人生観の形相ーその1ーアジア的という人生感覚
2011年 06月 01日
欧米と違って、アジア人は、日本人はかなり、自分という存在を、多くの星なかのの一つの星にすぎないような感覚がある。
だから自分が消滅しても、その後、宇宙は何わりなく継続されるような感覚。
ここからおそらくいのちの軽薄さや死生観を身につけているのだろう。
私のいつもこの感覚にさいなまれる。
何をしても、いったいそれがいかほどのことになるのかなどと、やがてどこからか声が聞こえてくる。
何をなしても、多分、これがどれほどのことなのか?と、きっと思うに違いない。
富を積み上げ続ける人を見るにつけ、虚しさを感じるのもそのせいなのだろう。
あちこちにある大企業群の看板や広告を見てもそう思う。
本当に窮屈な毎日を働きつづける東京の人々を見ていると悲しくなってくるのもそうなのだろう。
人がこの感覚に強くさいなまれたときに、会社を辞めたり、田舎暮らしを始めたりという行動をとるのかもしれない。
人生は、本当に星が瞬くように、その瞬間に、存在の意味や喜びを見いだしたいと思う。
それがせめてもの自己存在の意義ということになるのかもしれない。
子どもが時の経つのも忘れて砂場で何かを造っている。
たった一人で、何とかごっこをして遊んでいる。
大人の人生もこれと、いったい何が違うというのだろうか?
持ち金ややり遂げた仕事を誇るのは、子どもが砂で造った何かを誇るのに似ている。
神様から見れば、さぞかし微笑ましいことだろう。
きっと、「よくできたね」と、親が子に言うように、言ってくれていることだろう。






