発展途上国の子供を救え!小児外科医吉岡秀人の戦い:いのちの重み
2018-02-06T11:48:09+09:00
japanheart
特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。
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サボテンの花
http://japanheart.exblog.jp/26935891/
2018-02-05T13:58:00+09:00
2018-02-06T11:48:09+09:00
2018-02-05T13:58:44+09:00
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いのちの重み
5歳で発症し、現在17歳。何度も再発を繰り返し今も病床にあった。なんと人生の3分の2がこの病気との闘いだった。
学校にもなかなか行けない彼は、病床で図鑑を見ていることが多かった。中でもサボテンに興味を持ち、それは彼の友達の代わりだったのかもしれない。やがて彼は、サボテン博士になってしまった。彼には特にお気に入りのサボテンがあった。名はキンシャチというサボテンだった。そのキンシャチの日本で最も大きなものが、伊豆シャボテン動物公園にあった。
それにずっと会いたかった、、、。しかし、病気の調子も悪く、その夢はなかなか叶わずにいた。
多くの人は十代の頃、好きな人ができたり、友達といろいろ出かけたりを当たり前にする。彼はその当たり前のようなことを、少しだけでもできたのだろうか?もしかすると、普通の十代がするそれらを全てひとつにまとめたものが、彼にとってはそのサボテンだったのではないかと思うのは、少し違うかな?
彼のお父さんはお医者さんだ。小児科ではないけれど。私は今まで何度も、医者の子どもが病で亡くなるのをみてきた。きっと、自分には手が出せない無念さを今も抱えているのだろう。
ジャパンハートには”すまいるスマイル・プロジェクト”という企画がある。その企画は、今や多くの人たちに利用され、日本中の小児がん専門機関や医師たちの協力を仰げるようになった。「好きなときに好きな場所へ」をコンセプトに、小児がんの子どもとその家族に生涯に残る思い出をつくってもらおうと始めた企画だ。ディズニーランド、キッザニアをはじめ、様々な場所に子どもたちを連れ出している。看護師や医師の付き添いはもちろんのこと、毎回多くのボランティアスタッフの献身的協力によってサポートされ、また、拠点病院とも必ず連携している。
このサボテン博士も、その企画に応募してきてくれたのだ。
病状がどんどん進んでいく中、遂に、伊豆のシャボテン動物公園でキンシャチとの出会いを果たせたのだ。
そのときの様子をボランティアスタッフから聞き、本当によかったと、幸せな気持ちになった。お父さんは黙って子どもの車椅子を、ずっと押していたそうだ。ただそれを聞いただけで、その父親の心が伝わってくるようだった。
帰る前、サボテン博士はお土産を買いに行った。お母さんがある写真をみて、サボテン博士に「この花、素敵ねぇ!」と言ったサボテンの花があったらしい。サボテン博士は今まで貯めてきたお小遣いを使って、そのサボテンをお母さんへのプレゼントとして買ったそうだ。しかしサボテン博士の買ったサボテンには、お母さんが「素敵!」と言った花は咲いていなかった。なぜか花の咲いていないサボテンを買ったそうだ。
それには彼の命をかけた願いがあったのだ。
”お母さん!このサボテンの花が咲く頃までは僕は生きているから!”
幸せな一日を過ごしたサボテン博士とその家族は、やがてもとの病院に帰っていった。
数日前、ミャンマーで手術していた時のことだった。私はいつになく手術に難儀していた。診断名と違い、複雑でなかなか上手く前に進まなかった。うんざりした気持ちで、血だらけになった手術着を一旦着替えに戻ったとき、その知らせが届いた。
彼が亡くなったという、日本からの知らせだった。
私はその瞬間、自分が生きて今、こうして難儀できる幸せを感じ、思い知らされた。私はなんと幸せなのだと、生きているだけでも十分幸せなのだと。
失いかけた自分のエネルギーが再び充電されていくのを感じた。
最近よく思うことがある。こころや肉体はこの時空に閉じ込められているけれど、人の魂は時空を越えて存在するのではないかと。彼の魂は、自分が亡くなる時期を知っていたのではないかと思う。だからあのぎりぎりの時期に、あの場所を尋ねることができたのではないかと。ある人が死んだ後も、あるいは生きている今も、どうしてあのタイミングであのことが起こったのだろうかと、不思議に思うことがある。偶然にしては出来すぎているし、偶然で起こる確率などありえないと。
だからきっと、それは偶然じゃないのだと。私たちの魂は時空を越えてちゃんと知っているのだ。最近、そう信じるようになった。
きっと彼の魂も、お父さん、お母さん、そして二人の弟たちと最期にあそこを訪れるタイミングを決めていたんだと思う。 サボテン博士は二人のボランティアスタッフに、お土産にはこのサボテンがいい、と小さな鉢に入ったサボテンをすすめてくれた。彼が亡くなったその日は天気がよく、すごく気持ちがいい日で、地方のボランティアスタッフは別々の場所で、同じ日に、偶然にもそのサボテンを初めて外に出し、太陽に当てたそうだ。
きっと彼が、今日は天気が良いからサボテンを太陽に当てたほうが良い、と伝えたのだろう。
そのサボテンは、花を咲かせ、今も彼の思い出と共に生きている。
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ドクターカーに込めた想い ラオス編
http://japanheart.exblog.jp/24780334/
2016-10-31T23:45:00+09:00
2016-11-03T13:22:39+09:00
2016-10-31T23:44:39+09:00
japanheart
いのちの重み
