最後の時かも知れない-医療者編
2012年 02月 25日
1995年からミャンマーで医療を始めた。
貧しいあの時代、私のような未熟な医師の前にも、ミャンマー人たちは遠く何日もかけ医療を求めてきてくれた。
いつも罪の意識と感謝の意識が混ざった複雑な心境ではあったが、私はそれなりにガンバッタとは思う。
毎日、朝の5時から夜の12時まで働いた。
2004年、関わっていたNGOのあり方やその提供している医療レベルに大きな不満を抱き、自分でジャパンハートを立ち上げた。
それから今年で9年目、まあ何とか続いてきたものだ。
ミャンマーの医療事情もその間、少しずつ良くなっていろ。さらに今後は経済発展に伴って、今年から10年くらいの間にかなり改善されるのではないだろうかと思っている。
アジアの経済発展から取り残され、経済封鎖によって医療に十分お金をまわすことができなかった国の姿は10年後は、もうなくなっているかも知れない。
それはそれですばらしいことで、今までミャンマー人たちの病気の状況を目の当たりにしてきた私は、隔世の思いで、そのことを感じている。
ある意味、私は幸せだった。
国際分野では私自身は指導者にはついに出会えなかったが、それでも多くの人たちに医療を提供できた。
手術は2万件以上を、行っただろうか?
外国人の私にそんなことが許されたのは、時代のなせることで、多分将来、実力のない医師が、ミャンマーの人々に手術をするなどということはできなくなると思う。
私は国際協力がしたいという、若い医師たちは多い。
でもあなたたちにそれを実現するフィールドはアジアにはなくなっているかも知れない。10年後には。
私は自分の半生を振り返っても、ラッキーな人間だった。
すでに十分、海外で医療を実現できた。
医師になった目的は、これをするためだったから、満足できているのかも知れない。
これからは、短い時間で専門的な医療行為をチームでする海外医療協力が、ほとんどになっていくだろう。
現地に住み、文化を理解し、現地の人たちと人間関係や信頼を築きながらというのは、もう夢物語かも知れない。私は、本当に信頼できる現地人と出会えた。そんなことは時間がかかるし、何度もともに困難を乗り越えなければあり得ないことだ。
簡単にすれば、簡単な人間関係しか残らない。人生とはかように上手くできている。
医学生や医師たちに、言いたいのは日本でゆっくり技術を磨くなどと悠長なことを言っていたら、その頃にはもう働く場所がないよ、ということだ。
少なくともアジアにはほとんど。
法整備が整い、様々な発展がみられれば、勝手に他人の国の中で、良いことだから、必要だからと言って、医療行為をすることは許されなくなる。
アジアでは私が人生のすべてをかけて医療行為を行った最後の医師になるかも知れない。
ホントは、後進にたくさん出てきてもらいたかったが、誰も出てこないから仕方ない。
道先案内人になる気持ちはあるのだが、残念なことだ。
あなたたちが、本当に海外協力を医療でしたいなら、余り時間は残されていない。
あとは、私の思い出話を、おとぎ話のように聞くだけだ。
きっと桃源郷の話のように感じることだろう。
看護師たちは、安心しても良い。
まだ数十年は大丈夫だし、あなたたちのやることはまだまだあると思う。
でも、確実に競争が激しくなるので、いけるチャンスは年々、減るかも知れない。
現に、ジャパンハートの長期の海外医療参加の倍率は上がり続けている。
だから、早めがお勧めなのは、変わりない。
迷うなよ!
迷えば道はなし。
その一歩が道となり、その一歩が道となる。
アントニオ猪木に皆、びんたをしてもらったら目が覚めるのだろうか?
前に出でよ!
他人のためではない。自分自身のためにやることだ。
貧しき人々はそのチャンスをあなた方にくれているのだ。
あなた方が生まれてきた意味と医療者としても、人としてももっとも高く自分に自己価値と人生のすばらしさを認識させてくれる機会をだ。
未来はくるかどうかは、神のみぞ知る。
明日のいのちの保証など、誰も与えてはくれない。
そこに今を全力で生きる理由も生まれてくる。
だから、お金や将来のことを気にせずやらねばならない。
少なくともそれをコントロールして、今を生きるすべを身につけよ。
私が今どんな精神的世界に住んでいるか、見せてあげたい。
結構、美しい世界だよ。
生まれてきたからには、あなたたちも覗いてみるべきだ。