特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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カテゴリ:医者の本音( 105 )

その先への感謝

 若かりし私は、日本の病院で働き、途上国へたった1人で赴いた。

当時、病院というにはあまりにお粗末な施設しかもたなかったその国で、小さな診療所を何ヵ所も巡回していた。

自らの居住スペースも診療所に改造し、何もかも自前でひとつひとつ揃えていった。

煮沸すると熱で割れてしまうハサミやセッシなどの手術用の道具。水を吸収しそうにないガーゼ。それでも、ないよりはましだった。

全く効かない部屋のクーラー、暗いライト。水道の蛇口をひねれば、濁った水が吹き出し続けた。


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 そんな中、自分と数人の現地人で治療に関する全てをやりとげなければならなかった。


 手術の道具は粉の石鹸を付けて歯ブラシで洗い、そのまま煮えたぎるお湯の中へ放り込む。30分もすればその中から取り出し、道具箱の中へ戻していく。

毛羽立ちがひどいガタガタのガーゼをロールで買い込み、切れないハサミで何とか適当な長さに切り、折り曲げ、湿らないようにカネの箱に入れて、滅菌の機器に放り込む。

なけなしのお金をはたいて買った小さな滅菌器は、いつ来るかも分からない僅かな通電時間を逃さずに動かさなければならなかった。1日にたった2時間しか来ない通電。度重なる停電の合間を縫って、早朝、深夜を問わず、その貴重な時間を決して無駄にするわけにはいかなかった。

薬も自分でマーケットへ買い出しに行き、ハサミで必要分だけ切り取り、患者たちへ渡していた。

食事の世話まではとてもできるはずもなく、患者とその家族は庭先でご飯を煮炊きし、自分たちで何とかしてもらっていた。


 施設のあらゆること、医療のあらゆること、患者の周りのあらゆること、全てを整えることが私の役割となっていた。


日本ではこんなことしなくてよかった。

医者だけしておけばよかった。

楽だった。

と、そう思った。


 そのときはじめて、自分がいかに多くの人間に支えられて医者をできていたのかと、後れ馳せながら悟ったのだ。

いかに自分が、医者として、医療人として傲慢で何も見えていなかったのかを思い知らされた。




 医者や看護師は医療をすれば患者に感謝もされ、ほめられもする。それをモチベーションに医療を続けていくこともできる。しかし病院には、患者に感謝もされず、ほめられもせず、直接関わることもなく働いている人たちが、たくさんたくさんいることを知らねばならない。

 

 彼らは毎日、汚れたトイレを掃除し、暑い厨房で患者や働く医療者のために食事を作ってくれている。

 看護師でも機器を滅菌する中材(中央材料室)の人たちは、患者に接することはない。しかしその看護師がそこにいなければ、病院は回らない。病棟や外来で直接患者と接している誰かが、代わりにその役割を務めなければならない。絶対になくてはならない役割なのだ。


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 ところが、トイレを掃除している人が患者に感謝の言葉をもらうことはほとんどない。

暑い厨房の奥で食事を作ってくれている人が患者にお礼を言われることもほとんどない。

病院の事務所で働く人たちが患者からほめられることもほとんどない。


 でもね、こういう人たちがいてくれないと病院は機能しない。機能しなければ、いくら優秀な医者がいても何の役にも立たない。


わかってくれるかな?


 だからせめて、患者やその家族から感謝や評価をもらえる人たちや病院の管理職の人たちは、こういう人たちを大切にして、こういう人たちにいつも感謝の気持ちを持つべきだと思う!

 

トイレ掃除をしてくれているスタッフがいたら、お疲れ様と、ありがとうと声を掛けようか?

患者が今日はこの料理が美味しかったと言っていたら、直ぐに厨房に電話して知らせてあげようか?

すれ違う病院の縁の下の力持ちたちに深々と頭を下げ、お疲れ様と感謝を込めて言ってみようか?


 そうすれば病院が生き返る。

 誰もが働くことが楽しく誇りに思える場所になる。

 感謝が円を描いてスタッフの間を繋げていく。


 


 こんな話を聞いたことがある。

 アメリカのNASA航空宇宙局がまだ前身の組織であったある日、所長が赴任した。

廊下を歩いているとき、そこを掃除する老人に何をしているのか?と聞いたそうだ。

その清掃夫の老人はこう答えたそうだ。


「宇宙にロケットを飛ばす仕事をしています。」




 病院で働く全てのスタッフがあなたの仕事は?と聞かれたとき


「患者を助ける仕事のお手伝いをしています!」


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と答えられるような、そんな病院にできたらどんなに素晴らしいことだろうか。











 


by japanheart | 2018-03-31 00:15 | 医者の本音 | Comments(0)
「なぜ、苦労して医師や看護師になったのに、自分のお金を使ってまで途上国で働くのか?」

昔、よくこう言われたものだ。
もう20年以上前の話だよ。

でももし今こう言う人間がそばにいるとしたら、それは甚だ時代錯誤だとしかいえない。
その人たちの意識や認識はまだ20年前の状態にある。
年配の人は致し方ないかもしれない。その人の考えというのはその人が生まれ、人間としての成長期の0歳から20歳頃までの時代の影響を最も受けるのだから。
しかしながらこの考えが、現在の30歳代までの人たちにすんなり受け入れられているとしたら、それはかなりやばい。
現在に存在しながら、20年ほど過去の価値観の中に生きているということになる。
今の時代の考えや生き方はすでにそんなところにないからね。

もうちょっと詳しく話をすれば、

僕らの世代より上は、豊かになりたいと一心不乱に見栄を張ってがんばってきた。
豊かになるとは、すなわち物質的に豊かになることを指していた。
今の若い人たちには信じてもらえないのだけれど、例えば当時は、若者であろうと車を持っていない男を女の人たちはランクが低い男だと認識していた。だから男たちは借金してでも車を買った。信じられないでしょ?
クリスマスや誕生日には、女の人に有名ブランドの貴金属やアイテムをプレゼントできないと何となく惨めに思った。
家を持つために一生懸命に働いた。
とにかく物質的な豊かさが、精神的な豊かさとかなり、リンクしていた時代だった。

だから収入を放棄し、ましてや自分の金を使ってまで途上国に行って働くことは、たとえ立派なことだと思っていても本当に理解できる人間は少数だった。
体感覚として存在しないことであったのだから。

