと詳しく話をすれば、

僕らの世代より上は、豊かになりたいと一心不乱に見栄を張ってがんばってきた。
豊かになるとは、すなわち物質的に豊かになることを指していた。
今の若い人たちには信じてもらえないのだけれど、例えば当時は、若者であろうと車を持っていない男を女の人たちはランクが低い男だと認識していた。だから男たちは借金してでも車を買った。信じられないでしょ?
クリスマスや誕生日には、女の人に有名ブランドの貴金属やアイテムをプレゼントできないと何となく惨めに思った。
家を持つために一生懸命に働いた。
とにかく物質的な豊かさが、精神的な豊かさとかなり、リンクしていた時代だった。

だから収入を放棄し、ましてや自分の金を使ってまで途上国に行って働くことは、たとえ立派なことだと思っていても本当に理解できる人間は少数だった。
体感覚として存在しないことであったのだから。

ところが今、時代はすっかり変っているのだ。

若い世代は、すでに物質的に豊かになる必要はない。
なぜなら、彼らはすでに豊かだからだ。
私たちの世代が時間をかけてようやく理解した、物質的な豊かさは精神的な豊かさとはそこまで相関しないということを、生まれたときから体感している。
せいぜい豊かになっていく加速度に、少しだけ満足を得る程度だろう。だから、あくせくしないし、物を必要以上に求めたりしない。
 
しかし逆に、難しい問題に直面している。
今の若者たちは、こころの満足や充足、精神の安定、自己承認欲求の認知などを求めて苦しんでいる。
精神的な豊かさの補償はお金や物では埋めることができないからだ。


今はいい時代になったと思う。
少し働けば衣食住に大して困らず、社会保障もある程度あり、貧困貧困というけれど、私が途上国で見てきた貧困とはそのレベルが違うのだ。
日本では、少なくともお金がないからといって、瀕死の状態にある子どもの治療を親が自ら諦めざるをえない現状など知らない。毒へびにかまれても、10時間以上いつ来るか分からない満員のバスを待ち続けている人間など見たこともない。

そしてこれから、もっともっとこの流れは加速する。
精神的な豊かさを、そこから得られる内面の満足を、いかに獲得するのかがこれからの世代のテーマになる。
私たち以上の世代には理解されないが(だから親の言うことを聞いてはいけない!)、真の豊かさを得るためにはお金も時間も投資する。
それこそがこれからの生き方であり、21世紀の生き様である。

新しい時代をともに創らないか?_e0046467_11541580.jpg
photo by Junji Naito


今の小学生の子どもたちの世代の平均寿命は100歳を超える。そして、AIによって多くの単純労働から人類は解放される。さらに、新しいマネーの創造によって人々は経済的にも安定していく。

そんな時代に
「なぜ、苦労して医師や看護師になったのに、自分のお金を使ってまで途上国で働くのか?」
の次世代の若者の答えは明白だ。

ぜひ40歳代以上の人たちには聞いてほしい。

その答えは、
「せっかく苦労して医師や看護師になったからこそ自分のお金を使ってまで途上国で働くのだ!」

若い世代は気づいてしまった。あるいは知っているのだ。
世の中の役に立つことによって、自分の存在価値を知り、生きている意味、内的な満足や充足を得ることができる。
何より、それらを手に入れることができる生き方のひとつが、それなのだと。

あとは、彼らを導くいいコーチが必要になる。
日本にはそのコーチが少ない。なぜならば、コーチであるべき世代がまだ古い考えに固執している人ばかりだからね。
若い世代はいいコーチを探して、どんどん自己実現していけばいい。

時間とお金を投資して、あなた自身の未来のためにミャンマーやカンボジアに来てほしい。
医療にたとえ無関係な人間であっても、私はあなた方に一人の人間として何かを伝えることができるかもしれない。

私もまた、あなたと同じく、この世界を少しでも良くしたいと思っている1人の日本人なのだから。

新しい時代をともに創らないか?_e0046467_12000146.jpg
photo by Junji Naito


◆吉岡秀人と一緒に支援活動をしてみませんか?
学生も社会人も、医療者も!イベント参加や支援で活動を応援しよう!



