中味との直結する何か
2013年 02月 18日
ミャンマーに初めて来てから19度目の年を迎えた。
時間は早いものだ。
医療の他にも、色々なことに手を出しているが、多分私はどこまで行っても職人なんだと思う。
自分で何でも確かめたくなる。
誰かが大きな権力や金銭的な力、地位を持っていても、いまいち敬意を払う気にはなれない。
それはそれで多分すごい人なのだろうけど、それがどうしてもその人の本当の中味そのものだとは思えないからだ。
それに、私は本当の技術とは、匠の技だという感覚がある。
技とは、その人のオリジナリティーに根ざし、独自の味を出しているものだという感覚を抱いてしまう。
お金や権力や地位は技ではない。
そこに匠の概念はない。
技術屋の私は、そういうものには興味がないのだと思う。
日本は匠の国だというが、日本が世界に誇れるのは何もその人たちの技だけではない。
この技術者達は、ある意味日本で最も自立的に生きている人たちなのだと思う。
それは技術があるからなのか?
それとも、技術をつける過程でそうなっていくのか?
以前、山本七平さんの書物の中でこんなエピソードを紹介していた。
第二次世界大戦のフィリピンで終戦直後のアメリカ捕虜収容所での日本人捕虜達のエピソードだ。
日本人たちの収容所では、必ず暴力が支配する。腕力に勝るものが、弱きものを従え、暴力によって服従させる。
その中でも、上級の士官達にはその傾向が極めて強かった。
しかし、それは全ての日本の軍人達に当てはまる傾向だった。
ところが、その中でそうならない集団があった。
それが、職人達の集団だった。
彼らは淡々と自分達がすべきことをし、自然にあるいは独自に秩序を作り、そして保った。
という大体、そんな感じの内容だった。
結局は、人間から暴力という力もあるという要素を表立って認めようとしない現在のような時代は、平時、すなわち平和な時代ということだ。
だから、理屈がまかり通る。
世の中は理屈だけでないと半ばわかっているのに、理屈が全てだと思ってしまう。理屈が通っていれば、自分が守られると思っている。
国と国との関係も、なんだかそんな感じで日本人達は思っているのだろう。
そんな理屈は、いざという時、普通の人間同士には通用しにくいのは、戦争のときでなくともわかるはずだ。
どんな時代でも、しっかりと自分を保って生きていけるのは、職人達のごとく、自分の中味と直結した何かを持っている人間だと思う。
本当に平和を生み出したいのなら、まずは自分の中に動揺しない何かを生み出すのが大切だと思う。