ところが今、時代はすっかり変っているのだ。

若い世代は、すでに物質的に豊かになる必要はない。
なぜなら、彼らはすでに豊かだからだ。
私たちの世代が時間をかけてようやく理解した、物質的な豊かさは精神的な豊かさとはそこまで相関しないということを、生まれたときから体感している。
せいぜい豊かになっていく加速度に、少しだけ満足を得る程度だろう。だから、あくせくしないし、物を必要以上に求めたりしない。
 
しかし逆に、難しい問題に直面している。
今の若者たちは、こころの満足や充足、精神の安定、自己承認欲求の認知などを求めて苦しんでいる。
精神的な豊かさの補償はお金や物では埋めることができないからだ。


今はいい時代になったと思う。
少し働けば衣食住に大して困らず、社会保障もある程度あり、貧困貧困というけれど、私が途上国で見てきた貧困とはそのレベルが違うのだ。
日本では、少なくともお金がないからといって、瀕死の状態にある子どもの治療を親が自ら諦めざるをえない現状など知らない。毒へびにかまれても、10時間以上いつ来るか分からない満員のバスを待ち続けている人間など見たこともない。

そしてこれから、もっともっとこの流れは加速する。
精神的な豊かさを、そこから得られる内面の満足を、いかに獲得するのかがこれからの世代のテーマになる。
私たち以上の世代には理解されないが(だから親の言うことを聞いてはいけない!)、真の豊かさを得るためにはお金も時間も投資する。
それこそがこれからの生き方であり、21世紀の生き様である。

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photo by Junji Naito


今の小学生の子どもたちの世代の平均寿命は100歳を超える。そして、AIによって多くの単純労働から人類は解放される。さらに、新しいマネーの創造によって人々は経済的にも安定していく。

そんな時代に
「なぜ、苦労して医師や看護師になったのに、自分のお金を使ってまで途上国で働くのか?」
の次世代の若者の答えは明白だ。

ぜひ40歳代以上の人たちには聞いてほしい。

その答えは、
「せっかく苦労して医師や看護師になったからこそ自分のお金を使ってまで途上国で働くのだ!」

若い世代は気づいてしまった。あるいは知っているのだ。
世の中の役に立つことによって、自分の存在価値を知り、生きている意味、内的な満足や充足を得ることができる。
何より、それらを手に入れることができる生き方のひとつが、それなのだと。

あとは、彼らを導くいいコーチが必要になる。
日本にはそのコーチが少ない。なぜならば、コーチであるべき世代がまだ古い考えに固執している人ばかりだからね。
若い世代はいいコーチを探して、どんどん自己実現していけばいい。

時間とお金を投資して、あなた自身の未来のためにミャンマーやカンボジアに来てほしい。
医療にたとえ無関係な人間であっても、私はあなた方に一人の人間として何かを伝えることができるかもしれない。

私もまた、あなたと同じく、この世界を少しでも良くしたいと思っている1人の日本人なのだから。

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photo by Junji Naito


◆吉岡秀人と一緒に支援活動をしてみませんか?
学生も社会人も、医療者も!イベント参加や支援で活動を応援しよう!



by japanheart | 2018-01-22 12:09 | 医者の本音 | Comments(1)

 最近のミャンマーへの海外からの投資には、凄まじさを感じる。

「まだまだこれからですよ」という人もいるが、寂れていた頃を知る私としては、これでもかなり凄いと思っている。

 面白いもので、このようなことが起こると、人の心もすっかりと変化する。

ミャンマー人達は、俄然態度がでかくなり、自信も持ち始めている。

「自分たちの国は遅れている」いくらプライドが高くても、貧しい途上国だという現実を認めざるを得なかった人々が、プライドの裏返しから、すっかりとイメージを変えてしまった。特に、都会では。

 

 私達は、貧しいミャンマーで特に貧困層の人たちへ医療を提供してきた。

幸か不幸か、第2の大都市マンダレーから車で1時間程のところに私達が医療活動を行う病院が位置している。

別に悪いことをしている訳ではなく、医療を受けることのできない人たちに医療を提供している。


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一般のミャンマー人や、かつての軍政の時代の政府の人間、権威の中心である仏教僧侶達からは非常に好意的に受け取られてきた。

 当たり前?

ところがどこの世界にも、当たり前が当たり前でない人たちが存在する。


実はこの私達にとって当たり前でない人たちとは、ミャンマーでは医者と呼ばれる人たちであった。


 かつては医者がヒエラルキーの頂上だった。

しかし今は、一般の貧しいミャンマー人でもミャンマーは遅れていることは知っている。ミャンマーがどれ程遅れているか知らない人でも、日本が進んだ先進国だと知っている。だから、日本の医者に診てもらえるならば診てもらいたいのが人情というものだろう。

特に貧しい時代のミャンマーの医者たちは、金儲け主義の人も多く、政府の病院の給料が1か月1000円程度であった(まじで!)ので、彼らは毎日、午前中で公務をさっさと終了し、午後からはアルバイトへと出かけていった。おかげで患者たちは、主治医を捕まえるのがホントに大変だった。

そんな具合だから、日本の医者が治療し、日本の看護師達が一生懸命看病してくれる病院を、彼らは喜んでくれた。

 

ところが患者たちが期待すればするほどに、面白くない人たちがいた。

その人たちこそが医者”であった


 私達は現地ではマイノリティだ。弱い立場で、国籍もミャンマーではない。弱い立場の人間がいくら悪いことをしていないといっても、強い立場の人間から、あたかも悪いことをしているようにされてしまうものだ。

 ミャンマー人の医者たちからの干渉は凄いものがあった。何度も、治療をできなくされそうになった。

言いたいことは山のようにあっても、「それを言ったらおしまいよ!」の世界でマイノリティは黙っておいた方が賢明な方が多いのだ。

 

 彼らを刺激しないように極力注意しながらやって来た。

アメリカ人ならば絶対にしていないだろう。

アメリカ人ならばきっとお金の力で最新の設備を整えてやっただろう?

