浜田省吾さんのコンサートに想う
2013年 07月 24日
浜田さんがあまり宣伝もせず、ずっと続けていることがある。
JSファウンデーションという財団。
ここの代表が佐藤さん。とてもいい人だが、口は悪い。
こんな人が昨今少なくなってきているので、貴重な存在であることには変わりない。
その財団の財源はもちろんコンサート会場で寄付されるファンからの募金が主なものだ。
はっきり言って、浜田省吾というミュージシャンは私の子どもの頃から活躍していた人だ。
私が彼を知ったのは30年以上前のカップヌードルのコマーシャルの挿入歌からだが、中学生の頃、11PMという当時としては少し進んだ夜の番組があったがそこで司会のかわいい女の子が、「私、浜田省吾さんのファンで、、、」といったのをなぜか今でも記憶している。
まあ、どうでもいい記憶だが。
今回、初めてコンサートにお邪魔して驚いた。
だって、声が昔と同じでまったくあのままだったからだ。
30年前のあのままの声が聞こえるのだ。
私の大学の頃は、彼の歌をよくカラオケでみんな歌っていた。
隣の部屋の同級生の部屋からは、いつも浜田省吾の歌がスピーカーから聞こえていた。
コンサート会場で、ファンのみんなに感謝を伝えるメッセージが彼から送られる。
その声のトーンとリズムから、本当にこころから、この人はファンに感謝している、周りのスタッフにも感謝していると感じた。
なぜそう感じたんだろうか?
多分、私はミャンマーみたいな今の日本人にとってはまったくなじみのなかった、いわゆる地の果てで、誰からも知られることもなく細々と医療を自分の貯金だけではじめた。
このお金が尽きるとき自分の行う医療も尽きる。
しかし、私のことなどは誰も知らなければ、多分このまま世界から忘れ去られていくことだろうと何となく感じながら医療を行っていた。
運命は、しかし、少しずつ私に微笑みかけてくれた。
支援する人が、少しずつ現れてくれたのだ。
初めのころ私を本気で支援してくれた人たちのことは決して忘れない。
一人、一人と、本当に私と向き合ってくれた支援者やスタッフは、浜田さんのファンやスタッフと同じなのかもしれない。
どんなミュージシャンだって、無名の時代もある。
苦しい時期もある。
それを乗り越えて今がある。
それを乗り越えてこれたのは決して自分だけの力じゃないと彼はわかっていると思ったのだ。
だからこその心からの感謝だった。
JSファンデーションはジャパンハートをずっと支援してくれている。
ありがたいことに。
それでどれほどの子ども達が恩恵を受けたことだろう。既に数千人は恩恵を受けている。
浜田さんの歌を本気で聞いているとき、横から百戦錬磨の佐藤さんが、聞こえにくい歓声の中でも私に向かってこう言った。
「こうやって彼が体にいくつになっても鞭打って歌ってくれる。それでJSファンデーションがあるし、そのお金で多くの子供たちが助かっている!」
う~ん、さすがに佐藤さん!
しっかり押さえるところは押さえてくる。
こういうプレッシャーを時々もらわないとお金のありがたみを失うから、私にもジャパンハートにも必要なことだ。
コンサート後、楽屋でビールをどうぞと勧められて一緒に飲みながら、浜田さんと少し話をした。
とてもいい感じの人だったな、、。
少しして、スタッフがファンが出口で待っていますと言って来た。
じゃ、ファンが待っていますので行きますと。やっぱりファンが最優先の人なのだ。
硬い握手をして別れた。
また、がんばって子ども達と向かい合わないといけなくなった。