かつて地上は、巨大な恐竜たちが栄華を極め闊歩していた。
ある時、恐竜からすれば本当に偶然に地球に隕石が落ちて来た。
それにより、あれ程高温多湿だったこの地球が冷え始め、体表面積の大きい恐竜たちはどんどん死滅していった。しかし、体長1m50cm程度の動物達はその寒冷の環境下でも生き残る事ができたという。
ある環境下で最強ということは、環境が大きく変化すれば最強ではなくなる可能性が高い。むしろ恐竜たちの様にバタバタ斃(たお)れていく可能性もある。もしも環境が大きく変化しても大丈夫であるということは、今までの環境がその組織や生物に最適化されたものではなかったか、その組織や生物にはその環境変化に順応できる形質、すなわち多様性が内在されていて、新しい環境に順応し変化できたということだろう。
組織も動物も大きいと強いが、環境の変化には順応力が低いかも知れない。
今の世界で恐竜に当たるものはなんだろうか?
国家か?
グローバル企業か?
それとも今、私達が正しいと信じている民主主義や貨幣経済なのか?
恐竜でいう体表面積に当たるものはなんだろう?
今回の新型コロナウイルスのパンデミックで考えてみた。もしもこのウイルスが隕石ほどのインパクトがあるとしたら。
これから何が変わるのだろうか?
どんな価値観や形態が滅びていくのだろうか?
75年前の世界大戦が終わった後のような変化が世界を襲うことになりそうだ。
あの戦争の前はアジアやアフリカはほぼ全て植民地であり、国家なんて存在しなかった。その後から次々に国家が生まれ今では当たり前のように現在のイメージができている。中国にも東南アジアにも南米にもアフリカにも、全て国家が存在しなかったって信じられる?
ここからまた、今までの延長線では考えもしないような世界になると思う。75年ぶりの歴史的な非連続性社会構造変化だ。
私はわくわくがとまらない。
今までは多分、経験的には無理だろうと思っていたことが、物理的にも精神的にもボトルネックが外れることになる。
逆に、今まで権威や規模を誇った組織や形態が今まで通りに同じ価値をこの国で持っているようならば、日本はきっと駄目になっているだろう。
世界で最も保守的で仕組みや価値観を自ら変えられない国は日本だろう。
だから少し不安に思っている。
指針としては、
組織や成果で規模や数量を誇るよりは、質を誇れるようになった方が時代の力を受ける事ができる。さらに、個人が今まで以上に価値を持つ時代になるので、常に質を追求する姿勢を持っておく。
偏った価値観を絶対視せずに、色んな分野と関わりを持つ、できれば自分の視界外の分野や人と合流してみる姿勢と謙虚さを堅持する。
日本人やアジア人は経験の重要性を過大評価せず、若い世代、それこそ十代や二十代の人たちの可能性や能力を正当評価して、積極的に利用し社会発展や改革のために役立てる。特に日本はそれやらないと。
企業や個人もお金を目的とせず常にそれを手段として何を為そうとするのか意識して生きていく。今まで以上に。
特に経営者や企業は表層的な理屈付けではなく、トコトン何故、その規模を大きくするのか? 何故、それを大量生産し社会に供給する必要があるのか? それが本当に社会利益になるのかをずっと考え続けておく方がいい。結局、長い目で見たら社会利益になっていなければ社会から捨てられる。
一年後、どんな世の中になってるのだろうか?
楽しみ。