フラストレーションの本質
2013年 05月 15日
最近はフラストレーションを色々感じる。
日中の問題、日韓の問題、慰安婦の問題、、、政治家もフラストレーションが大変だろう。
これらの問題は、全て、日本とアメリカの問題に帰結される。
アメリカさえ何も言わなければ、もっと早くけりが着く。
世界の中で最も日本に内政干渉をしているのはアメリカ。
内政干渉を通り越して、コントロールしていると早く日本人達は気づかないと。
基地はなくならないよ。
マスコミの論調も、今のまま、どこも同じになってしまう。
そして、多くの日本人達のこころと、政治家の言動が乖離してしまう。
そして誰も政治を信用しなくなる。
政治家も100人連続で討ち死にしたら、日本は変わる。
さて、先日数日ヤンゴンで休養を取った。
なんだか最近、得体の知れないフラストレーションを抱えている。
本当はこの得体の知れないフラストレーションは2年ほど抱えているけど、なんだろうか?
齢のせいか?
はたまた、環境のせいか?
解消しようにも、相手の存在が見えないために戦うことが出来ないできた。
アメリカみたいに、嘘でもいいから勝手に敵を作り出して、適当に戦ってみるか?
これをしたら、多分、疲弊するだろうな、自分が。
なんだろう?なんだろう?敵はどこだ?と思い続けてやっとことの本質に気づいた。
的は外ではなく、中にいる。
私の中に入る。
今の日本と同じじゃないか。
内なる敵こそ、真の敵。
そういえば、今まで私が幸せを感じてきた瞬間はいつも、外に向かって何かを出している時だった。
人間の本質は、面白いことに外に向かって何かを出すときに満足と快感を伴う。
食べ物をとるときの満足と快感は、排泄のときの満足と快感に比べ弱いものだ。
食物を食べるときの満足と快感は、人間の根源的な生命に対する安全と安心に由来している。
排泄の満足と快感は、どこにも由来のないただの快感であり、満足なのだ。強いてあげれば、本能そのものに源があるといえるかもしれないが。
冒険家や格闘家、あるいはその他、命がけの何かを目指す人々は、この根源的な満足と快感を求めて生きることになる。
人間は何かを本気で、命がけで志したときには必ずこの快感と満足に向かう。
そのとき、人間の中では、排泄が起こっている。
技を習得したとき、練習しているときに満足はあるが大したことはない。
技を出して、人を倒したときに心の満足と快感を得る。排泄の段階だ。
とにかく何かと、溜め込み、出すのが嫌いな人はそういうレベルの低い満足しか味わっていない。
それが、もっともいいものだと勘違いしている。
日本という国も、貯蓄性が高い。溜め込むことが、将来の安心と安全を保障しているかもしれない。
しかし、それはいかなる本質的な満足ともつながらない。
人も国も、企業もみんな同じだ。
人材も、育てることは国や企業にとって安全や安心を生むかもしれないが、それらの人材が使えないと本質的な豊かさは企業にも国にもやってこない。
私のフラストレーションの源は、どうやらその辺りにあったようだ。
すなわち、十分、アウトプットできていない。
宿便が残っていた。
自分の能力がアウトプットしていない。
もう十分でしょといってくれる人もいるが、それは違う。
自分のことは自分しか分からない。
自分で、それが出来ていないからこんなにフラストレーションを抱えている。
自分の才能や能力は出して減るものではないし、どんどん出していかないといけないと思う。
これからもっと、もうちょっとアウトプットを出すようにしていきたい。
人間が、生まれて初めて感じる快感は何か知っている?
排便したときの快感なんですって。