非常識を持つ
2013年 04月 23日
日本の常識は世界の非常識。
かつての日本の常識は、今の日本では非常識。
私達の周りにある常識を疑ってかかった方がいい。
TVや新聞であたかも本当のように流される情報は、果たして真実であるのかどうか?
新聞で流れる海外情報は、大体どこからか流してもらったものばかりだ。
あるいは国内の情報だって、記者が自分で調べた情報がどれほどあるか?
イラクに大量破壊兵器があるから。
戦争を始めて、たくさん人が亡くなって、その戦争理由が真実だったか?
でも世界中は、それを信じた。なぜ?
あなたの周りにある食べ物にかいてある賞味期限は、本当に正解なのか?
薬の効用や副作用は、使用書とうりなのか?
薬の臨床データはそんなに正確に取れるものではない。
だからあまり正確でないデータの積み重ねが、副作用表に現れているとしたら、それは信じるに値するのか?
ある著者が子どもは褒めて育てろという?
その方法が、ホントに普遍性をもつのだろうか?
どの子にも合う指導法などあるのだろうか?
でもその著者は、それを普遍的だと表現する。
感覚を磨きながら、与えられた常識を疑いながら非常識な感覚も持ち合わせたほうがいい。
油断していると常識という手法で他人からの情報操作に晒され、人生が磨り減る。
時に賞味期限など当てにしないで、食べ物のにおい、味、色など自分で判断して食べればいい。
たとえ使用期限が過ぎていようと、問題ないと感じる薬は試してみる価値はある。
子どもとしっかり関わり、時に褒め、時にけなし、怒り、育ててもいいかもしれない。
自分の感覚を信じるということは、同時に他人に振り回されないということでもある。
他人とは、まさに常識といわれるもののことだ。
他人から非常識といわれようと自分の常識に従う。
時にその内部感覚を信じる。
まずは、現実を揺らすこと。
現実を揺らすとは、他人の常識を疑ってみること。
そして自分の頭と内部感覚で判断すること。
これからは、これがもっと大切な時代になる。