by japanheart | 2018-01-22 12:09 | 医者の本音 | Comments(1)

 最近のミャンマーへの海外からの投資には、凄まじさを感じる。

「まだまだこれからですよ」という人もいるが、寂れていた頃を知る私としては、これでもかなり凄いと思っている。

 面白いもので、このようなことが起こると、人の心もすっかりと変化する。

ミャンマー人達は、俄然態度がでかくなり、自信も持ち始めている。

「自分たちの国は遅れている」いくらプライドが高くても、貧しい途上国だという現実を認めざるを得なかった人々が、プライドの裏返しから、すっかりとイメージを変えてしまった。特に、都会では。

 

 私達は、貧しいミャンマーで特に貧困層の人たちへ医療を提供してきた。

幸か不幸か、第2の大都市マンダレーから車で1時間程のところに私達が医療活動を行う病院が位置している。

別に悪いことをしている訳ではなく、医療を受けることのできない人たちに医療を提供している。


変わりゆくミャンマーと変わらない私たち_e0046467_17595786.jpg

一般のミャンマー人や、かつての軍政の時代の政府の人間、権威の中心である仏教僧侶達からは非常に好意的に受け取られてきた。

 当たり前?

ところがどこの世界にも、当たり前が当たり前でない人たちが存在する。


実はこの私達にとって当たり前でない人たちとは、ミャンマーでは医者と呼ばれる人たちであった。


 かつては医者がヒエラルキーの頂上だった。

しかし今は、一般の貧しいミャンマー人でもミャンマーは遅れていることは知っている。ミャンマーがどれ程遅れているか知らない人でも、日本が進んだ先進国だと知っている。だから、日本の医者に診てもらえるならば診てもらいたいのが人情というものだろう。

特に貧しい時代のミャンマーの医者たちは、金儲け主義の人も多く、政府の病院の給料が1か月1000円程度であった(まじで!)ので、彼らは毎日、午前中で公務をさっさと終了し、午後からはアルバイトへと出かけていった。おかげで患者たちは、主治医を捕まえるのがホントに大変だった。

そんな具合だから、日本の医者が治療し、日本の看護師達が一生懸命看病してくれる病院を、彼らは喜んでくれた。

 

ところが患者たちが期待すればするほどに、面白くない人たちがいた。

その人たちこそが医者”であった


 私達は現地ではマイノリティだ。弱い立場で、国籍もミャンマーではない。弱い立場の人間がいくら悪いことをしていないといっても、強い立場の人間から、あたかも悪いことをしているようにされてしまうものだ。

 ミャンマー人の医者たちからの干渉は凄いものがあった。何度も、治療をできなくされそうになった。

言いたいことは山のようにあっても、「それを言ったらおしまいよ!」の世界でマイノリティは黙っておいた方が賢明な方が多いのだ。

 

 彼らを刺激しないように極力注意しながらやって来た。

アメリカ人ならば絶対にしていないだろう。

アメリカ人ならばきっとお金の力で最新の設備を整えてやっただろう?

私達は日本の文化がバックにあり、どうしてもそれができなかった。

それはお金の問題ではなく。

患者にとっては最新の設備を使うことの方がメリットがあると理解はできても、どうしても、ミャンマーの医者達のプライドも立てなければと思ってしまうのが日本の文化なのだ。

 だから、いつもマンダレーの病院にある設備よりもランクが低い医療機器を使い続けてきた。手術用ライトも中国製で薄暗い。目が悪くなる。それでも我慢して、ミャンマー人の医者たちのコンプレックスを刺激しなかった。

 

結果、致命的となるような大きな対立も起こさず、何とか20年やって来た。

その間に治療できた患者たちの数はかなりになると思う。

喧嘩して辞めていたら、これらの成果は全てこの世から消えていただろう。

我慢して良かった。


 政府が代わり、時代が変わり、少しずつミャンマー人が自信を持ち始めている。自信を持ち始めて来ると、医者達の干渉も弱くなってきた。

海外からの支援が彼らの元にどんどん入り、最新の医療機器が当たり前に自前で持てるようになったのだ。


ふと気がつくと、私達の設備はまだ昔のままではないか!

