やり切ることの、本当の大切さを知る
2013年 03月 17日
今日はやり切ることが如何に大切なのかを知ってもらいたい。
やり切るというのはどのくらいのレベルの達した状態なのかは、なかなか難しい問題ではあるが。
挫折とやり切りは、近くて遠い関係にある。
具体例をあげて説明すると分かりやすい。
あなたが高校生でグラブ活動でテニスを始めたとしよう。
テニス部の練習はつらい。
ランニングや筋トレばかり。そして素振りの繰り返しの毎日。
いつまでたってもボールを打たせててくれない。
やがて段々面白くなくなってやめてしまう。
テニス部に退部届けを出した。
まあ、挫折はしたけれど、しかし、振り返るとこの経験は決して無駄ではなかった。
自分なりに努力はしたし、いい経験もできた。それはそれで良かったし、今回の経験は、人生の中で何らかの意味をもってくれることだろう。
これは、決して間違った認識ではない。
では、やり切りはどんな経験になるのだろうか?
そのつらい練習を乗り切り、やがてテニス部をがんばって3年間続ける。
これをやり切った状態と仮定しておこう。
ここで得ることが出来る経験とはなんだろうか?
考えて欲しい。
分かるだろうか?
やり切りによって選れる結果は、単にテニスを経験したという以上のものを受け取れるということを。
得れるものを、例えば列挙してみよう。
テニスの大会に出れた経験や緊張感。
3年間やりきったという自覚。
テニスを通してできた生涯の友達関係や友情。
テニスでの、思いで。
様々な遠征や大会を通じて、校内を越えた人間関係。
体力。
毎日の充実。
学校生活での勉強以外での、充実感。
仲間意識。
スポーツへの理解と意味づけ。
などなど。
テニスというスポーツを突き抜けてそれ以外の財産をたくさん持てていることが分かる。
これこそが人生で、テニスをやったということ以上に意味を持ってくるのは簡単に理解できる。
やり切りは単に、その事象を飛び越えて広がりを見せ、様々な恩恵を人生に与えてくれる。
だから、何かにつけ中途半端はいけない。
何かひとつでもふたつでも、人生の中でやり切っていくことが出来れば、大変な恩恵を受けることが出来るのだ。
何度の挫折はしてもいい。
人間だからね。そりゃ仕方がない。そんなに強い人間は、あちこちにいるわけないから。
でも、人生の中で、いくつかはやりきった経験を持とうとしたほうがいい。
ここは踏ん張りどころだと思って、がんばる時間が欲しい。
一度突き抜けてしまえば、後は自然にやっていけるものだ。
やり切るという感覚を、大切にして数年に一度は力を入れてみたらどうか。
あなたが最後にやり切ったのはいつだったか?
思い出してみて欲しい。