医療と人生と
2007年 11月 22日
私は現地でも、いつも皆に自分の頭で考えて結論を出すことを強制している。
答えがないのは許容しないことにしている。
間違っても、答えを出せという。
今までの研修修了者たちはおそらく、ある程度はそれが出来ていると思っていたと思う。
しかし、それができていなくて私が最近皆に説教をして廻る羽目になった。
私が望むことは、単に医療の場面で出来ればいいということではない。
医療の場面のみそれが出来たとして、一体その人たちの人生に如何ほどのメリットがあるだろう。
その能力が、医療を通じて自分の人生そのものにまで落ちてこなければ意味がない。
自らの人生を自らの意思と理性で生きることが出来なければ、むなしいではないか。
人生の様々な場面で、目の前の押し寄せる事柄を、ひとつづつ、選び取る。正しいかどうかは判りはしない。しかし選ばなかった選択肢と、それから派生するであろう全ての出来事は未来永劫、この世から消え去る。もともと存在しなかった選択肢として。
分るだろうか?
どのような答えを出そうとも、人生には始めからそれしか答えがなかったのだ。
問題は、選ばないでいる人間なのだ。先延ばしにする人間なのだ。選ばなければ全ての可能性は消去される。何も始まらない。正しいかどうかも分らない。
ゼロ。
だから間違ったと思っても選ばなければならない。
私は現地でしているのは、この訓練なのだ。医療に留まらせるつもりはない。
人生を可能性に満ちたものに変えてもらいたい。
可能性をつぶしていたのは環境だけではなく、自分自身なのだということに気付いて欲しい。
そうして初めて医療と人生はリンクする。