私達は日本の文化がバックにあり、どうしてもそれができなかった。

それはお金の問題ではなく。

患者にとっては最新の設備を使うことの方がメリットがあると理解はできても、どうしても、ミャンマーの医者達のプライドも立てなければと思ってしまうのが日本の文化なのだ。

 だから、いつもマンダレーの病院にある設備よりもランクが低い医療機器を使い続けてきた。手術用ライトも中国製で薄暗い。目が悪くなる。それでも我慢して、ミャンマー人の医者たちのコンプレックスを刺激しなかった。

 

結果、致命的となるような大きな対立も起こさず、何とか20年やって来た。

その間に治療できた患者たちの数はかなりになると思う。

喧嘩して辞めていたら、これらの成果は全てこの世から消えていただろう。

我慢して良かった。


 政府が代わり、時代が変わり、少しずつミャンマー人が自信を持ち始めている。自信を持ち始めて来ると、医者達の干渉も弱くなってきた。

海外からの支援が彼らの元にどんどん入り、最新の医療機器が当たり前に自前で持てるようになったのだ。


ふと気がつくと、私達の設備はまだ昔のままではないか!

手術用ライトも暗く、こちらが時代に取り残されたようだ。



そろそろ新しい今の時代に見合ったライトに替えてもいいかな?



そうしないと、今度は古い医療機器で治療をしているとクレームをつけられそうで。




 ____ジャパンハートから ご協力のお願い_____


のこり7日!あと49万5千円が必要です!手術用ライトを寄付するため、クラウドファンディングに挑戦しています!

「子どもたちが手術を待つミャンマーの病院に 医療ライトを届けたい」

ジャパンハートの学生団体ハーツが開始したこの挑戦。皆様のご支援のおかげでこれまでに150万5千円が集まりました。


終了まで残された時間は、あと7日。目標の200万円に対してあと49万5千円足りていない状況です。

目標金額に1円でも足りなければ、支援金全額が返金されてしまう仕組みです。


皆様に寄せていただいたご支援とお気持ちを必ずミャンマーへつなげるために、皆様のご支援が、今、必要です

▶詳細・ご協力はこちら



by japanheart | 2017-11-01 17:28 | 医者の本音 | Comments(0)

海外医療を志す人たちが医療支援に参加したいと思い立った時、よくする犯す過ち。


その1 「英語を学びに留学する」

その2 「十分な専門的技術・知識を身に付けてから参加すべき」


問題は、それがあたかも全てに当てはまる公式かのように信じ込み、誰かにあるいはどこかで汚染された思い込みだと気付きもしないで、人生の大切な時間を無駄にしていくということだ。



 一つ目の

 「英語を学びに留学する」


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ハッキリ言って、ミャンマー、カンボジア、ラオスなどは、現場の患者たちとの間には英語はほぼ不要。英語に費やす時間があれば、現地の言語を習得した方がはるかに有益だ。

なぜ日本人たちは、かくも英語を習得しないと海外に出れないと思うのだろうか?

しっかりとした日本の国際組織をつくることができれば、もちろんその中での公用語は、日本語、現地語、英語となる。


 ドイツ人たちで主に構成されるドイツの国際組織が、英語で会話するかな?

 スペインの国際組織は英語しか使わないかな?


 英語は組織の一部の人間がしっかりとできれば、組織的には全く問題ない。末端の医療専門家の人間には、日常的にあまり役立つものでもない。



長い時間と数百万円の語学留学費を費やし、その語彙力、語学力で、国際協力という目的を成し遂げた臨床家には、事実、ほとんどお目にかかることはない。このような段階を踏みたがる者がホントに国際協力をしたいと思っているのかさえ、私は疑わずにはいられない。



 二つ目の

 「十分な専門的技術・知識を身に付けてから参加すべき」


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これは国際協力に従事したことがある、専門家になったベテラン医師たちのよく言うことだ。


がしかし、それって本当なのだろうか?


現場で何が必要かも知らず、思い込みで専門的知識や技術を身につけて、後になってどうも活躍できる場所がない!ということもよくあることだ。


その国、その地域の発展度合いによっても、必要な医療支援の内容や分野は異なってくる。

自分に合わせて受け入れてくれる国などありえないのだ。


 ちなみに、私はおそらく臨床分野では日本で最も長く海外の現場で活動している人間の一人だと思うが、医師になって数年目、専門的技術は大したことはなく、ましてや専門医として医療支援をはじめたわけではなかった。しかし十分に現地の人の役に立ったと思うし、だからこそ今まで続けて来れたのだと思う。


決して専門的技術や知識が不要といっている訳ではない。大切なのは現場のニーズに合わせた支援な訳だから、まずは現場を知らねば何も始まらないでしょ、ということだ。


先進国にいて頭で考えたり、マスコミが作り上げたイメージそのままに勝手に妄想して自分を作っていくと、やがて現実に適応不良を起こしますよ、ということだ。


 さらに言うと、あまり偉い先生達の言う事を真に受けない方がいいとも思う。

人間には見栄というものがあり、自分が偉くなるとどうも他人を見下す傾向がある。自分のプライドを満たしたり、自分を大きく見せたいために、敢えて他人にハードルを課すような発言をしたりもする。


時代のトレンドはその先生達がのし上がった時とは比べものにならないほど速くなっているし、広がりも大きく、細分化も起こっているのだから

 

ご注意あれ。


   

 皆さんがよくご存知の、(しかし私は全くその製品を使っていない)アップルの創設者スティーブ・ジョブズのプレゼンテーションを聞いたときに、私が最もショックを受けたことについて話をしたいと思う。


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それは彼がその中で次の一言を吐いた時だった。


「直感的に、、、、!」 


やられた!!

と思った。

思わない?

日本人なら

思うでしょ?

だってこんな東洋的な言葉、もっと言うと、最も日本的な言葉をアメリカ人が発したわけですよ。


直感的に操作できるアイテム、だからマニュアルはいらないと。

それ以来、そう、この世からどんどんマニュアルの類いが消滅していくこととなる。


これはホントに、これからの時代を象徴していく出来事だった。


直感的にいいと思ったことを、誰もが直ぐに行動して確かめていく時代になったのだ。

だから、しっかりとした計画書、マニュアルを作ってから行動に移していく日本企業はスピードを失ったのだ。

その製品が完成した頃、既に時代は次のコンセプトに移っているほど、世の中の流れは加速している。

  

 子どものような素直なこころで取り組む、そんなことができる時代になった。

新しいプラモデルを買った子どもは、マニュアルなんて見ないでいきなり作り始めるものだ。行き詰まった時に、改めてマニュアルを見る。そんな感じ。



 この時代の中で、何かをしっかり身に付けてから何か成そうとしては、もう時代は次に移ってしまっている。

だからやりながら考え学び、走りながら身に付ける。そういう姿勢でなくては時間ばかりが通りすぎる。



 英語を身に付けてから国際協力をする?