手術用ライトも暗く、こちらが時代に取り残されたようだ。



そろそろ新しい今の時代に見合ったライトに替えてもいいかな?



そうしないと、今度は古い医療機器で治療をしているとクレームをつけられそうで。




 ____ジャパンハートから ご協力のお願い_____


のこり7日!あと49万5千円が必要です!手術用ライトを寄付するため、クラウドファンディングに挑戦しています!

「子どもたちが手術を待つミャンマーの病院に 医療ライトを届けたい」

ジャパンハートの学生団体ハーツが開始したこの挑戦。皆様のご支援のおかげでこれまでに150万5千円が集まりました。


終了まで残された時間は、あと7日。目標の200万円に対してあと49万5千円足りていない状況です。

目標金額に1円でも足りなければ、支援金全額が返金されてしまう仕組みです。


皆様に寄せていただいたご支援とお気持ちを必ずミャンマーへつなげるために、皆様のご支援が、今、必要です

▶詳細・ご協力はこちら



by japanheart | 2017-11-01 17:28 | 医者の本音 | Comments(0)

海外医療を志す人たちが医療支援に参加したいと思い立った時、よくする犯す過ち。


その1 「英語を学びに留学する」

その2 「十分な専門的技術・知識を身に付けてから参加すべき」


問題は、それがあたかも全てに当てはまる公式かのように信じ込み、誰かにあるいはどこかで汚染された思い込みだと気付きもしないで、人生の大切な時間を無駄にしていくということだ。



 一つ目の

 「英語を学びに留学する」


「英語が必須?専門的技術が必要?」国際医療協力のよくある間違え_e0046467_17392213.jpg


ハッキリ言って、ミャンマー、カンボジア、ラオスなどは、現場の患者たちとの間には英語はほぼ不要。英語に費やす時間があれば、現地の言語を習得した方がはるかに有益だ。

なぜ日本人たちは、かくも英語を習得しないと海外に出れないと思うのだろうか?

しっかりとした日本の国際組織をつくることができれば、もちろんその中での公用語は、日本語、現地語、英語となる。


 ドイツ人たちで主に構成されるドイツの国際組織が、英語で会話するかな?

 スペインの国際組織は英語しか使わないかな?


 英語は組織の一部の人間がしっかりとできれば、組織的には全く問題ない。末端の医療専門家の人間には、日常的にあまり役立つものでもない。



長い時間と数百万円の語学留学費を費やし、その語彙力、語学力で、国際協力という目的を成し遂げた臨床家には、事実、ほとんどお目にかかることはない。このような段階を踏みたがる者がホントに国際協力をしたいと思っているのかさえ、私は疑わずにはいられない。



 二つ目の

 「十分な専門的技術・知識を身に付けてから参加すべき」


「英語が必須?専門的技術が必要?」国際医療協力のよくある間違え_e0046467_19401155.jpg


これは国際協力に従事したことがある、専門家になったベテラン医師たちのよく言うことだ。


がしかし、それって本当なのだろうか?


現場で何が必要かも知らず、思い込みで専門的知識や技術を身につけて、後になってどうも活躍できる場所がない!ということもよくあることだ。


その国、その地域の発展度合いによっても、必要な医療支援の内容や分野は異なってくる。

自分に合わせて受け入れてくれる国などありえないのだ。


 ちなみに、私はおそらく臨床分野では日本で最も長く海外の現場で活動している人間の一人だと思うが、医師になって数年目、専門的技術は大したことはなく、ましてや専門医として医療支援をはじめたわけではなかった。しかし十分に現地の人の役に立ったと思うし、だからこそ今まで続けて来れたのだと思う。


