想像すること。
2008年 08月 13日
前回、家族の苦しみはわからないと書いた。
わからないが、わかろうとする必要は医療者にはある。
それは伝わるものかもしれないが、責任からの重圧としてだけではなく、本当に人として必要なんだと思う。
必死になって、必死になってやるより他はない。
悲しむ顔は、見たくはない。
治療が上手くいかないときは、心の中では、素人のように、右往左往する。
なんとかならないか?
なんとかならないか?と必死で考える。
質問は夢の中まで持ってゆく。
24時間心は休まない。
そしたら、助かるかもしれない。
それしか医者のやることはない。
だから本当に医者というのは、大変な仕事で、まともにやっていたら命が磨り減ってゆく。
本当はよく休み、よく働くほうがいい。
若い頃は、患者を多く診て、経験を多くして、と普通の医者のように考えてきた。
適当に診ていたのかもしれない。だから、元気で医者をやっていたんだと思う。
しかし、最近は患者は多く診る必要も感じていない。
とにかく、上手くいきますようにと、祈りながら治療をしている。
だんだん自分の能力を知ると、祈らずにはいられなくなる。
自分はたいしたことないのだと最近、よくわかるようになったからだ。