ダメです。今すぐ国際協力の現場を目指してください。

その過程で英語も必要な分、身に付けてください。


 

 専門的技術や知識を身に付けてから国際協力をする?


ダメです。今すぐ国際協力の現場を経験してください。

その過程で何が本当に途上国の医療現場で必要とされているか学んでください。



もうそういうホントにエキサイティングな時代になったんですよね。

行動力ひとつで、自分を新しいステージに連れていってくれる。


こういう時代を体感し、それに乗らないなんてもったいなすぎると思わない?




by japanheart | 2017-09-29 17:10 | 医者の本音 | Comments(0)

お前は私を超えることができるか?


 若い世代の人たちに話す際によく言うことがある。

私は私なりに自分の人生で良いことも悪いことも経験してきたし、普通の人たちよりもおそらくたくさんの失敗をしてきたと思う。それゆえに、そこからまあ、いろいろな事を悟りもし、自分の中に沈めてきた考えや知恵もある。



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 今私が若い世代に語りかけるその知恵は、私が若いころには手に入れることができなかったものだ。

だから苦労をして、その結果、なんとか手に入れ今に至る。

私が若い頃にも当然、、世の中にはそのような知恵を持つものはたくさんいた。

しかし、その知恵をついに私は聞くことはできなかった。

それはなぜか?

私には若い頃にそれを聞ける才能がなかったからだ。

才能がない私は自分で失敗をしながら時間をかけ痛い目にあいながら、ようやくその知恵を手に入れることになった。

もしも若い頃に私がそのような知恵を手に入れる才能があれば、、、。

きっと、もっとすばらしい、エキサイティングな人生になっていたような気がする。


もし20代や10代で私の話を聞き、その知恵を手に入れることができたのならば、それは少なくとも同じ年頃の私よりはるかに才能に恵まれているということだ。

あなた方は間違いなく私より才能に恵まれている。

それでもなお、私以下の成果しか人生に残せないとしたら、それは自分の才能を裏切ったことになると自覚しなければならない。

人の目線や、常識、お金や待遇、名誉、それら全ては自分の才能を奪う可能性が高い性質のものだ。

これらをどうコントロールできるかで人生は大きく変わる。




私がいつもお世話になっている松下政経塾 元塾頭の上甲さんはある日、松下幸之助翁からこう聞かれたそうだ。

「お前は私を超えることができるか?」

恐縮して、上甲さんはそんな大それたことは考えられないと応えたそうだ。

しかし、翁は「なぜだ?」「超えれるはずだ!」と言う。

応えに窮していると、続けてこういう内容を言ったらしい。

「あなたは私のことをずっとそばで見て知っている。何を行い、何をどう考え、どのように失敗したかもだ。」

「だからあなたは私を取り入れることができる。」

「それに自分を足すのだから、超えれないわけはないだろう」と。


多くの人は自分には大した才能がないと思い、世の中を変えるようなことができないと思う。

でも本当は、世の中を変えるというのは、なにも政治家や企業家の専売特許ではない。

誰でもできるし、その可能性はある。

時間・場所・タイミング・やり方・考え方、これらを上手く組み合わせればありえることだ。

それを拒むものがあるとしたら、その人の意識や考え方、それから欲やエゴが邪魔するからだ。


病院で働く、いち看護師だって世の中を変えれる側に立てる可能性がある。

しかし、病院にお金で飼いならされ、マスコミや銀行に不安や欲望をあおられ右往左往している間は、まず無理だ。

生涯、不安を持ってあたふた生きるあなたになる。


勇気というのは翼のようなものだ。

少しの勇気を持って世の中に変化を与える側に立ってみる。

押さなければ跳ね返りがないように、世の中に変化を与える人間には世の中からいろんな反応が返ってくる。



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そして人生が動き始める。

同じ場所で右往左往していても世の中は何も変わらない。だから自分の人生にも変化は起こらない。

世の中はすごく単純にできている。


与える変化の大きさは問題ではない。それは個人の個性によって変わってくるだけだ。

それより自分の人生にいかなる変化が起こったか?それが全て。


今日も、明日も、その次も、そして10年後も、、、。

同じ毎日を同じように過ごしたいかどうか?


同じ毎日でもたった一つだけ違うことが起こる。

それは人は歳を取っていくということだ。

同じような毎日でも気がつけば、髪は抜け、皺は増え、そして内臓は弱る。


機械で編んだ布は狂いがなくて均一でしっかりしている。

しかしその中に宇宙は感じない。

調和していそうで、調和などない。ある種の緊張があるだけだ。

しかし、人の手によって高度に編まれた布は、一糸一糸まったく同じでないが、全体が調和してそこには宇宙の縮図があるような気がする。


人生の時間も同じだ。

人生をかけてどんな布を編みたいのか。今一度、惰性で生きている若い世代に詮索したいのだ。








by japanheart | 2017-01-30 16:45 | 医者の本音 | Comments(1)

ものごと上達の秘訣

ものごと上達の秘訣

先日ない時間をぬって小学生の二人の息子たちに質問をした。
「スポーツや習い事での上達の秘訣は何だと思う?」
長男曰く、「心の持ち方が大事」
次男曰く、「たくさん練習すること」
共に正解である。
今や世界の一流のアスリートでも、はじめの頃は小さな集団の中でそこそこ目立っていても、だんだんとレベルの高い集団に属し始めるとすごいレベルの人たちが周りにたくさんいて、その中から突き抜けてしまった現在の世界一流の姿は想像できなかったと思う。
世界一流になる!と心では威勢を吐いても、はじめの頃、現実には半信半疑の状態だったろう。
それでも自分を日夜信じ、人一倍の「たくさんの練習」を行い自ら一流になるのだという「心を持ち続ける」ことは大切だと思う。もちろんそれなくしては今の姿はなかっただろう。それは必要条件だったのだ。

もちろんスポーツなるものは生まれつきの体格や運動神経などが大きく影響する。
勉強や習い事の類にもそれは当てはまるだろう。

おそらく今、世界トップレベルの人と同じ才能に恵まれた人間はおそらく世界に数多くいるだろう。
勉強も鍛えれば東大にいける人間は、それこそ万の単位になるだろう。
では、そのトップレベルとそうでない人との間には一体、どんな違いがあったのだろう?