決して専門的技術や知識が不要といっている訳ではない。大切なのは現場のニーズに合わせた支援な訳だから、まずは現場を知らねば何も始まらないでしょ、ということだ。


先進国にいて頭で考えたり、マスコミが作り上げたイメージそのままに勝手に妄想して自分を作っていくと、やがて現実に適応不良を起こしますよ、ということだ。


 さらに言うと、あまり偉い先生達の言う事を真に受けない方がいいとも思う。

人間には見栄というものがあり、自分が偉くなるとどうも他人を見下す傾向がある。自分のプライドを満たしたり、自分を大きく見せたいために、敢えて他人にハードルを課すような発言をしたりもする。


時代のトレンドはその先生達がのし上がった時とは比べものにならないほど速くなっているし、広がりも大きく、細分化も起こっているのだから

 

ご注意あれ。


   

 皆さんがよくご存知の、(しかし私は全くその製品を使っていない)アップルの創設者スティーブ・ジョブズのプレゼンテーションを聞いたときに、私が最もショックを受けたことについて話をしたいと思う。


「英語が必須?専門的技術が必要?」国際医療協力のよくある間違え_e0046467_17425499.jpg


それは彼がその中で次の一言を吐いた時だった。


「直感的に、、、、!」 


やられた!!

と思った。

思わない?

日本人なら

思うでしょ?

だってこんな東洋的な言葉、もっと言うと、最も日本的な言葉をアメリカ人が発したわけですよ。


直感的に操作できるアイテム、だからマニュアルはいらないと。

それ以来、そう、この世からどんどんマニュアルの類いが消滅していくこととなる。


これはホントに、これからの時代を象徴していく出来事だった。


直感的にいいと思ったことを、誰もが直ぐに行動して確かめていく時代になったのだ。

だから、しっかりとした計画書、マニュアルを作ってから行動に移していく日本企業はスピードを失ったのだ。

その製品が完成した頃、既に時代は次のコンセプトに移っているほど、世の中の流れは加速している。

  

 子どものような素直なこころで取り組む、そんなことができる時代になった。

新しいプラモデルを買った子どもは、マニュアルなんて見ないでいきなり作り始めるものだ。行き詰まった時に、改めてマニュアルを見る。そんな感じ。



 この時代の中で、何かをしっかり身に付けてから何か成そうとしては、もう時代は次に移ってしまっている。

だからやりながら考え学び、走りながら身に付ける。そういう姿勢でなくては時間ばかりが通りすぎる。



 英語を身に付けてから国際協力をする?


ダメです。今すぐ国際協力の現場を目指してください。

その過程で英語も必要な分、身に付けてください。


 

 専門的技術や知識を身に付けてから国際協力をする?


ダメです。今すぐ国際協力の現場を経験してください。

その過程で何が本当に途上国の医療現場で必要とされているか学んでください。



もうそういうホントにエキサイティングな時代になったんですよね。

行動力ひとつで、自分を新しいステージに連れていってくれる。


こういう時代を体感し、それに乗らないなんてもったいなすぎると思わない?




by japanheart | 2017-09-29 17:10 | 医者の本音 | Comments(0)

お前は私を超えることができるか?


 若い世代の人たちに話す際によく言うことがある。

私は私なりに自分の人生で良いことも悪いことも経験してきたし、普通の人たちよりもおそらくたくさんの失敗をしてきたと思う。それゆえに、そこからまあ、いろいろな事を悟りもし、自分の中に沈めてきた考えや知恵もある。



お前は私を超えることができるか?_e0046467_1033830.jpg


 今私が若い世代に語りかけるその知恵は、私が若いころには手に入れることができなかったものだ。

だから苦労をして、その結果、なんとか手に入れ今に至る。

私が若い頃にも当然、、世の中にはそのような知恵を持つものはたくさんいた。

しかし、その知恵をついに私は聞くことはできなかった。

それはなぜか?

