人生50年という在り方
2011年 07月 18日
第二次世界大戦末期、神風特攻隊が飛び立った鹿児島県知覧にある記念館には、若き特攻隊員たちの遺書が残されている。
その多くは、戦時下、人の命は人生20年と認識されている。
25才の若者は、人生20年の時代に5年も多く、時を重ねてしまったと書き遺す。
信長は人生50年といい、今では平均寿命80年程度、人は知らぬ間にどこまでも人生続くのだと錯覚して生きている節がある。
寿命が延びれは、幸せなわけではない。
人生がいつまでもづづくのだと、錯覚していると濃度は、必ず落ちる。
齢50を越え、情けない姿をした人や、醜態をさらして生きている人たちを見るのは別に特別なことではない。
やはり寿命が長すぎるのだ。
人生50年、このくらいがいいのかもしれない。
昭和の初め頃の、日本人の平均寿命は男44才、女47才程度、子供がたくさん死んでいた。
私は46才だから、あと4年で寿命ということになる。
もし、本当に50才で死ななければならないとしたら、もうこのくらいで富を蓄えたり、名声を欲したりするのはやめにするだろう。
ここから数年しかない人生、出し惜しみ無く、蓄えたものを出し切って死のうとする。
汲々として、名声や地位を求めて、残り少ない人生の時間を無駄にもすることはない。
人生50年、若き特攻隊員たちが言い遺したように、50を過ぎれば、それは余分な人生と考える。
すなわち”余”生なのだ、と認識して生きる。
これがいい。
50までは、地位を求めようが、お金を求めようが、それはいい。損得で生きてもいいかもしれない。
本人がそれで良ければ。
そして、人は50で、一度死んだと考える。
そこからは生まれ変わった気になって、損得ではなく、善悪を生きる基準に置く。
どうせいつ死んでも、どんなに損をしても、既に死んでいる人生、大きな障害はないのだと考える。
もし多くの壮年・老齢の人たちが、善悪を基準に生きてくれたら、どんなにか社会が豊かになるだろう。
若者たちが、どんなにか救われるだろう。
何を信じていいのか分からない若者たちが、50を過ぎればあんな風に生きれるのだと知ることは、どんなにか価値があるだろう。
私の1度目の寿命があと数年で尽きようとしている。