目指すものーその2
2008年 07月 24日
昨日の続き。
今を、精一杯生きれたらどれほど、幸せだろうか?
私たちは、本当に恵まれている。
今から40年前は、少なくとも、日本人は家庭や家族のために自分の可能性を放棄してきた人も多かった。
うちの親父などはそのさいたるものだ。
私より、はるかに才能に恵まれ、はるかに優秀だったが、うまく生きることができなかった。家業の仕事を継ぎ、時代に翻弄され、エネルギーをもてあました。
毎日のように、お酒を飲み、友人たちと週末はマージャンに興じ、生きていた。
時間をもてあましていたのだろう。才能をコントロールできなかったのだろう。
同じような年齢になってみて、気の毒に思える。
私たちには、十分なチャンスが与えられている。
反社会的な行動でなければ、何をしても誰も止めはしない。
自分さえその気になれば、才能をもてあますことも、時間を無駄に過ごすこともしなくてもよいのだ。
人間は暇すぎると、ろくなことは考えない。忙しくしかし、着実に自分の人生を楽しむべきだ。
一流の人たちが、おそらく将来自分の宝としている思い出は、何かの授賞式のワンシーンではない。野球の選手ならば、バッターボックスに入って、いい仕事をやり遂げたシーンであろうし、科学者も人からほめられたり、持ち上げられたりした場面ではなく、有名な賞を受賞したときでもなく、自分の研究が達成された瞬間こそ、本当に人生で宝の場面になる。
私たち医療者たちは、患者たちが癒されてゆくその過程に存在する瞬間瞬間、これこそがおそらくもっとも大切なシーンではないかと思っている。
苦しむ子供の痛みが、消えるとき。
病に苦しんでいた子供が癒され、母親がそっとその子供を自分の懐に抱くとき。、、、、、
そこには、地位も名誉もなく、ましてやお金など入り込む余地などない。
このことを繰り返し、次世代の人たちには感じてほしい。
大して長くない人生のなかで、本当に求めるべきものは何か?
形なきものの中にこそ、本当の価値は眠るのだ。