隠岐の島にて
2011年 02月 02日
今、隠岐の島にいる。
日本海の豪雪をかき分け、昨日ここにやってきた。
私が主宰するジャパンハートでは、日本の離島数カ所にスタッフを出している。
日本の僻地離島を、人的にサポートできないかということで、数年前にこの事業を立ち上げた。
現在までに、何十名かのスタッフが、各地に赴き、そこで地域医療を学びながら、働いてきた。
こういう事業をやってゆく中で、いろいろな問題が発生するのは、どの世界でも同じ。
ひとつずつ解決してゆくしかない。
こうして1年に1回は少なくとも、各地を回り、様々な問題を解決、調整をしている。
多くの離島や僻地をみてきた経験からいうと、そこの地元スタッフが、がんばっている病院は、住民から期待もされるし何とか、将来もなってゆく感じがする。
一方、そうでない病院は、見るからに将来厳しい。
私たちが外からできることはわずかしかない。
やはり自助努力は、大切なこと。
これは個人の人生も同じ。
自助努力なくして、いい未来はやってこない。
努力はエネルギーの凝縮を生む。
このエネルギーの凝縮が、ある閾値に達したとき、結果を生み出す。
実はこれはどのくらいの期間、あるいは凝縮があればいいかは、誰にも分からない。
例えばどのくらい、努力すれば、地元の人たちが信頼するいい病院になっているだとか、人員が確保されるかだとか、そういうことだ。
でも、トライ-アンド-エラーを繰り返しながら、エネルギーを凝集し続けると、あるとき結果を生み出す。
そこまで、歯を食いしばってもがんばらないと仕方ない。
途中でやめると、結果はゼロ。全ては今までのまま。
何も、目の前に出現しない。
人生というのは、個人だけでなく、真の人格のない組織や国にも、当てはまる。
もっといい人生があるのだと、私が言うと、多くの人は私たちはこれくらいでいいと答える。
私に言わせれば、それはもっといい人生の一部でも経験したことがない人の言う台詞だ。
それの一部でも、一度経験してしまったら、これくらいでは我慢などできるはずがない。
1000メートルの頂きから見る景色を見た者は、100メートルそこそこの高さから見る景色には感動しなくなる。そして再び、1000メートルのそれを見たくなる。やがては、それ以上のものを。
それが人間の本性。
そういう遺伝的折り込みには誰も逆らえない。
だから一旦、目覚めさせてしまえばいい。