夕べの記憶
2012年 10月 26日
人の目線で生きる日本人。
神の視線を意識する欧米人。
と、まあ大きなくくりにして考えてみると、昨今の日本人たちは神様の目線を気にしなくなったような気がする。
子どもの頃、よく言われたせりふに、”お天道様が見ている”という言葉があった。
人の目線ばかり気にして生きていると、人が見てさえいなければ何をしてもいいということになる。
昨今そういう風にして、日本では悪事や不正が行われる。
神の目線を極度に意識すると、人の目線があろうがなかろうが、ある程度の自律的な状態を保つことができる。
何せ、神との対話は、自分の心との対話。
神の目線の意識が必ずしも,正当かというとそういうわけでもない。
この手の人間は、すぐに独善に落ちる。
そして、原爆投下や殺人さえ、自分の側に神がいて、自分が望むことは神が赦すと信じた瞬間にとんでもない悪事を働いた結果。
結局どこまで行っても、どっちに転んでも、結局はその人の人間性だという結論になってしまう。
人間を磨くしかない。
私も記憶を紐解けば、人の目線を意識しすぎたりして、あるいはその逆でまったくないときに働いた悪行は数知れず。
人というのは、罪深きかなだが、昔、よく言われた「お天道様が見ている!」という殺し文句はかなりいい。
お天道様と聞いて日本人ならば、太陽のようなイメージを持つ。
しかも暖かくて、いつも笑っているようなイメージがそこにある。
やさしく微笑んで自分を見てくれている存在の前では、人間は堂々とは悪いことや恥ずかしいことはできないものだ。
そうイメージすれば、いつも心に太陽を持っている人間はそうそう、悪事を働かないということになる。
太陽とは、夢であったり、愛しき人であったり、何かをしたいという情熱であったり。
ただ単にお金をもうける、有名になるというような無機質で体温を感じさせないような事柄ではなく、イメージすれば暖かさが伝わってくるような事柄を、自分の心にいつも意識してみる。
そのことを心に思ったときに、暖かさを感じるようであれば、それが自分のお天道様になる。
それを思い浮かべながら生きていると、悪いこと柄からはどんどん遠ざかっていく。
お天道様は、誰にも確かにいて、いつも思えばすぐに自分の中に現れてくれる。
これを,ことあるごとに思い浮かべて生きていく。
試しに、漫画のイメージでいいので、心のなかで、ニコニコ笑って、あなたに向かって微笑んでいる風呂の温度と同じくらいの暖かさの太陽、思い浮かべて、人を殴れる人間はそうはいない。
人を殴ったり、いじめたりするときの自分の心を感じてみるといい。
きっと、冷たくむき出しのコンクリートとその温度を、私ならば感じる。