特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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医者になったことーー1

医者になったこと-1

 そういえば、昔のことを思い出したので年寄り臭いが、少し書いてみる。

 高校時代の私は、全く勉強しなかった。友達や女の子と遊ぶのが生きがいだった。
お陰様で、完全に浪人した。更に言うと、卒業すら危ぶまれた。
何せ高校時代、遅刻はいくらしても欠席記録にはならないことを知っていて、高校3年のころは毎日のように昼ころから学校に通っていた。
 
 高校3年の進路指導の時、教師はてっきり私は就職すると思っていて、資料を用意せず、翌週再び進路指導になった。
 その指導でも、大学へ行きますと意気込む私に、これだけ受けて1つうかるかどうかです、と全て女子の短大の名前を書いた資料を並べていた。(今は知らないが当時女子の短大で男子をわずかに募集していた学校もあったのだ)
めでたく浪人。
予備校に入るのに、5回も試験を受けようやく新学期ギリギリに受かった。
友人たちからは、私は特別に1回目から5回目までの合計得点で受からしてくれたのだと、笑えない冗談を言われた。

 1浪目でも生活は変わらなかった。相変わらず遊んでいた。そして合間に適当に勉強した。
結果は、明らかだった。しかし、この底辺の時機に私は自分が医者になるという光をつかんだ。そして、決心した。
 大海を知らない蛙の如く、その無謀さに気づかなかったが、今考えるとそれこそが、神の加護だったとイスラム教徒なら言うかもしれない。
 偏差値は全ての科目で、30代であらゆる受験生を元気付ける存在だった。

なぜ、医者になると思ったのか?
   突然思い出した気がした。
   それが自分の使命のような気がした。
   気のせいだと何度も振り払ったが、頭から離れなかったのだ。
   
 私は文系で、医学部に進む選択肢はほとんど無いのは分かっていたが、それが私の進むべき道に見えた。
  損得感情など微塵もなかった。
 ただ、医者になり、誰でもが一度は思うように、不幸な境遇の人たちのために何かしたかった。
そういう衝動が自分の中に沸き起こったのだ。


  
by japanheart | 2009-02-07 03:42 | 天職