看護師たちのことーニュージーランドの地震に思う
2011年 02月 28日
ニュージーランドでの地震で、多くの看護師という職種の人たちが、いまだに行方不明になっている。
その多くは、海外での医療を求めて、まずが語学の習得をということで、留学していたに違いない。
誠に残念。
しかしこれは一体どういうことか?
いつから、誰が、どうして英語を習得していないと海外で働けないと決めたのだろうか?
英語圏の国で働く。それならわかる。仕方ないから。
しかし、途上国での活動を志すなら、まず英語と考える、それは果たして唯一の正解だろうか?
現実的に、それを目指して語学留学をする。
それはそれで、お金もかかる。アメリカやカナダへ行けば400万くらいは全て含めるとかかるという話もある。
問題はそこから。
そのほとんどは、その途中で力尽きて頓挫する。
語学習得というプロセスで、途上国医療への情熱や志を失う。
要するに、途上国の医療までは辿り着かない。
だってそうだろうと思う。
それほどまでに、途上国の医療にかける情熱など、はじめから彼らが持ち合わせている理由などない。
彼らにあるのは、ごく一般の日本人が、同情的に持っている程度の途上国の現状に対する思いでしかない。
彼らが、一般の日本人が知る以上の現状など、知っている理由は普通はない。
強いてあげれば、彼らが看護師という職業を選んだ動機が、なにがしかの母性に基づいているという可能性はある。
だから、時間をかけて、手間もお金かけて、そこへ辿り着こうとすると、そのほとんどは失敗する。
情熱は、その道を、現実に進むことによって、持続し、そして強化される。
それは、現実がさらに頭にある幻想を打つ砕きながら、しかし確実に体験を与え、意識とこころになにがしかの重みを与えるから。
日本には、英語ができないと海外医療ができないと思っている人が多い。
なぜだろうか?
私は、敢えて言う。
日本の、日本発の国際医療組織がないからだ。
フランスのチームはフランス語、ドイツのチームはドイツ語、スペインのチームはスペイン語でやっている。
あれば、公用語は日本語になる。
一部に英語の堪能な人間がいればことすむ。
それよりも現地語を話せる方が、よほどいい。
だから、ジャパンハートの海外医療の選考には、英語の基準はない。
公用語は、日本語と現地語。
しかし、全ての研修者に英語を学ぶ機会は与える。
能力は、ないよりあった方が良い。
大切なのは、手段を目的と混同しないことだ。
英語はただの、手段。手段なのだ。
手段を得るために、目的を失ってしまっては、本末転倒。
しかし、現実はよくわかっている。
そうなる人ばかりであることを。
だから、つくってみた。
手段に縛られず、目的を達成できる仕組みを。
ジャパンハートの国際看護研修。
いきなり、途上国に行ってもらう。
そこで現地語を習得しながら、働く。
そして、帰りにシンガポールの語学学校で英語を学ぶ。
それから再び、海外に旅立つ。
もし将来、ジャパンハートでなくとも、どこでも働けるようには考えている。
でもジャパンハートなら、まあ、英語はそれほどなくても働くことはできる。
あなたの働く目的が、途上国の困っている人たちのためにそれがしたいのならば、今すぐにでもそれは現実のものとなる。
余計な駆け引きを人生に対してしなくてすむ。
既に1年にあたり、のべ150人の看護師たちが実際にジャパンハートから海外の途上国医療の現場に旅立っている。