トップレベル近くにいる母集団の人間たちと、トップの人間と何によって差が出てしまったのだろうか?
東大の合否境界の上と下、天国と地獄を分けたものは一体どういう経過によってなされたのだろう?

私が子どもたちに指示したことは、たった一つ。
「いつも考えること」だった。
これが、私が考える抜き出るための秘訣なのだ。

千回野球の素振りをする。
千本サッカーでシュートの練習をする。

ただ、千回必死にバットを振る。
ただ、千本ゴールにめがけてシュートを放つ。

その人間と、
一振り一振りにテーマを儲け、何かを確認しながら素振りを1000回行う、
あのゴールの角にこの角度でシュートを入れるためにはどうすればいいのか、を考えながら毎回シュートを放つ、
そういう人間の差は同じ才能があったとしても時間の経過と共に大きな成果の違いを生み出す。

近代随一の武道の天才、佐川義幸氏は弟子たちにこう言ったそうだ。
「考えろ、考えろ。私にとっての正解が、あなたにとっての正解とは限らない。」

医療の現場にいても同じことを感じる。
人の指示に従う癖がついている人間は自分で考える習慣がない。
だからいつまでたっても医療のレベルが上がってこない。

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10年やっても20年やってもほとんどそのレベルは変わらないのだ。
ただ経験と習慣だけで動く。それはなれれば早く動けるようにはなる。しかし、場所や条件が変われば途端にフリーズしてしまう。そして何も自分で答えを生み出せない。その姿は最近、医療者になったのか?と思ってしまうほどのレベルなのだ。
しかし、実はそれがその人の真実のレベルだと思うのだ。慣れとごまかしで日々何とかなっていただけなのだ。
自分で考えないということは、ホントは相当、恐ろしいことなのだ。

より深く考えるためにはできるだけ現状の正確な認識が必要だ。
ある事柄についてどれほど知らないのか。どこが分かっていないのか。何がおかしいと考えられるのか。
ここでごまかす人間は成長しない。
間違ったままの状態でいくら練習しても癖が増長されるだけで決して高いレベルには達することはできない。

本番以外の試験は全てその正確な現状把握のための材料であり、自己修正のための情報だ。
他人の競技や試合、そして自分のビデオを見るのも全て、自己修正のための手段だ。
他人の動きから自己の動きを認知、分析し、自分の修正に使う。
これは全ての事柄に当てはまり、医療も全く同じだと思う。

そしていつも考えるのだ。
この動きの修正はどうすればいいのか?ああでもない、こうでもないとやってみる。
この問題が解けないのは、どこが分かっていないのか?ここはどうか、あそこはどうかと考えてみる。
そういうことを四六時中、癖になるまでやる習慣がつくと必ず大きな上達が起こる。
やがて大きな気付きが起こるのだ。

私たちが知っている一流の人間たちは皆、
いつも自分の心で未来と現在を何とかコントロールしようとし、誰よりも多くの練習をこなし、一番、悩んで考え続けている人間だと思う。

今日、次男が妻に「俺、今日考えてサッカーしたよ」と言っていたそうだ。
ここからの継続が大事なんだけどね。

ライフワークにしたいものは、とにかくいつも現状を正確に把握しようとし、修正発展させるためにいつも考える習慣をつけたほうがいい。


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by japanheart | 2016-04-28 02:21 | 医者の本音 | Comments(0)

これから20年の国際貢献のゆくえ~途上国医療のこれから


 時の流れは速いものだ。

 20年なんてあっという間。

 しかし20年あれば十分、時代は大きく動いている。


 1980年代中頃、医師を目指して医学部に入学した。医師を目指した理由はたった一つ。絶対に医療を受けることができない人々に医療を届けたいと思ったからだ。

 そして30歳のとき日本で数年間医師としての勉強を終了し、途上国へ向かう。

 そしてミャンマーを訪れた。

 私が医師を目指したとき外国で働くというのは、北米や欧州で勉強や研究に行くこととほぼ同義だった。医師として途上国で働くなどということはもちろんほとんど有りえない選択肢だった。

 もちろん、日本政府や国際協力事業団(JICA)からの派遣として幾ばくかの期間、技術協力・指導などの目的でその土地に赴くことは選択肢として与えられていた。しかし、それはしっかりとしたステイタスと高額のサラリーが保証された特別な分野であった。


 そんな時代に、日本政府の後押しもなく、途上国医療を目指し、実際に途上国の医療現場に赴く人間は完全に標準の±2S.D.(標準偏差)外、しかもマイナス2S.D.のはるか彼方に存在するまさにoutlierであり、それは否定の対象にすらならず、無視あるいは黙殺する特異な存在であった。


 それから20年。

 私のやっていることは20年前とほとんど変わらない。

 しかし、時代は確かにしっかりと動いていた。

 

 日本の権威ある医学学会、シンポジウムなどから声がかかるようになった。

 かつては厳格な医局制度の中で、途上国などで医療をするという馬鹿げた?行為を徹底的に否定してきた人々が、私の話に耳を傾けるようになったのだ。

 若い世代の医師たちだけでなく、大学教授や大病院の部長などの人々が、途上国医療に興味を示してくれるようになったのだ。

 今年も5月には日本小児外科学会総会で講演する予定になっている。


 そして今や現実に海外の私の元には年間に600名程度の医療者がその活動を支えるためにやってくるようになった。そして今後、その流れはますます加速する。

 これは時代の流れだから、おそらく誰にも止めることはできない流れになると実感している。


 さて、この延長線上で次の時代を私なりに予想している。

 これから15~20年で、時代は再び大きく変わる。

 人工知能の発展が医療そのものの姿を変えてしまうだろう。

 人々の病気は予防医学の劇的な進歩によって治療という医療の重要な役割の比重を大きく下げることになる。

 アジアは大きく経済発展し、都市部での医療レベルは東京でもバンコクでもマニラでも北京でもおそらく変わらなくなるだろう。

 今は日本の医療界も医師や看護師が足らないと必死になっているが、あと2030年もすれば医師や看護師は大きくその役割を変え、今ほど人数は不要になる。今は数こそ力だと一生懸命に人を集めている学会や医局にも人数制限が設けられ、簡単にはそこに入れてもらえなくなると思う。


