嫉妬
2011年 08月 03日
嫉妬
以前、書いたブログにミャンマー人をもっともよく理解するキーワードは
嫉妬、すなわち ”ジェラシー”だと書いたことがある。
人間、一体どういうものが嫉妬という感情なのかを理解するには、難しいかもしれないが、
これはもしかしたら人が上昇してゆくためのモティベーションになるかもしれない。ただし、マイナスのエネルギーが張り付いてはいる感情だ。
人は、時にマイナスの感情を上手く利用して、上昇しなければならない。
プラスの感情利用だけでは、不十分だ。
あの人の人気に嫉妬する。
あの人の技術に嫉妬する。
だからがんばって自分もそんな風になろうと努力する。
それが人の、自然な在り方かもしれない。
ミャンマー人だけでなく、人は皆同じか、、、。
ところが最近、ここに嫉妬の感情を喪失してしまった人間がいる。
そう、何を隠そう、この私。
最近、もう人がどうでも良くなってしまった感じがする。
前から、後進の医師たちには、私をどうぞ抜いていってくださいという風に思っているが、
これが良いか悪いか、いろんなところに広がってきてしまった。
まあいいや、まあいいや、で私のこころはとんでもない状態になっている。
先日書いたブログ、「人生50年論」のように、本当に後4年をどう生ききるかを自問自答している。
もう、他人になんか嫉妬していられない。
嫉妬は、比較から生まれる。
他人と比較する段階から、自分しかできないことを生み出さねばならない段階にさしかかっているからだ。
比較するものがあるとすれば、それは他人ではなくて、昨日の自分だろ。
私は、今や嫉妬という感情をかなり弱めながら、何を求めていくべきなのか、悶々としている。
先日、今年までジャパンハートで働いていた石田先生とやりとりしていたら、いつも前向きで良いですねといわれた。
自分では、最近、意気消沈している感じがあるが、他人から見たらギラギラ感、丸出しらしい。
46で、ギラギラしていて何が悪い?と独り言。
最終的に、何を求めますか?という問。
さあ、何だろう?
冒険家の植村直己は、いつまでも冒険をやめず、そして斃れた。
革命家のチェ・ゲバラは政治家にはならず、最期まで革命家としてゲリラを指揮して、処刑された。
彼らはなぜ、どこかで線引きをできなかったのだろうか?
最近、彼らのこころがよく分かるようになった。
彼らは死に場所を探していたのかもしれない。
今、ちょうど「13人の刺客」という時代劇映画がやっている。
この映画の中で、とても無理そうなミッションを上から仰せつかった、役所広司が次のような台詞を言う。
「この平和な時代、武士としての”死に場所”を探しておりました。」
そしてそのミッションを、死を賭け、喜んで引き受けた。
私も、もしかしたら斃れる場所を、探しはじめたのかもしれない。
どこまでも続くであろうこの道の先、最期は、ただただ、前のめり倒れよう。
以前、書いたブログにミャンマー人をもっともよく理解するキーワードは
嫉妬、すなわち ”ジェラシー”だと書いたことがある。
人間、一体どういうものが嫉妬という感情なのかを理解するには、難しいかもしれないが、
これはもしかしたら人が上昇してゆくためのモティベーションになるかもしれない。ただし、マイナスのエネルギーが張り付いてはいる感情だ。
人は、時にマイナスの感情を上手く利用して、上昇しなければならない。
プラスの感情利用だけでは、不十分だ。
あの人の人気に嫉妬する。
あの人の技術に嫉妬する。
だからがんばって自分もそんな風になろうと努力する。
それが人の、自然な在り方かもしれない。
ミャンマー人だけでなく、人は皆同じか、、、。
ところが最近、ここに嫉妬の感情を喪失してしまった人間がいる。
そう、何を隠そう、この私。
最近、もう人がどうでも良くなってしまった感じがする。
前から、後進の医師たちには、私をどうぞ抜いていってくださいという風に思っているが、
これが良いか悪いか、いろんなところに広がってきてしまった。
まあいいや、まあいいや、で私のこころはとんでもない状態になっている。
先日書いたブログ、「人生50年論」のように、本当に後4年をどう生ききるかを自問自答している。
もう、他人になんか嫉妬していられない。
嫉妬は、比較から生まれる。
他人と比較する段階から、自分しかできないことを生み出さねばならない段階にさしかかっているからだ。
比較するものがあるとすれば、それは他人ではなくて、昨日の自分だろ。
私は、今や嫉妬という感情をかなり弱めながら、何を求めていくべきなのか、悶々としている。
先日、今年までジャパンハートで働いていた石田先生とやりとりしていたら、いつも前向きで良いですねといわれた。
自分では、最近、意気消沈している感じがあるが、他人から見たらギラギラ感、丸出しらしい。
46で、ギラギラしていて何が悪い?と独り言。
最終的に、何を求めますか?という問。
さあ、何だろう?
冒険家の植村直己は、いつまでも冒険をやめず、そして斃れた。
革命家のチェ・ゲバラは政治家にはならず、最期まで革命家としてゲリラを指揮して、処刑された。
彼らはなぜ、どこかで線引きをできなかったのだろうか?
最近、彼らのこころがよく分かるようになった。
彼らは死に場所を探していたのかもしれない。
今、ちょうど「13人の刺客」という時代劇映画がやっている。
この映画の中で、とても無理そうなミッションを上から仰せつかった、役所広司が次のような台詞を言う。
「この平和な時代、武士としての”死に場所”を探しておりました。」
そしてそのミッションを、死を賭け、喜んで引き受けた。
私も、もしかしたら斃れる場所を、探しはじめたのかもしれない。
どこまでも続くであろうこの道の先、最期は、ただただ、前のめり倒れよう。
by japanheart
| 2011-08-03 02:46
| 医者の本音






