何も知らないということ
2006年 08月 23日
今日、外来に2歳の男の子が母親に連れられてやってきた。1月以上前からお腹が膨れていたらしい。
診察してみると、左の上腹部に大きな固まりを触れる。
超音波をしてみる。かつて日本で小児医療に関わっていたころに見たことがあるエコー像だった。
おそらく、WILM'S 腫瘍に間違いないだろう。子どもに多い腎臓からでる悪性の腫瘍のことだ。生存率はけして良くない。特に今回のような場合には手術だけで助かることは少ないと思う。
私の手元には抗がん剤はない。あっても外国人の私には使わせてもらえないだろう。
仕方なく、大都市の小児病院に行くように紹介状を書いた。いつものむなしい作業だ。
書いてもお金の問題から行かない人が多い。行ってもお金が足りなくなってやがて村に帰っていく。
この子は村の子。親の身なりも貧しい。
手術をしても再発してくる可能性が大きいのなら、本気で治療するか、何もしないかのどちらかが良いと今は考えている。運命は何もしないという方向に傾いている。
この子も親も病気のことは何も知らない。ただお腹に固まりがあるとだけ説明した。
この国でがんであると宣告することは、全ての可能性を否定することと同義だ。
この子はもちろん、親も誰も何も知らない。
帰り際、子どもが母親の背中に抱きつき、とても心地良さそうに顔をうずくめている。
背中と子どものお腹がしっかりとくっつきこの親子の絆を見るようで幸せだった。
あと少ししかこの親子には、この時間は残されていない。
そして、私だけが今、この子の未来を少しだけ分っている。