過渡期
2008年 03月 22日
最近、特に自分自身が医者としての過渡期にあるように思う。
正確には、医者というアイデンティティーを脱ぎさって別の何かになろうとしている。
人によっては、私自身が、一人の医者として、患者たちのために生涯やってもらいたいと期待している人たちも多いが、おそらくその形は少し無理かもしれない。
人にはそれぞれに本分がある。
私の本分は、多分医者ではない。むしろ教育者に近い存在になると思う。
10代の頃、性懲りもなく、教師になろうとしていた。
なぜだか分らないが、それが自分の天職のような気がしていた。
しかし、気が付けば、医者になっていた。
医者になった頃、外科医になろうと思った。
しかし、小児科がどうしても足らなくなって、地域の人たちのためにやってくれないかと言われ、しばらく小児科でお世話になった。
海外で働くためには、産婦人科も出来て、分娩が安全に出来ないといけないと考え、寝る間も惜しんで東京の病院でしばらく産婦人科をやった。
一体自分は、何をやっていくべきか悩んだ時期もある。あいつは一体何かをやるつもりだと皆が思っていた。
はじめて2年間海外で働いた時、お腹が膨れてなくなってゆく子供たちを、何人も見てきた。
私は外国人で、子供の患者で、むこうの医者たちが見ている患者を私が救ってやるとは、とても言えなかった。その時の自分には無理だった。
それで、今度は手術が必要な子供たちを救える医者になりたいと思い、小児外科を学んだ。
今、全てが繋がった。
小児科も、外科も、産婦人科も。全て私の一部になり、今多くの子供たちを救うことが出来ている。
今私が若き日、なぜ教師になりたかったのかも少しづつ、霧が晴れてゆく。
そこに、確かに天職への道があったのだと、なんとなく感じている。