人格以上の医療はできない
2011年 05月 18日
まあ、しかし、と最近考えることがある。
結局、医療というのは人格以上にならないのではないだろうか。
医療技術という側面からいうと、そうでもないのだけど、人を癒すという側面における医療は、
人格以上にはならないと、思う。
面倒なことを嫌う人間が行う医療は、ミスが多い。それは多分、観察が足らない、あるいは情熱が欠如するのかもしれない。
上から目線で、人を治療する医療者は、知らない間に患者を苦しめている。精神的に圧迫している。
分からないことをそのままにできる人間は、患者の病態が理解できなくてもそのまま、適当に治療してしまう。
これは今まで何度も目撃してきた。
私は、若いくせに年寄りに、敬語を使えない医療者は嫌いだ。
ため口を利くような医療者も多いが、なんでそんなに偉そうにいうのか分からない。
患者である、あるいは施設入居者である老齢の人間は、受け身である上に寛容になっている。
いつも言っているが、言葉が人生を造る。
だから、年寄りに敬語を上手く使えない人間は、そのような人生を形造っている。
簡単に言うと、傲慢になっている。
私は、若い人対しては、結構、傲慢に振る舞う。
上からの圧迫や上への反発こそ、大切な上昇の力を生む。
いい気持ちではない人も多いのは、確実だけど。
悔しかったら、いつでも私を抜き去ってもらいたいと切に願う。