10年後
10年後は一体どうなっているのだろう?
考えても仕方ないが、時代に振りまわらされたくはない。
最近のキナ臭い世界情勢の中で、あなたの家族や日本が今のまま安全であることなど誰が保障してくれるというのか?
人間は目の前の日常にしっかりコミットしなければならないが、いつ何時何が起こるかわからないと心の準備をしておいたほうがいいというのが私の見解だ。
武士道が日本国民にそういう形で残っていけば、大いに意味がある。
たとえ日本という国家がなくなっても、私も私の子どもや子孫もどういう風に生き残らせようかと考える。
手に職を持つという方法は今も昔も有効な方法だと思う。
さまざまな角度から、そういう視点を持ってみるのもいい。
迫害の歴史が長かったユダヤ人たちに、医師や弁護士が多いのは偶然ではない。
人の秘密を知ることができるポジションにいることは、彼らの安全弁だった。
世界に最も移民が多いのはイタリア人・アイルランド人・中国人。
過去の歴史に中で迫害の憂き目にあってきた歴史がそうさせたのだろうが、今やそれが彼らのさまざまな安全弁になっている。
医療者の世界はどうなるのだろうか?
医は仁術というのは、もう昔話になるかもしれない。
社会も医療者に、人格を求めるのはいいが、それ以上の自己犠牲を求めてはいけない。
これからは、医療を行うものは外国人になるかもしれない。
期待が大きければ、また落胆も大きい。
10年前、今の世の中を予想できて人はどれくらいいただろうか?
20年前、この世からソビエトが消え、社会主義が消えていった。
25年前、韓国は軍事政権だった。
40年前、中国は文革をしていて、国民はみんな飢えて青い顔をしていた。
50年前、日本は高度経済成長を駆け上がり、オリンピックをすでに終えていた。
70年前、日本は戦争で焼け野原。壊滅状態だった。
時間はあっという間にすぎていく。しかし、それ以上に時代が早く流れて私たちを翻弄するかもしれない。
だからこそ、準備が要る。
昔、乳がんの患者は早期に病院に行かなかった。
私は若い頃はそんな患者たちを時々診たし、アジアでは今でも当たり前に見る。
乳がんは、成長し、やがて皮膚を突き破って破裂する。
そして噴火した火山のような形状になる。
そこに感染を起こし、膿をマグマのように垂れ流す。
しかし、患者たちはなぜそれほどまでにひどい状態何に病院に行かなかったのか。
現実を受け入れられないこころ。
それ以外に何があったのか?
それは、今日の乳がんの様相と、昨日の乳がんの様相、そして明後日のその様相が、見た目にあまり変わらないからだ。
一日一日は、それはほとんど変わらないのだ。
しかし、その一日が積み重なって6ヶ月になったとき、大きく変わっている。
1年たったとき、どうなっているのか?
やがてその変わらない塊が破裂し、感染を起こし、異臭を発するのだ。
変わらない一日を、見過ごしてはいけない。