時間がないということ
2008年 04月 29日
もともとせっかちな自分は理解している。なんせ自分の子供が一人遊びを楽しみながらレストランで食事をしているときでさえ、ゆっくり待ってあげることができない。
最近、医療活動でさえ、もっとゆっくりやったらどうかと時々言われることがある。
性格的にはじっくりやることは、受け入れることはできるが、トロイと感じることは受け入れ切れない。
少しでも自分の信じることを、形にしてゆきたい。
大体、私のしようとしていることで、人は助かるが傷つくことはない。
と、言いたい所だが、実際の医療現場では、多くの人を傷つけて今ここにいる、ことを私は深く自覚している。私のせいでなくなった患者もいる。
彼らの姿を、時々思い出す。医師としての自分にとって、それより辛い事はなかった。
だから、今いろいろあっても決して辛いとは思わない。
人の死を、見送るほど辛いことはない。
私に残された時間はどのくらいかは、神のみぞ知る世界の話だが、生きている間は、少しでも前に進みたい。
先日60歳くらいのある人から、まだ私が若いから、命の終わりを意識しないでやっていられると言われた。その時は、場を保つために言い返しはしなかったが、私は少なくとも、その人よりはずっと死を意識しているつもりだ。
今まで、その人より多くの死を、見送ってきたのだ。死を意識しないで生きるわけにはいかない。
だから急いでいるように見られる。
私側から言わせてもらえば、本当は急いでいるわけではなくて、時間を大切にしているということだ。
自分が何者かを自分に示さなくてはならない。