アジアの途上国では、どの国でも大きな都市部以外は昔ながらの悪路が続く。雨季には、ジャパンハートの四輪駆動の車でも泥につかまり前に進めなくなる。その時には、村のあちこちから人々がやってきて、タイヤの下に草と小石を詰め込んでいく。そして、村人たちと泥に足を突っ込みながら、車をぬかるみから這い出させるのだ。彼らが病気になった時は、しっかりお返ししなければならない。
しかし考えてみると、そんな道を患者たちは、自転車やオートバイ、果ては牛車や徒歩で何時間もかけて私たちの所へやって来てくれているのだ。あふれかえる患者たちの一人ひとりにはそんな隠れた風景がある。待てど暮らせど、どうせ自分たちの村には医者は来ない。だから自分からやって来てくれるのだろう。
人は大きなことがらに関わりだすと個人の人生が見えなくなる。病院であふれかえる患者たちに慣れてしまうと、患者たちの苦労がわからなくなる。苦労がわからなくなると、患者たちの人生が見えなくなる。患者の人生を診ない医療は温かさを失う。その体温は医療者自身を暖める温もりでもあるのに。
アジアには、昔の日本にあったような慣習が今でもたくさん残っている。私たちがアジアの田舎で救急車を使う時、人の命を救うために使い、そして患者や家族の精神的な救いのために使うことも多い。昔の日本人たちは大病を患い、死の床に就くと自宅で死にたいといって皆、病院から家に帰って行ったものだ。今では、多くの人々が病院というおおよそその人の人生には無関係な場所で死を迎える。これは幸せなことなのだろうか?私たちが医療を届けているアジアの地域では、病院までの道のりがかなり遠い。
平均で4~5時間程度かもしれないが、中には48時間以上かけてやってくる患者たちも多い。彼らは病院で死の床に就くと、必ず私たちに村へ帰りたいと懇願する。村の外で死んだ人間は村で遺体を埋めることができない。「不幸を村へ持ち込む」という考え方があるからだ。その人が遠い病院で死んでしまうと、家族は二度とその人の面影を偲ぶこともできなくなってしまう。だから、何が何でも生きているうちに村にたどり着きたいと願う。点滴をつるし、酸素を与え、数時間の道のりを、少しでも心臓が動いている間に村に向かって救急車を疾走させる。生きているうちに村にたどり着いた時、今まさに息絶えようとしている患者に聞くことはできないが、家族や身内はみな安心した顔をしている。その最終目的を達成するために、治療を途中で切り上げることもある。助かるかどうかわからない段階でも、その決断をしなくてはならない時もある。神ではない私が、何という宿命を背負ってしまったのだろう。心筋炎で死にそうな人を治療を中断し、そうやってうちに帰した。一月後、その人が先日はお世話になりましたと元気にお礼を言いに来たときは、苦笑いするしかなかった。
どこにしまってあったかわからない汚れたお金を握り締めて、治療を待ち続ける患者たちの人生とはどのようなものだろう?多くは支援に効率を重視するだろう。それは多くの場合、お金に換算される効率だ。それも支援する側だけのお金に換算される場合だけが多いのだ。このプロジェクトにはいくらのお金が必要でその成果はこれほどなのだという具合に。そこには患者たち一人ひとりが、自らに費やしている時間やお金は含まれていない。もしも、そのどちらをも加えた総計から効率が導き出されるとしたら、支援の様子も今とは変わるかもしれない。 私たちが逆に彼らの元に赴き、彼らのなけなしのお金が交通費で費やされることがなければ、少しは彼ら自身の健康にお金が使えるかもしれない。 さらに、こちらから彼らの村へ出向き診療活動をしても、多くは聴診器一本の戦いになる。心電図をとらなければわからないことも多い。薬すら決めることができない。腹痛や腫瘤の診断に触診だけでは限界もある。だから、せめて超音波を大きな町で撮るようにと依頼してしまう。
しかし、結局は彼らがそれらの検査を受けることはない。交通費、宿泊費、診断費。それらを支払い、また私たちが近い将来そこへ診察に帰ってくると信じるほど、彼らに金銭的な余裕があるわけではいのだろう。 私たちは少しくらい患者と私たちの持ち出したエネルギーの総和で効率を計る医療活動をしてみたい。それは時に、人の健康を取り戻すという行為からかけはなれた、今まさに絶命しようとする人を生まれ故郷に送り届けることになるかもしれない。
人はきっと効率だけでは生きていない。 生きていけない。人を好きになるのも、人のために生きるのも、生まれ故郷を大切にするのも、どれも効率でははかれない。
私たちは、そんな非効率な医療も行うことができるドクターカーをラオスに投入してみようと思う。
あなたの人生のように、私の人生のように、見ず知らずの病気の人々の人生をいい加減には扱わないように。そして、汚さないために。
▶10万人が待つラオスの貧しい村へ
ドクターカーで医療を届けたい!
ジャパンハートはクラウドファンディングに挑戦しています。
ご協力よろしくお願い致します。
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人の”いのち”のつながるところ
http://japanheart.exblog.jp/23843056/
2015-11-06T02:44:00+09:00
2015-11-06T15:16:39+09:00
2015-11-06T02:44:26+09:00
japanheart
いのちの重み
先日、大阪で久しぶりに財団を通じてジャパンハートの活動を支援していただいているミュージシャンの浜田省吾さんのコンサートによばれていって来た。内容はもちろんすごかった。 コンサート後も、励ましの言葉を頂き、いつもながらありがたく優しい人柄を実感できた。
コンサートの中で何度か、この時期だからか、自分自身の運命からなのか、それは私の知る由もないが、戦争や紛争などのシーンが幾度となく映像で流されていた。 戦争については、ミャンマーでは第二次世界大戦で20万人近い日本人たちがなくなった土地で、そして今もなをその残骸が多く残る国でもあり、私もずっと戦争をいのちという視点で感じ続けてきたことがある。
ある視点から見れば、こういう質問もしばしば受けるのだけれども、私が途上国で長い間やっている手術や診療などの活動は果たして、どれほど正しい活動であるのだろうか?
