先日、長期医師ボランティアの森先生と話しているときに「何故日本の男はアメリカでモテないのか?」という記事のことが話題になった。
その中にはいくつもの理由が挙げてあったが、まあ、英語ができないから(これは未来にはAIによって克服される)とか、体格的な線が細いとか、DIYがろくにできないとか、ユーモアのツボが違うからとか、そういう理由があった。
日本人女性が世界中でモテまくっているのとは大違いに、かなりイタい指摘をされているのだった。
もし自分が若い頃に、アメリカに単身乗り込み生活してたら、確実に暗くなっていた気がする。少なくともしばらくは。
なにせ言葉が通じないから、真面目に頑張らざるを得ない。となると私の場合、真面目さと暗さは同時進行に起こる(これは大学受験の二浪目の時に実証済み)ので、イケてない男になり、結果、モテないという結論が確実に待っていたと思う。元々、社交的でもないしね。
そう考えると、日本にいてよかったとも言える。少なくとも暗くない普通の青春を送ることができたから。
その記事の中で、一つだけ特に気にかかった指摘があった。
それは何かというと、アメリカ人は褒めて育てられる。「お前はすごい!お前ならできる!」と。
そして多くのアメリカ人は、大した根拠や実力がなくても表面上は自信たっぷりで、時には外国人たちのちょっとしたひんしゅくを買うこともある。
ところが日本人は全く逆に、否定的に親や社会に育てられる人が多く、実力に比して自信がない、根拠もなく自信がない。そしていつも、いるのかいないのかわからないくらい、後ろの方から見ている感じになる、らしい。
今までたくさんの外国人と接してみて、『日本人!これを直せば上手くいくんじぁない?』と思ったんだけど。
それは、『遠慮しないで素直に自分を表現する』ということ。これをするともしかしてモテるかも?少なくとも今よりは遥かに。
実力がないならないなりに、今の実力を素直に表現し、行動し、知らせる。
それで世の中は結構、理解してくれて認めてくれるから。
私も若い頃を振り返って後悔していることがある。恥ずかしさからか社会への遠慮からかわからないけれど、自分の思っていることや考えていることを表現してこなかったことなんだ。
若い頃から私には夢があって、それは今やってる将来、すなわち、医者になって途上国の医療を受けれない人たちに医療を届けることだった。
それを誰にも言わず、語らず、生きていた。できるかできないかわからないような大それたことを言うのが恥ずかしかったし、みっともない気がしていたから。
で、この年になって、たくさんの10代や20代の若い女の子たちに今さら聞いてみた。
「将来の大きな大それた夢を語る10代や20代の若造の男をどう思うのか?」と。
「例えば、僕の若い頃のこんな夢を?」と。
なんと!何と?えっ!
若造の男たちよ、よく耳をダンボのようにして聞けよ!
「す・て・き!」
「ス・テ・キ!」
だってよ。
「そんな事、言う人いませんでした。」
「夢を語る男の人、ほとんどいませんから。」
だってよ。
しまった!
言っておけば、もしかしてモテモテだった?
「もし僕がそれを言ってたら確実にモテたか?」と年甲斐もなく聞いてみたら、「もちろんです!」って皆言うんだよ。リップサービスかも知れないけど。
で、日本の男たち。
だから君たち、モテないのよ。
だから君たち、体の表面に近い場所ばかり、いじったりメンテナンスしたりしないといけないのよ。
夢を語るのは、ただ。無料だよ。
語れよ!
とりあえず、語れ!
日本の女の子たちも大きな夢を、おとぎ話を聞かせてくれる男を求めてるの。
日本の女の子たちは母性が強いから、そのつまらない夢を応援してくれる人が一杯いるから。
男が夢を語れないから、女性は自分で夢をしっかり見つけて行動する人が増えてるよ。
話を戻すと、これをすればアメリカでもモテるでしょ。普通くらいは。
英語が十分話せないなら、素直にそのレベルで自己表現する。社会や慣習に遠慮してはダメ。何も話さない奴は夢を持ってるなんて思ってくれないから。
DIYができなければ、できないなりに、不器用さを素直に表現すればいいんじゃない?
遠くから見ていないで。ノコギリやトンカチをアメリカ人の男が危険を感じるほど振り回してやれ!
周囲に、たどたどしい英語で将来のでっかい夢を聞かせてやれよ!
思いつかなきゃ「君を月に連れていきたい」とか何とか、適当に言っておけ!
最近よく思うことがあるんだよ。
もし人間がだよ、30年後の他人の人生を見れたら、もう高校生や中学生の時から、好きになる人や付き合う人が変わっちゃうんじゃないかって。
美人だけど30歳で死んでしまう人。
悪さばかりしてるけど、将来、大金持ちになる人。
イケメンだけど、将来、内臓の病気で苦しむ人。
将来、社会的成功をおさめる人、将来、貧相になる人…。
こういう未来を見れたら、見せることができたらよかったなとふと思うんだよ、自分の場合は。
でもそれくらい人間の好き嫌いは、未来への評価で変化するんだよ。
明るい未来を感じさせることができれば、相手の気持ちにも変化を起こす事が可能になるかも知れない。
話が逸れたけど、こういう考えの総体がその国の現状を作ってるって思わないか?
根拠なく自信たっぷりに行動を起こすアメリカ人。
とりあえずやってみて、上手く行ったらもうけもの、上手く行けばどんどん攻める中国人。
根拠なく自信がなく、実力以下の行動しか起こすことができず、失敗ばかり想像して怖じけづく日本人。
最近、若い人たちが大人しいという。それは全く当たっていると思う。
私の考察ではこうなる。
『年寄りが増えると若者は大人しくなる』という面白い相関があると思う。
若い人たちが大人しくない時代は今まで何度もあった。
明治維新の頃と戦後復興後しばらく。この時に日本は急速に成長した。この時に同時に起こっていたのは、人口爆発。
すなわち、若い人たちがどんどん増えていた時代。
戦後の最も若者たちの犯罪が多かったのは1970年代。戦後生まれた世代の若者たちの人口が膨れ上がった時代。
それから若者たちの人口減少が加速し、犯罪はどんどん減っていく。
そして大人しくなったと言われだしたのは、若者の数が減ってきた頃からだ。と、同時に年寄りが増えはじめた頃から。
私の仮説では、これから高齢者の比率がまだまだ増えるということは、若者たちがまだまだ大人しくなっていくということだ。
そして、それだからこそ、日本はどんどん衰退していくと思う。
犯罪率を上げる必要などないけれど、若者たちが元気になるためには、相対的にその数を増やすしかないというのが、別に人類学者でもない私の仮説。
全体としては衰退しても、個人単位でいい人生を生きてほしいと願っている。
そのためには自分の人生を、他人の目線や日本の慣習にも遠慮などしてないでほしい。アメリカ人のように能力以上に大きく見せる必要はないので、等身大の自分を素直に表現してほしいと切に願う。
できないことをできないと宣言し、諦めるのではなく、「これくらいしか出来ません」と行動でそれを示さないと。
あなたの不器用さを、能力の足りなさを示すしかない。示さなければ、能力ゼロと見なされる。示せば、少なくともプラスにはなるから。
90点や100点を取ろうとしてはいけない。
世界は60点か70点で十分合格だからね。
素直に遠慮しないで、自分を世の中に示してみてほしい。
まあ、ダマされたと思って3年続けてみて。
人生変わるから。