命の話をしよう
2012年 04月 06日
今日は命の話をしよう。
なぜに私は命にこだわるようになったのだろうか?
ミャンマー、昔ビルマといわれていた国に行ったのは17年前、ちょうど戦後50年目だった。
私が子どもの頃、大阪の町や近くの駅の地下には、いつも手や足がなく、古い軍服を着て、タートルを巻いた物乞いの人がいた。戦後20年以上もたった頃の話である。
多分嘘だと思うが、子どもの頃通っていた塾の校長は、自分は神風特攻隊の生き残りだと、私たちに何度か言ったことがある。時代がまだソ連が元気な左よりの頃で余り大きな声では言えなかったのだろうが、どことなくそれが勇敢でかっこいいことだとその校長は思っていたんだろう。
ミャンマーにはじめて行った頃、多くの現地の年寄りたちが戦争に参加していた日本人たちとの交流や関係を話してくれた。そこには、戦後の偏った教育の中でゆがめられてしまった日本という国に対する概念を全く覆すものだった。
と、同時に戦争に参加した日本人たちに全く同情した。日本人には生きることがつらいこんな熱い国で、戦い死んでいかなければならないという運命に、何とも言えなくなってしまった。
別に私が言ったことではないが、少なくとも大局的に観て、アジアの国々が欧米発の植民地主義から解放され、大戦後に次々に独立していったのは、日本が欧米をアジアから一時的にも追い出し、各地、各国に独立のための組織や志が創られていったからだろう。
それを全く日本がアジアのためにやったわけではないが、結果的に歴史はそう動いたのだ。
インドはサンフランシスコ講和会議に参加していないという事実を知っているだろうか?
インドの首相は、日本なかりせば、30年は独立が遅れただろうと言っていた。
そしてこの不当な講和会議には、不服として参加せず、その後、独自に日本と講和条約を結んでいる。
日本は、日本人たちは、何百万人もの犠牲を払い、戦争をおこなった。
行わなければならなかった。アメリカが不当に経済封鎖し、圧力かけたということだけでなく、今も変わらぬ政治的センスの欠乏からかもしれない。政治を何とかしないと、別の形で今後も犠牲は出るだろう。
自分で、期せずして、実際の現地人から真実の歴史の声を聞き、そして自ら学び、考え、そして今ある結論に達している。
それは、
人間生きなきゃ、だめだ。
という結論。
少々、惨めでも、恵まれなくても、10代で特攻なんかに行っちゃだめだ。
戦争で散華していった英霊たちに感謝しつつもあえてそう言いたい。
もし時代が変わり同じようなことがあれば、私たちのような世代の人間がまず行く。
だから若い人たちは、命を大切にして人生をもっと楽しまないとだめだと思っている。
国も政治も、人の命を奪っちゃいけない。
アメリカはまだやっているけど、一度、戦争に惨敗してみると悟るだろう。
それまではまだ国としては子どもみたいなもんだ。
私は自分の命の、その大切さを手に取るように認識したいと思っている。
でもそれは健康で生きている限り、難しい。
命という、手に取ることができないものの大切さなど理解できないのだろう、本当は。
でも、ある刹那に、その影を見ることができる。
命なるものの影を。
それは、自らの前に、その存在や健康を脅かされた人がいて、その人たちが亡くなったり、あるいは生還したりしたときに、命というものの価値と存在を感じることができる。
そして、いつも思う。
何もかも、何もかもが、生きていればこそ、だなと。