身の程を知ること
今年で、私が国際医療を担う医師になることを決心し医学部を目指しまる30年が経過し、
海外医療をミャンマーではじめてからまる20年が過ぎ、
ジャパンハートをつくりまる10年が過ぎた。
何だかんだの節目の今年、で、外務大臣表彰と沖縄平和賞をいただく事ができた。私自身にとってはそれはさほど意味を成さないが、支援してくれた人々や活動を支えてくれたスタッフたち、そして苦労をかけた家族のためにも、なんだか理屈の通った言い訳ができたみたいで少しほっとしている。
最近では、現地人医療スタッフや日本人医療スタッフたちがどんどん力を付け私は引退前のピークアウトしたかつての名打者のように代打で時々、舞台に立たしてもらっている感じがする。
スタッフたちにそのように言うといつも、「そこにいてくれることに価値があるんです!」といわれるが、
それではなんだか病院のいたるところにある仏像と同じ扱いだな、と素直に喜べないでいる。
技術を見せつけないと人から尊敬を勝ち得ないようでは、人としてまだまだだと、反省している。
たまたま先日全く偶然に、あるフォルダを開いたらこの10年間のさまざまな現地での活動の写真が何百枚と出てきて、懐かしい顔をたくさん見かけた。
ジャパンハートや私という人間に不満を持って立ち去っていった人間もその中にはたくさんいた。
しかし、みんないい顔をしていて患者と触れ合っていたり、笑顔で仲間たちと写っていたり、ホントみんないい時間を過ごしていたんだなと、改めて感じることができた。
そして何より思ったのは、このような人たちの努力の積み重ねで今の私やジャパンハートという組織があるのだなと、思った。
そして、その中の誰というわけでもなく、その人たちの人生の合力の功績に対して自然と敬意と尊敬の念、そして感謝の想いが沸いてきたのだった。
この節目の時期に天は、驕るのではなく足元を見ることと、自己の身の程を知ることを私に要求している。