私には若い頃にそれを聞ける才能がなかったからだ。

才能がない私は自分で失敗をしながら時間をかけ痛い目にあいながら、ようやくその知恵を手に入れることになった。

もしも若い頃に私がそのような知恵を手に入れる才能があれば、、、。

きっと、もっとすばらしい、エキサイティングな人生になっていたような気がする。


もし20代や10代で私の話を聞き、その知恵を手に入れることができたのならば、それは少なくとも同じ年頃の私よりはるかに才能に恵まれているということだ。

あなた方は間違いなく私より才能に恵まれている。

それでもなお、私以下の成果しか人生に残せないとしたら、それは自分の才能を裏切ったことになると自覚しなければならない。

人の目線や、常識、お金や待遇、名誉、それら全ては自分の才能を奪う可能性が高い性質のものだ。

これらをどうコントロールできるかで人生は大きく変わる。




私がいつもお世話になっている松下政経塾 元塾頭の上甲さんはある日、松下幸之助翁からこう聞かれたそうだ。

「お前は私を超えることができるか?」

恐縮して、上甲さんはそんな大それたことは考えられないと応えたそうだ。

しかし、翁は「なぜだ?」「超えれるはずだ!」と言う。

応えに窮していると、続けてこういう内容を言ったらしい。

「あなたは私のことをずっとそばで見て知っている。何を行い、何をどう考え、どのように失敗したかもだ。」

「だからあなたは私を取り入れることができる。」

「それに自分を足すのだから、超えれないわけはないだろう」と。


多くの人は自分には大した才能がないと思い、世の中を変えるようなことができないと思う。

でも本当は、世の中を変えるというのは、なにも政治家や企業家の専売特許ではない。

誰でもできるし、その可能性はある。

時間・場所・タイミング・やり方・考え方、これらを上手く組み合わせればありえることだ。

それを拒むものがあるとしたら、その人の意識や考え方、それから欲やエゴが邪魔するからだ。


病院で働く、いち看護師だって世の中を変えれる側に立てる可能性がある。

しかし、病院にお金で飼いならされ、マスコミや銀行に不安や欲望をあおられ右往左往している間は、まず無理だ。

生涯、不安を持ってあたふた生きるあなたになる。


勇気というのは翼のようなものだ。

少しの勇気を持って世の中に変化を与える側に立ってみる。

押さなければ跳ね返りがないように、世の中に変化を与える人間には世の中からいろんな反応が返ってくる。



お前は私を超えることができるか?_e0046467_1033487.jpg


そして人生が動き始める。

同じ場所で右往左往していても世の中は何も変わらない。だから自分の人生にも変化は起こらない。

世の中はすごく単純にできている。


与える変化の大きさは問題ではない。それは個人の個性によって変わってくるだけだ。

それより自分の人生にいかなる変化が起こったか?それが全て。


今日も、明日も、その次も、そして10年後も、、、。

同じ毎日を同じように過ごしたいかどうか?


同じ毎日でもたった一つだけ違うことが起こる。

それは人は歳を取っていくということだ。

同じような毎日でも気がつけば、髪は抜け、皺は増え、そして内臓は弱る。


機械で編んだ布は狂いがなくて均一でしっかりしている。

しかしその中に宇宙は感じない。

調和していそうで、調和などない。ある種の緊張があるだけだ。

しかし、人の手によって高度に編まれた布は、一糸一糸まったく同じでないが、全体が調和してそこには宇宙の縮図があるような気がする。


人生の時間も同じだ。

人生をかけてどんな布を編みたいのか。今一度、惰性で生きている若い世代に詮索したいのだ。








by japanheart | 2017-01-30 16:45 | 医者の本音 | Comments(1)

ものごと上達の秘訣

ものごと上達の秘訣

先日ない時間をぬって小学生の二人の息子たちに質問をした。
「スポーツや習い事での上達の秘訣は何だと思う?」
長男曰く、「心の持ち方が大事」
次男曰く、「たくさん練習すること」
共に正解である。
今や世界の一流のアスリートでも、はじめの頃は小さな集団の中でそこそこ目立っていても、だんだんとレベルの高い集団に属し始めるとすごいレベルの人たちが周りにたくさんいて、その中から突き抜けてしまった現在の世界一流の姿は想像できなかったと思う。
世界一流になる!と心では威勢を吐いても、はじめの頃、現実には半信半疑の状態だったろう。
それでも自分を日夜信じ、人一倍の「たくさんの練習」を行い自ら一流になるのだという「心を持ち続ける」ことは大切だと思う。もちろんそれなくしては今の姿はなかっただろう。それは必要条件だったのだ。

