個人は重い
2009年 03月 12日
かつての私の上司は、大学の教授をあっさりとやめ、今、国立病院の院長をしている。
経営をとやかく言われるご時勢、患者集めのために院長自ら外来に立ち、時に患者の手術もする。
先日、こんな話をした。
あるおなかの手術をした患者の手術後の状態が悪く、腹水がたくさんたまり危く命に危険があるほどだった。
私が訪ねた日、なんとか危機的な状況を脱したようだった。
そこで一言。
「吉岡、未だに手術はしているのか?」
やらざるを得ずやっています、と答えると。
そろそろやめたほうがいいのではないかというアドバイス。
「自分も経営と診療を同時にかけもちしているが、人、個人の命がかかった時の大変さは、経営が左前になったときのしんどさとはレベルが違う。本当に消耗するからね。」
そんなことしていたら身も心ももたないよ、と言いたかったようだ。
この話をときに、公衆衛生をしている人間はどう感じるだろうか?
大きな範囲に輪をかける事業と私のように個人と向かい合ってゆくあり方。
本当はどんなに大きな範囲を扱っても所詮、個人の集まりに過ぎないと思うが。
なんだか大きな範囲や予算、などを扱うと人は自分がさも大きくなったり偉くなったような気がするらしい。
一人ひとりの分子を見る視点を失えば、道を間違う。
学者も医者も政治家も同じだろう。
そういう能力に欠ける人間が、どこでも多いから問題になる。
昨今のご時勢のように。
いつでも大局と個人の両視点はしつこいくらいにしっかりと意識して持っていなくてはならないと思う。