 医療レベルの差は都市部で変わらない一方、非都市部では各国の経済レベル、政治レベルの差によって発展度や達成度に差が生まれ、政治や経済が上手く機能していない国ではしばらくの間、日本などの先進国の人々ほど時代の恩恵を受けることはできないだろう。しかし、それも時間の問題で解決されていくに違いない。

 それほどに医療は、医療者が知らないところで大きく地殻変動を起こしつつある。


 今後、この時代ギャップによって医療を享受できない途上国の人々に医療を届けるのがジャパンハートの役目になると考えている。


 とりあえず15年、今の延長線上でしっかりと途上国の貧困層に医療を届ける。

 それからさらに15年は、時代の恩恵から取り残されている人々に医療を届ける。


 その後のことは私にも今は全く分からない。


 


 



by japanheart | 2016-02-18 00:59 | 医者の本音 | Comments(0)

上を見るな!下を見ろ!

上を見るな!下を見ろ!


世の中にはすごい人間は五万といる。
私も若い世代には特にチャレンジしなけりゃ将来やばいよ的な話もよくする。
マジで日本社会ほどぬるい社会は最近私はあまり見ていないような気がする。
良くぞここまでこういう社会を作り上げることができたなとむしろ感心する。

私がいるミャンマーでは雨季になると数年に一度は川が氾濫し家も土地も全てが川のそこに消えてしまう。
そうすると農民たちは何かが川から這い出してきたように水かさの上昇に合わせて上に上にと
高いところに家畜と共に簡易の住処を移動させながら高い土手の斜面に小屋を構え、飯を炊き、
挙句には、商売を始めそれはもうたくましく生きている。
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政府からの助けなど端から期待していない。だからそういう環境であっても笑いが絶えず、嘆いている人はほとんどいない。
一方、ある時、ある日本の地方が洪水になり地方の体育館で過ごす、第二次世界大戦を経験した大変な時期を過ごしたはずの日本のお年寄りがインタビューに答えて曰く「もう丸1日もテレビも移らないので不安で仕方ないです。」
日本はこの70年、何て安全ないい国をつくってきたんだろうと感心してしまう。
そして今や、こんなにもぬるい世の中を実現してしまった。
まあ、日本以外のアジアの国々との比較だけれども。もちろんアメリカももっと厳しいでしょ。

そんなぬるい社会で若者に向かってがんばれ!上を目指せ!といってもなんとなく暖簾に腕押しになってしまう。
ホントはがんばらないと日本の失速と共に自分の相対的な位置も落ち始めて果てはどんどん色んな意味で貧しくなっていくのだが。
日本人はある東アジアや東南アジアの国の人間を指して素行が悪い、行儀が悪いと馬鹿にするが、
その人たちのほうが将来、収入も地位も上になってしまう。そうするとどちらが社会から重宝されるのか考えてみるとなんとなく情けなくならないのかな?

そんな若者に私からアドバイスをしてみたい。
そんな若者にあえてこう言おう!
「上を見るな!下を見ろ!!」

そう、すごいやつなんて目標にしたらいつまでたっても動けない。だろ?
すごいやつはいつの日か射程に捕らえるとして、今は敢えて、「下のやつを見ろ!」と言いたい。

人間誰でもこいつにできるんだったら自分にもできるんじゃないかと思う他人がいるはずだ。
こんなしょぼい人間にこんなことができて自分にできないはずはない、と思える人間を探してみてはどう?
本当はそいつは、かつてのそいつではなくて今やすごい人間かもしれないが、あなたが見るべきはかつてのしょぼかったそいつのイメージだ。
こいつにできて自分にできないわけがないと、自分に言い聞かせとにかくその人間と同じレベルくらいのことにチャレンジしてしまう。
現実は厳しく、そんなに人生甘くはないが、そのチャレンジのうち1つ、上手くいくだけで人生が動き始める。
とにかくきっかけだ。
人生はきっかけが全てなのだ。

とにかく人生にフックを掛けろ!

私はよく子どもの頃を思い出せばいいという。
例えば、今、医者でも世間でもてはやされている人間たちの子どもの頃を、一度みんなでのぞきに行きたいものだ。
きっと今は結構、威張っているが子どもの頃は、運動ができなかったり、気が弱かったり、影が薄かった人間が結構いると思う。
その人間たちがなぜ今や、こんなに自信に満ち、威張っているのかを考えてみたらどうだろう。
彼らにもきっとしょぼかった自分から今の自分へのターニングポイントがあるはずだ。
そのポイントはほとんどの場合、ちょっとしたきっかけなのだ。
少しほめられたとか、たまたま上手くいったとか、その程度のものだ。
生まれてからずっとすごい人間なんて一体、何パーセントいると思う。
たいていの人間は、何かのきっかけでのし上がってきているだけでしょ。

だとすると今の自分を変えるのはきっかけをどうゲットできるかにかかっている。

高い山を登るには方法は二つある。
1つは、低い山を乗り越えて体力を徐々に付けて高い山に挑んでいくやり方。
2つ目は、いきなり高い山に登り、挫折して、己を知って、そしてそこを目標に日日努力して行くやり方。

私は2つ目のやり方を好むが、それをできない人は、1つ目のやり方で行くしかない。

まずは低い山を選べ。
とにかく低い山を失敗しても、次から次へと登っていくやり方がいい。

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やがて人生にフックがかかる瞬間が訪れる。
その瞬間に、2つ目のやり方に切り替えてみるのもいい。

ところで、もうひとつアドバイスがある。
それは人生は目標を目指してそれを手に入れるよりも、失敗しようが成功しようが、もしかしたらその過程で手に入れるものの方がもしかしたら価値がある、
ということだ。
これを私は、副作用の法則と呼んでいる。

