2020年を境に日本を取り巻く状況は大きく変わる。経済的にも安全保障分野でも、国際情勢も国内の高齢化や社会保障分野での人材不足も。
たとえ専門家でなくてもそんな足音はよく分かる状態になっている。
”20年”は、私が時代を測る尺度として考えている時間の概念だ。
私が生まれた1965年は丁度、第二次世界大戦が終わって20年目。1945年、日本は焼け野原で壊滅していた。
わずか20年で日本は既に東京オリンピックを終え、その5年後にはアジア初の万国博覧会である大阪万博に数百万人が押しかけたのだ。
1985年はプラザ合意を終えてドルの自由相場に移行し、日本は翌年からバブルに突入する。
それからわずか5年目の1991年、ベルリンの壁は崩壊し、ソビエト連邦は瓦解、東西冷戦は終結した。
20年後の2011年に東日本大震災、その10年前の2001年はニューヨークで旅客機がワールドトレードセンターに突っ込んだ911のテロが起こり、時代が大きく変わっていった節目となっている。
それから20年。
どんな時代になるのだろうか?
大きくうねる社会の中で怯え続けていても仕方ない。自分は自分にしかできないことをしっかりやっていくことを考えないと。
私にしかできないことは何だろう?
私がいなければなかった世界とはどんな世界なのだろうか?
そう考えてジャパンハートの近未来をビジョンしてみた。
私がいなければなかった世界がそこにあるための必要条件、そしてその指標。
ジャパンハート三つの指標
1)日本一のブランドとなる
2)日本一の規模となり、多くの雇用と絶大な裨益者の利益を実現する
3)これから勃興するであろう無数の日本のNGOの先導役となり、時代を加速させる
三つのうちの2)3)を達成するためには1)の通過点を押さえなければならないだろう。
特に3)は時代からジャパンハートが課せられた使命だと感じている。
なぜ、ドラッカーがこれからはNGO・NPOが世界の主役の一翼になると考えたのか、この世界の流れを見ていると少しずつ分かる気がする。
私が若い頃に流行ったようなアイドルはもう生まれないとよくいわれる。
その事と同根のように思う。
すなわち、この世界はかつてないほどに個人が大切にされ、個性や多様性が重要視される時代になり、それは今後も加速していくだろう、きっと。
大切で個性的な個人は、多様性を大切にする世界の中で、彼らの細分化された要求を世の中に発信し、そしてそれを世の中で叶えてくれる存在が顕れてくる。
誰もが同じものに価値を感じなくなる。いやむしろ、同じものしか好まない人間を世界は軽蔑するようになっていくのかもしれない。
大企業のマスを対象としたマーケティングは、どんどんその規模を縮小していくだろう。
きっと近い将来、大企業のしていたマスマーケティングは何と効率の悪いやり方だったのかと、反省の材料にされていることだろう。
例えば、テレビの車のコマーシャルは、巨額のお金をかけて免許のない人々や子どもたちにもマーケティングをかけていることになる。
これからは個人情報を元に、ターゲットマーケティングにどんどん切り替わることだろう。遥かに低コストで、遥かに効率よく成果を出すことだろう。
では、誰がその細分化された個人の要求を叶えてくれるのだろう?
それは大企業では不可能なのだ。
そう、それがNGO・NPOの主戦場となるなのだ。
無数に現れたNGO・NPOが、細分化された社会的ニーズにマッチングしていくだろう。
大企業は抽象度の高いプロダクトを生み出さなければやがて衰退していく事になるだろう。そしてその衰退までのサイクルはもうかなり早まっていると思う。
そしてそういう環境がおおよそ実現した世界では、企業とNPO・NGOの格の違いはほぼなくなり、より大きな母集団に向けたニーズに応えようとする企業と、小さく細かいニーズに応えようとするNPO・NGOとどちらで働きたいか、あるいはどちらの方が働きがいかあるのかというその基準で職場が選択される。
多くの若者が新卒でNPO・NGOに就職し、優秀な若者もたくさん入ってくるだろう。
一流企業や商社に入った若者が数年で辞めてNPO・NGOに転職する光景を当たり前に見かけるだろうし、その人たちがさらに時代の流れを加速する役割を担う。
また、もしかしたらメインの職場をどちらに置くかは別として、その両方に籍を置く人も多く存在していると思われる。
そして、今後しばらくジャパンハートがその先頭に立ち、多くのNPO・NGOを刺激し、誘導し、サポートしながらどんどん時代を先へ進めていきたいと思っている。
で、結局、その先に何を見ているのかというと、
人の価値が、その人生の価値が、どんどん大きく高くなってる、そういう世の中にしたいと思っている。