学校教育は役に立つ?
2014年 12月 14日
「学校教育は役に立つ?んですか?」という質問を先日の高校での講演会のとき、ある生徒から受けた。
うちの妻もその時にたまたま一緒にいて、そのときの私の回答をFACEBOOKに投稿したところ、コメントが結構、あったらしい。
そこでこの件につき、改めて私見を述べてみたい。
私の回答はなんだったかというと、
「はい、ほとんどの人にとっては役に立ちません!」
というものだった。
少なくとも、中学・高校の勉強に関しては私はこう考えているということだ。
妻のFBのコメントを見る限り、色々な考え方はあるにしても、ここが大切なんだけど、
1)直接的には役に立たない。
2)それを嫌嫌何年もやっているよりはもっと学んだほうがいいことは世の中にはたくさんある。
間接的には学問に興味を持ったとか、学ぶ面白さを知ったとか、根性がついたとか、まあいろいろあるけど、しかし、
使わないでしょ!物理や化学使います?
数学の公式使います?
一生のうちに、2度、直角三角形の面積の公式使って、それって元取ってるかな?
物体の摩擦係数とか、落下加速度とか、興味あるかな、普通の会社員が。
せいぜい、語学や国語は大切だとしても、そのほとんどはね。
やっぱり役に立たないよね、直接は。
ああいう高等学問が、国力の上昇させるという目的を結果として本当に反映しているんだろうか?
せいぜい、小学生の頃の勉強で間に合うように思うんだけど。
確かに、いつでも学びたくなったときに何でも学べる環境は必要だけど、食べたくもないものを口あけて食べさせるような
明治の富国強兵目的に始まった現在の教育システムは、既におかしいのじゃないかな?
それを、全ての先進国でやっているわけで、そういうシステムを引きずっている限り、まあ、日本は欧米のコンプレックスからは抜け出せないな。
今の学問のほとんどは、彼らの文化から出ているわけだから、今だに彼らが有利じゃない???
昔は都会では寺子屋で基礎学問を教え、商人や職人として生きた人も多かったからね。学問レベルは低くてもそれはそれで十分成立していたと思う。
いい大学を出なくては、高い給料をもらえなくするから、逆説的にほとんどの人には役に立たない学問の価値が上がっている。
尺度なんだよね。
学問する本人のためではなく、社会が選択するために、国がある基準で選択するために、ものすごいお金を使って競争をさせている感じは否めないよね。
勝ち残った人は記憶力も思考体系も忍耐力もまあ、優秀な人ということで。
それはそれである程度正解なんだけど。
ところが社会に出て分かったことは、人間というのは”きっかけ”なんだということなんだ。
ちょっとした”きっかけ”で、もちろん自分に興味あるとか得意分野であるとかという環境が必要である場合も多いけど、あっという間に記憶力や忍耐力をはじめ
すごい能力を発揮するするのをこう何度も見せつけられると、学問だけで優劣をつけるのはいかがなものかと思うようになる。
ところが、この人はそれくらいの能力を示しているのでまた何がしかの学問的な課題を与えると、これが全く勉強もせず、元の学生時代のようなレベルになってしまう。
学問で人間力を測るというのは、一つの尺度に過ぎないから、もっと多くの切り口を社会は用意する必要が絶対にある。
これは日本が生き残っていくために最も大切な多様性を獲得するということだ。
色々な能力を評価する社会にいち早く移行できた先進国だけが次の時代にのし上がる。
アメリカはどうだろうか??
あそこは良さそうでダメだと思う。
戦争に負けてない悲劇がそういう形で出てくると思う。
人種問題、銃の問題、独占の問題、超学歴社会、、、。
まあ、アメリカの時代は既に遠い昔になる。
そういう意味では、日本は楽しみなんだけど、学校の学問なんかなんの役に立つんですか?
と、子どもたちに質問されて、ああだ!こうだ!と色々、もっともらしい、大人らしいことを言う大人たちがたくさんいるうちは、変らないだろうな。
その講演会で、最後に私はこう付け加えました。
「しかし、これは社会が決めたルールだ。参加者にルールは変えられない。だから役に立たないからこそ、つべこべ言わずに、一気に集中してこんなものいち早くやり遂げて、なるべく早い時間でこんな期間終わらせるべきなんだ。」