【脳を鍛える】すべての成果はここからはじまる
2017年 12月 13日
先日、ミャンマーで長い手術を終えた深夜1時頃、スタッフたちを集め、話した内容だった。
こんな果てまで、お金と時間を使ってやってくる人たちがたくさんいる。
「人の役に立ちたい」「自分を変えたい」「
深夜まで働いて彼らはすっかり疲れ切り、私の話を子守唄に居眠りをはじめる者
その様子を見てふと思うのだ。
この人たちは大して人の役に立つこともなく、
なぜかって?
それは、
スポーツの選手じゃないのだから、
もっというと、スポーツも究極は同じなのだが。
体を動かし働いたと勘違いしている。
満足している。
そりゃ、“感じ”としてはそうかもしれないが、
20年もすれば、若い人たちに比べて働けなくなった自分を見て、きっと落
昔は私もすごい働いた。
しかし、私はもう若くないから、、、
と自分に言い聞かせながら。
それじゃ、何を鍛えればいいのか?
身体じゃなくて何を?
脳を鍛える!
これに尽きる。
脳を如何に鍛えるのか?
すべての人生の成果はこの一点にかかっているのだ。
ミャンマーの医療現場は、脳を鍛える場所であって、
脳を鍛えるには?
脳を鍛えるには?
脳を鍛えるということは?
「この状況で、脳を鍛えるというのはどうすることなのか?」
といつも自問自答していなければならない。
身体をマニュアルや経験に沿って動かしているだけなんて、
そして疲れ切って居眠り…。脳を、ここぞ!
海を渡りここまできて、少なからずお金や時間を使って、この場所で自分の人生に向き合って
たとえそのとき、辛い思いをして、惨めになっても、
そのためには、素直な心、謙虚な心、学ぶ姿勢を用意しなければならない。ねたみや比較など、つまらない過去の自分の殻に閉
時間とお金がもったいない。
「ここを掃除しろ!」といわれれば、「
掃除をしながら、なぜ私は「掃除をしろ!」といわれたのかを考える。
そういう姿勢が大切なのだ。
前置きが長くなったが、それを持っているという前提がなければ、
『ものごとの達成には二つの能力の結合が必要だと思う。』
一つ目は「気づきの力」。
これが低いとその時点で成果は望めない。
気づきの力とは、情報力であり、感度であり、予想力である。自分の内部世界の変化を興す力。
これが突き抜けると、後に出てくる2つ目の力が弱くても、まず成功すると思う。
しかしその場合の、突き抜けた気づきの力は、通常の力とは次元が違う。突き抜けたその力を例えるとすれば、いつもすごい占い師がついているような状態だといえるかもしれな
ある手術を、経験豊富な医者と若い医者が行っている。
このとき、二人はほぼ同じ空間でほぼ同じ画面(光景)を見ている。
ところがその同じ光景から得ている情報量には、想像をはるかに上回る差が存在する。
その情報の差を元に、次の手技が行われるとしたらー。
結果も全く違
一流の棋士とそうでない棋士との差も同じ。
何百手先まで読める人間と、そうでない人間が将棋を打てば、どうなるのか?
ある患者のベッドサイドへ行き診察したとき、能力、
この力は鍛えることができる。
そして効率よく鍛える方法もある。
今時の人たちは、皆、
この力の成長を妨げる最大の障壁は、“過去の自分”であると心得ておいたほう
また、経験の浅い人間、自分に自信がない人間、
なんだか、浄土真宗の開祖、親鸞上人の悪人正機のようではないか。
そして二つ目の力、それは動く力。
これは、自分の外部世界を変える力。
この力の発動の大敵は、時間ということになる。
時間を空ければ迷いが生じ、力が弱まる。
思いや意志もエネルギーであるので、
動き出すまでの時間、これは長くなってしまってはいけない。
心と身体がともに刀に乗り、一気に振り下ろす。
この二つ目の力も効率的に鍛える方法はある。
この一つ目と二つ目の力は別々に存在し、
この二つの力はまったく性質の違う別物なのだ。
だから、別々に鍛えなければならない。
だが、その合力で事を成す。
ネクラだとか、内気だとか、はずかしがりやだとかいって、
やれば、どちらの脳力も上げることができる。
たとえば、
ところが長男はまったく逆。
それぞれの性質や性格の違いからであろう。
それが理解できていると、
だからこそ、脳を鍛える。
脳を鍛えにきたのだと理解していない人間は、ただ身体を動かしてこ