30年後の私が思う
2009年 02月 22日
私はよく最近は30年後の私はどう感じているかを考える。
当然、想像しているので実際とは違ってくるし、第一、生きている保証はないことは百も承知。
私にとって30年後とは一体どういう時間かというと、
今、44歳の私は74歳になる。男の平均寿命から考えると、かなり動けなくなっているかもしれない。
医者はとうに引退している。少なくとも技術的には。
この近い将来に死を意識したときの私の感じ方はかなり重要だと思う。
おそらく私は後悔している。どう口で後悔などないよい人生だったと言っても、心の中では他の何かよい人生を失ったのではないかという釈然としない感覚を持っていると思う。しかしまあ、ふたつの人生は歩めないので仕方ない。
どんなに立派に、どんなに挑戦に満ちた人生であったも、生に対して未練は残る。私にあと10年あればと考えるだろう。
しかし、逆説的に、どんな人生を生きても、後悔するならばといつも心の声を発する。
思いどうりに生きよう。
様々なことにチャレンジしよう。
できる限り恐れずに前に進もう。
コンプレックスなど些細なことといつも考えよう。
できる限り幸せをふりまこう。
さまざまな理由で、可能性を諦めて行く。
さまざまな理由で、毎日流されてゆく。
こんな人生など私には拷問で、牢屋に入れられた状態と一体、何が違うと言うのか?とさえ思う。
あなた方は無期懲役の罪ですでに牢屋の中にいるのだ。
愚かなことに宣告したのは、自分自身で、しかもそこがいい世界だと勝手に思い込んでいる。
30年後に分かる。覚悟しておいた方がいいかもしれない。
30年後の自分が、泣いている。今、泣いている。
こんな人生など、私の人生ではないと叫んでいる。
私はもっと可能性のある生き方ができたのにと地団駄を踏んでいる。
未来の自分が生き方の修正を皆に迫っているのだ。
今、すぐに。