もちろんスポーツなるものは生まれつきの体格や運動神経などが大きく影響する。
勉強や習い事の類にもそれは当てはまるだろう。

おそらく今、世界トップレベルの人と同じ才能に恵まれた人間はおそらく世界に数多くいるだろう。
勉強も鍛えれば東大にいける人間は、それこそ万の単位になるだろう。
では、そのトップレベルとそうでない人との間には一体、どんな違いがあったのだろう?

トップレベル近くにいる母集団の人間たちと、トップの人間と何によって差が出てしまったのだろうか?
東大の合否境界の上と下、天国と地獄を分けたものは一体どういう経過によってなされたのだろう?

私が子どもたちに指示したことは、たった一つ。
「いつも考えること」だった。
これが、私が考える抜き出るための秘訣なのだ。

千回野球の素振りをする。
千本サッカーでシュートの練習をする。

ただ、千回必死にバットを振る。
ただ、千本ゴールにめがけてシュートを放つ。

その人間と、
一振り一振りにテーマを儲け、何かを確認しながら素振りを1000回行う、
あのゴールの角にこの角度でシュートを入れるためにはどうすればいいのか、を考えながら毎回シュートを放つ、
そういう人間の差は同じ才能があったとしても時間の経過と共に大きな成果の違いを生み出す。

近代随一の武道の天才、佐川義幸氏は弟子たちにこう言ったそうだ。
「考えろ、考えろ。私にとっての正解が、あなたにとっての正解とは限らない。」

医療の現場にいても同じことを感じる。
人の指示に従う癖がついている人間は自分で考える習慣がない。
だからいつまでたっても医療のレベルが上がってこない。

ものごと上達の秘訣_e0046467_14471444.jpg


10年やっても20年やってもほとんどそのレベルは変わらないのだ。
ただ経験と習慣だけで動く。それはなれれば早く動けるようにはなる。しかし、場所や条件が変われば途端にフリーズしてしまう。そして何も自分で答えを生み出せない。その姿は最近、医療者になったのか?と思ってしまうほどのレベルなのだ。
しかし、実はそれがその人の真実のレベルだと思うのだ。慣れとごまかしで日々何とかなっていただけなのだ。
自分で考えないということは、ホントは相当、恐ろしいことなのだ。

より深く考えるためにはできるだけ現状の正確な認識が必要だ。
ある事柄についてどれほど知らないのか。どこが分かっていないのか。何がおかしいと考えられるのか。
ここでごまかす人間は成長しない。
間違ったままの状態でいくら練習しても癖が増長されるだけで決して高いレベルには達することはできない。

本番以外の試験は全てその正確な現状把握のための材料であり、自己修正のための情報だ。
他人の競技や試合、そして自分のビデオを見るのも全て、自己修正のための手段だ。
他人の動きから自己の動きを認知、分析し、自分の修正に使う。
これは全ての事柄に当てはまり、医療も全く同じだと思う。

そしていつも考えるのだ。
この動きの修正はどうすればいいのか?ああでもない、こうでもないとやってみる。
この問題が解けないのは、どこが分かっていないのか?ここはどうか、あそこはどうかと考えてみる。
そういうことを四六時中、癖になるまでやる習慣がつくと必ず大きな上達が起こる。
やがて大きな気付きが起こるのだ。

私たちが知っている一流の人間たちは皆、
いつも自分の心で未来と現在を何とかコントロールしようとし、誰よりも多くの練習をこなし、一番、悩んで考え続けている人間だと思う。