ある人は、そんな活動をちまちまやっていても救える人数たかだか知れているだろうといい、 ある人は、外国人が現地で医療をすることは、現地の医療界や社会の秩序のバランスを崩す行為だといい、 またある人は、患者が死ぬというリスクばかりを強調し思い描き、予期せぬことが起こったときの責任はどうするのだという。
結論からいうと、私はいつも一生懸命に現実と格闘するだけで、それらの視点からの意見は私にも患者にもどうでもいいことであるということだ。 また、私は人のいのちを救っているのだと自覚している。 ミャンマー人やカンボジア人や日本人のいのちを救っているのだとは考えていない。
私が悩んでいたのはこのように抽象度の低い課題ではなく、もっと大きな視点からの悩みなのだ。
それは私たちが、通常のミャンマーやカンボジアで人をどんどんさらに効率よく治療していき、多くの人々が助かっていくときに、社会全体の中でのバランスをどう考えるのかという課題であった。 多くの人々が助かるということは、多くの人々の食料や職業が必要になるということでもあり、私たちがターゲットとしている貧困層の子どもたちが多く助かるということは、貧困層の姉弟は犯罪の予備軍になりやすいために、将来、犯罪発生率をどうコントロールいていけばいいのかというような悩みなのだ。 たくさんの人を助けるということはさらにそういう課題を社会に生み出すことになる。
戦争はいけないことだ。 人を殺すのは正しくない行為だ。 は限りなく正解に近いが、 人を救うは正しい行為だは、それほどには正解には近くはない。 なぜならば、人を救う行為はさっきの例のごとく、また別の問題を生み出してしまうからだ。 日本では新生児医療が進み世界で最も低い死亡率を誇っているというが、別の角度から見ると、生涯、人工呼吸器から離脱できない子どもや重度の脳性麻痺の子どもたちもたくさん生み出している。
それで途上国で医療規模を拡大し、成果をたくさん出し始めていくなかで、その人を救うは正しい行為だという思考をどう位置づけるのかというのが私自身の悩みでもあった。
そして、数日前、浜田省吾さんのコンサートで、その歌声を聴きながら映像を追い続けていたときに私の意識は別の次元に飛んでいく。 浜田さんの声は既に遠くに木霊したようになり、ある思考が私の頭を占拠し別の映像が次々に映し出される。
昭和のはじめ日本の平均寿命は45歳程度であった。 多産多死。まさに1歳を待たずに死んでいた多くの子どもたち。 現在、カンボジアでもミャンマーでも、ラオスでも日本よりも明らかに平均寿命は短い。 ポルポトの時代、虐殺にあっていのちを失った数百万人のカンボジア人たち。 先日、ラオスで白血病で亡くなった7歳の男の子。
今のアジアの途上国でも、戦前の日本でも人の死は、現在の日本なんかよりも明らかに身近にある。それは特別で非日常的なことではないのだ。 死が近い。
私の思考も直感も浜田さんの歌を背景にしながら同じ結論に達したのだ。 死が身近な国や時代は、生(=いのち)は軽くなる、ということだった。
どんどん戦争が起こるから人がたくさん死に、生が軽いのではない。 人の生が軽く扱われるから、戦争が起こるのだ。
だから私はこのときに確信したのだ。 死をあまりに身近にしないこと。 人間たちを死から遠ざける作業、すなわち生(=いのち)を救うという行為、生(=いのち)を重んじる行為というのは、最も正解に近いといえる戦争や人を殺すということを、遠ざけ遮断する行いなのだということを。
死を忘れた生はその密度を失い、死を寄せすぎた生はその存在を失う。
いのちを救うという行為は様々な重荷を背負っては生み出す行いではある。 しかしながら、私たちが胸を張っていえる戦争はいけない、人を殺ろしてはいけないという正解と確実につながっている。
これが、私が浜田省吾さんからもらったメッセージだった。
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いのちの価値と本音
http://japanheart.exblog.jp/23322563/
2015-06-25T19:11:00+09:00
2015-06-25T19:41:13+09:00
2015-06-25T19:11:06+09:00
japanheart
いのちの重み
先日、「あごの下に塊がある」と来た男の子の検査の結果は、悪性リンパ腫だった。
この国でも、まともな子どものがん治療は出来ない状況にある。
少しでも早く、がん治療を出来る病院を作らねばならないが、現実は日本政府のように右から左にお金を自由に動かせるようなふところ事情ではない。
実際、私たち人間は、本心では他人のいのちはどうなってもいいと思っているのではないか、と思う事がある。
人間とは戦場の兵士や特殊な異常性を持つ人をさしているのではない。
昔、日本人が乗った航空機がハイジャックされ、それを救ったときの首相は、「人間の命は地球より重い」と言ったそうだ。しかしそれは、彼の頭で考えたリップサービスや人気取りを大いに加味した正解であっても、本心ではないだろう。
本当に人のいのちは、地球よりも重いのだろうか?
いやいや、教育現場でも「子どもたちに命よりも大切なものはない!」と教えているのではないか。
しかし、政治家たちが命がけでやると宣言している戦争反対のシュプレヒコールは、本当にいのちが大切だからやっている行動なのか?
今、本当に他人の命が失われることに心を痛め、行動している人間がどれほどいるだろうか?今もきっと、世界のどこかでバッタバッタと多くの子どもたちがマラリアなどで死んでいる。
時に、わが子の命を救おうと募金を募り、アメリカあたりまで心臓移植を受けに行く子どもの親に協力する人間は、その募金箱の前を通り過ぎる人間の、何パーセントになるのだろうか?
教育現場では「いのちが何よりも大切だ」と戦後からずっと、今も教え続けているのに、どうして企業は、いのちを救うプロジェクトに賛同をせず、建物を建てたり、木を植えたり、職業訓練やレクリエーションに支援をするのだろう?
それはそれでもいいのかもしれない。
それならば、教育現場で「人命よりも大切なものはない」などとうそぶくのはやめてほしい。
「世の中には人命と同じくらい大切なものがいくつもあります」といえばいいだけだ。
そういう心の底では信じていないのにする教えは、さまざまな弊害をもたらす。
「人間とは自己の延長線上で他者を認識する」は、大切な定理になる。
この自己の延長線をどこまで拡大できるかが、人間も企業も本当に大切になる。
自分の子が愛おしいと思い、自分の命に代えても助けたいと願う状態は、わが子が自分の一部になった状態ということになる。
仏教の悟りの境地は、自己の意識の拡大にあるとすると、自分が他者や自然とつながる状態。
他者も自然も自己の一部と感じるくらいにつながった自己拡大を起こした状態とすると、
そしてそれが私たち人間が目指すあり方だとすると、
その人間が集まって出来ている企業が目指すところも究極はその辺りにあるのかもしれない、、、。
企業理念はきっとどこも無意識にもその辺りから生まれてきている可能性もある。
企業理念がたとえ立派でも、中身がついていかない、あるいはそこで働く人々やお客たちが、うそ臭く感じたり、違和感を持ってしまうのは、
結局のところ、企業活動の内容やあり方が、個人でいうところの意識の拡大、すなわち企業の利益と社会の利益の共有、企業の存在が社会の一部として100%有効に働いていない状態だと思う。
すばらしい企業理念、すなわち多くの企業が掲げているあれは、ある意味、悟りを得ている人間に近い状態のあり方である。しかし、現実は悟りを得ていない人間が、悟ったことを吹いているようなもので、
多くの人々が企業に感じる違和感やうそ臭さはどうもそのあたりを感じ取っていると思う。
ではどうすれば、人の命を大切に扱えるのだろうか?
どうすれば、社会を大切にした企業になれるのだろうか?
どうすれば、うそ臭い人間だ、企業だといわれないのだろうか?
まずは行動してみることだと思う。
小さな行動をしてみることに尽きる。
そのためには現実を如何に自分事に引き寄せれるかにかかっている。
心臓移植の子どものために10円を募金箱に入れる。それでいい。大きな金額は必要ない。
企業のCSRの責任者たちは、自分の子どもががんになったらどのような行動をとるのだろう?
国民皆保険で支えられ、医療を受ける事の出来る日本という国で生きていない人間たちの、その不安と不幸に少しだけ寄り添う、そんな人たちがCSRの担当者であれば何人の人間が救われるだろう?
