ジャパンハート 10年ーその2
昔、昔といっても20年ほど前のことだよ。
私が、海外で医療を始めた頃のこと。
国連やJICAなど、とにかくいろいろな人たちからコンタクトがあったんだ。
理由は、日本のNGOで医療系のものが私以外になかったこと。
そして、私が医者だったこと。
ひとことで言うとこう言われた。
「ちまちま一人ひとり患者を助けてもきりがないだろ!」
ということだ。
もっと、多くの人に影響を与えるような仕事をしてみないか?
ってな感じだった。
確かに、まあ、朝から深夜まで患者たちを診察治療してみて、キリがないという心境であったし、彼らの言わんとすることも一理あった。
しかし、私は結局、ありがたい彼らのお誘いを断りその後も、ちまちまと患者を治療し続けた。
なぜかというと、頭では彼らの言わんとすることが理解できても、心が納得しなかったからだと思う。
医療というのは、患者をちまちま診ることにこそ極意がある。
丁寧に、一人ひとり診る。それが医療にとって大切なことだからだ。
大体、ちまちま患者を診ることを否定的にとらえてはいけない。
世界中、医療というのは患者をちまちま診て成り立っている。
日本でもそうして医者をやってきたのだ。
患者を知る。
患者の家族のことを知る。
彼らの生活を知る。
家族の病歴を知る。
どれも大切なことだ。
私はちまちま診ることを否定することは間違っていると思う。
彼らは医者ではないからそう行動するのかもしれないが、一人ひとりの人生から視点を失うと、どんな良い事業でもやがて結果は思うところから狂ってくると思う。
例を挙げようか。
政治家が、庶民の生活や苦しみも知らず、適当に周りの人にだけ意見を聞いて政策を作っていけばそれは人々を幸せにするだろうか?
第二次大戦の戦争中、ミャンマーでは20万人近い日本人たちがなくなったが、彼らには、一人ひとりに父母がいて、兄弟もいて、こんな子ども時代を過ごし、こんな妻子がいて、どんな風な人間だったとしっていれば、玉砕しろという命令などそう簡単に出せるはずがないと思うがどうだろうか?
人間は、大きなお金や力を持つと、勘違いする。
あたかも自分はすごい力を持ったかのようにだ。
私はだから現場に足を運ぶ。
自らの非力を思い知るためにだ。
別に1万人いっぺんに救わなくても、一人でも二人でも救えたらそれはそれですごいことだと思わないか?
そうやって一人ひとりと積み重ねて結局、数万人になっちゃった。
数万人をいっぺんに助けるべきだと考えていた彼らは今どうしていると思う?