医療者を目指す
2012年 06月 03日
医療者を目指している人が私の周りにはとても多い。
そして挫折して別の道に進む人も多い。
挫折したからっといって、何でも自分を責めてはいけない。
私は最近は、何でも不完全な状態が自然な状態、すなわち釣り合った(平衡)状態だと思っている。
私のいう不完全な状態というのは、たとえば鉛筆で円を描くと始めと終わりは同じ点になっているが、完全な円でなく、少しゆがみを持った状態。あるいは、鉛筆の線が最初と最後で微妙にずれているような状態を指している。
この状態は、ある目的を達するのだがきわめて不完全に達した状態、あるいはぎりぎり達することができなかった状態のようなものだ。
だから、挫折は挫折でも、ぎりぎり合格に届かないという形を作れればきわめて自然な状態で、この挫折は多くの合格者と人生の成果としては変わらない。なぜならば多くの合格者は、ほとんど合否のボーダーライン上に並ぶというのだから。
そして、この時の挫折体験は、必要以上に自分を責めなければ、私の経験からは極めてプラスの効果を人生に対して与えることになる。それは合格した人の何倍にもなるだろう。
この機会を上手く利用できた幼少期に劣等生だった者が、大成するのはこのためだろうと思う。
このプラスの挫折体験は、その時に蒔かれた人生の甘い果実の種だから、この経験を大切にしなければならない。
自分が、受験に失敗すれば、まず自分は人より能力に欠けると自覚する。
(運良く、その自覚を持つことができる。)
そうすればこそ人よりも努力もする、時間も大切にする、人に対してももっと気遣いを持つように心がける。
その後の人生、すべてこの感受性で人生いきていくことになる。
だから大きく人生が変わっていく。
どんな道にいこうが、何を目指そうが、一度決心したら、結果はともかく、いずれにしろぎりぎりまでいききる必要はある。
決心が鈍いと、ぎりぎりまでは行けないから、決心だけはしっかりした方が良い。
医学部に合格するとか、医者になるとか、まあそれは人生の一部の成果でしかない。
人生の成果は、80年の寿命なら80年で出すのだから、そのように考えて目先の結果を位置づけた方が良い。
どうせ人生は飛躍の前には一度沈むことが多いので、失敗にいちいち落ち込まないで、次を楽しみにしておいた方が賢明だと思う。
あとは自分の人生との約束。
もしあなたが幼い頃に、たとえば貧しい人や途上国の人のために医師や看護師になろうと、思って医師や看護師になったのならば、本当にそうすること。
あれこれいい訳をして、やめたりしないことだ。
もしそうしなかったら、あなたは純粋な幼い子どもをだまし、ひとりの子どもの夢を壊したことになる。
しかも、夢を壊されたその可哀想な子どもとは、あなた自身のことだ。
あの純粋で優しかった幼き日のあなた自身だ。
なんと罪深いことだろう。
自分自身との約束を果たすというのは、それくらいに大きな出来事なんだ。