本当に人の命が大切というならば、そう行動することだ。
自らそう信じ行動できない嘘を、子どもたちに堂々と教えてはいけない。
この国には相変わらず嘘が多すぎる。
個人も企業も、どこまで自己拡大できるか。ズウタイだけの拡大は不健康な状態だ。
人間も企業も、その意識を拡大できたとき、進化したという、健康状態に至る。
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命のつながり
http://japanheart.exblog.jp/23080551/
2015-05-08T14:26:00+09:00
2015-05-11T09:30:56+09:00
2015-05-08T14:26:18+09:00
japanheart
いのちの重み
普通、海外で医療活動をやっていると生死にかかわる患者ばかりがやってくるわけではない。
多くは日本でもいるような患者たちであり、子どもになる。
私は外科を主にやっている関係上、手術が必要な子どもが多くなるが、近々、生死にかかわらない。
私はこのような患者たちの流れを、実は大切にしている。
このような患者たちをしっかりしかもたくさん治療していることが、生死にかかわるような重症の子どもを引き寄せる基礎的な土台だと思っている。
日本でも重症の患者だけを診たい欲求に刈られている医療者は多い。
効率よく自分の人生の時間を使いたい、あるいは医者としての能力を上げたいと思っているのだろうが、そんなに上手くいく人生などない。
医師人生もない。
これは小口の取引を拒否して、大口取引だけし、大きく儲けたいと思っているようなビジネスモデルと同じだ。
これを普通の人間がやることは難しい。出来る人もいるが。
ミャンマーでは過去何度も、政府が流通通貨を一夜にして無効にした歴史がある。
いきなり今日から、今まで苦労してためたお金が紙切れになったのだ。
だからミャンマー人は基本、自国の通貨に対する信用は低く、外貨で持ちたがるし、不動産やその他の現物に変えることが多い。
なぜそんな風にする必要があったのか?
ひとつの理由に、中国人やインド人に大部分ビジネスを握られ、ビルマ族の人たちがお金をもてなくなっていたからだ。
ビルマ人と中国人のビジネスに対する大きな印象違いは、中国人は小さなビジネスを大切にし、流れを作り、やがて大きなお金を持っていく。
一方、ビルマ人は、一発、大きなお金を稼いでやろうと、小さなビジネスチャンスを大切にしない。だから大きなビジネスチャンスもやってくることはない。
そして気が付けば、すべて中国人とインド人にビジネスを持っていかれる。
そして政府がお金を無効にする。
この話から得れる教訓は、小さな流れを大切にすることだ。流れも出来ていないのに大きな収穫を狙ってはいけない。
コツコツした小さな努力の積み重ねが、大きなチャンスを呼び込む。
何気ない小さな成果がいくつも寄せ集まってやがてしっかりとした土台となり、その上にすべては載せられていく。
かつてある看護師に、このような比較的軽症な患者たちをこんなにいっぱい手術してどれほどの意味があるのかといわれたことがある。
そのときも、さっきの理屈を話したが、本当に助けたい人を見つけたければ、この流れを生み出すしかない。
そのときは、分かっていたかいなかったが、わからないけど。
先日、最近、ラオスでは腎臓がんの1歳の子ども、悪性リンパ腫の子ども、胆道拡張症の1歳の子ども、カンボジアで6歳の腎臓がんの男の子などなど。
全部、やってきてくれそれを治療できたのだ。
それはすべて特には命にかかわらない疾患で治療を受けた人たちが支えていた命ということになる。
そういう縁で結ばれた患者たちなのだと思う。
自分の命は知らないところで人の命とつながっている。
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いのちの行方
http://japanheart.exblog.jp/22574935/
2014-11-17T00:19:00+09:00
2014-11-17T01:23:04+09:00
2014-11-17T00:19:31+09:00
japanheart
いのちの重み
今日はある青年の話をしなければならない。
この青年は生まれたときに膀胱が破裂し、ペニスも真っ二つに割れしかも、しかもかなり小さな大きさしか生涯にわたってもてない運命にあった。
膀胱からは尿がダダ漏れで、いつもおしっこの臭いがしていた。
手術も何度も受け、多くの時間を病院で過ごさなければならなかっただろう。
尿道括約筋というものが生まれつき欠損しているせいで、破裂した膀胱は治せても尿は漏れ続けていた。
自分の不遇をどのように受け止めていたかは知らない。
彼は家族から離れ、お寺に住んでいた。
それはおそらく自分の精神の安定を保つためであったのかもしれない。
ミャンマーでは僧侶たちは生涯、独身を通す。
彼が私の前に現れ、自分の尿の漏れとペニスの修復を望んできたのはもう6年ほど前かもしれない。
スタッフや彼の家族の協力も得て、日本での治療を行うことになった。
ほとんど容積が30ccしかなかった膀胱は、腸を使った再建術によって生まれ変わり、二つに裂けたペニスも一つになり、尿漏れもほとんど防げるようになったものの、時々、膀胱や尿道に石ができそれで苦しんでいた。ペニスは勃起はぜず、とても小さいものだった。
最近は尿道に留置カテーテルをいれてることが多くなった。本当は自分でチューブを尿道から日に数回、適時入れておしっこを出すとその必要もなかったが、痛がってそれをしようとはしなかったからだ。
彼には口癖があった。
いつも、「死にたい、死にたい」と言っていたそうだ。
私たちの治療はほぼこの時点で終わっていたと思っていた。
医学的には、既にやれるべきことはやっていたと思う。
敬虔な仏教国ミャンマーではほとんど自殺はしない。
28歳になったある日、彼は、お寺にある自分の部屋に行って少し休むと言って、しばらく部屋に来ないように周りに告げた。
ミャンマーでは、一人部屋はあまり多くないので、数人で部屋に住んでいたのかもしれない。
1時間後、誰かが様子を見に行くと、静かに死んでいた彼の肉体がそこにあった。
彼はおそらく自分でいのちを絶ったのだ。
彼は肉体のある程度の修正では救われていなかった。
仏の道に入っている僧侶たちでもない彼はやはり、一人の男としていきたかったのだろうと思った。
若い男たちがそうするように、女を好きになり、恋愛もして、家族も持ち、、、普通に生きたかったのだと思った。
このとき私は「しまった!」と思った。
彼はその程度の肉体の修復では、心が救われなかったのだと自覚したからだ。
だから彼は死んでしまったのだ。
こころが救われなければ肉体が救われていても、仕方ないではないか。
ではどうしたら彼のこころを救うことができたのだろうか?
