特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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歴史の感じ方

歴史の感じ方

 ミャンマーは第二次世界大戦で、日本が展開した国で、イギリスそして植民地インドの軍隊と主に交戦した。

 多くの日本人が死に、多くの現地人が死んだ。もちろん対戦相手の軍人たちも。

 ある意味、戦争の是非はともかく、近代戦は国際法上、軍服を着て指揮官の統制下にある兵隊たちによる戦闘と考えられる。
 その意味では、都市への無差別爆撃は、多くの非戦闘員を殺傷しており、野蛮行為ということになる。
 おおよそ文明のある人々がやることではない。未開人のやるべき所業。
 アメリカをはじめ、多くの国ではそれをやっている。いまだに。
 だから原爆の投下という行為は、言わずもがなで、つける薬はない。

 私は日本人であるという事実を、強く認識、自覚している。
 だから日本人の死に対して、たとえそれが軍属であっても、非常に同情的で感傷的に扱う。
 他人はどうかは知らないが、私は自然とそうなる。

 講演をはじめ、多くの機会に、ミャンマーで亡くなった19万人以上の日本人たちに同情を示すと、時々、現地人のことは良いのか、相手国の人々への同情は良いのかという人がいる。
 正確に私の感情を吐露すると、同情心が私に起こるとすると、日本人10に対して、現地人7,敵国の兵隊は2くらいしかない。
 それはおかしいだろうか?
 それを同じでないと、おかしいと感じる人がいるかもしれないが、そうだから仕方ない。
 理屈ではない。
 だから正直に、異国で戦争なんぞで亡くなった日本人たちが気の毒だと思うと言う。
 そして、ああミャンマーの人もたくさん迷惑しただろうな、そして亡くなった人も気の毒だとふと思う。
 私は、多くの子孫に先祖の遺恨を押しつけてもらいたくはない。
 おまえの5代前の、じいさんが俺のじいさんを殺した謝れと言われても、私の知ったことではないし、私には関係ないと、私は答える。
 しかし、おまえのじいさんが死にかけたとき、俺のじいさんが助けたそうだと言われれば、ありがとうと素直にお礼を言える。
 わかってもらえるかな?

 淡々と歴史の事実を教えることは大切。しかし、感情や考えを押しつけてはいけない。特にネガティブな感情の強制は控えるべきだと思っている。
 どう感じ、どう考えるかは本人の自由意志の問題で、同じ人間の中でも年齢や経験、その時々で大きく違ってきてもいいのだ。

 どうせ教えるなら、子孫に伝えるべきは、身に覚えなおない反省や歴史観ではなく、感謝のこころ。
 第二次世界大戦の時、多くのミャンマー人が日本人を助けてくれた。
 迷惑もかけたけど、今も友達として見てくれている。
 ありがたいな、ということを伝えなければいけない。
 それが、建設的な未来を生み出す。
 
 反省しろ、謝れという人がいるけれど、そうしたい人はすればいい。
 昔、在日韓国人の友人に、豊臣秀吉の朝鮮出兵を反省してほしいと非難されたことがある。
 反省したい人は、やればいい。
私は豊臣の時代の日本人のことを反省などしないけれど、この国に残った在日の人たちとは、 良いも悪いも含めて、ありがたい関係をつくっている。

 今、ジャパンハートのスタッフに、ある優秀なミャンマー人の若い女性がいる。
 彼女のおじいちゃんは、第二次世界大戦の時、スパイ容疑で日本兵に連れて行かれて帰ってこなかったらしい。
 でも、私はこの家族ともいいつきあいをしているし、彼女を本当に立派な社会人にするために、協力する決意をしている。
 こんなの罪の意識でやっていられると思う?
 この人たちに対して、私には感謝の意識しかない。
 そんな過去があるにもかかわらず、家族も彼女も私を日本人として大切に扱い、ひとりの人として評価をしてくれている。

 先祖のために、子孫がいい関係を築けないなどということがあっていいわけなどない。
 
 私は”反省”より”感謝”こそが、いい未来を生み出すと思っている。
 
by japanheart | 2011-02-19 01:00 | なぜミャンマーか