死と隣り合わせの医療
2012年 06月 13日
先日、手術中に子どもが死にかけた。
麻酔薬を打ち込んだ後、呼吸が停止。
慌ててマスクとバッグで換気する。もちろん私が術者だったが、わざわざ手術を中断して自ら呼吸換気を行った。
数十秒後、一旦、呼吸が安定し、若い医師たちにバトンタッチ。
替わって3分、再び呼吸が悪化。
手術に戻っていたが、再び呼吸換気をする羽目に。
しかし、今度は換気が上手くいかない。
酸素濃度がどんどん低下する、緊急的に気管にチューブ挿管しようとするが、ここでトラブル発生。
気温が高いため、プラスチックのような素材でできているチューブはフニャフニャになり、すぐに折れ曲がり、
気管に入っていかない。どんどん酸素が低下し、とうとうゼロに。
死ぬかもしれない!というこころココエを消しながら、再び気を取り直して、挿管を試みる。
ところが今度は気管の入り口の声門が閉まり、完全に気道が閉塞した。
マジで死ぬ!ココロの声が大きくなる。
いきなり術野にあったメスを握りしめ私は、子どもの喉をかききった。
吹き出す血を、よそに気管に向かってどんどん進む。
子どもの酸素はゼロを指したままになって一体、どのくらいたつのだろうか?
1分、2分??
気管に直接糸をかけ、引っ張り上げる。そこにメスで穴を開けた。大量の血液混じりの唾液が吹き出す。
そこに気管切開用のチューブを挿入。
一気に呼吸が再会する。
みるみる子どもの顔色が良くなってゆく。
この間、約3分。
しかし、長く感じた時間だった。
助かったかも?またココロの声がする。
マジで死んだと思った!少し安心したココロがつぶやく。
再び術野に戻り、手術を再開する。
さらにスピードアップして手術を終わる。
術後、発熱はあったが子どもはしっかり意識を取り戻し、元気にしていた。
昨日、日本に帰っている私に連絡が。
本日、無事、子どもが退院しました、と。
医療をやっていると、こんな経験は何度かする。
特に、私のいる場所はこの数が多い。
そのたびに、私は医者を辞めたくなる。
人間は愚かな生き物か、昔のことはすぐに忘れる。
忘れてまた同じ過ちをする。
こんな恐ろしい物語を、何度も多くの医療者に言って聞かせるが、皆ふんふんと聞いている。
多分、分かってないな、と思いながらそれでも話す。
人間は自分で経験するしかない。
しかし、このような経験が多く過ぎると、何だかトラウマにもなってくれない。
それでも医者を続けてゆく。
医者とはかくも因果な商売。
何で医者になってしまったのだろう?かとココロの声がする。