患者を治療する恐怖
2008年 07月 27日
私はいつも患者を治療することが、恐ろしく感じている。
かつて私の責任から命を失っていった人たちのことをいつも思い出す。
どうして自分の子供を医者にすることを望む親が多いのか理解に苦しむ。
私なら、自分の子供には医者だけやめておけと言う。
どう考えても医者の責任は重過ぎる。人の命など簡単に預かることなどできない。
今日、5歳の子供が死に掛けた。大手術でもない手術の途中で、突然息が止まり、心臓が止まった。
かつての苦い記憶が蘇り、どうしてこんなことにまたなってしまうのだと、何度も自問した。
運良く、それは私のおかげでもなく、全く運良く、子供は息を吹き返し、心臓は元気よく打ち出した。
親からは心からお礼を言われる。
本当に、針のむしろのようだ。
むしろこの子の異常を術前に見抜けなかった私には落ち度がある。
分かってもいないから、突然に事態が襲ってくる。
悲しいことだ。
その後一人の看護師が、私の元にやってきてこう言うのだ。
「すいませんでした。私がもう少し早く気が付けばよかったのですが。、、、」
またもや針のむしろがひかれる。
このようなことがあるたびに医者を辞めたくなる。
もう十分だと自分でも思っている。
しかし、このような経験を未来に生かせなければ、亡くなった患者たちは
二度死ぬことになる。
それが分かっているから、悲しくも続けているのだ。
どうして医者なんかになってしまったのだろうといまさら考えている。
患者を治療する恐怖は、いつもいつもここにある。