今日、次男が妻に「俺、今日考えてサッカーしたよ」と言っていたそうだ。
ここからの継続が大事なんだけどね。

ライフワークにしたいものは、とにかくいつも現状を正確に把握しようとし、修正発展させるためにいつも考える習慣をつけたほうがいい。


ものごと上達の秘訣_e0046467_14464491.jpg







by japanheart | 2016-04-28 02:21 | 医者の本音 | Comments(0)

これから20年の国際貢献のゆくえ~途上国医療のこれから


 時の流れは速いものだ。

 20年なんてあっという間。

 しかし20年あれば十分、時代は大きく動いている。


 1980年代中頃、医師を目指して医学部に入学した。医師を目指した理由はたった一つ。絶対に医療を受けることができない人々に医療を届けたいと思ったからだ。

 そして30歳のとき日本で数年間医師としての勉強を終了し、途上国へ向かう。

 そしてミャンマーを訪れた。

 私が医師を目指したとき外国で働くというのは、北米や欧州で勉強や研究に行くこととほぼ同義だった。医師として途上国で働くなどということはもちろんほとんど有りえない選択肢だった。

 もちろん、日本政府や国際協力事業団(JICA)からの派遣として幾ばくかの期間、技術協力・指導などの目的でその土地に赴くことは選択肢として与えられていた。しかし、それはしっかりとしたステイタスと高額のサラリーが保証された特別な分野であった。


 そんな時代に、日本政府の後押しもなく、途上国医療を目指し、実際に途上国の医療現場に赴く人間は完全に標準の±2S.D.(標準偏差)外、しかもマイナス2S.D.のはるか彼方に存在するまさにoutlierであり、それは否定の対象にすらならず、無視あるいは黙殺する特異な存在であった。


 それから20年。

 私のやっていることは20年前とほとんど変わらない。

 しかし、時代は確かにしっかりと動いていた。

 

 日本の権威ある医学学会、シンポジウムなどから声がかかるようになった。

 かつては厳格な医局制度の中で、途上国などで医療をするという馬鹿げた?行為を徹底的に否定してきた人々が、私の話に耳を傾けるようになったのだ。

 若い世代の医師たちだけでなく、大学教授や大病院の部長などの人々が、途上国医療に興味を示してくれるようになったのだ。

 今年も5月には日本小児外科学会総会で講演する予定になっている。


 そして今や現実に海外の私の元には年間に600名程度の医療者がその活動を支えるためにやってくるようになった。そして今後、その流れはますます加速する。

 これは時代の流れだから、おそらく誰にも止めることはできない流れになると実感している。


 さて、この延長線上で次の時代を私なりに予想している。

 これから15~20年で、時代は再び大きく変わる。

 人工知能の発展が医療そのものの姿を変えてしまうだろう。

 人々の病気は予防医学の劇的な進歩によって治療という医療の重要な役割の比重を大きく下げることになる。

 アジアは大きく経済発展し、都市部での医療レベルは東京でもバンコクでもマニラでも北京でもおそらく変わらなくなるだろう。

 今は日本の医療界も医師や看護師が足らないと必死になっているが、あと2030年もすれば医師や看護師は大きくその役割を変え、今ほど人数は不要になる。今は数こそ力だと一生懸命に人を集めている学会や医局にも人数制限が設けられ、簡単にはそこに入れてもらえなくなると思う。


 医療レベルの差は都市部で変わらない一方、非都市部では各国の経済レベル、政治レベルの差によって発展度や達成度に差が生まれ、政治や経済が上手く機能していない国ではしばらくの間、日本などの先進国の人々ほど時代の恩恵を受けることはできないだろう。しかし、それも時間の問題で解決されていくに違いない。

 それほどに医療は、医療者が知らないところで大きく地殻変動を起こしつつある。


 今後、この時代ギャップによって医療を享受できない途上国の人々に医療を届けるのがジャパンハートの役目になると考えている。


 とりあえず15年、今の延長線上でしっかりと途上国の貧困層に医療を届ける。

 それからさらに15年は、時代の恩恵から取り残されている人々に医療を届ける。


 その後のことは私にも今は全く分からない。


 


 



by japanheart | 2016-02-18 00:59 | 医者の本音 | Comments(0)