ラオスの少女
2015年 01月 23日
約5ヶ月の及ぶ小児腎臓がんの少女が岡山での治療を終え、先日帰国した。
日本へ治療に来る前は、状態が悪く、もう間に合わないかも知れないと焦ったが、結果的に何とか間に合ってくれた。
腎臓の腫瘍が大きくなり、消化管を圧迫し通過障害を起こし、ミルクや食物を食べれば吐くの繰り返し。
親は状態があまり良くないとは理解はしていてもそれほど危機的は状態とは理解していない。
明るい顔して笑顔も見れるが、こっちはいつ急変するかとヤキモキしている。
当初の予定を前倒しして何とか日本へ駆け込んだ。
国立病院機構の青山先生や中原先生に大変お世話になりながら、手術と抗がん剤治療、放射線治療を完結できた。
国立病院の関係者各位には本当にいつも感謝している。
青山先生は10年以上前に私が大学で講師をしていた頃の教授だったし、中原先生は同僚だった。
今もってつくづく、人間関係の大切さを実感させられる。
しかしながらいつも思うのは、この子どもを助けるために幾人の人間の協力を受けたことだろう。
人間は知らない間に多くの人たちに助けられて生きている。
しかしながら、そうやって受けた恩などにはつゆぞ思い至らず、自分が他人に対してしてやったことばかりを覚えていたり、自慢したりする。
大体、おぎゃーと生まれたときから親をはじめどれほど他人に助けられたことか。
こういう事実を忘れちゃいけない。
医者の世界だって、技術を習う時間はたった数年かもしれないが、後進に教える期間は何十年とある。
看護師だって同じ。
どこの世界だって同じ。
それくらい社会に対する恩返しにはかかるのだ。
これは天の仕組みだ。
受け取れば、きっちり利子を取られる。
与えればきっちり利子を与えてくれる。
後進に教えない人、めんどくさがる人がいるが、こういう人を恩知らずな人という。
このラオスの少女もやがて誰に助けれらたか忘れるだろう。
しかしそれはそれですばらしいことだ。
この子を助けることに参加した人たちは、それぞれに皆幸せを何らかの形で受け取っている。
この子に関わる中で私たちは、人というのはこのように多くの人に支えられ、助けられて生きている存在なのだと知り、日々感謝の心を失わないことを知るべきだ。
(ラオスへ帰国後の子ども)