停滞するということ
2013年 10月 27日
最近はどうも停滞気味。
実は私は停滞を、マイナスには捉えていない。
特に年齢のせいもあるかもしれないが、そういう心持ちになっている。
だから、焦燥感はあるが、悲壮感はない。
何でも上手くいきすぎると、なんだか得体の知れない不安感に襲われこのあと急落下するんじゃないかという思いに捕われる。
それと逆に、停滞があるとそのあとなんかいい事があるんじゃないかというこれまた得体の知れない思いが押し寄せる。
まるで生体防御反応のようだ。
中国の昔の考え方に、中庸(ちゅうよう)というのがある。
調べてもらえばいいが、まあ、極端に触れないあり方がもっとも理にかなっているという考え方。
中国の医療の考え方も同じ、体が悪いのは、陰陽のどちらかに極端に引っ張られているので、真ん中に戻すという考え方だ。
これは生来のものか、親から織り込まれたものか、どうも私には楽観的な部分があり、ピンチのときにはいつも何だかきっとこの後はすごいいいことにつながっている気になってしまう。
現実にはそうでもないときも多いが。
たとえば発酵とは、腐らすことだ。
発酵がなければ、ワインは生まれない。
人間も同じ、一回、つぶさないとその先の世界には進めない。
たとえば熟成とは、天の調整時間だ。
天が、発酵状態の存在に意味と価値を与える時間だ。
発酵と熟成期間を、私のかなでは停滞と位置づける。
早く、早くと焦るわが心を、もう少し待て!と天が諌める。
10代の頃の私は完全にいけてなかった気がする。
腐っていたかもしれない。
でも、そのとき思っていたんだ。
きっと40歳になったら花開くんじゃないかって?
発酵に20年以上かかった。
まあ、人生はそんなものだから、焦らずにいけばいい。
でも、毎日を疎かにしてはいけない。
おいしいお酒をつくるときは、毎日誰かがしっかり見ている。
あなたの人生を見ているのは、神様かもしれない。