活動する心
2008年 08月 11日
家族の苦しみを共有できるのか?
死の淵をさまよう子どもの家族の苦しみは想像できない。自分も子どもを持ってさらにそれがわかった気がする。
最近、小さな子どもを手術する時、いつも自分の次男のイメージと重なる。
少し大きな子どもは長男と重なる。
最近は少なくともそのつもりでやっている。
自分の子どもが怪我や病気で大事に至ることなどは想像もしたくないといつも思う。
だから最近は必死になって、治療をしている。
若干、逃げ腰で、今いる神白先生におんぶに抱っこになっている。
先日も、子どもの心電図をとって、研修医のように急いで共に働いている神白先生に聞きに行った。
何せ、自分より優秀な人に聞くに限るからだ。
彼女は謙遜するだろうが、事実は変わらない。
最近は、医者としての驕りもなくなった。
いつでも辞めれるし、いつでもやれる。
若い医者に追い越されても平気。
そしたらその医者たちに聞けばよい。相談すればよい。という程度にしか感じない。
自分の使命への自覚からだと思う。