プロ野球の選手を目指して努力する(目標=主作用)。結果、プロ野球の選手になれなかったとする。即ち失敗だ。
しかし、その過程で得たもの(=副作用)はなんだろう?
努力する価値。人並み以上の体力と忍耐力。挫折を味わった人生観。すばらしい仲間たち。
野球のすばらしさの理解。得たものは、その他数え切れないほどあるに違いない。
実はこちらのほうが長い人生にとって価値があるかもしれないのだ。

そう、チャレンジするということは副作用の宝庫へのアクセスなのだ。






by japanheart | 2015-12-27 00:49 | 医者の本音 | Comments(0)

努力を発露させる

努力を発露させる


努力というものについて私見を述べてみたい。

前回の私のブログの才能の話は、「継続的努力は先天的才能を凌駕する」だった。

特に先天的な才能にはピークがあり、必ず時間の経過と共に衰弱していく性質がある。

後天的な努力によって目覚める才能はピークアウトせずに生涯成長する可能性がある。

だから継続的な努力によって時間をかけていけば、多くは生まれつきの才能の弱さなど克服できるのだ。

という話を書いた。


こういう書き方をすると、必ず、努力するのも才能がいるでしょ!という意見がある。

世の中には”ああ言えば、こう言う”タイプの人が多いが、結論からいうとこうだ。

努力に才能が必要と考えている人は、生涯、浮かばれない。


人間は呼吸が苦しくなれば、自然に呼吸数を増やす。

空腹になれば、これまた本気で食料を捜し求める。

人を好きになれば、その人の気を引くために必死になり、いつも意識を向けている。


自分さえその気になれば、いつでも努力は発露される。

そのための才能はほとんど全てに人に与えられている。

だから才能はほとんど関係ない。

努力をするために人間に必要なのは、体力、知力、そして感情のコントロール。

これらの才能は多かれ少なかれ全ての人に与えられている。

知力・体力が自分は少ないというならば、幼児は努力はできないことになる。

しかし、立派に努力する幼児たちを私たちはすぐに目撃できる。


その目的にあった体力や知力を少しづつ付けていけばいいのだ。

私は手術を24時間でもやることがある。

一方、いくら体力があるプロのアスリート、たとえば野球の選手が手術を24時間やれば疲れてぐったりする。

それ専門の体力を持っていないからだ。その逆も真なり。

知力・体力は積み重ねの延長線上に増強されてくる。


外科医として出来上がった私を見て、多くの人は私には才能があった。

医者という職業に私がいつも魅了され、外科医の手術にいつも情熱をもって向き合っていた。

だから続けることができたと考えるだろう。

その結果、今があるのだと。

しかし、それは誤解である。

私ははじめの頃、外科の手術に興味はなかったし、毎日深夜まで付き合わされる手術現場にウンザリしていた。

早く手術が終わらないだろうかといつも思っていた。

内科の研修をしているときも、その終了の日を指折り数えて待っていた。


そんな人間でも、いつも何とか自分の感情に折り合いをつけ、現状に妥協しながら来る日も来る日も医療現場に立ち続けた。

そして、今がある。


日日を振り返ると一生懸命にやった時期もある。

そんな時は、努力しているなどとは少しも思わなかった。子どもの様に、医療していることがただ楽しかった。そしておそらくそんな時期が一番医療者としても能力が伸びた時期だった。

大きくスランプに陥り、あるいは、やる気が全く失せ、とても人様に見せることができないような時期もあった。

こんな時期は、努力というに相応しい努力などできるはずもなく。惨めなものだった。


私の医者としての能力を認め、私は外科医としての才能に恵まれたのだと評価してくれる人々がたくさんいる。

絶え間ない努力を積み重ね、今の次元に立てたのだと思ってくれている。

しかし、正直な答えは”ノー”なのだ。


私はいつも、怠け者で手を抜きたがり、すぐに休みたがる。

自分に甘く、すぐに現状に妥協する。

そんな自分に何とか折り合いをつけながら、励ましながら、前に進み、継続してきたに過ぎない。


これを努力というのか?

こんなに妥協だらけの私に天は努力という才能を人より与えてくれいているか?


私はそんな怠け者の自分を能動的に動かせないから、他人に動かしてもらおうと、いつもそういう環境に自分を移してやってきた。




やる気がおきない。

すぐに飽きる。

長く続かない。

挙句に、才能がないからできない、続かない。


「では、そこで一生、停滞していて下さい。」としか私には言えない。


 

 

自分が理屈をつけて今いる場所から一向に動かないから知らぬ間に目に見えない糸が自分を取り巻く空間にも、時間軸にも張り付いて人生が時空に固定されていく。

 そしてその動けなくなった自分が評論家のうような顔をしてこう呟くのだ。

 「努力するのにも才能が必要だ。」


 飢餓になれば、人は必死に食べ物を求める。朝から晩まで探し続ける。

 クタクタになり一日を終わることだろう。

 そして次の日も、その次の日も、食べ物を探す。飽きもせず生きている限りはずっと探すことだろう。

 それを努力しているというか?

 才能がないから、探せないといって動かずにそこで死ねるのか?

本気の努力とは本来そんなものだ。理屈でするものではないのだ。

 だから、理屈で、才能だの、やる気だのと自分の安全圏から言っている間は永遠に発露しない。

 

 こんなぬるい社会にいて、安全な場所に存在しているからそういう思考になる。


 今後この社会がもっと殺伐とし、やがて自分が安全な場所にはいないと悟ったときに、その人たちの努力は自然に始まるだろう。

 自分の存在が、何らかの形で脅かされたときに、”努力を!”などと意識せずともアタリマエにそう行動しているだろう。

 それまで、今いる場所で糸に絡まれながらじっとしていればいい。


 でも、もし、あなたが少しでもその糸を緩めたいと思うならば、あなたは取るべき行動は明確だ。

 外敵がいる場所に移動すればいい。

 あなたにとって居心地が少しは悪い場所に移ればいい。

 経験したこともない場所に移動すればいい。

 

 少なくとも私はそうして、いやでも他人に私の中の生きる気力を刺激してもらってやってきた。

 やる気がなれば、文句を言われる。

 長続きしなければ、怒られる。

 それでもなかなか逃げられない場所に自分を自らの手で持ていくしかない。


 あとは私のようにのらりくらりと何とか自分と折り合いを付けながら、時間をかけて継続した先にきっとあなたの陽のあたる場所がある。



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by japanheart | 2015-12-05 05:26 | 医者の本音 | Comments(0)

日本女性に告ぐ!