この答えも、私にはすぐに思い当たる節があった。
それが私の後悔をさらに大きくした。
”自らの肉体の不遇な経験を持つ人のこころを救うには、他者の肉体の不遇を改善し、そのこころを救う行為によって、自らのこころも救われていく。”
これが私が、自身の人生から得た教訓だった。
肉体の苦しみは、自身あるいは他者の肉体の救済によってのみその苦しみから解放される。
自身の肉体が完全に救済されないならば、他者を救済していくしか方法はない。
貧乏で、ひもじい思いをした経験のあるものは、物質的な豊かさを獲得し、自身および他者に施すことによってのみ、そのトラウマから開放される。
彼を医療者にすべきだったと悔いた。
看護助手ならばミャンマーの現行制度の中でも可能だった。
病気をある程度治したらそれで患者は満足しているのだろうと考えるのは、よくない。
患者のこころの中をも静かに思いやる医療者でなければ。
この経験が、彼の死が私の中で次のやるべきことの一筋の光になると思う。
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途上国小児がんへの挑戦
http://japanheart.exblog.jp/22528742/
2014-10-31T03:35:00+09:00
2014-10-31T03:45:22+09:00
2014-10-31T03:35:18+09:00
japanheart
いのちの重み
ミャンマー・カンボジア・ラオスなでのアジア途上国地域では、小児がんは今だにほとんど救命できずにいる病状の一つだ。
先日、ラオスで発見し、日本に搬送し治療をしている小児の腎臓がんの1歳の女児は、順調に経過をたどりあと数ヶ月の抗がん剤の治療を行えば、大丈夫のようだ。
この腫瘍は、発見時の状況からしっかり治療すれば救命できる見込みは十分にあったわけで、それだからこそ日本へも連れて行ったわけだけども。
ところが発見時からがんの種類によってはちゃんと治療をしてもかなり予後の悪いものもある。
先日ミャンマーで出会った10歳の少年は8時間も満員のバスに乗り父親に連れられて病院にやってきた。
右足のひざから下は大きく腫れ上がり、触るとかなり痛がる。
レントゲンを取り、骨や組織の様子を見てみると、、、、。
悪性の骨肉腫を疑わせるの十分なものだった。
このようなものに出会うと、私たちはもうお手上げになってしまう。
ミャンマーでは、政府が民間の病院には麻薬類や抗がん剤の類の薬剤は一切、流通を止めているというわけの分からない状態になっているので、骨肉腫でなくても、全くお手上げになってしまう。
政府の病院は、治療費までは面倒を見ないので、多くの人々は治療を受けないか、途中で中断してしまう。
よって、ほとんどの子どもたちががんによって亡くなることになる。
一応、、両親には悪性の可能性と政府の病院に行って治療をするように話をしたが、両親はここの病院で治療を受けたかったと何度も言った。
彼らはよく分かっているのだ。
政府の病院では治療が不適切で、値段も高く、医療技術も確かでないことを。
そしてなにより、医療者たちが不親切な人が多く、自分たちは十分大切にされないことを。
約20年の私の途上国での医療で、この小児がんの子どもたちに何もしてあげれずに本当にたくさん見送って来た。
みんな既に亡くなっていることだろう。
私はようやく積年のリベンジをする用意を整えつつある。
来年、カンボジアに小児がんも治療できる病院の建設に着手する。
日本に連れてこなくても、ミャンマーからもラオスからもわずかな時間でがんを治療してもらえる病院を作る。
日本政府は、日系の企業や病院などに、経済産業省経由でかなりのお金をつけアセアン全域に富裕層相手の病院建設を進めるサポートをしている。
だからカンボジアにもミャンマーにもラオスにも、日本の病院関係者や企業がどんどん大都市に病院などを作り始めている。
言っておくけど、私たちはもちろんお金を儲けるためにやるわけではない。
お金のために人を助ける必要も全く感じない。
そんなことより、人としてそれが大切だと思うから、それをしなければならないから、やろうと決めているだけだ。
もちろん、お金なんて十分でない。日本政府も出してなんてくれないだろう、、多分。
でも、やる。
やると決めたのだ。
自分の子や孫に誇れることを一つや二つ生きてる間にやってみないか?
たくさんお金を儲けた、すごいでしょ!などういうのは、昭和の時代ならいざしらず、次の時代にはバカにされる、そんな時代になると思うから。
アジア中から病気の子どもをかき集め、できる限り治療してあげたいというごく自然な欲求なんだ。
興味ある人は、ぜひ力を貸してほしい。
あなたが自分のヒストリーを子や孫に語るとき、その1ページにアジアの子どもたちの命を救う試みに参加した物語が加わることを願っている。
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国家というシステム、この厄介なもの
http://japanheart.exblog.jp/22239286/
2014-07-28T04:23:00+09:00
2014-07-28T04:23:40+09:00
2014-07-28T04:23:40+09:00
japanheart
いのちの重み
一月ぶりにラオスに来ている。
小児の腎臓がんの1歳の少女はまだ、この国を出ることができない。
一月前、すぐに用意し始めたパスポートの準備がまだ完了しないからだという。
ミャンマーでもそうだったが、こういう国の田舎の人々は戸籍もない人が多い。
だからそこから用意しなければならない。そこに時間が取られる。
今では日本も、1週間足らずでパスポートを取れるようになったが、私が学生の頃は1月かかるのが当たり前だった。
この国のことを笑えない。
今でも海外に来る日本人医療者には厚生省に頼んで英文免許を出してもらうのだが、これも平気で2ヶ月かかる。
プリントアウトされたものに、印鑑とサインがしてあるが、この1枚30秒で終わる書類をもらうのに申請して2ヶ月以上かかっても来ないことがある。
笑えないでしょ?今でも役所仕事というのは、こんな感じになっている。
こっちも笑っていられない。
子どもの状態が、いまいち悪くなっている。
飲んだものを吐いてしまう。
腫瘍も確実に大きくなっている。
体重も少しへってきた。
6キロほどの彼女の体重の1キロほどは腫瘍の重さだと思う。
吐いているこの子に今日は点滴を入れた。
少しでも時間を稼がなければ。
スタッフに言ったんだ。
「賄賂でも何でもいいから払っても死ぬよりはましだろ。早くパスポートを取ってくれ!死ぬ前に!!」
眉をひそめる人もいるかもしれないが、偽ざるべき私のこころの声だ。
明日、首都ビエンチェンに向かう。
親も子も一緒に、パスポートをとるための面接があるらしい。(マジで。ここは社会主義の国なんだ。)
中東ではイスラエルがカザを爆撃し、すでに数百人の人たちがなんと簡単に死んでいるのに、私たちは、一人を助けるためになんと苦労をしているのだ。
あまりの無力に笑えてしまう。
さっき子どもに点滴を入れたときに大泣きをしていたな。
大きな声で泣いてくれたので、少し安心した。
何とかしないと。
天はこの子にどんな運命を与えているのだろうか?
それも分からず、私たちは必死にやるしかない。
スタッフたちの健闘に期待する。
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日本は変われるのか?
http://japanheart.exblog.jp/21297998/
2013-11-09T01:36:00+09:00
2013-11-09T01:43:42+09:00
2013-11-09T01:35:57+09:00
japanheart
いのちの重み
最近、”いのちの授業”を小学校ではじめた。
私には、これをしなければならない理由があるからだ。
単に、子どもたちに私の人生を伝えるためではない。
運命か?
この授業がスタートした場所は、佐世保の公立小学校で、10~20%の生徒がアメリカ人の子どもだった。
日本は1941年、戦争に突入した。第二次世界大戦、すなわち大東亜戦争(この名称はGHQによって禁止され、太平洋戦争と変えられる)。
ミャンマーでは30万人の日本人が戦争に参加し、20万人程が亡くなった。
日本全国で約300万人が亡くなったのだ。
国内外で、日本人たちに求められたのは、生きて捕虜にならないという考えだった。
中国という国際法という認識すら無かった人々を相手に戦っていたせいかもしれない。
つかまって、串刺しにされたり、足を裂かれたりして殺された話は、たくさんあるから、自分で死んだほうがいいと思ったのかもしれない。
ミャンマーでも、無謀な玉砕が繰り返される。
刀で、イギリスの戦車隊に切り込む話は何度か現地の年寄りから聞いた。
最後は、死ぬ。
机上や希望的観測で無謀な作戦が立案され、そして飢えと病気で多く死に、戦闘で玉砕する。
何で死なないといけなかったのか?
といつも、考える。
生きようとしたらだめだったのか?
生きて、再起をかけ、もう一度、敵に挑んではいけなかったのか?
戦争は、戦闘だけではない。
多くの若者が生きていれば、きっと戦後もっと日本は早く復興したに違いない。
次世代があれほど、生きる道を迷わずにすんだかもしれない。
しかし、命令は、生きて帰るな!だった。
命令を下した人たちは、早めに逃げ、そして責任も取らなかった。
今でも、日本でもよくある光景だ。
あれだけ、たくさんの若者を殺しておいて、職を辞したり、階級を下げる程度で済ませていいのだろうか?
日本政府も、官僚も、どこかの電力会社も、同じじゃないか? 今でもきっと。
何が間違っているんだろう?
いや、何を日本はあの戦争から学び、何を変える必要があるのだろうか?
それを私たちがしなければ、戦争で無くなった300万人は浮かばれない。
ミャンマーの大地に無くならなければならなかった20万人の慟哭が聞こえる。
私はミャンマーで使命を背負った。
いのちや一人ひとりの人生の大切さを、亡くなった20万人から受け取りそれを日本に伝え、そしてその文化を創っていくという。
だから、はじめた”いのちの授業”なのだ。
日本人には、あなたの人生やいのちは大切だから、いのちは粗末にするな、何が何でも生き延びよと、教えなければならない。
私は、今、日本政府と交渉している。
ミャンマーの心臓病の子どもを救うための交渉を。
100人の1人の子どもが、心臓病で生まれ、そのほとんどが幼くして死んでいく。
子どもの心臓外科医が一人もいないからだ。
しかし、厳しそうだ。
彼らは言う。
命に直接かかわる場合、もし患者が死亡すれば、国と国との問題になると。
しかし、私は言いたい。
そんな問題にならない!と。
なぜならば、この子達は、手術をしなければどうせ死んでしまうからだ。
どうせならば、治療を受けれて死んだほうがまだましだ。
海外の人々の命を助けることは、日本人の命を助けることにつながるのだ。
なぜならば、こういう活動を通じて、私たちは命というものはかけがえなのないものだという文化や概念を、自らの国の中に創っていくことができるからだ。
そしてそれはやがて、戦争や災害のような危急のときに大いに発揮され、それにしたがって人々は行動するようになる。
だから、いのちを救う作業は、日本人のためにやっている作業でもあるのだ。
その日本人とは、自分たちよりもむしろ私たちの子孫のことだ。
また、上の人間がそれをできないと言ってのけるのならば、この国はやはり、あの戦争からもっとも大切なことを学んでいないということだ。
悲しい国だ。
まだ、学んでいない。
でも、私は、せめて私だけでも、それをやりたいと思う。
あの戦争でなくなった300万人の人に、申し訳ないから。
あの世に行ったときに、顔向けができない。
講演会のときに小学生たちにこう言ったんだ。
首相に手紙を書いて!
私の話は届かないかもしれないが、君たちの手紙ならば届くかもしれないからと。
なぜならば、君たちは私たちの”未来そのもの”なんだ。
だれでも”未来”からのメッセージには耳を傾ける。
未来からのメッセージを政治家や役人が無視したら、もうこの国は終わりだと思う。
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命の話をしよう
http://japanheart.exblog.jp/17695945/
2012-04-06T03:23:00+09:00
2012-04-06T04:27:40+09:00
2012-04-06T03:23:48+09:00
japanheart
いのちの重み
今日は命の話をしよう。
なぜに私は命にこだわるようになったのだろうか?
ミャンマー、昔ビルマといわれていた国に行ったのは17年前、ちょうど戦後50年目だった。
私が子どもの頃、大阪の町や近くの駅の地下には、いつも手や足がなく、古い軍服を着て、タートルを巻いた物乞いの人がいた。戦後20年以上もたった頃の話である。
多分嘘だと思うが、子どもの頃通っていた塾の校長は、自分は神風特攻隊の生き残りだと、私たちに何度か言ったことがある。時代がまだソ連が元気な左よりの頃で余り大きな声では言えなかったのだろうが、どことなくそれが勇敢でかっこいいことだとその校長は思っていたんだろう。
ミャンマーにはじめて行った頃、多くの現地の年寄りたちが戦争に参加していた日本人たちとの交流や関係を話してくれた。そこには、戦後の偏った教育の中でゆがめられてしまった日本という国に対する概念を全く覆すものだった。
と、同時に戦争に参加した日本人たちに全く同情した。日本人には生きることがつらいこんな熱い国で、戦い死んでいかなければならないという運命に、何とも言えなくなってしまった。
別に私が言ったことではないが、少なくとも大局的に観て、アジアの国々が欧米発の植民地主義から解放され、大戦後に次々に独立していったのは、日本が欧米をアジアから一時的にも追い出し、各地、各国に独立のための組織や志が創られていったからだろう。
それを全く日本がアジアのためにやったわけではないが、結果的に歴史はそう動いたのだ。
インドはサンフランシスコ講和会議に参加していないという事実を知っているだろうか?