日本女性に告ぐ!


 「っていうか、あなたたちは!」と心の中で何度つぶやいたことだろう?

 そう!日本人女性たちに私はひとこと言いたいのだ。


 海外で医療をやっていても本当にたくさんの人達が私を訪ねてきたり、医療活動にボランティアに訪れてくる。

 1年に医師と看護師だけでその数は600名を超える。

 それ以外に一般人や学生、その他の人たちを合わせるとどのくらいになるのだろう?

 そしてそのうちおそらく7割以上は女性である。

 10代の学生から50代くらいの女性までいる。

 

 現地では私はさまざまなことを彼らと話すのだが、女性はどうも、恋話が大好きなようなので、私も何かにつけて、たとえコジツケでも、恋愛にたとえて話をすることにしている。

 その例え、いまいち分かりませんといわれるが、女性は恋愛の話がすきなのだと私は思い込んでいるので、あまり気にせずに続けている。


 ところで、たくさんの女性たちと話をしていてると彼らから飛び出す最も多い台詞の上位3つは、

 

 1、いい出会いがない

 2、いい男性が私の周りにいない

 3、私は結婚できないかもしれない


 という感じになる。




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 私に言わせれば全て間違っている。

 いい男性など元々、日本にはそんなにいなかったと思う。

 戦前の日本人女性は性格はともかく、はっきり言ってすごかった。

 朝の早くから、夜遅くまで、あらゆる仕事をこなし、子育てもして、そして十代のうちから結婚して休むことなく生きていたのだ。

 その女性と日本人男性が結婚して、まあ何とか上手くやっていたということは、いかに日本人男性がいい加減でもやっていけたのかという、今の私たちから見るとそれはうらやましい限りの時代だったのだ。

 だから当然、戦前の日本人男性は甘やかされている。

 だからきっと今の女性が戦前の日本人男性をみても、きっと惹かれはしないと思う。

 きっと「少しくらい家事しろよ!」と怒鳴るに決まっている。

 

 私が思うに日本人女性にいい出会いがない最大の理由は、女性のメンタリティーにあるのではないかと疑っている。

 それは、現在の日本人女性たちの結婚や恋愛に対するメンタリティーが時代にマッチしていないということだ。


 戦前までは、日本人女性たちは職業も持てず収入もなかったために、男性に経済的に頼らざるを得なかった。だから、どうしようもない男であっても、どんなに不釣合いに劣っている男性であっても、何とか自分に言い聞かせて納得してやってきたのだ。

 時に男があまりに酷いときは、その男ではなく、私はその家と結婚したのだと慰めながら、子どもに未来を託し、生きてこなければならなかったのだ。

 ところが、現在は女性はたちは、自分で収入を持つことができ自分ひとりくらい何とかやっていける、生きていける収入は既に獲得できる時代になっているのだ。

 しかも、日本人は既に飢えの恐怖から開放されており、男にいまさら頼らなくても女性一人でも生きていける時代なのだ。

 

 だから何が言いたいのかというと、そんな時代になっているのに、肝心の女性のほうが前代的なメンタリティーのまま現在も男性との関係性を位置付けているということだ。

 だから、現在は既に女性が男性を選ぶ時代になっているにもかかわらず、まだ女性が男性に選んでもらうというメンタリティーから抜け出せていない。

 男性からのアプローチを待っていたり、なかなかいい人が現れないと嘆いている。


 違うのだと言いたい。

 男性から選んでもらおうとするな!女性が選ぶのだ。そう!あなたが選ぶ側なのだ。女性こそアプローチをできる立場であり、あなたがなかなかいい人が現れない男性の前に現れてやるのだ。


 特に日本は女性の親権も強いのだから、たとえ離婚しても余程のことがない限り、子どもは女性の元に引き取られる。

 いい国ではないか。


 これから時代は人の労働形態は、ひとつの職場、ひとつの職業という過去の形ではなくなる。

 おそらく結婚の形も多様化する。

 バツイチ同士の結婚なんて当たり前すぎる時代になる。

 同性同士の結婚。

 未婚のシングルマザーとして子育てする。

 数度の離婚暦。

 それを違和感があると感じている人は既に、時代から遅れ始めている。

 これからは個人の時代。

 社会に合わせる自分ではなく、自分らしく生きるを追求する時代なのだ。

 多様性の時代なのだ。


 過去の決まりきった形にとらわれず、自由に柔軟に時代を生きていける。

 そういう流れの中で、徐々に日本人女性たちは様々な状況から解放されていくだろう。

 その向こうに無理やりでない自然な女性の登用もある。



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 実はこの男性社会、すなわち旧型の仕組みを維持する最大の勢力は、私はマスコミだと思う。

だってこんな時代に何で女性たちが、昔の思考回路を維持しているかというと、誰かが子どもの頃から織り込んでいるからだ。テレビも何もかもそういう女の人イメージばりりで埋め尽くされ、そんな女がとても健気でかわいらしい、すばらしいのだと、知らぬ間にあなたたちは理想のひな形を押し付けられている。
 バカバカしい!
世の女性は男性の所有物ではない。
男性の願望のひな形に押し込まれている時代を卒業するべきだ。
 自分がどうありたいか、どんな女性でありたいかは自分で決めるべきだ。

 女性に関する啓蒙は、3割の力でアクセルを踏み、7割の力でブレーキを踏んでいるようだ。


 全ての日本人女性にいいたいのは、結婚だって、恋愛だって、あなたたちが主人公で、あなたたちこそ選択できる立場なのだと、早く気付くこと。

 

 そして、古い社会の仕組みに振り回されずに、どうぞ自分らしく生きてくださいということだ。

  

 この時代、多様性の時代は、一生懸命生きていればどんな形の人生だって恥ずかしいものなんてない。

 離婚したって、少々歳をとっても、後ろめたさなど持たずに、堂々と次の恋に向かって進んでもらいたい。


 そういう時代だと分かっている私から見れば、女性がうらやましいよ。


by japanheart | 2015-10-20 03:12 | 医者の本音 | Comments(0)