インドの首相は、日本なかりせば、30年は独立が遅れただろうと言っていた。
そしてこの不当な講和会議には、不服として参加せず、その後、独自に日本と講和条約を結んでいる。
日本は、日本人たちは、何百万人もの犠牲を払い、戦争をおこなった。
行わなければならなかった。アメリカが不当に経済封鎖し、圧力かけたということだけでなく、今も変わらぬ政治的センスの欠乏からかもしれない。政治を何とかしないと、別の形で今後も犠牲は出るだろう。
自分で、期せずして、実際の現地人から真実の歴史の声を聞き、そして自ら学び、考え、そして今ある結論に達している。
それは、
人間生きなきゃ、だめだ。
という結論。
少々、惨めでも、恵まれなくても、10代で特攻なんかに行っちゃだめだ。
戦争で散華していった英霊たちに感謝しつつもあえてそう言いたい。
もし時代が変わり同じようなことがあれば、私たちのような世代の人間がまず行く。
だから若い人たちは、命を大切にして人生をもっと楽しまないとだめだと思っている。
国も政治も、人の命を奪っちゃいけない。
アメリカはまだやっているけど、一度、戦争に惨敗してみると悟るだろう。
それまではまだ国としては子どもみたいなもんだ。
私は自分の命の、その大切さを手に取るように認識したいと思っている。
でもそれは健康で生きている限り、難しい。
命という、手に取ることができないものの大切さなど理解できないのだろう、本当は。
でも、ある刹那に、その影を見ることができる。
命なるものの影を。
それは、自らの前に、その存在や健康を脅かされた人がいて、その人たちが亡くなったり、あるいは生還したりしたときに、命というものの価値と存在を感じることができる。
そして、いつも思う。
何もかも、何もかもが、生きていればこそ、だなと。
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あなたにとって大切なもの
http://japanheart.exblog.jp/17560592/
2012-03-19T22:09:00+09:00
2013-08-23T02:20:26+09:00
2012-03-19T22:09:53+09:00
japanheart
いのちの重み
今回のようにたったひとりの子どものエネルギーをを割こうとすると決まって昔からいわれることがある。
たとえば、アフリカではたった50円の薬でひとりのいのちが助かるのに、どうしてひとりの子どもに300万もかけるのですか?
たとえば、下痢やマラリアで亡くなるこどもはわずかなお金で助かるのに、たったひとりのこどものためにお金を使うのは理解でしません。
予防や教育をすればもっと多くの人たちが、もっと少ないお金で助かるようになります。そのような活動に興味はありますか?
まあ、何年にもわたっていろいろ似たようなな意見をされてきた。
ややこしいので、結論をまず言う。
「絶対に正しいことはない。あなたが正しいと信じることをしなさい」
あなたの子どもが大きな病気にかかり、3000万円必要と言われたらどうする?
同じ3000万円で20000人のアフリカの子どもが助かると言われたらどうする?
別に、あなたの友人のこどもでもいいよ。
いくら何でもその友人に向かってそうは言えないだろう。
「そのお金があれば20000人のアフリカの子どもが救えるって。」
そういう考えはどこか歪さがあると思った方が良い。
理屈じゃそうかも知れないが、私たちは血も涙もある人間だからね。
別に、そういうあなただって、あなたが食べる食事を素食にし、着るものを始末にし、あらゆるものを切り詰めてアフリカの子どもたちのためにがんばっている訳じゃない。
人のいのちは、何よりも大切って考えている一方で。
それってなぜよ?
なぜ、そんな日常を送ってしまうのか?
一度考えてみる価値はある。
一言でいうと、あなたにとっては自分のいのちや人生ほど大切なものはない、ということでしょ。
だからアフリカの子どもを見捨ててでも、自分の服買ったりする。
だけどそれを誰もせめられない訳よ。
だからあなたも誰も責めてはいけない。
あなたが自分の人生を大切にするように、他人も自分の人生を大切にしている。
あなたが自分の考えを大切にするように、他人もまた自分の意見を大切にする必要がある。
ルールを決めるのはあなた。
あなたの基準に沿って。
もしも、3000万円かかっても、ひとりの子どもを助けたかったら、それをする。
同じお金を使って20000人のアフリカの子どもを助けたかったら、そうする。
どうするかは、他の誰でもなく、あなたが決める。
そして今回、私は提案した。
300万円のお金を集めて、この子どもを助けたい人はいますか?と。
はい、私は助けたいです!といった人たちが500人以上。
あなたにとって大切なもの。
それはあなたの人生から導き出された価値観や考えであって、他人は本当はどうでも良いのかも知れないね。
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ミャンマー透析事情
http://japanheart.exblog.jp/16337695/
2011-10-31T07:27:00+09:00
2011-10-31T07:41:33+09:00
2011-10-31T07:27:18+09:00
japanheart
いのちの重み
性格的に、いいと思ったことは躊躇しない、ということにしている。
何かやるとき、まあ、お金もいることだから、何でも首を突っ込むわけにはいかないが、
それでもできる限り、力のおよぶ限り。
最近は、人材不足に悩みながら、少しでも前に進もうとしている。
何でこんなにいい人材がいないのだろう?と悩む。
でもこれって大半の経営者が言っている台詞かも。
ところでミャンマーでは腎不全で透析の恩恵を受けれる人口は日本と比べれば、本当に一握りだ。
日本は週3回が基本。
ミャンマーではコストの面もあり、週2回が基本になっている。
もう少し透析が広まればもっと多くの人々が恩恵を受けれるはずなのに。
もう一つ、ミャンマーは世界で一番、蛇にかまれて死んでしまう国。
バイパー、コブラ、キングコブラまでいる。
この人たちが、もし緊急に人工透析を受けることができれば、死ぬ人数ももっと減る可能性が高い。
そこで思いついたっていうか、この計画にまたもや乗ってみた。
ミャンマーに人工透析を少しでも早く広めよう!
お金はかかるけどね。
ジャパンハートのスタッフたちは、これを聞けば耳をふさぐ人も多いと思うけど。
そこはそれ、世の中のためだから。
ということで早速、11月の下旬に、ミャンマーで中心医療機関の医者や看護師など医療者を
旧都ヤンゴンに集めて、第一回セミナーを開催する。
徐々に、ここから加速させ、実際の透析の広まりをスピードアップする。
5年くらいで、すべての地方中心病院で、透析が行えるようになるのが理想だ。
日本人たちよ、日本で文句や愚痴ばかり言いながら働くよりも、年に1から2週間、こんな活動に協力を
してみたらどうか?
医療に関しては、正に、何でもやることがあるし、意義もある。
私たち日本人が、開拓すべき無限の荒野が今、目の前にある。
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スマイル-スマイル その2
http://japanheart.exblog.jp/15365928/
2011-09-02T13:24:00+09:00
2011-09-02T13:27:12+09:00
2011-09-02T13:24:16+09:00
japanheart
いのちの重み
ずっと前に書いたブログに、私が日本で小児外科の外科をやっていた頃、ガンの転移で失明して目が見えなくなってしまった子どもがいた。
4歳か5歳か、そのくらいだったと思う。
普通の大人でもそんな風になったら、一体どれほど動揺するのだろうと思う。
この記憶を引っ張り出すといたたまれなくなるが、話を続けたい。
この子どもがある日、突然病棟から消えた。
病棟は上へ下への大騒ぎ。
みんなでそこら中探した。
数時間後だと思う。やがて、病棟の倉庫の片隅から、この子が出てきた。
当時、私の上司は、本当に心配したのだろう。
本気でこの子を怒鳴って怒った。
私を含む多くの大人が、この光景を黙ってみていた。
それが私の後悔。
どうして、こう言えなかったのかと今でも思う。
「皆でずいぶん探したんだ。どこに隠れていたんだい?全然分からなかったよ。すごいね。」
目が見えなくなった子どもが、ちょっと隠れんぼをしただけだった。
毎日、暗闇の中で過ごすたった4歳か5歳の少年が、少しだけ冒険をしたのだ。
みんなで、この小さなトム・ソーヤを囲んで楽しくいかなければならなかったのだ。
この子はもうこの世にいない。
そして私は今でも後悔している。
この記憶が、スマイル・スマイル事業に反映されている。
子どもたちの好きなところに行って、好きなことをさせてあげよう!
大人が大人の価値で決めた場所や冒険ではなく、自分たちがしたい冒険の場所へ。
がんと戦うたくさんの子どもたちが、これから冒険してゆくだろう。
それを実現すれば、あの子は少しでも私たち大人を許してくれるだろうか?
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スマイル、スマイルーその1
http://japanheart.exblog.jp/15349367/
2011-08-29T22:49:33+09:00
2011-08-29T22:49:33+09:00
2011-08-29T22:49:33+09:00
japanheart
いのちの重み
ガンや難病の子どもたち家族での思い出の記憶をとはじめたスマイル・スマイルプロジェクト。
子どものいのちの未来は分からないが、病気で戦う子どもも、その親や兄弟にも少しでもいい思い出と生きる気力をもってもらうためにとはじめた。
医療者がその旅行に付き添うこと、どこでも可能な限り希望の場所に行く、ということがこの特色だ。
昨日、7月にディズニーランドに旅行に行った女の子のお父さんからメールが届いた。
29日、この女の子はこの世を去ったという内容だった。
でも念願のディズニーランドに家族でゆき、誕生日にはイチゴのケーキを食べ、、、、、、。
本当に感謝をしてくれているようだった。
しかしながらといっては何だが、やっぱり私は奇跡でもいいから子どもには生きていてほしいと思った。
どんないい思い出をつくっても、ちょっとむなしい気がした。
短い文章からでもこの父親が、どれほどこの女の子のことを愛おしく思っているかが、痛いほど分かった。
何と私たちは無力なのだろうか。
いのちに対して何と。
せめてこれくらいのことしかできない自分がこころ苦しい。
そんな気持ちを引きずりながら、それでもやってゆくしかない。]]>
だからやらねばならない!ー昨日の続き
http://japanheart.exblog.jp/14297133/
2011-02-23T12:48:07+09:00
2011-02-23T12:48:07+09:00
2011-02-23T12:48:07+09:00
japanheart
いのちの重み
昨日の続き。
ガンは日本人みんなの問題として捕らえる視点がなければならない。
明日あなたが、あなたの子どもがそうなるかもしれない。
その時に、社会が少しでも支えてくれれば、少しくらい助かるはず。
そういう相互扶助が世の中には大切。
このプロジェクトもその相互扶助のひとつ。
社会のセーフティーネットなんだ。
医師:石田健太郎と中田志織が指揮するスマイル・スマイル・プロジェクト。
石田健太郎が書くブログから今日の思いを、留め置かまし!
「
どうも、石田です。
さて、つい先日スマイルスマイルプロジェクトで
また一人の女の子の企画を実施しました。
個人情報のことがあるので
詳しいことは言えないのですが、
彼女はいわゆる「末期癌」でした。
頭には多数の転移が見つかっており、
片肺は癌性胸水のために水浸しになっています。
事前の主治医先生からの情報でも
かなり厳しい状態ですとのこと。
実施日を決めてはいたものの、
そこまでもたない可能性も
十分あるだろうということでした。
そんな彼女もなんとかその日を
迎えることができました。
家族5人のささやかなお出かけでした。
ずっと楽しみにしていてくれたのです。
今回は主治医と担当看護師の
お二人たっての希望もあり、
自分に加えてそのお2人が
同行したのですが、そこで
驚くことが起こったのです。
当の本人が見違える程
元気になっていました。
少しトイレに行くだけでも
息切れが激しかったその子が
妹の押す車いすに乗り、
誰も追いつけないようなスピードで
走り回っていたのです。
そして、興味がある場所には
車いすから降りて積極的に
自分で歩いて行きました。
終始笑顔だった彼女は食事も
もりもり食べて一日元気に
過ごしきりました。
それを見て医療者3人は
ただただ唖然としていました。
だって、変な話、この外出中に
何か起きて亡くなっても
おかしくないくらいの人でしたから。
ご家族も大変喜んでくださって、
「やってよかった」と思えるものになりました。
さて、ちょっと具体性に欠けてしまう
報告でしたが、言いたかったことは
「生命力はほんの些細な
目標にも大きく影響される」
ということです。
きっとこういう小さな楽しみのおかげで
その人が一時的に元気になれて、
家族で濃い時間を過ごすことができたら
もし寿命を縮めることになったとしても、
大切なことですよね。
頭では分かっていたことだけど、
やっと心に響いて理解できました。
付き添ってくれた担当看護師さんは
報告に帰った病院に到着すると、
安心と嬉しさで泣き出してしまいました。」
「先日「生命力」というブログを書きましたが、
そこに補足したくなることが起きました。
今日聞いた話だと、その子の企画実施後に
病院に戻って検査をしたところ、
肺に溜まった胸水が減っていたそうです。
彼女の胸に溜まっていたのは悪性胸水で
専用のチューブを胸腔内に留置して
排液しても、すぐにまた溜まってきた
どうしようもないものでした。
まぁ、我々のお陰だと声を大にして
言えるようなものではないにしても、
もし役に立てたのならば、それって
すごいことですよね。
いやー、何にせよ人間ってすげー。」
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